(2007年WD企画)



伝えるもの







(あー可愛い)
報告書提出の順番を待ちながら、チラと斜め前で一生懸命報告書に目を通している人を窺った。
「はい、結構です!お疲れ様でした」
パっと顔を上げてニッコーと笑う。その可愛らしいことと言ったら、世界レベルを通りこしてコスモレベルだろ。
他の追随を許さない麗しさ、さすがはイルカ先生。
「おう、どうもな」
しかし、その笑顔を真正面から受けるのは残念ながら俺ではない。顔しか知らないような若造だった。
(ちゃんと挨拶せんか、ボケ)
どうも、じゃねーんだよ。床に額こすり付けながら「私如き未熟物の報告書に目を通してくださり、まことにかたじけのうございます」ぐらい言わんか。
嬉しそうに頬染めてんじゃねーぞ、用のない奴はさっさと去れ。
イルカ先生の悩殺スマイルにデレデレと鼻の下を伸ばす男に言い知れぬ殺意が湧く。
しかし俺とて上忍、こんなところで殺気だつわけはなく表面上は努めて平静を装ってイチャパラを読む振りをした。
「次の方、どうぞ」
イルカ先生の健康的に日に焼けた節の目立つけれど細い指が順番待ちしていた次の男へと差し出される。
(握りてえ)
心底思った。
あの指に口付けることが出来たらどんなに幸せだろうか。永遠の忠誠を誓い、生涯の僕として過ごせるなら。
マジな話、死んでもいいと思う。
全然悔いはない。
(・・・罪な人だ)
斜め前でキラキラと輝くイルカ先生にひっそりとため息を吐いた。

その漆黒の髪、黒曜石のような美しい瞳、真っ直ぐに走る鼻の傷、厚ぼったい唇はこれまで見たどんなものよりいやらしく可憐だ。
空気中の酸素を人一倍吸い込みそうな鼻の穴、適度に肉のついた頬、大器晩成型の耳たぶ、柔らかな湾曲を描く喉仏・・・もう言い出したらきりがない。
何もかも完璧すぎる。こんな人がこの世に居るなんて・・・、初めて会った時はあまりの神々しさに目が瞑れるかと思った。

万物を虜にするイルカ先生、本来ならば俺如きが同じ空気を吸うことすらおこがましいのかもしれない―― 。

(人間じゃなければ良かった)
せめてあなたが俺なんかじゃ到底手の届かぬ雲の上の人だったら・・・、こんな不遜な想いを抱かずに済んだのに。
(好きだ、イルカ先生が好きだ)
心の中で何度も繰り返す。それと同じだけ身の程知らずめと自分を罵った。
雲の上の人なら眺めるだけで満足出来たのに、イルカ先生はなまじっか人間なもんだからつい手を伸ばしてしまいそうになるんだ。

「カカシ!さっさと報告書だしな!」
物思いに耽っているところをドスの聞いた声で邪魔された。
「え?」
顔を上げるよりも早くイチャパラを持っていたのとは反対の手にある報告書をふんだくられた。
「後が支えてんだから、ボケーっとしてんじゃないよ!このグズ!」
容赦なく罵声を浴びせながら五代目がロクに目も通しもせず報告書に判を押した。
般若のような顔をして受付に座る五代目・綱出様、火影という地位に着いたにも関わらず庶民と同じ仕事をする姿には感銘も受けるが、はっきり言って邪魔だ。
というか、迷惑だ。
(イルカ先生の前でそんなこと言わなくてもいいじゃないか)
ちょっと泣きそうになった。一生懸命働いてきたのにグズ呼ばわりするなんて・・・イルカ先生に聞こえてたらどうしてくれるんだ。
気になってチラリと横を窺うと、イルカ先生は全然こっちを見ておらず相変わらずニコニコと「お疲れ様です!」と悩殺スマイルをかましていた。
(いいなあ、あいつ)
俺だって出来ることならイルカ先生に報告書を渡したい。
でも、そんなこととてもじゃないが出来なかった。
緊張しすぎて失神するような気がするし、失神しないまでも変な態度をとって嫌われるかもしれない。
「用が済んだらさっさと退かんか!」
声に押されるように受付から離れた。


外へ出ると既に辺りは薄暗く西に薄っすらと赤い陽の名残が見えるだけだ。立春を過ぎ大分日暮れも遅くなったがまだまだ寒さは衰えない。
(今日もイルカ先生と一度も話すことが出来なかったなあ・・・)
家路と続く道を歩きながら先ほどのイルカ先生に思いを馳せた。
今日も可愛かった。素敵だった。
でも、それだけだ。目も合いやしない。
(俺の意気地なし)
己の不甲斐なさに北風がいっそう身に染みた。


「カカシ先生!」
後から呼び止められる声に一瞬耳を疑った。
(この声はまさか・・・!)
振り返るとイルカ先生が息を切らして俺を見ていた。
「すいませんっ、お引止めして・・・!」
ハァと喘ぐようにイルカ先生が息を吐く。呆然とその様子に目を見張った。
「歩くの・・・っ早いんですね!結構走ってしまいました!」
(イルカ先生が俺に話しかけてくれてる・・・・?)
なんだこの素晴らしすぎるこの状況は・・・。
そんなに息を切らして俺を追いかけてきたのか?頬を染めて、可愛い顔をして、俺を見てくれてるのか?
目の前のイルカ先生はいつもより更に愛らしい。
「あの・・・今お時間大丈夫ですか?」
まるで小動物のようにイルカ先生が小首を傾げた。それに合わせて頭上に結われた髪が小さく揺れる。
「カカシ先生?」
不安げな声音にハっとした。
「ええ!!」
思ったよりもずっと大声で返事をしてしまう。けれど取り繕う余裕などない。
「わ!・・・えっと、大した用事ではないんですが・・・」
イルカ先生は俺の大声に一瞬驚いたようだが特に気にした風はなく、ゴソゴソと持っていた紙袋から小ぶりの包装された箱を取り出した。
そして顔を真っ赤にしながら、一度唇を噛むと意を決したようにその箱を俺の眼前に差し出してきた。
決意を秘めた黒い瞳がこれまで見た事がないほど艶やかに光を放っている。
その瞳に写されているのが己だという事実に、背がゾクゾクとしなる。背骨に直接電流を通されているかのようだ。

「俺・・・カカシ先生が好きです!」

――― 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

「ずっと好きでした。男の俺にこんなこと言われても迷惑でしかないでしょうが、言わずにはいられなくて。これ、俺の気持ちです。
 カカシ先生のことを想って作りました。・・・受け取っていただけるだけでいいんです!」

(カカシ先生が好き・・・?)
イルカ先生の言葉をぼんやりと反芻する。
(カカシ先生って誰だ・・・?)
こんなに綺麗なイルカ先生は初めて見る。
誰だ、イルカ先生の心を奪った憎い奴は、カカシ先生とは一体何者だ――― ?

「っ俺?!」
ハタと思い付いた事実に驚愕した。
(・・・俺はまさか『カカシ先生』なのか・・・?)
そうだ、俺の名ははたけカカシだ。生まれてこの方二十数年ずっとはたけカカシだった。それ以外に名はなく・・・。
だが、そんなことがあっていいだろうか?!この憧れて止まなかった人物が好きになった『カカシ先生』が俺であっていいのだろうか?!
「カカシ先生とは俺のことか?!」
思わずイルカ先生の肩を掴んで揺さぶってしまった。
「そ、そうです!あなたがカカシ先生です!!」
イルカ先生がぶんぶんと首を振りながら答える。
「俺が好きなカカシ先生です!!チョコレート受け取ってください!!」
バコッ!!!
勢い良く差し出された小箱が顎に勢い良くぶち当たる。接近していたものだからその威力は容赦なかった。
(・・・接近・・・?)
イルカ先生がこんなに近い・・・・。
匂いすら嗅げそうな程イルカ先生が近くに居る。あまつさえ触っている。夢のような状況にクラリと眩暈がした。
「ぅわあぁぁ!ごめんなさい!!」
イルカ先生が泣きそうな顔をして謝っている。
(・・・すげえ、マジ可愛い)
あまりの可愛さに完全ノックアウトだ。そのまま地面に突っ伏してしまった。
「ヒィィィ〜〜!アッパーくらわすつもりはなかったんです!ごめんなさい!ごめんなさい!!」
米搗きバッタのように俺の横に跪いて頭を下げるイルカ先生に胸が痛んだ。
俺なんかに頭を下げちゃいけない。その麗しい足で踏みつけるくらいで丁度いいんです。というか踏まれてえ。
「イルカ先生・・・」
手を差し伸べるとイルカ先生が涙を溜めた目で見返してくる。
(ああ・・・こんな愛らしい人が俺を好きだなんて)
生きていて良かったと、今ほど思ったことはない。雲の上の人だと思っていたのに、自分から俺のところに降りてきてくれた。
お願い、この手を取って。
そうすれば、俺は何に変えてもあなたを守るから。
「カカシ先生」
イルカ先生はそっと腕を上げた。眦に溜まった涙を手の甲でゴシゴシと拭い、「へへ」と笑う。
そして、そっと俺の手に
「チョコレート受け取ってくださるんですね。嬉しいです」
チョコレートを握らせた。

 


待機所に入るとアスマが一人で煙草を吹かしていた。丁度良い。相談に乗ってもらうことにする。
「話を聞いてくれないか。昨日、イルカ先生にチョコレートを貰った」
「おお、キモイ話だな。止めてくれ」
「いや、聞いて欲しいんだ。自分一人じゃ到底この喜びを受け止められそうにない。ああ、なんて小さな男なんだ俺は。でもイルカ先生が好きだって言ってくれた。さあ、一緒にこの喜びを分かち合おう、戦友よ」
「人の話聞けや」
「どこから話せばいい?やはり二人の出会いからか?そうだな、あれは去年の四月、サクラ舞い散る中あの人は突如俺の前に現われた。至極の微笑みを浮かべ・・・」
初めて会った時のイルカ先生・・・、今でも昨日のことのように思い出せる。ナルト達に纏わりつかれ嬉しそうに微笑むあの人はまるで桜の精のようだった
「ああ、俺の拙い語彙じゃ到底あの時の感動を伝えることができない。すまない、戦友よ。君に同じ感動を分け与えられなくて」
「気にするなよ」
「まあかいつまんで言うとそんな素敵なイルカ先生に昨日告白されたわけだが」
「かいつまみ過ぎじゃねえか?」
「・・・そんなに聞きたいの?多分聞きたくないだろうから本題に入ってやろうかと思ったんだけど。そんなに聞きたいならしょうがないから話してあげようか?」
「すまん。本題に入ってくれ」
「うん。昨日告白されたのは良いんだけどね、返事をしそびれちゃったのよ。イルカ先生逃げちゃって」
「中忍捕まえることもできねえのか」
「初めての恋に戸惑う俺は迷い子のバンビ・・・、そしてあの人は愛の狩人。手負いの俺に出来るのは足竦ませて怯えるだけだ。さあ、愚かな男だと笑ってくれ」
「面白くなきゃ笑えねえよ」
「家に帰って早速チョコレートを開けたらね、一緒にカードも入ってたのよ。『カカシ先生大好きです。付き合ってください』って。凄くない?」
「本当にすげえな」
「俺はイルカ先生のことをアスマもご存知の通り大好きなわけだから、すぐに返事をしたいんだけど。そのカードにさ『ホワイトデーに返事をください』ってあるわけさ。俺にとってイルカ先生の言葉は絶対・・・!この身を焦がし滾る想いを今すぐあの人に伝えたいのに、それが出来ないなんて・・・。可哀相だよな」
「別に」
「いや、可哀相に違いはないのよ。わざわざアスマに相談しなきゃなんないほど困ってるわけだし」
「そりゃ大変だな。で?相談って何だよ」
「ホワイトデーって何?」
しかめっ面しながらも俺の話にいちいち相槌を打ってくれている優しい同僚が、今日初めてこっちを向いた。
「カカシ、それは相談じゃなくて質問っつーんだ」
「どっちでもいいよ、馬鹿」
「そうか、すまんが他を当たってくれ、俺もホワイトデーのことは知らねえ」
「つれないこと言わないでくれ。馬鹿なんて言って本当に悪いと思ってるんだ」
「私が教えてあげましょうか?」
タイミングよく紅が待機所に入ってきた。
「可哀相なカカシ。好きな相手に気持ちを伝えられないなんて、こんな不幸な事があるかしら」
「だよねー」
紅ならアスマよりも数倍話がわかりそうだ。すぐに話を察して俺に憐憫の眼差しを向けてきた。
「ホワイトデーはね、バレンタインデーの一ヵ月後、つまり3月14日のことなのよ」
(・・・一ヶ月・・・!!)
なんと?!そんなに先のことなのか?!
一ヶ月後って・・・、もしかしてそれまで俺は返事をしてはいけないのか・・・?
「それまで、どんなに辛かろうが悲しかろうが、あんたはイルカ先生に好きだっていっちゃいけないの。ホワイトデーってそういうものなの。想い合う二人が一ヶ月間言葉も交わさずに過ごして、それを乗り越えた者だけが一ヵ月後に真の愛を手に入れるの!言わばこの一ヶ月は愛の物忌み期間!!耐えなさい、カカシ!!イルカ先生もそれを望んでいるのよ!!あんたの底力を見せ付けてやってちょうだい!!」
紅が血走った目で訴えてくる。
(・・・なんてことだ・・・?!)
まさかそんな風習がこの里にあるとは知らなかった・・・。
初めて知った事実に打ちのめされる。
「俺は・・・イルカ先生に試されてるのか・・・?」
好きだという言葉に浮かれ、今日すぐにでも気持ちを捧げに行こうと思っていたのに・・・!もう我慢はしない、告白した暁にはイルカ先生の全てを手に入れようと思っていたのに・・・!!
「まさか、出来ないの?あんたの気持ちはその程度なの、カカシ!愛は全てを超越するの!そんな薄汚い性欲など捨てておしまい!!」
(なんて女だ・・・!!)
俺がイルカ先生に対して不埒な想いを抱いていることを見抜いているとは。
紅の言葉に驚きを隠せない。
しかし、俺とて漢だ、試されているのなら受けて立とうじゃないか。
「紅、俺はやるよ」
「その言葉を待っていたわ。・・・一ヶ月、長いでしょうが頑張るのよ」
眦に涙まで湛えた紅の言葉が身に染みる。なんて情の深い女なんだ。これまでただの服の趣味の変なくの一だとしか思っていなかったことを反省した。
紅のエールに俺は微笑んだ。
一ヶ月・・・これまでを思えば長いものか。
「俺はね、イルカ先生と出会って十ヶ月、言葉を交わしたことは昨日を含めてたったの5回。2ヶ月間目も合わなかったこともあるんだ」
「カカシ・・・」
「俺はやり遂げてみせる」
「あんたってカッコイイ!!」
紅の黄色い声援に、アスマが心底嫌そうな顔をした。紅が俺のことばかり構うのがおもしろくないらしい。
「紅、いい加減にしろ」
あまつさえ口を挟んできた。意外に大人げない奴だな。
「アスマ、紅を叱らないでやってくれ。他人のために一生懸命になれるなんて良い女じゃないか」
色々と教えてくれたせめてもの礼に紅へのフォローを入れてやる。
「おまえのために言ってんだよ!」
けれどアスマから返ってきた言葉は全く的を得ていなかった。
「なんで俺のためなわけ?自分の我侭のためでしょう?やーい、ヤキモチ焼きー」
「やーい」
図星を指されてこめかみを引き攣らせているアスマを紅と二人でからかった。

 


意気込んでいたのは最初の三日までだった。
イルカ先生と目の合わない言葉も交わさない生活は俺にとっていつもの日常なはずだ。
「・・・死ぬ」
けれど、何もかも違う。
胸が痛くてしょうがない。
ふと気づくとイルカ先生の視線を感じる。
例えば受付で報告書をいつもの如くイルカ先生以外に提出をしている時、陽炎のように揺れる気配を斜め前方に感じる。
(・・・見てる)
イルカ先生が見てる。俺を見て、何か言いたげに気配を乱している。
だが俺はもちろんそっちを見ることが出来ない。
「カカシ先生」
声を掛けられたこともあった。それに顔すらあげられずに、俺は逃げなければならなかった。
そして、そうした後はイルカ先生の悲しみに震える気配が後から追いかけてくるのだ。
「・・・辛すぎて死ぬ」
イルカ先生が悲しんでいる。
俺の態度にイルカ先生が傷ついている。その事実が俺を打ちのめした。
(あなたが俺を試してるんでしょう?)
居たたまれなさに、イルカ先生を心中で責めた。
(一ヶ月耐えてみせろと言ったのはあなたでしょうが・・・)
俺だって出来ることなら、すぐにでもあなたに愛を誓いたい。悲しげに震える体を抱きしめて、もう大丈夫と慰めてやりたい。眦に浮かぶ涙を唇で受けてやりたい。
「イルカ先生、好きです」
伝えられない言葉を白い息と共に宙に吐いた。
どんよりとしたうす曇に白い息が溶け込む様は虚しくて、胸が冷えた。


三月に入っても、一向に寒さは衰えない。
(・・・イルカ先生・・・)
イルカ先生に見つからないように、こっそりと電柱の影から見つめた。
愛しい人は寒さに体を震わせながら家路へと急ぐ。日が落ちるのも大分遅くなった。夕焼けに照らされた長い影が俺の僅か手前まで伸びる。
手を伸ばせば触れそうで・・・。
「カカシ先生」
しまったと気づいた時には遅い。
イルカ先生が俺の方を向いていた。近づくことはせず、足元に届きそうで届かない影の位置で俺を見つめていた。
「・・・何か、おっしゃりたいことがあるんじゃないですか?」
立ち去らなければとわかっているのに、切なげに瞬く黒い瞳に身体を絡め取られる。
「はっきりと言ってくださって構いません。最初から、叶わぬ恋だとわかっているんです。迷惑だと言うのなら、今後一切あなたに近づかぬよう努力します」
(何を言っているんだ?)
迷惑だと?そんなことあるもんか!
俺がまだあなたに気持ちを捧げられないことは、あなたが一番わかっているはずじゃないか。
なんでそんな悲しいことを言うんだ?!
(・・・まさか、見つめることすらしてはいけないのだろうか・・・?)
物忌みだと紅も言っていた。
姿を見つめることすら我慢しなければならないのに、それを出来ない俺にイルカ先生は怒っているのだろうか?
思いついた答えのあまりの絶望に、目を閉じて堪えた。
「俺は・・・、あなたにそんな風に見つめられると辛いです・・・!何も言ってくれないけど、あなたはいっつも俺を見てるから、期待してしまいそうになって・・・!
 もしかしたらと想うだけで、嬉しくて!でも!今みたいに目をそらされたんじゃ、溜まらない・・・!やっぱり、嫌われてるんだと言われてるようで・・・」
(違う!)
声に出さず精一杯叫び返した。
顔を上げるとイルカ先生が今にも泣き出さんばかりの顔で俺を見つめてくれていた。
「俺のこと、迷惑ですか?」
首を横に振って否定した。
「俺のこと嫌いですか?」
それにもブンブンと首を振って否定した。
・・・もし、ここで「好きか?」と問われたら、俺は何もかも投げ捨てて頷いてしまったんじゃないかと思う。
気持ちを告げてはならないと試されていることを忘れ、「好きだ」と言葉にしていたんじゃないかと思う。
でも、イルカ先生はそこまで残酷ではなかった。
「じゃあ、いいです」
そう言うと、淋しげな顔で微笑んで踵を返した。

 


(イルカ先生)
心の中で呼びかけると、愛しい人はふわりと笑った。
(カカシ先生)
そう、答えてくれた気がした。
言葉を交わさない日々は相変わらず続いていた。
けれど、見詰め合うようになった。言葉に出来ない気持ちを視線に絡め、互いを見つめる。
泣きたくなる程甘く、胸の痛い日々だった。
触れたいのに、手を伸ばせば触れることが出来るのに、それが出来ないもどかしさ。
切なさは募る一方だった。
イルカ先生もあの日以来、俺に話しかけることはなくなった。その代わり、前よりもずっと穏やかに笑ってくれる。
気配を隠して見つめていても、あの人は俺をすぐに見つけてくれた。
それが嬉しくて、嬉しくて嬉しくて。
そんなこと今までなかったから。
何かを欲しいと思ったことはなかった。欲しいと思うことがどういうものかも知らなかった。
あなたが俺に全てを教える。
初めてあなたに出会って、一瞬で心を奪われた。毎日毎日焦がれ、絶望した。
決して報われぬ想いだと決めておきながら、求めずには居られなかった。
でも、俺は何も知らないから。
この気持ちをどうすればいいか全くわからなくて、途方に暮れていただけだった。
(・・・明日、何を言おう)
待ち望んだ3月14日も明日に控え、どうすればこの滾る想いをイルカ先生に伝えられるか考えた。
一ヶ月間、言葉にしなくても、俺の気持ちはあの人に知られているだろう。
(好きだと言いたい。愛していると言いたい)
俺を好きだといってくれた優しいイルカ先生、俺がこの言葉を口にしたらどういう反応をするだろうか。
いつもみたいに笑ってくれるだろうか。
こんな単純な言葉しか知らない俺を、それでも笑って受け止めてくれるだろうか。

 

 


イルカ先生の姿を求めて里中を探した。けれどどこにも見当たらない。
焦燥感に足がもつれそうになるのを何とか奮い立たせた。
(なんで、何処にも居ないんだ・・・っ!)
イルカ先生の居そうな場所は全て探した。アカデミーも、受付も、火影邸も、イルカ先生の部屋も、一楽も、よく行くらしい商店街も、バッティングセンターも。
けれど、何処にもいない。
「イルカ先生ーーー!!」
今すぐこの気持ちを伝えたい。もう抑えておくことが出来ないんだ。
ずっとずっと我慢して、やっと言える日が来たというのに・・・!
(クソ、もう一度アカデミーに行ってみるか・・・!)
イルカ先生といえばアカデミーだ。誰かイルカ先生の居場所を知っているかもしれない。
「・・・イルカ先生ーーー!!」
アカデミーの校庭で叫んでみる。丁度下校の時間だったらしく小さな子供達が一目散に校門へ向かって走っていた。
その中の一人を捕まえる。
「イルカ先生、知らない?」
「・・・し、知らない・・・!」
「知らないわけないでしょ?イルカ先生だよ!ほら、君の大好きなイルカ先生だ!さあ、何処に居る?!」
「止めろ、ボケが!」
突如後頭部に衝撃が走った。なんだよ、俺は今痛がってる場合じゃないんだ。
「さあ、言いなさい!イルカ先生は何処・・・っ、ガッ!!」
とりあえず後の事は置いといて質問を続けようとしたが、何者かに横ッ面を殴られて強制的に止めさせられた。
「ほら、さっさと逃げな。・・・カカシ、ちったぁ落ち着けよ」
「なんで邪魔をするんだ!」
俺の手から子供を奪ったのはアスマだ。
「この前からかったのをまだ根に持ってるのか?!ヤキモチ妬きだなんて言って悪かったよ。頼むから邪魔しないでくれ!」
「根に持ってねえ!・・・いや、もういい。面倒くせえ。中忍なら、さっきあっちに走ってったぞ。お前のこと捜してるんじゃねえか?」
あっちとアスマが指を差した方向へ俺は一目散に駆けた。


(俺のことを捜してくれてる・・・?)
安堵に足が萎えそうになる。
もしかして逃げられてるんじゃないかと恐れていた。やはり俺の気持ちなど要らないと、拒否されているのではないかと・・・。
(そうじゃなかったんだ)
自分に言い聞かせ地を蹴る足に力を込めた。
ふいに、前方で押し寄せるような愛しい気配を感じた。
「カカシ先生!!」
イルカ先生が手を振り回しながら俺をめがけて走ってくる。
「イルカ先生!!」
待ちきれずイルカ先生に手を伸ばした。ようやっと触れることの出来た指を引っ張り腕に抱きこむ。
「イルカ先生」
(ああ・・・ようやっと手に入れた)
ため息が洩れた。
「カカシ先生、俺ずっと捜してたんですよ。どうして何処にも居ないんですか?」
「俺も、捜してました。俺たち、追いかけっこしてたみたいです」
腕を緩めて言うと、イルカ先生がそろそろと顔を上げた。顔が真っ赤に上気している。
口付けたい。あの頬の熱を舌で確かめたい。きっと溶けるように熱いだろう。
けれど、その前に言わなくてはならないことがあった。
「あの時の返事をしても良いですか?」
「・・・は、はい!お願いします!」
イルカ先生がキっと顔を引き締める。うっとりとその顔を眺めた。なんて一生懸命で可愛い人だろう。俺なんかをそんなに必死で見つめてくれてる。
震えるような歓喜に頭が真っ白になる。
好きだと言おうと決めていた。それしかないと思ったのに。
イルカ先生があまりに愛おしくて、・・・その言葉を忘れた。

「ありがとうございます」

口を吐いて出たのは、感謝の言葉だった。

「俺を好きになってくれて、ありがとうございます」
言いながら、これが言いたかったんだなあと妙に納得した。あなたは尊い人なのに、俺に手を伸ばして笑ってくれた。俺を求めてくれた。
あなたに出会うまで、俺は何が欲しいのかわからなかったんだ。
(・・・これが欲しかった)
どうしてこの一ヶ月がこんなにも辛かったのか、今はっきりわかった。
俺に差し伸べられるその手が欲しかった。俺を見ないあなたにも魅了されたが、ただ憧れるだけだった。見てるだけでも良かったんだ。
でも、俺を求めてくれるなら・・・そんなのこれまであなたしか居ないから、その手が欲しくて溜まらなくなった。
「カカシ先生・・・!」
背に手を回され抱きしめられる。痛い程の拘束にうっとりと感謝した。

 

紅の話がデタラメだということをイルカ先生から聞いた。
「そんな風習ありませんよ」
キョトンとした顔で言うイルカ先生に、激しくショックを受けた。
(・・・あんなに辛かったのに・・・)
一ヶ月間言葉を交わしてはいけないというから、俺は死ぬ気で自分を抑えていたというのに。
ただ担がれていただけだったなんて。
「俺は馬鹿だったのか・・・」
落ち込む俺にイルカ先生はニッコリと笑って「でも」と切り出した。
「俺のために、一ヶ月我慢してくれたんですね」
「・・・はい」
「嬉しいです。そんなに真剣に考えて下さって、本当に嬉しいです」
艶やかな笑顔に目を奪われる。

じゃあ、いいか。

一ヶ月間苦しかったのは本当だ。デタラメを吹き込んだ紅にはそりゃ腹も立つが(そもそも何故そんなことをするんだ)・・・、イルカ先生が嬉しいのなら、別にいいかと思った。
必死であなたを想う気持ちが、あなたを喜ばせることが出来たのなら、何に憤ることもないだろう。

「カカシ先生、ありがとうございます」

その言葉のためならば、一ヶ月間苦しんだ甲斐もあったというものだ。




完!!




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