(2008年 カカ誕小噺)









バースデーリサイタル







今から数年前、まだ9月15日が『敬老の日』として祝日であった頃の話だ。
まだアカデミーの臨時教師(という名の使い走り)だった俺は、アカデミーの子供達と老人ホームを訪れた。
戦国を生き抜いた英雄達の話を聞く機会などそうそうあるわけではない。
子供達は俺の授業よりも遥かに集中して英雄達の話に聞き入っていた。
まだまだ教師としてヒヨっこ甚だしかった俺は、何かと勉強になる交流会だった。
まあ、それはいいのだが。
その交流会からの帰り道のことだ。
いつもなら残業残業で陽のある内に家に帰ることなど出来ないのだが、この日は本来ならば休日ということもあり俺もいつもよりずっと早めに帰路に着いていた。
ふと、電信柱に大きく掲げられている看板が目についた。
「・・・バースデーリサイタル?」
ティッシュの花で縁取られた看板にそう書かれている。思わず立ち止まり、首を捻ってしまった。なんだ、これ?
看板には「誰の」であるか、「何歳」のであるか、そういった情報は記されていなかった。
ただ、日付は今日だし、会場は此処からすげー近いし、何より「無料」、これは惹かれる。
「行ってみよっかなー」
どうせ暇だし。どなたでも気軽にお越しください、って書いてるし。
今から家に帰っても、飯食って寝るだけだ。まだ若い俺に暇な時間というのはとてつもなくもったいなく感じる。
無駄に過ごすくらいなら、見ず知らずの相手でも祝いの言葉を捧げてくるほうが有意義だ。
祝いの言葉は多いに越したことはないだろう。
(ケーキくらい出るかなー)
そんな気軽な気持ちで俺は会場である公民館に向った。

(…あれ?)
扉を開けるとそこには誰も居なかった。
ズラっと敷き詰められた座布団と、その奥には申し訳程度に飾り付けられたステージ。一応明かりは点いている。
これから地区の話し合いでも始まるかのような殺風景さは公民館に似つかわしくもあるが、人が居ない分ものすごく淋しい。
とてもじゃないが、「バースデーリサイタル」というものがこれから催されるように見えなかった。
色々と間違えたのだろうか、不安になるがステージの横にはさっき俺が見たのと同じ看板が立てかけられていた。
日時も場所もここで合っている。
とりあえず入ってしまったのだから、と端っこの座布団に腰を下ろした。端っこなのは真ん中の方は関係者に空けておこうという部外者なりの配慮だ。
「…わっ!」
その瞬間だった。パっと会場の明かりが消えた。
夕暮れ時なので真っ暗になるというわけではないが微妙な暗さにちょっとドキドキする。
何が始まるのだろうか。
というか、俺しか居ないのに始まってしまうのか。
夕暮れの光が届かない暗いステージに目をやると、何か黒い塊りらしきものが裾から現れた。
(……人?)
黒い塊りは人の形をしているように見えた。顔らしきものが上の方についているような……。
暗いステージに浮かび上がるような白さに目を凝らす。
白い…? お面?
なんとなく見たことがあるような……、そうだ、アレは確か、
「……っ!」
それが何か解った瞬間、冷や水でも浴びせられたかのような気がした。ザーっと体中の血が下がる。
(暗部……っ)
白い異形の面は暗部が戦闘時につけるものだ。
自分がとんでもない場所に足を踏み入れたことを知る。
何でこんなところに暗部が? どうして? 
あの看板は何かの暗号だったのか? これから始まるのは暗部の集会? 地区の懇談会じゃなくて? それよりバースデーリサイタルは?
疑問は浮かぶばかりで答えなど出ない。暗部はゆっくりとした動きで会場の角へと首を巡らせた。
暗部が俺に気付いているのかいないのか、わからないがとりあず気に留められてはいないようだ。
この隙に逃げよう!そうは思っても、体は硬直してるし、そもそも暗部相手に隙もクソもない。息を殺して暗部の動きを見守った。というか視線すら逸らせなかった。
まるでスローモーションのように、暗部が俺を振り向く。
そして俺を見つけると、ピタリと動きを止めた。
戌らしきものを模した白い面には朱に縁取られた穴が二つ空いている。その空洞が俺をジっと見つめた。
(…どうしよう…)
ビビりすぎて動けない。必然的に暗部と見詰め合う羽目になってしまった。
「あ」
声をあげたのは暗部の方だった。くぐもっていてよく聞こえなかったが、確かに小さく声を出した。
その声にビクリと背を強張らせていると、暗部はサーっとステージの裾に戻っていった。
(え? え?)
半ばパニックに陥っていると、今度は唐突にステージの明かりが点いた。
いちいちビクついてしまう。
明るくなったステージには「バースデーリサイタル」の吊り看板が。そして、『チャッチャッチャ〜ラ〜ラ〜ラ〜〜♪』とハッピーバースデーの歌がカラオケでスピーカーから流れてきた。
そのカラオケにあわせ、さっきの暗部がまたステージに戻ってくる。真っ黒なフードを上から被っているので、やっぱり黒い塊りに白い面がついているだけに見える。
や、腰から下は普通に足が生えてるな。
暗部は先ほどよりギクシャクとした動きで中央に立つと頭を下げた。そのまま動かない。
顔を上げたのはスピーカーから流れる音が止まってからだった。
(…終わるのを待っていたのか……)
結構律儀だな…。
固唾を呑んでステージを見守っていると、暗部はゴホンと咳払いをする仕草をした。
「えー、本日は僕の誕生日にお集まりいただきまことにありがとうございます」
思わず後を振り向いた。
『お集まり』というからには俺の他に誰かいるのかと思ったのだ。
だが、後には誰も居ない。座布団が始めと変わらず一糸乱れぬ列を作っている。
外からは烏の鳴き声が聞こえた。
烏もお山に帰る時間帯に、さっきまでは夕暮れに染まっていた会場も今は薄暗い闇へと変貌しつつあった。
(帰りたい)
心底思った。
後を振り向いたついでにもう出てしまおうか、そう僅かに腰を浮かそうとした時だ。
視界の端で暗部が動くのが見えた。と思ったら、

ガッ!!!

いきなり手首を掴まれた。
「ヒィッ!」
いつの間にステージを降りたんだ?!
「あの、せっかくなので歌だけでも聴いていってください」
手首に鍵爪がチクチクと食い込む。さほど強い力ではないが振りほどくことは出来なかった。
ガクガクと頷きまた尻を座布団に据えたが暗部は手を離してくれない。
「えーっと、それでは」
また暗部が咳払いの仕草をする。そして歌いはじめた。

ハッピバースデートゥーミー ハッピバースデートゥーミー

アカペラで念仏でも唱えるかのようにボソボソと。
さっきのカラオケここで使えよ!
思わず突っ込みたくなるが、もちろん声は出ない。
何よりこの歌詞がまた何とも切ないじゃないか。

『お誕生日おめでとう、俺』

英語でぼかしているが、要するにこういうことだろ。
自分への祝いの言葉を自分で歌う暗部。あ、声質や体格からすると男だな。俺よりはいくばくか年嵩だろう。
怖いんだか可哀想なんだか、悲壮な歌声は胸に差し迫るものがある。

ハッピーバースデー ディア……

暗部はそこまで歌いあげると、ピタと声を止めた。
次の歌詞は自分の名前のはずだ。
(暗部って名乗っていいんだっけ……?)
聞いていいものかわからないが興味はある。
ドキドキしながら次の言葉を待った。
なのに。

フンフ〜

肝心の部分を鼻歌で誤魔化してきた。
ドっと体から力が抜ける。拍子抜けというか安心したというか…。
まあ、実際聞いたらどんな目に合わされるかわからないしこれでよかったのだろう。
暗部はそのまま淡々と「ハッピバースデートゥーミー」と歌い上げると、また一礼をした。
「えっと……」
拍手でもした方が良いのかもしれないが(リサイタルだし)、あいにく片手は不自由だ。
暗部は無言で俺を見つめてくる。
手を離してくれていいたかったがそんな雰囲気じゃない。
「えっと…うた、お上手ですね」
言うと、暗部は「どうも」と会釈する。
流れる沈黙がいたたまれなかった。
「あの……ステージに戻ったほうが良いんじゃ……」
言うと、暗部はステージの方を振り返った。その隙にちょっと掴まれている手を引いてみたが放してはくれない。
それどころか、
「こっち」
立ち上がらされ、ステージの正面に連れてこられてしまった。
「ここ、座ってください。次ケーキカットなんで」
「はぁ……」
「ちょっと待ってて」
「え」
頷きたくない。でも、頷かなきゃ多分手を離してもらえない。
「ね?」
念押しをされ、促されるままに座布団に膝をついた。暗部はようやっと俺から手を離すとスーっと足音も立てずステージの裾に引っ込んでいった。
(どうしよう……)
正座をし改めて己の置かれた状況を考える。
はじめに暗部が出てきたときはサバトでも始まるのかと思ったが、実際今までの流れだけ見ると「お誕生日会」と言っていいだろう。
明らかに一般のそれとは違うが……。
帰りたい、浮きそうになる腰を、でも、と躊躇わせるものがあった。
さっきのあの歌だ。
自分のために歌うバースデーソング。いまだかつてこんな虚しい歌を俺を聴いたことがなかった。
自己主張が激しいだけかもしれないけど…、グダグダ考えているうちに、また暗部が現れた。
ケーキを載せた台車を押して中央までやってくるとまた一礼をした。
そして徐に印を切り始める。ケーキに飾り付けられてある蝋燭に火が灯った。
といってもステージの明かりは点いたままなので火の存在感はまるでない。
「あの、明かりを消したほうが……」
恐々と告げると、暗部もそうかというように頷きまた裾に戻って行った。すぐにステージは真っ暗になる。
既に外の日は落ちきっているのだろう。会場全体が暗闇に包まれる。俺は自分が余計なことを言ったことに気付いた。
明かりは蝋燭の仄かな火だけだ。その火が暗部の白い面をボウっと浮かび上がらせる。
怖い。
暗部はそのまま火をジっと眺めている。放火魔ってこういう感じかなあと頭の片隅で思う。
(吹き消さないのか……?)
動こうとしない暗部に、もしかしてと気付く。
蝋燭の火を吹き消すのはバースデーソングの終わりが定番だ。さてはあの人順番間違えたな。
……よし!
意を決して俺は歌い始めた。

ハッピーバースデートゥーユー ハッピバースデートゥーユー

もちろんアカペラだ。
歌には自信はないが、暗闇が…というかこの状況全てが怖いのもあり出来る限り大きな声で歌った。

ハッピーバースデー ディア……

そこで歌が止まってしまう。さっき暗部は鼻歌で誤魔化していたが…、

「あ、カカシです」
困っていると暗部がすかさず助け舟を出してくれた
かたじけない、流れのままに会釈を返しそのままうたいきった。

ディーア カカーシさーん ハッピーバースデートゥーユー

「さ! 吹き消してください!」
ステージ上の暗部に言うと、フっと蝋燭の火が消えた。
「おめでとうございます!!」
訪れた完全な暗闇に半ばヤケクソで拍手を送った。


(名前聞いちまったー……!)
今更ながらズゴンと凹んでいると、会場内がパっと明るくなった。良かった。暗いままだったらどうしようかと思った。
暗部は明るいステージの上でケーキを切り分ける。
「どうぞ」
そのケーキを差し出されたものの、つい手を出すのに躊躇ってしまう。
(デカイな……)
そりゃケーキ食べられるかも、と思ってたけど……。
こんな両手で受け取らなければならない程の量を期待していたわけではない。
「どうぞ?」
だけど少しだけ声が不安げに揺れた気がした。それだけで、反射的にケーキを受け取ってしまった。
大きさの割にはそれほど重量はなく、ちょっとホっとする。まあケーキだしこんなもんか。
とりあえず、ケーキを持ったまま暗部の次の動きを待った。
暗部はステージの上から降りると、俺の横に座った。座って、立ったままの俺を見上げた。
そのまま動かない。
横目でチラと見てみたが、暗部を見下ろすという行為が恐ろしく、すぐに目を逸らしてしまった。
「…ケーキは嫌いですか?」
下の方からボソボソとした声が聞こえる。
「いえ!大好きなんですけど…、あの、このまま俺だけ頂くわけにも……」
出席者が俺だけらしいのはいい加減理解している。ただ、バースデーケーキをその主役が食べないというのも不思議な話だ。
そういう意味で言ったわけだが、
「あ、そっか。そのままじゃ食べにくいよね。箸かなんか捜して…」
「いえ!手づかみで大丈夫ですから!」
暗部は俺の躊躇を違う意味に受け止めてしまった。
いや、そりゃそういえばフォークとかないけど…!そういうのはもうどうでもいいというか、箸なら手づかみの方がマシというか…!
慌てて腰をあげようとする暗部を俺も慌てて押しとめた。
「そうじゃなくて、あ」
暗部さん、と言いかけるもそれは失礼かもしれないと思い留まる。
名前を教えてくれたのだから、カカシさん、と呼んでいいのか?いや、それも馴れ馴れしいか?カカシ様?カカシ殿?カカシ暗部?
「えーっと、あの、あなたは食べないんですか?」
わからず、結局あとくされなさそうな呼び方にした。
「うん? あ、座りなよ。立ったままだと食べにくいでしょ」
またも微妙にずれた返答をされる。もちろん申し出には従わざるを得ない。
この人は会話をする気がないのだろうか。
とりあえずケーキを食わない以上この現状から抜け出すことは出来なさそうだと、俺もようやっと気付いた。
「いただきます」
腰を下ろし、暗部の隣でモソモソとケーキを口に運んだ。
その様子を暗部がジっと見つめてくる。
(あ、美味い)
いささか食べにくい状況ではあるが、ケーキは予想以上に美味い。
「すごく美味しいです」
感想を伝えると、暗部は「そう」とさっきよりも張りのある声になり続けた。
「初めて作ったから、味に自信はなかったんだよね。甘いの苦手だから味見も出来ないし」
「これ、手作りなんですか?」
「うん。本見ながら、なんとか」
「苦手なのにこんな美味しいものが作れるんですね」
暗部ってすげえな。
俺なんて本みながら料理なんか作ったことがない。いつも感覚で作って予定とは違うものが出来る。
まあ自分で作ったものは不味く感じないので困るわけではないが、こうして本当に美味しいものを作れる人を見るとちょっと考えてしまう。
それも、苦手なもので、だ。
あ。そうなるとこの人は味に自信のないものを他人に振舞ったということか?
見栄っ張りじゃないのか、あまりもてなす気がないのか。大した面の皮なのか。
色々と判断に迷う人だ。
「誕生日にはケーキがつきものって聞いたから。喜んでもらえて、嬉しい」
顔は面に隠されて見えているわけではない。
ただその柔らかい物言いに、暗部は笑っているような気がした。
張り詰め通しだった神経がようやっと緩む。
白いの戌面にも恐ろしさを感じなくなっていた。
(なんだかなあ)
暗部というのは、それだけ畏怖の対象になる。
選び抜かれた先鋭達は、一般の、ましてや中忍の俺とは能力に格段の差があるのではないか。
過ぎた強さに恐怖を感じるのは当然だと思う。
だが、実際暗部というものを前にして、生理的な恐怖はいつの間にか形を潜めはじめていた。
「本当はね、誰も来ないかなあって思ってたんだよね」
褒められたことに気を良くしたのか、暗部は機嫌良さげに話続ける。
「俺の誕生日とか誰も知らないし。誕生日パーティー開こうにも、その方法がよくわかんなくて。ただ誕生日って言うんじゃ興味そそらないかもしれないから、リサイタルにしてみました。読みがあたって良かったです」
もはや怖いというよりも単に可哀想なだけの人になりつつあった。
「やっぱり君も決め手はリサイタル?」
「えー…っと、まあ……」
決め手は『無料』の二文字だった。
だけどバースデーリサイタルという字面に興味(なにこれ?という疑問)を持ったのも事実だ。
曖昧ながら頷くと、暗部は照れたように頭を掻いた。すっぽりと被っていたフードがその反動で後にずれる。
フードの下からは灰色の髪があらわれた。
こんな色の髪があるんだと少し驚いた。
「…でも、ごめんね? 俺あんまり歌は得意じゃなくて。曲も一つしか練習してないんだよね」
「そんなことないです! すごく聞き応えのある歌でしたし、それにケーキまでいただいてしまって。ありがとうございます」
「あ、ケーキはまだあるよ! おかわり要る?」
慌てて首を振った。
おかわりも何もまだ手元のケーキは半分ばかり残っている。
「俺より! あなたの誕生日なんですから、あなたが食べてください!」
「あー…うん、俺甘いもの苦手だし」
そういやそうだったな。
「それに、さすがに面まで外すわけにもいかないし」
「あ…名前……」
どさくさにまぎれて名前を知ってしまった。やはり不味かったのだろうか。一度は躊躇い誤魔化していたのだ。
極秘扱いされる暗部の正体は知ったが最後あの世行きとか、そんな感じか?
「すいません。あの聞かなかったことにしますので、どうか命だけは勘弁を……」
「君、何か勘違いしてるなあ」
面の下からクツクツと軽い音が聞こえる。さすがに見えずともこの人は笑っているのだとわかった。
「そんなことくらいで殺してちゃ、ただの殺人鬼じゃない。酷いの」
「す、すいません…」
軽い口調の暗部に俺は自分を恥じた。
「特殊暗殺部隊」と称されることへの思い込みに随分と酷いことを言ってしまった。
慌てて謝ると暗部はますます笑った。
「ごめんごめん。君が悪いんじゃないよ。面を外せないのは本当だけどこっちの勝手な事情なんだよ。見られて不味いってことじゃなくて、外しちゃ駄目なの」
「……?」
「そういう掟があるわけでもないんだけどね〜。外したきゃいつでも何処でも外して良いし。こんなの四六時中被ってらんないよ。暑苦しい」
「息苦しそうですね」
「そうそう。酸欠になって倒れる奴もいるよ。敵さん倒す前にこっちがヘタっちゃうの」
「ええ!」
そんな間抜けな人でも暗部に入れるなんて…!
思っていた部隊とは随分違うようだ。
「いくら周りも自分も見えなくなるからって、やっぱり修行不足だよね〜」
驚く俺に暗部も笑って同意する。
だけど、言葉がどうも引っかかるのだ。
俺は、面は顔を隠すためにと思っていた。
暗躍する彼らは不気味であればあるほど良い。他者へも、自らにもそうだろう。
彼らの遂行する任務は重く一朝一夕に語られる類ではない。失敗が許されるものでもない。
単純に、正体を隠すのは他者からの邪魔を防ぐためだと思っていた。
また誹謗、中傷、逆恨みなど、忌み事に携わった彼らへの負荷を減らすものだと。自己防衛のようなものか。
まあ、そんな風に思っていたわけだが。
(違うのか?)
押し黙り隣を見ると、戌面の暗部が俺を見ていた。ポッカリと空いた二つの空洞がジっと俺を見ている。
少し、胸が痛んだ気がした。
「どうしたの?」
黙り込んだ俺に、暗部の声が少し不安げに低くなる。
慌てて取り繕った。
「あー…いやー…、その色々大変なんだなあと…」
しかし、その言葉の間抜けなことときたら。
何を呑気に感想言ってるんだよ、俺は。
落ち込み半分に、半ばヤケになってケーキに手を伸ばした。この珍妙だが穏やかな気配を持つ暗部に、俺はあげるものを持っていない。
そのことが急に申し訳なくなった。
今日が誕生日なのに。
俺は、贈り物どころか、気のきいたこと一つ言えず、バースデーケーキを食うことしか出来ないのだ。
残すものかと口に詰めこんだ。
(ああ美味しいなあ)
こんな美味しいもの、作った本人は食べもしない。
そもそもこんなお誕生日会ってあるか?
自分のために歌って、ケーキを作って、こんな俺みたいなわけのわからん奴にそれを見られて食われて。
この人は一体何をしたいのだろうか。
「お腹空いてるの? そんな慌てなくてもまだあるよー」
ガツガツとケーキを食う俺に暗部は嬉しそうに声をかけてくる。
何度も首を縦に振った。
「ケーキ好きなんだね」
ウフフとでも言い出しかねない声音で言うから、また首を縦に振る。途中、ケーキが喉に閊えそうになったが構わなかった。
皿の上が空になる。
最後の大きな一塊を飲み込み、暗部に向き合った。

「おた…ゲェッホ! お誕生日、おめでとうございます」

何も持ってないならせめて祝福の言葉を。

これしか思いつかなかった。
ケーキの礼というにはあまりにケチで、また祝福を口にするには動機が不純だが、俺にはこれしかなかった。
「おめでとうございます」
「え? 突然何?」
繰り替えす俺に面食らったようだが(文字通り…)、それでも言い続けると、暗部は先ほどと同じ照れた仕草で頭を掻いた。
「ありがと」
「カカシさん、おめでとうございます」
「ん」

残ったケーキは全て手土産にと持たせてくれた。
振り返ると暗部は公民館の前で俺に手を振っていた。
それに頭を下げ、少し進んで振り返るとまだ手を振っている。なので俺も頭を下げる。
何度かそれを繰り返した。
振り返っても暗部の姿が見えなくなったのは、彼が去ったのではなく俺が角を曲がってからだ。
「なんだろうなー…」
何とも不思議な時間を過ごしてしまった。まるで狐にでも化かされた気分だ。
ただ、化かされるには今日の夜は随分と明るい。
立ち止まり、空を見上げると満月がぼんやり輝いている。確か昨日は十五夜だったと思い出した。
持っていたケーキを下に置き、両方の指で輪をつくる。
それを双眼鏡のように目に当て、もう一度空を見上げた。
(……月は何処だ?)
限られた視界はこういうものかと、別れたばかりの暗部を思う。
なんだか切なかった。
面をつけるのは、視界を狭くするためなのかもしれない。
視界を狭め、思考を一点に集中させる。そうすれば容易く周囲と自分を切り離すことが出来るだろう。
首を巡らすと、満月が狭い視界に収まった。
そうなると見えるものは月だけになった。
月はこんなに大きかったかと急に不安になり、手を下ろした。
すぐに戻る周囲の景色にホっとする。
と、同時に月はあんなに遠かったのかと、また驚いた。
「あの人、悲しくないと良いなあ」
結局あのお誕生日会は散々だったような気がする。
月を見上げたまま呟いた。
暗部は「誰も来ないと思った」などと言っていたが、公民館を貸しきっていたのだ。大勢の来客を期待する気持ちもあっただろう。
なのに訪れたのは仕事帰りで腹を空かせた中忍野郎のみ。
あの暗部は終始穏やかだったが、実際期待はずれだったには違いあるまい。
俺としても珍事に巻き込まれ随分とくたびれた。
正直こんな虚しいお誕生日会は二度とごめんだった。
来年の誕生日はこうじゃないと良い。
心底思った。

彼が生まれ生きていることに感謝する相手が居れば良い。
彼の顔を見つめ、名前を呼び、その存在を喜ぶ相手が居ればよい。
また、そうされることを彼自身望むのなら、なお良いはずだ。
不特定な輩にではなく。
ましてやケーキ目当ての卑しい野郎ではなく。

彼の存在を心から喜ぶ誰かが側に居ますように。

「どうかこれっきりでありますように」
願望は、声に出して祈りに変えた。



(完)


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