「ただいまー・・・、あーあっちー」
玄関に入った途端閉めきられていた部屋の熱気にあてられる。夏といえど、夕方の気温は昼に比べれば各段に過ごしやすい。
これでは外の方がマシだ。
サンダルをおざなりに脱ぎ、まずは空気の入れ替えをしようと電気も付けずに部屋の窓へと足を向けた。
「ぅわ!」
しかし、窓の手前で何かに躓いてしまった。
さすがに転びはしないが、仮にも忍を生業とする者として足元をとられるとは情けない。
誰が見ているわけではないが気恥ずかしさに襲われ、やおら不機嫌に自分の足元をすくった物を振り返った。
「・・・・・・・・・・・・カカシ先生」
そこにはよく見慣れた上忍が横たわっていた。
電気を点けていなくても、わずかに外から入る夕陽はその上忍の銀色にうっすらと模っている。
「カカシ先生?」
返事をしないこの上忍に再度呼びかけるが、やはり反応はない。
(寝てるのか?)
気づかなかったとはいえさっき蹴飛ばしてしまった男は身じろぎ一つしない。
上忍としては不自然なその様子に、一瞬どうしたもんかと立ちすくんでしまう。
「おーい、カカシせんせー」
しゃがみこんで男の顔に自分の顔を近づけてみた。
規則的な呼吸を頬に感じ取り、少し肩の力が抜ける。
(いや、死んでたって思ったわけじゃないけどさ)
この男に限ってと自分に言い聞かせ、立ちあがる。
窓を空けると、幾分か涼しい風が入りこんでくる。その風に、この部屋の熱気を思い出した。
額に滲むを汗を手の甲で拭いながら部屋の電気を点けた。
2・3度点滅した後、白熱灯は部屋を照らしだした。薄暗い中では広く感じる自分のアパートも、電気を点けるとその狭さをありありと感じた。
自分が躓いた男の姿も隠すことなく照らしだされる。
こうまでしても男はやはり起きる気配がなかったが、特に気にするようなことではない。
初めこそ驚いたが、どうやら男は非常に眠りが深いらしい。
自分の横で眠り続ける男をはじめて見たとき、どこか悪いのではないかと本気で心配した。
揺さぶったり頬を叩いたりしても起きない男に青ざめ、医療班を呼ぼうとした矢先に男は呑気に伸びをして起きた。
男は窓から入る昼の光に不思議そうな顔をしたが、俺をみとめると一直線に手を伸ばしてきた。
―おはようございます。いい朝ですね
俺が叩いたでせいで幾分晴れあがった頬を緩めニコリと笑う男を見た時、俺は不覚にも泣きそうになってしまった。
今考えてもあの時の自分の心理状態はよくわからない。
初めての男とのセックスの後だったので、まぁ平常心とは程遠いところにいたのだろう。
男が死んでいなかった安堵し、それから、なぜか胸が締め付けられた。
(それにしても相変わらずの変態ぶりだ)
床に寝そべる男の姿に呆れてしまう。上半身を脱ぎ捨て、両手で俺の肌着を握り締めている。
しかも顔を肌着に埋めるようにして少し背を丸めている。
とても大の男の寝姿とは思えなかった。
男は自分の居ない時はいつもこういう風に寝ている。自分が普段身につけている何かをしっかりと握り締めている。
以前に一度、何故か、と聞いたことがあった。
男は悪びれる様子もなく、
「さあ?」
首を傾げただけだった。
もう一度眠る男の横に腰を下ろした。
自分の肌着を取り戻そうと手を伸ばしたが、男はしっかりとそれを掴んでなかなか放さない。
「これは俺のだ」
ぐいぐい引っ張りながら悪態を突くが反応は全然なかった。
「馬鹿力」
肌着を取るのは諦めて、俺も横に寝転がった。
頬杖をついて男のやたらと整った顔に手を伸ばした。
「汗、かいてら」
男の額にはうっすらと汗が滲んでいる。
暑いなら窓くらい開けてくれればいいのに。
額にはりついている銀色の髪をすくいながら、ふと、イタズラ心が起きた。
気持ち良さそうに眠っている男の鼻をつまんでみる。
口では満足に息が出来ていないだろうことをもちろんふまえた上で。
形の良い高い鼻を摘んでしばらく眺めていた。
さすがに息苦しくなって起きるだろう。どんな反応をするか楽しみだと待ち構えていたが
「・・・カカシ先生?あれ?」
なんてことだ、ゆうに五分は経過しているというのに全く反応がない。
「あわわわ・・・っ!」
しかも顔色がいつのまにか蝋人形のように真っ白だ。
この人普段から血色の悪い顔してるから気づかなかったよ!
「カカシ先生!カカシ先生!」
慌てて指を外し息をしているか確かめた。しかし翳した手には先ほどの規則正しい呼吸は感じられない。
「カカシ先生!!」
とりあえず人工呼吸だと、まだ往生際悪く口元を覆っている俺の肌着を引き剥がそうと奮闘した。
「クソ!放せって!あーもう・・・っ!!」
なぜ、呼吸していない人の力がこんなに強いんだよ、悪態をつきながら、スッと体中の血の気が引いた。
まさか。
もう死後硬直が?
「ヒィ!火遁」
俺は素早く印を切った。
「ギャァ!!」
しかし狼狽してうまくチャクラが練れなかったのか、とんでもない炎がカカシ先生を直撃してしまった。
ただ未練たらしく掴んでいる肌着を燃やそうとしただけなのに・・・・。
断じて火葬するつもりなんかじゃない。
「みみみみみ水!水!」
俺は慌てて台所へと走った。一瞬で鍋に水を汲み駈け戻ったがその間にもカカシ先生がメラメラと・・・。
「カカシ先生!死なないで!!」
俺は半泣きになりながら、男へと水をかけた。炎は幸いなことにすぐに沈下してくれた。
一瞬でも炎に包まれた男はあちこちに黒こげを作り銀の髪もところどころチリチリになていたが、そう損傷もなかった。
「どうしよう・・・」
俺は呆然と無残な姿で横たわる男を見下ろした。
男はまだ俺の肌着をしっかりと握り締めている。(その肌着は当然焼けてボロボロになっているにもかかわらず)
「カカシ先生・・・・」
俺、まさかほんとにこの人を殺してしまったのだろうか・・・・。
おそるおそる、男の側に屈んだ、その時。
「・・・ん」
僅かに反応があった。少し眉をしかめてそのままゴロンと寝返りを打つ。
・・・・い、生きてる・・・。
よかったと、安堵の気持ちに体中から力が抜けてそのままへたりこんでしまった。
よかった、カカシ先生を殺さなくて、カカシ先生が死ななくてほんとによかった。
これだけのことをされても死なない上忍、万歳。
「あーよかったよかった。さ、飯にしよう」
居間の惨状をこれ以上見ていたくなくて、後ろめたさを隠して俺は台所へと向った。
「あーイルカせんせーだ」
ギクリと、間延びしたその声に背中が硬直してしまった。
「帰ってたんですね〜」
「え、ええ、はい・・・。つい、さっき」
もちろん嘘だ。
台所にちゃぶ台を持ち込んで夕食を取っていた俺に、カカシ先生は特に気にした様子もなくニコニコと近づいてきた。
「帰ってたなら起してくれればいいのに」
「あ、・・・えっと、気持ち良さそうに眠っていたので・・・。カカシ先生も疲れているでしょうし・・・」
考えたら、カカシ先生は3日ほど里外に出ていたのだ。
ほんとは一週間はかかる任務のはずだが、たった3日でこの男は帰ってきている。
それなりに無茶をしたのだろう。疲れていて当り前だ。
(なのに、俺ときたら・・・・)
「そんなの、気にしなくていいのに。早くあんたに会いたかったんだよ?」
男の顔を面と向って見れず、明後日の方向を見ていた俺の前にわざわざ周ってカカシ先生は可愛く首を傾げた。
その動きに、銀色の髪が揺れ・・・・、るはずなのに。
今の男の髪はところどころとはいえチリヂリに。
しかも顔も煤けていて・・・。
「すすすす、すいません・・・!」
俺はまた顔を覗きこむカカシ先生の視線から逃げて謝った。
申し訳なさに胃がキリキリする。
「?変なイルカ先生。何謝ってんの」
「や・・・その、カ、カカシ先生!体、大丈夫ですか?どこか、痛むところとかは・・・・」
「フフ。心配してくれてるの?イルカ先生」
グキ、と首をカカシ先生の方へ向かされる。目に入るカカシ先生の姿はなんとも痛々しい。
その痛々しい姿で、幸せそうに微笑む。
「嬉しい。でも大丈夫。かすり傷一つ負ってないよ」
いや、大丈夫じゃねぇし!
(まさかこの人、自分の有様に本気で気づいてないのか・・・?)
「ねぇ、あんたのために俺頑張ったんだよ。あんたが心配するから、頑張って無傷で帰ってきたんだよ」
褒めてと言わんばかりに焦げた銀髪で胸をグリグリされる。
「カカシ先生・・・」
ああ、なんてことだ。
俺のために無傷で帰ってきたという男に俺は・・・・。
擦り寄るカカシ先生の頭から少し焦げた臭いがする。
チリチリになっている髪がいたたまれなくて唇をそっと落とした。
何度か繰り返していると、カカシ先生はくすぐったそうに顔をあげた。
「どうしたの?今日は優しいんだね」
「俺はいつも優しいです」
「・・・・うん。そうだね。あんたは初めて会った時から優しい」
「カカシ先生、コレ、痛くないですか?」
いつまでも自分の状況に気づかない男に焦れて、俺は手首にうっすらと走る火傷を指した。
「え?あれ?」
ほんとは、しらばっくれてやろうと思ったのだが、男があまりに自分に無頓着なのでそういうわけにもいかなくなった。
「他にも、ここと、ここと・・・、ああ、ここにも」
あちらこちらに(俺のせいの)裂傷が。
「イルカ先生、そんな顔しないで。ね?こんなの全然平気だよ。今まで気づかなかったくらいなんだから」
そう言って、ニコっと笑う。
「カカシ先生・・・・」
この男。ほんとに馬鹿じゃないだろうか。
どこの世界に殺されかかってるのに気づかない上忍がいるってんだよ。
「あなたって人は・・・・」
馬鹿げた会話なのに、ふとした瞬間に胸の奥が痛む時があった。
出会ってから2週間目の夜だった。
先日知り合ったばかりの男と偶然帰り道が一緒になった。
とりとめもない話をしながら、気がつくと、男が横にいない。
振り返ると男が困ったように立ち尽くしていた。
「もっとしっかりしてください」
「何言ってるんですか。俺はしっかりしてますよ」
俺の胸に頭を擦り付けたまま顔をあげ、しごく真面目に訴えてくる。
間抜けな風体のくせしてそんなこと言っても全く説得力がない。
「カカシせんせい・・・」
「なんですか?」
「カカシ先生」
「?どうしたの?」
「あなた、そんなことじゃいつか俺に殺されますよ?」
言うと、男は一瞬キョトンとした顔になった。
それから、じょじょに眼が緩く弧を描いた。
「イルカ先生になら、殺されてもいいよ。ねえ、好きだよ。イルカ先生。ほんとに好き。」
好きと繰り返す男に腹が立つ。
俺だって、この男が好きだ。
けれど男の想いには、自分のこの切ない気持ちなど、ちっぽけなものしか思えなかった。
きっと男もそうなのだろう。
男は、俺の好きという気持ちより自分の気持ちの方が大きいと思っているに違いない。
好きな相手に想われて、それも熱烈に気持ちを捧げられて、何も問題はないじゃないかと思う。
けれど、胸が痛かった。
「俺はあんたに殺されるのは嫌ですからね」
言うと、男はクシャっと顔を歪めた。
「うん。知ってる」
何を知ってるんだ、馬鹿野郎。
俺があんたに殺されないのは、俺が死んだ後のあんたを思うと心配で堪らないからだ。
きっとあんたはとてもじゃないけど正気じゃいられないに違いない。
泣きながら後追いでもしかねないだろ。
そういうのは駄目だ。
可哀想すぎる。
だから、俺は決めてるんだ。
あなたよりも、一瞬でも長く生きると。
一瞬でも長くあなたを想うと。
「イルカ先生が俺のことそんなに好きじゃなくても俺が好きだからいいんです」
わかった風な相槌を打っときながら、男はグジグジといじけ始めた。
「側に居てくれるだけでいいんです。あなたがいるだけで幸せなんですよ、俺は」
「あーはいはい。それよりいい加減今の自分の状況に気づいたらどうですか?
とりあえず鏡を見ていらっしゃい」
男を洗面台へと追いやりながら、うっすらと焦げ水びたしになっている居間をみやった。
俺に絶対的な服従を示す男は一体どんな反応を示すだろう。
出会ってから二週間目の夜。
道で立ちすくむあんたは、俺が好きだと、泣いた。
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