長い夢



 

長い長い夢を見た。
何かに追われひたすら走った。
走りながらこれは夢だとわかっていた。
走って走って、それでも何かはピタリと自分の後ろを付いて、ただ俺を追い立てた。
最初は何もない暗闇だったが、徐々に周りの風景が鮮明になっていった。
俺はだだっ広い草原を走っていた。走る度にタンポポが綿毛を飛ばす。
黒い空に真っ白な綿毛が舞い上がっていった。
草の根を掻き分ける音が夢なのにヤケに生々しい。
(夢なのに)
浅い呼吸を繰り返し酸素不足で朦朧とする頭の隅で、夢の中の俺は思った。

(何から逃げてるんだ?)

何かの正体を俺は知っているはずなのに、考えると急にそれがわからなくなった。
それでも俺は逃げていた。
襲いかかる恐怖から逃げるために。
幾つものタンポポを蹴散らし、綿毛が空へと舞い上がる中、ひたすら逃げた。
競りあがっていく恐怖に心臓の音が連動する。
助けて助けて助けて。
恐怖が頂点に達したとき、ふいにポッカリと足元に穴が空いた。

「あ!」

足場を失った踵が虚しく宙を蹴る。
浮遊感に眩暈がした。
けれど不思議と恐怖は無くなっていた。

穴に落ちながら、ぼんやりと空を眺めた。

夥しいタンポポの綿毛が飛んでいく。
丸い空一面の綿毛は真っ白なはずなのに、群れると少し灰色がかって見えた。

 

 

 


目を開けると見慣れない天井が写った。
「・・・んぁ?」
何処だここ。
2・3度瞬きをして再度目を凝らしてみても、染み一つない天井の白さは見慣れないものだった。
上体を起そうとしてみても目覚めたばかりで頭はぼんやりとし思うように体を起すことが出来ない。
随分と長い間寝ていた気がする。
(・・・どうしたんだっけ・・・?)
白い天井を見つめたまま、なぜ自分が此処に居るのか考えた。というか何処だここ。
「えーっと・・・・」
ものすげえ犬に追いかけられて、で食われそうになって、したらカカシ先生が帰ってきて・・・・

(カカシ先生が・・・)

カカシ先生が?

「うわぁ!!!」
カカシ先生という単語に寝ぼけた頭は急に覚醒した。
そうだ。カカシ先生だ!
あの後気を失ったカカシ先生を担いで診療所には無事辿り着く事が出来た。
俺達の姿にその場に居た医療忍達は一瞬ギョっとしたが、カカシ先生が怪我を負っているのに気づくと、すぐに対処してくれた。
何とか俺からカカシ先生を引き剥がし、的確な手つきで怪我の状況を判断している。
それを見ていたら急に体から力が抜けた。
そういえば俺も丸二日寝ていなかったのだ。
誰かが慌てて俺の方に駆け寄るのがわかったが、もう体力の限界だった。このまま寝てしまえと、俺は目を閉じた。
けれど、目を閉じる前に一瞬、カカシ先生を診ている者の顔つきが険しいのが見えた。
(え・・・?)
どうしたというのだろう、慌てて目を開けようとしたが、一度閉じかけた瞼は開いてはくれなかった。


思い出して、みるみるうちに血の気が引いていく。
・・・カカシ先生は無事だろうか。
居てもたっても居られずに上体を起した。
「お?起きてんのか?」
その時、ドアの向こうから白い服を来た中年男性に声を掛けられた。この顔には見覚えがある。俺が眠りに落ちる寸前、カカシ先生を診ていた男だ。
「あ・・・、はい!大丈夫です」
「どこか気分の悪いところは?」
「ないです。すいません、あの・・・」
尋ねたいことは色々とあるが、とりあえずすぐにカカシ先生の安否を知りたい。
こちらに近づいてくる中年男を待てずに身を乗り出してしまった。
「慌てるな。丸一日寝ずっぱりだったんだ。体に力が入らないだろ。ほら、動くなよ」
そう言いながら中年男に両目の下瞼引っ張られ、眼球を覗かれる。
「あの、カカシ先生は?」
「ああ、奴なら隣の処置室で寝てる」
男の言葉にホっと体から力が抜けた。とりあえず生きているのなら良かった。
「人のことよりまずは自分の心配しろ。ほら、傷はどうだ?腕動くか?」
傷?
「これだよ」
「ギャ!いてえ!」
いきなり肩口を掴まれ悲鳴をあげてしまった。本当に医者かこのおっさん、患者の傷口を思いっきり掴みやがったぞ。
「大丈夫そうだな。まあ2・3日はマメに包帯替えて清潔にしてろ。じゃあ帰っていいぞ。お疲れさん」
痛みに肩を抑えていると、男は気にもとめず部屋から出て行こうとした。
「待ってください!あの、カカシ先生の怪我の具合は・・・」
慌てて男の背を追いかけた。カカシ先生についてもう少し情報が欲しい。
男は振り向くと少し眉を染めた。
「おまえ、奴の何だ?」
「何だと言われましても・・・・何でしょう?」
男の質問は当たり前のものだ。身内でもないものそう軽がるしく怪我の様態は喋れるものではない。しかもカカシ先生は凄腕の上忍だ。
カカシ先生自身の持つ機密性は高い。
それでも、いや此処はやはり俺には聞く権利があるはずだと思い直した。誰であろう怪我を負っていたカカシ先生をここまで運んだのは俺なのだ。
怪我の具合を心配してもおかしくはない。
(・・・昨日までなら「嫌いな上司です!!」って即答できたのに)
今はどうだ?
公然とカカシ先生を嫌いだと言えなくなってしまった。
あの時、カカシ先生は俺を抱きしめながら嬉しいと言った。尋常じゃない力で思いっきり俺を抱きしめ、呟くようにそう言ったのだ。
俺はカカシ先生の恋人に、なっているのではないだろうか。
「こ!」
「こ?」
「こここここここ、こっ、こいっ、恋人っ!・・・の、ような・・・・?」
つい失敗した鶏の鳴き声のような真似をしてしまった。「恋人」という単語を口に出すのは思ったよりずっと勇気がいる。
「俺に聞くなよ。まあいい。奴ならチャクラ切れでへばっているだけだ。ちっとばかし血を多く抜きすぎたんで暫くは絶対安静だがな」
(絶対安静?)
全然無事じゃないじゃないか。
医者を追い抜き慌てて隣へ向かった。
「うみの!診療所内で走るな!騒ぐな!」
後ろから医者の忠告が聞こえのを受けながら、急いで隣の処置室の扉を開ける。
「カカシ先生ーー!!」
「だから騒ぐな!!」
医者の怒気を孕んだ声が飛んできた。思わず体が止まる。処置室の入り口に馬鹿みたいに突っ立ってしまった。
怒鳴られたせいじゃなかった。
処置室のベッドにカカシ先生が横たわっている。
「寝てるだけだ。騒ぐなって言っただろ」
「・・・生きてるんですよね?」
あまりに真っ直ぐとベッドの上に平行に寝ている。布団からは顔だけが出ている。近づかなくてもわかるその顔色の悪さ。
バタバタと騒がしくやってきたにもかかわらず、身じろぎ一つしない。
死んでるのかと思った。
「側行きゃわかるぞ。面会は5分までだ。さっさと済ませろ」
医者はそういい残すと今度こそ去って行った。すぐに足音は廊下の向こうへと消え、音が周りから無くなった。
「カカシせんせー?」
ベッド以外何もない処置室に俺の間抜けな声だけが響く。
カカシ先生はやはりビクともしなかった。
ベッドの側まで近づき顔を覗き込む。鼻に手を翳すと確かな呼吸は感じられ、生きていることを伝えてきた。
何故、カカシ先生はこんな目に合っているのだろうか。
まるで作られたかのように整う男の寝顔に、ふと思った。
何故、そんな生気のない顔色で寝ているんだろうか。
(無茶を、したのか?)
任務先で何があったのかはわからない。自分の想像を超えるような過酷なものだったのかもしれない。
男の忍としての評価は最高と言ってもいい。
そんな男が今このように横たわらねばならないなど、よっぽどではないか。
整った顔から目を逸らすと、カーテン越しに夕暮れの赤い光がわかった。
(今日は何日だろう)
随分と長い間寝ていたようだが、丸一日くらいはたっているだろうか。目覚めた時の体の倦怠感が体に残っている。
カーテン越しの赤い夕日にいつかの朝焼けを思い出した。
ドロシーちゃんから身を隠している時の見た朝焼け、昨日今日の事なのに、やけに昔のことのような気がする。
あの時、俺は確かにカカシ先生の生還を祈ったのだ。
その通り、カカシ先生は帰ってきた。結果だけ見れば俺をドロシーちゃんから解放してくれた。
俺としては万々歳じゃないか。良かったと心から安堵してもいいはずなんだ。
なのに。目の前で横たわるカカシ先生を見るととてもじゃないかそんな気分にはならなかった。
傷を負い、憔悴しきって眠る男の前では何を言っても意味はない。
(早く目を覚ませばいいのに)
そうすればきっと文句の一つも言ってやれる。
カカシ先生の額宛も口布もない素顔を見下ろしながら、早く目覚めろと、ボンヤリ思った。

 

あれから一週間が経った。
カカシ先生は未だ俺の前に姿を現さない。


「おー、イルカやっと来たか〜」
「すまん、職員会議が長引いた」
受付へ足を踏み入れると待ってましたとばかりに俺と交代する予定の同僚が席を立った。
出入り口から少し体を避けて邪魔にならない場所で簡単の引継ぎをする。
「まだいつもの半分くらいしか報告者が来てない。これから一気に押し寄せるかもな」
夕刻は受付がもっとも込み合う時間帯だ。そういえばと辺りを見渡し、すでに夕刻と言える時間帯の割りには人が少ないことを確認した。
「大方さっきの通り雨に捕まってんだろうな」
同僚の言葉に窓の外を見た。
先ほどまでこの時期には珍しい大雨が降っていたが、今はただ大雨の名残である薄黒い雲が夕焼けの空を点々としているだけだった。
「そっか、わかった。じゃ、おまえはもう帰っていいぞ。遅くなって悪かったな」
視線を窓から同僚に戻して言ったが、同僚は動く様子はなかった。少し眉間に皺を寄せている。
「なに?」
尋ねると同僚は更に眉間の皺を深めた。
「おまえさー、最近ちょっとおかしくねえ?」
「どこが?」
「疲れてるのか?やけに大人しいな」
あん?どういうことだ。
特に疲れているわけでもないし、大人しいこともない。そもそも大人しいってなんだ。俺は元来騒がしい人間ではない。
「なんつーかさ〜、あの猛犬に襲われてた時の方が生き生きしてたっつーか」
こいつの目は節穴だろうか。瀕死でフラフラしてたってのに、なぜそう見えてしまうんだ。
生き生きして見えたのならば、それはきっと恐怖のあまりハイテンションになってただけだ。
毎日俺と顔を突き合わせている同僚ならばそれぐらいわかってくれ。
所詮同僚はただの同僚でしかないのか。分かり合えない淋しさに少しため息が出る。
「・・・あ〜。じゃあそん時の疲れが出てるのかも」
適当に相槌を打ちそのまま受付の自分の席へと向かった。
一過性の大雨に足止めをくらった忍達がわらわらとこちらへ来るのが見えたからだ。
席へ着くとすぐに報告書が差し出される。それを受け取り検分し、判をつく。繰り返しの単純作業だが気を抜けなかった。
途切れることのない列から次々と報告書を手渡される。
いつにない混雑に受付所は苛立った空気が流れていた。こちらも迅速に対応するよう勤めた。
「はい、次の方」
なのに。
報告書を受けとろうと差し出した手が宙に止まる。
「あんた、どういうつもり?」
目の前の男が睥睨した目で俺を睨みつけていた。片目しか出ていないのに、不機嫌さマックスなのがそのダダ漏れる殺気から手にとるようにわかった。
「・・・カカシ先生」
急な出現に思考がうまく繋がらない。俺は馬鹿みたいにカカシ先生をぼんやりと見上げた。
それが気に食わないのかカカシ先生は眉を吊り上げ、いきなりガッと俺の胸倉を掴んだ。
「恋人が入院してるってのに、見舞いの一つも来ないとはどういう了見だコラ」
「・・・カ、カカシせんせ!くるし・・・・!!!」
首を締め付けられ一瞬で酸欠状態に陥る。胸倉を掴むカカシ先生の腕をパシパシと叩いたが、気づいてないのかどうでもいいのか力を抜いてくれない。
「俺はな、毎日毎日毎日毎日、あんたの来るのを病室の入り口で手を広げて待っていたんだ。何度点滴が逆流したか知ってるか。俺だって知らん。そもそも俺が床にふせってるってのに、どーしてつきっきりで看病しない。想い通じ合ったばかりというのに、いきなりこの仕打ちか?俺の純情踏みにじるのがそんなに楽しいか、この薄情者が!!」
カカシ先生が机の上に乗り上げ俺を罵ってくる。以前はそのまま掴み上げられ俺は宙を浮く羽目になったが、今回はそうしないところを見ると、
完全復活しているわけではなさそうだ。けれどよく喋る口は以前よりパワーアップしている。その一方的さもしかり。
(チクショウ)
そのあまりの身勝手な言い分に涙が出てきそうになる。
何を好き勝手に言ってるんだ、このクソ上忍。薄情者だと?何故そこまで言われなければならないんだ。
「・・・俺は!」
胸倉を掴み俺の首を絞めるカカシ先生の腕を必死で引っ張りなんとか声を張り上げた。
「俺は!ちゃんと見舞いに行きました!!!」
虚を突かれたようにカカシ先生の目が開いた。俺を掴む手の力も抜ける。
その隙になんとかカカシ先生と間合いをとった。
「・・・本当か?」
「なんで嘘言わなきゃならないんだ!俺はちゃんと見舞いに行きました!でも、あんたもう退院してたじゃないですか?!」

一週間前に絶対安静だと言われていたので、目を覚ましこそすれ退院していることはないと思っていた。
アカデミーが終わった後、俺はわざわざ野菜屋で林檎を買いカカシ先生の見舞いに行ったのだ。
目的はただ一つ。弱っているうちに積もり積もった鬱憤をぶつけることだった。
この一週間ずっと気分が晴れなかった。どころか考えれば考えるだけどんどん気分が沈んでいった。
何故こんな気分になるのかよくわからなかった。
思えば待ち望んでいた平穏な日常をこの一週間送れていたはずなのに、気が付いたらカカシ先生のことを考えてはムカムカしていた。
考えるな、今を楽しめ!
カカシ先生が任務に就く前の俺だったらそれが出来たはずなのだ。なのにそれが出来なかった。
苛立ちは募っていく一方だった。
理由はなんだ?ただカカシ先生がムカつくだけかと思ったが、突き詰めて考えるとあることに思いあたった。
あの「恋人」発言だ。アレが気に入らない。
一方的にでも「恋人」だとカカシ先生が俺を認識したことが気に入らない。
そのことに思いあたると俺はすぐさまカカシ先生の入院しているはずの診療所へと向かった。
けれど、すでに其処はもぬけの殻だったのだ。愕然とした。酷く、ショックだった。
(・・・チクショウ)
なんて奴だと思う。
これだけ俺を振り回しておいてあの男は俺に文句の一つも言わせないつもりか。
「・・・何が恋人だよ」
それまで執拗に俺を追い回していたくせに、一度落ちたと思ったとなるとこのザマか。勝手に退院しやがって。
治ったのならいつものように俺の前に顔を出せばいい。嫌味だろうが何だろうが、何か言いにくればいい。
そうすれば俺は大声でそれを拒否できるのに・・・・。
(・・・待てよ)
ハタと気づいた。
何故そもそもカカシ先生が執拗に俺を追い回していたか。
交際を申し込むためだが、それは俺が好きだからじゃない。ただ振られた腹いせに、己のプライドのために。それだけだ。
どうして忘れていたのだろうか。
いや、忘れていたわけじゃない。そんなの重々承知している。男の身勝手さも、横柄さも。ちゃんとわかっている。

ただ、それは違うんじゃないかとあの時は思ったのだ。

真っ直ぐに俺に手を伸ばす男の真意が、どうしてただの嫌がらせやましては己のプライドのためなどと思えようか。

なのに、カカシ先生は退院していた。俺の前にも姿を見せない。
悔しくて下唇を噛み締めた。
何が悔しいのか、噛み締めすぎ血の味が口内に広がるのを空っぽの病室で味わっていた。

「それ、何時の話?」
カカシ先生の目がスウっと細められる。
怯むものかと睨み返し答えた。
「昨日です!!」
「馬鹿野郎!!俺は昨日の朝退院したんだ!!」
答えた途端、カカシ先生が鬼の形相で受付の机に乗りあがってきた。
「昨日だ?ふざけるなよ。その前一週間はどうしたんだ?!毎日見舞いに来るのが普通だろうが!!何を偉そうに「見舞いにいきました〜」だ?いい加減にしろよ。誰のために三途の川からタッチターンで這い戻ってきたと思ってるんだ。一重にあんたへの愛のために決まってるだろーが!ようやっと念願叶って晴れた想い合う仲になれたあんたを悲しませてはなるまいと、それこそ死ぬ気でな。目が覚めたとき、あんたが居ないことでどれだけ俺が傷ついたか。俺の腕に健気に飛び込んできたあんたは夢だったんじゃないかと柄にもなく落ち込んだんだよ!まあいい。それはいい。許してやる。あんたあの医者に言ってくれたんでしょ?俺達の関係がどういうものなのか。感動したね。まさかあんた自ら「恋人」だと言ってくれるだなんて。だからあんたが居なくてもその時は我慢したんだよ!あんたにも仕事はあるし?きっとあんただって断腸の思いで俺から離れたに決まってる。それが当然だろうが!!!なのに!!!あんたと来たら待てど暮らせと来やしない!ああ、腹立たしい!!」
ものすごい剣幕てカカシ先生が捲くし立てている。
顔面の中で唯一覗く右目が血走っている様はヤバイ、ちょっと常軌を逸している。
けれど引くわけけにはいかないんだ。人として男として、ここで逃げ出すことは敗北を意味する。
「・・・なんで、そんなこと言われなきゃならないんですか」
「あん?」
「何を好き勝手に・・・。恋人だと?誰がなるなんて言ったよ?!」
「あんただろうが!!あの医者にはっきり宣言したんだろ!!」
「あれは気が動転しただけですー!」
「そんな言い逃れがあるか!取り消せ!!」
「いーやーだ!大体、あんたこそ、俺のことなんだと思ってるんだ?!恋人だと思い込んでるんなら、退院したその足で会いにくるぐらいしやがれ!人を窮地に追い込んで勝手に恋人に仕立てあげて、それで気を失っちまうなんて!俺にどーしろってんだよ!」
カカシ先生に負けじと喚くが、既に自分が何を言っているのかよくわからない。
積もり積もった鬱憤が、ここぞとばかりに吐き出される。
カカシ先生が机上に立ち上がった。視覚的に物凄い威圧感がある。
中忍の本能が震え上がる。もう涙まで出てきそうだ。
「そもそも、・・・あんた俺のこと好きじゃないだろ。それでどーして恋人なんだ・・・」
「ちょっと、あんた言ってる意味がわかんないんだけど」
「だから!あんた俺のこと好きじゃないくせにっつってんだ?!」

ヒュっと、息を呑む音が聞こえた気がした。

あれほど憤っていたカカシ先生から表情が抜ける。何が起こったのかよくわからない、そんな顔をして俺を見下ろした。

「好きだと、何度も言ったはずだ」

「そんなの・・・」
嘘だと、すぐに否定は出来ない。一度はそれが真実だと思ったんだ。
それでも。
一人で考えると急にわからなくなった。嫌味を言ったり馬鹿にしたり、脅すような真似をしたり、かと思えば、急に真面目な顔して俺に手を伸ばしてくる。
「嘘だとでも言うの?あんたね、何見てんの?好きに決まってるでしょうが。よく見なさいよこの俺を。普通ね、なんでもない相手に対してここまでする?受付の机に乗り上げて男相手に好きだの喚いて、どう見ても俺はおかしいでしょうが。例え三代目勅命の任務だとしても、こんなこと出来やしないのよ」
「・・・カカシ先生はそういう人だと・・・」
こういうことも平気で出来る個性的な人なのかと思っていた。
(・・・そうじゃないのか?)
見上げると、青い瞳とかち合った。不思議ともう威圧感は感じられない。
その青い色に血が上った頭が冷やされる。
「それじゃただの変態じゃないの・・・」
カカシ先生がガックリと頭を垂れた。
「違うんですか?」
「違うね。俺はあんたに惚れてるだけの普通の男です。惚れてるからこそ、自分を見失うんでしょーが」

惚れているからこそ

(なんだ・・・)

だとしたら。男の言葉通りとしたら。
俺だって充分正気じゃないのだ。
カカシ先生の顔を見ると頭に血が上ってわけもわからず喚いてしまう。必死で何が真実か捜そうとする。男の言葉にいちいち反応して。振り回されて。

「イルカ先生。あんたはどうなのよ?」

「好きです」

スルリと言葉が出ていた。

惚れているのだ、要するに俺はこの男に。
カカシ先生が退院したことが酷く悲しかったのは、自分などもう用無しだと言われた気がしたからだ。
会いに来て欲しかった。元気な姿を見せて欲しかった。
悲しくて悔しくて、いざ目の前にすると苛立ちばかりが募った。
たった一度の裏切りに、男の全てを否定して自分を守ろうとした。いや、裏切りではない。俺がそう思い込んだだけだった。
けれど、それすら認めるのが否で。

カカシ先生が机上にガクリと膝を折った。跪いて俺に顔を近づける。そして意地悪く言うのだ。
「何?聞こえなかった、もう一回」
「好きです」
「もっと」
「好きです」
「まだまだ」

「カカシ先生が好きです!!!」

精一杯叫ぶと、カカシ先生は右目にゆっくりと弧を描いた。

「それは良かった」

ニッコリとカカシ先生が笑う。

(・・・あれ?)
カカシ先生がただニコニコと笑って俺を見ている。
「・・・え?え?」
周りの喧騒が耳に戻ってくる。
そして俺はようやっと自分を取り巻く状況を理解した。
此処は任務帰りの忍達でごった返す受付なのだ。
「・・・あわわわわわ!カ、カカシ先生!おおおおお降りてください!土足で・・・・」
言う間もなく、カカシ先生はトンと机の上から降りた。
周りに散らばった書類やら判子やらを拾い、元の場所に戻していく。
「・・・カカシ先生?」
「ん〜?」
こちらを見ずに書類をそろえているカカシ先生の目元が薄っすらと色づいているに気づいた。
いつか見た色だ。
初めてカカシ先生が俺に好きだと告白したあの時の色だ。
「俺まだ仕事があるんですが・・・」
「あ、そ。じゃあそこのソファーで終わるの待ってる」
一通り散らかした跡を片付け、カカシ先生は言葉通りソファーに座って胸元から本を取り出した。
目元は桃色に染まったままだ。
それを確認すると、俺は周りで遠巻きに見ていた野次馬達に軽くニヤリと微笑んで仕事を再開することにした・・・、のだけれど。
(・・・ヤベェ、落ち着かない)
椅子に座り、判子を持とうとするが手が震えて上手くつかめない。
チラリと視線を前向けると、カカシ先生はそ知らぬ顔で本を読みふけっていた。
俺とは対照的な余裕の態度に、改めて男の図太さを再確認する。
(あれが俺の惚れている男か)
なんともいい難かった。
それでも、不思議なことにアレほど嫌いだと思い込んでいた男に対して抱いた恋情を自覚することに抵抗がないのだ。
(そんで、あれが俺に惚れている男だ)
脅迫めいた告白は迷惑以外の何者でもなかったはずだ。なのに、今はそのことが嬉しい。

カカシ先生には何度も手ひどい言葉を投げつけた。
それでも俺を諦めてくれなかった男がいる。

好きだ

そ知らぬ顔して本を読む男に胸の中で呟いた。

伝えたいことは色々とある。
その大部分は謝りの言葉のような気がするが、

(・・・あ!)

銀色の髪の隙間から、男の耳がチラリと覗く。
先ほどと同じわずかに染まった色に心が騒ぐ。

好きだ、絶対好きだ

自覚したばかりの恋情は、ただ同じ言葉だけを溢れさせた。

これから、カカシ先生との付き合いがどうなるかは全くわからない。問題はごまんとあるのだ。
カカシ先生が個性的なことや上忍であること、男だということ。
考え始めたらきっとキリがない。

それでも。

もう一度言いたかった。

好きだ

この言葉を、あなたに。

 

 

 

 

 

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