(初々花耽2000HITリクエスト小説)
アンチエイジング 〜はじめに
その人を前にするとやたら緊張した。
それまで確かにあったはずの喧騒は消え、意識が内へと囲われる。
目を閉じているわけでもないのに視界は閉ざされ、唸るような耳鳴りが頭の中に響いた。
ジワリと額宛の下が汗ばむ。
(・・・今日は何も失敗したくない)
差し出される報告書だけに視線を留め、何も言わずに受け取った。
(これはただの紙、紙、紙、紙紙紙・・・・)
そう念じでも、ただの紙でしかないはずの報告書を持つ指は震え必要以上に汗ばむ。
報告書の確認をする目はその字面を追うのみだ。
早くしなければ、目の前の人にもその後ろに待つ人達にも迷惑がかかってしまう。そう思えば思うほど焦り、ますます内容は頭に入ってこない。
(落ち着け、落ち着け、馬鹿!!)
自分への叱咤を繰り返し、再度報告書に目を落とす。
日付、よし
任務従事者人数、及び名前、よし
任務従事日数、よし
任務内容、よし
頭の中で字を読み上げポイントとなる部分を確認する。今のところ特に問題はないようだ。
しかし、
(・・・あ!)
最後にある記入者署名の字を目にして固まってしまった。
はたけカカシ
ギクリと体が強張る。目の前に居る男の存在にはあえて気づかない振りをしていたわけだが、そうもいかない。
今俺の前に居るのは、はたけカカシ、だと改めて認識してしまった。途端に頭に血が昇る。
唸るような耳鳴りは痺れるような音に変わり、ジンジンと脳槌を麻痺させる。だが、こんなのはいつものことだ。
問題はその名前を記す字が途中から滲んでいたことだった。
はたけカ、までは読めるがそこから先の字が滲んで何を書いているのか読めない(ただ「はたけ」の姓を持つのはこの人だけなので、はたけの下はカカシだとは解かる)。
他の部分は特に字の滲みは見られなかったのに、何故ここだけが・・・。考えるまでもなかった。
俺が掴んでいた部分だ。恐る恐る目を自分の親指にやると、やはりインクで黒く汚れていた。
(・・・最悪だ)
嫌な汗が背中をつたう。それほど大した失敗ではないかもしれない。現に目の前の人も気にする風はなく、それどころか、
「署名し直しましょうか?」
と声をかけてくれた。
その心遣いに恐縮してしまう。
「・・・申し訳ございません」
やはり顔をあげることが出来ず、うな垂れながら報告書を差し出した。極度の緊張に乾いた喉は引き攣った声を出し、隣で同じ受付業務をしている同僚が驚いたように俺を見る。
何もかもが情けなかった。
はたけカカシという人に対して、何故俺はこれほど緊張してしまうのか。
もう何度も考えていることだが答えは出ていない。
初めはそうでもなかったのだ。ナルトを介して知り合った上忍。その名前と実績は前々から耳にしたことがあった。
凄い男だという認識の元、初めて顔を合わせた時も確かに緊張はしたがそれは今のそれとは質が違う。
あの時はただナルトをはじめ、サスケ、サクラの属する七班のことが心配だった。皆可愛い自分の教え子だ。特にナルト、サスケには問題も多い。
その二人の上司となる男を気にするなと言うほうが無理な話だった。
初めはそれ故の緊張だったのだ。あくまでも緊張の理由は七班であり、男自身にではなかった。
それが変わったのは何時からか。
よくは覚えていないが、気づけばこの有様だった。
自分が緊張していることにさえ最初は気づいていなかったかもしれない。
サスケが里を抜け、ナルトが修行に出てから、実質七班は解散状態になりはたけカカシを見かけることも以前に比べ極端に少なくなった。
以前もそう親しくしてわけではなく、顔を合わせば会釈する程度、たまに立ち話もするか、まあそれぐらいだった。
別にはたけカカシへの印象は悪くなかった。はじめこそヤキモキしたがナルトが目に見えて成長していく様に、男の尽力を感じた。嬉しかった。
男はやはり凄腕の忍ということもあり、すれ違うだけでも若干の緊張は要した。男の持つ雰囲気は硬質で、どこか近寄り難い所があった。
しかしそれは俺から見る男の立場からは当然だろう。
上官に接する時に気を抜いてちゃ中忍として話にならない。はたけカカシでなくとも、上官を前にする時にはいつも一定以上の緊張感を持たねばならない。
忍になってからかれこれ十年以上、ずっとそうだった。
それにしても、・・・それにしても、だ。
これほどの緊張を強いられる理由は何だ?
誰を前にしても、こんなに周りが見えなくなるようなことはなかったのだ。
このままじゃとてつもなくマズイ気がする。
俺ははたけカカシを前にすると失敗ばかりを繰り返す。先ほどのような粗相を、些細なドジを、繰り返し繰り返し、俺は自己嫌悪に陥る。
別に男は俺のそんなドジなど気にしていない。それは解かっている。
けれど、もしからして男に「馬鹿な奴」だと思われるんじゃないかと、落ち着きのない奴だと呆れられているんじゃないかと、想像すると凹んでしまう。
だから次こそはちゃんとした態度を・・・、そう気合を入れて、さっきのように空回りして更にドジを踏む。
この堂々巡りは一体何だ?
どうしたんだよ、俺。
どうして、はたけカカシだけがこんなにも特異なのだろうか。
もういっそのこと会わずに済む方法はないか。そうまで考えが行き着いたというのに、現実は容赦ない。
(・・・このタイミングの悪さは何だよ)
狭い渡り廊下の向こうからゆらゆらと揺れる銀髪が見えた。猫背の男が本に顔を埋めるようにしながらノラクラとこちらへ歩いてくる。
俺が向かう先は今男が歩いて来ている方向だ。このままいけばすれ違うのは必然だ。
また、俺はドジを踏んでしまうのか。
考えるだけで頭の奥が鈍く痛んだ。
(・・・嫌だな)
ドジを踏んで、はたけカカシの前で恥を晒して、情けなくなって・・・・。また、それを繰り返すのか?
それは嫌だと痛烈に思った。
(逃げよう)
考えるよりも早く足が踵を返そうとする。
その時、前から歩いてくる男が顔を上げた。目が合いそうになるのを慌てて逸らした。
気づかない振りして逃げちまえ・・・!
ドン!!!
一瞬、何が起きたのかよくわからなかった。
逃げようと振り返った途端、目の前が真っ暗になり、鼻頭に衝撃が走る。
(あ、柱・・・)
後ろへと傾いだところで、自分の身に何が起こったのか理解した。
俺は柱に思いっきりぶつかっていた。
(馬鹿だ・・・)
周りに何があるのか全く見えてなかった。何を見当違いな方向に逃げようとしたのか、俺は。
これ以上情けないところを見せたくなくて逃げようとしたというのに、これじゃあんまりだ。
「どうしたんですか?」
衝撃に動けないでいると、背後からのんびりとした声をかけられた。
瞬間背中が否が応でも強張る。
(わ・・・ッ!)
ガサーーーー・・・・・!!!
妙な音がしたと思った。
気づけば持っていた書類の束から手を離していた。綴じられていない紙の束は綺麗に床へと雪崩れていく。
(最悪だ)
自分が書類を持っていたことすら失念していた。
更に最悪なことに、やけに風が強い日だった。両脇を建物に塞がれた渡り廊下は風の絶好の通り道だ。
雪崩れた紙がガサガサとそこら中に散らばっていく。
振り返るとはたけカカシが腰を曲げ紙を拾い上げようとしている。
「も、申し訳ございません・・・・!!」
慌てて駆け寄って男の行為を止めさせようとした。
「ん?謝るより先に集めたほうが良くない?大事な書類じゃないの?」
けれど、男は書類を拾う行為を止めない。淡々とした最もな男の言葉に、頬に血が集まる。
これほど自分の存在を恥ずかしく思ったことはない。
「これで全部ですよ」
「・・・ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございませんでした」
書類の束を手渡され、今度こそ精一杯頭を下げた。頭を上げることは出来なかった。
どんな顔をして男が俺を見ているか知りたくなかった。
「んー、と」
目の前の男が軽く唸る。何か考えているような声音に、また不安が湧き上がる。
叱責なら甘んじて受ける。俺の態度は最悪だし(だって逃げようとした)、中忍としてドジにも程がある。
上官として注意してくれるなら、それはありがたいとすら思う。呆れられていないのなら、少しは報われ・・・、
「よしよし」
ふいに、ポンポンと、妙な感触に頭を撫でられた。
(・・・え?)
頭上で結っている髪の付け根より少し前を、優しく、何かに撫でられる。
「そんな顔しなくても怒りはしないよ」
これは・・・手か?はたけカカシの?
それは解かった、だが、解からない。何でこの人は俺の頭を撫でてるのか・・・。
「イルカ先生、俺のこと大好きなんですね」
「・・・・・へ?」
さすがに顔を上げた。
今、この人何を言った?
言葉の意味をよく理解できず男の顔を見つめてしまう。
男はいつもの眠そうな目つきで俺を見ている。
そして言ったのだ。
「大丈夫。少しは可愛がってあげます」
俺は、はたけカカシのことが、大好き、らしい。
そしてはたけカカシはそんな俺のことを、可愛がって、くれるそうだ。
少しは。
(・・・今日は居るのか)
鍵の掛かっていないドアノブを回しながらその奥であろう人物を思うと肩にグっと力が入った。
仕事を終え自宅に戻り、本来ならば一日のうちで最も気を抜けるはずの時に、俺は今日一番の緊張を強いられている。心臓がドクドクとうるさい。
一端落ち着こうとドアノブを握ったまま深呼吸をした。
吸ってー、吐いてー、目を閉じてー、開けー・・・たら、居なくなってねえかなあ。
ドアの隙間から洩れる光は目を開いても変わりなく、仄かな期待を裏切られる。
余計に心臓の音がうるさくなってしまった。
もう一度深く息を吐き出した。
いつまでもグズグズしていては俺の部屋に居る人物が不審がってしまう。覚悟を決めてドアを開いた。
「た、ただいま戻りました!」
玄関先で声をあげると居間から銀色の髪がひょっこり覗いた。
「おかえり。遅かったんだね」
その髪を持つ人物に緩い声で迎え入れられる。途端に心臓が跳ねた。覚悟を決めたはずなのに、容易くビクついてしまう。
ニコリと笑うその顔を直視できず、脚絆を解くのを言い訳に目を逸らした。
「仕事が中々キリつかなくて、すいません、お待たせしてしまったみたいで・・・」
「あー、うん。まあ待ってたって言えば待ってたんだけど」
別に約束をしていたわけではなかった。
(来るなら言ってくれればいいのに)
そう不満に思ってもいいかもしれない。けれど、この人物を前にそんなことを言えやしない。
この人がはたけカカシである以上、そんなこと思うもことも出来やしない。
(だって上忍だし)
・・・俺のこの卑屈とも呼べる態度を、男の立場を理由にしようしたこともあった。
あの日、はたけカカシに頭を撫でられた日から、俺の私生活はこれまでの凡庸なものから一転した。
まさか自分が同じ性を持つ男に抱かれる日が来るとは思いもしなかった。いや、それ以前に男に好意を抱くようになるとは冗談も考えたことはなかった。
俺ははたけカカシのことが好きなのだと、はたけカカシ自身から告げられた。
あまりの言い草に驚いて、狼狽して、それなのにはたけカカシは僅かな動揺も見せず、さも当たり前のようにその日の内に俺を抱いた。
上忍の力は圧倒的で、俺の抵抗は難なく抑え込まれた。だが、仮にも俺は中忍なのだ。本気で抵抗すれば逃げられることは可能だったんじゃないだろうか。
なのに俺はまんまと男の良い様にされていた。
肌に触れられるとどうしようもない羞恥を覚えた。男の触る箇所に熱が残り、体が昂ぶっていった。
その昂ぶりが理解できない、混乱のまま行為は続いた。
だって、俺ははたけカカシのことが大好きだと、その男自身が言うから。
そうかもしれないと思った。
あの緊張ははたけカカシを意識しすぎた故の過剰反応だ。じゃあ、その過剰反応の理由?
好きだから。
これほどしっくり来る理由はないように思えた。
緊張に戦きそれでも昂ぶる体も、それを理由にすれば納得が出来た。
「すぐに食事の用意をしますね」
脚絆を脱ぎ終えるとそのまま台所へ向かう。
体を重ねてから、はたけカカシは週に2・3度俺の家に来るようになった。大抵は「何か食べさせて」と夕飯を食いにくる。内勤中忍の俺の給料では男に馳走できるものもタカが知れているのに、男は気にする様子もなく俺と向かいで粗末な飯を食う。
エリート上忍が端整な顔でめざしを齧る姿には今だに見慣れない。何となく見てはいけないような気がして、目を逸らしつつ俺は黙々と飯を食った。
男も特に喋りはしなかった。元々が寡黙な性格なのかもしれない。一度米がないときに麦を出したこともあったが、その時でさえ何も言わずに食っていた。
まるでお通やのような食事風景だ。それでも男は俺の家に来る。飯を食い、その後、俺を抱いて帰る。
食事はその後の行為の理由に過ぎないのかもしれない。
男との関係は一体何なのか、初めこそわからなかったが、男が俺に何も言わないところを見ると、都合の良い遊び相手というようなものだろう。
噂によると男が浮名を流した数も両手では収まらないらしい。非常にモテる男だと聞いたことがある。
そんな男なのだ、この現状も毛色の変わった中忍にちょっかいをかけているだけなのかもしれないと思う。
ただ、俺がそれをどう受け止めるべきなのかは解かりかねた。
はたけカカシを前にすると自分の感情すら理解できなくなる。
ただ緊張するのだ。押し寄せるような緊張感に為すがままになる。
別にはたけカカシが上忍の権力を笠に横柄に振舞っているわけではない。高圧的な態度で俺に接することもない。なのに俺は男とこのような間柄になった今も異常に緊張してしまう。
「別にいいよ、飯なんか」
炊事場に立つと、後ろから俄かに不機嫌な声で呼び止められた。同時に背後からやんわりと抱きしめられ、首筋に唇があてられる。
「飯は後」
心臓が凄い勢いで鳴り始めた。このまま止まってしまうんじゃないかと恐怖さえする。
(飯、なんか、とは失礼な)
男の言葉尻にチリと胸が焦げる。
決して口を出ることはない男への不満を奥歯で噛み締めた。
元来俺の性格上、他人とこのような不誠実な関係を持つことは考え難いはずだった。
両親の仲が良かったせいだろう、体を重ねる行為にはどうしても特別なものを感じてしまう。
だからこそ、この現状には戸惑ってばかりだ。
男はあまりにも簡単に俺を抱いた。
俺が混乱している隙に、男は何も言わず、まるで何かのついでにと言わんばかりに抱いたのだ。
理由を聞きたいとは思う。
俺を抱くからには、少しは好意を持ってくれているのか。
それでも疑問が口に出ることはなかった。
答えを聞くのが怖いのかもしれない。もし、何もないと、気が向いただけと男の口から言われたら、悲しくなるような気がする。
もしかしたら泣きたくなるかもしれない。
俺は、そう想像するぐらいにはこの男が好きだった。
「すごい心臓の音」
鎖骨から下へかけて男の指が降りる。丁度心臓の辺りで指を止め、笑いながら耳元で囁かれた。
「本当に俺のことが好きなんだねえ」
揶揄の言葉に羞恥を感じることはない。いつもそうだ。こう言われる度に、やっぱりそうか、と諦めのような納得をする。
無償に情けなくなった。
うるさい心臓の音が感情を奪っていく。
仮にも惚れているであろう相手を前に俺は体を強張らせることしか出来ない。喋ることも出来ない。
本当は・・・こんな現状が嫌で溜まらない。
持続した緊張を強いられそろそろ疲れも溜まってきた。男が家に居ると思うだけで足が重くなるのが今の現状だ。
このままじゃ立ち行かなくなるのは目に見えていた。
・・・そうなる前に。
怖くても、やはり聞かなくてはならない事がある。
「イルカ先生は俺のことが大好きだねえ」
からかいを含んだ声に心臓が痛いくらいにドンと強く打つ。
じゃあ、カカシ先生あなたは?
あなたは俺のこと好きなんですか?
(・・・眠い)
中庭で弁当を広げながらボーっと空を見上げた。春の天候は変わりやすく、明け方まで大雨が降っていたというのに今は雲ひとつない快晴だった。
濃厚な春の日差しが目に染みる。
眩しくて瞬くを繰り返していると突然光が遮られた。
「イルカせーんせ、お久しぶりです」
眼前に現われたのは元教え子だった。この1年で随分と大人びたと思ったが、イタズラっぽく笑う顔は幼く無邪気なままだった。
「サクラか。吃驚させるなよ」
「そう言う割には先生反応薄くないですか?前は弁当ひっくり返すくらいには驚いてくれたのに」
「ハハハ、舐めてくれるなよ。サクラが近づいてきてたことくらい気づいていたさ」
それは、まあ・・・嘘だ。本当は気づきゃしなかった。けれどこうでも言わないと俺にも面子があるしなー。
アカデミー生だった頃から優秀だった子は有能な忍達の下、更に優秀になりつつあった。頼もしい限りだ。
「そのギャグセンスは前と一緒ー」
優秀な元教え子はキャッキャと笑った。ギャグって何だよ、全部バレバレかよ。
「それよりサクラ、最近はどうだ?相変わらずしごかれてるのか?」
何となくキマリが悪くその話は終わりとばかりに次の話題を振った。
サクラは肩を竦めて俺の隣に腰をかける。
「相変わらずどころか、ますますしごかれてますよ。師匠ったら手加減一切なし!なんだもの」
嫌になっちゃう、そう言いながらもサクラの顔は明るい。『望むところだ』と内なる闘志を漲らせているようだ。
「そうか、いい事だな。頑張れ!」
拳を握りながらエールを送ったというのにサクラは妙な顔をして「はあ」と頷いただけだった。
「・・・イルカ先生こそ、どうなんですか?何だかお疲れ気味?」
妙な顔のままサクラが実に的確な指摘をする。
図星さされて思わず自分の顔を触ってしまった。俺はそんなに疲れた顔をしているのか?
実際疲れているのは本当だ。
昨日も仕事で疲れた上にはたけカカシの相手をすることになった(極度の緊張のもと)。昨日はいつもよりしつこかった。情事が終わればすぐに帰っていたのに、昨日はいつまでも俺を離そうとはしなかった。
後ろから羽交い絞めのように抱きしめられ、風呂にも入れなかった。
まさか眠ったのかと思ったが、そういう気配はしなかった。俺はもちろん眠れるはずがないので、二人無言でベッドに横たわっているだけだ。
何とも奇妙な時間を過ごしてしまった。
「先生も大変ですよね」
「えぇ?!」
サクラの、まるで俺の心中を見透かすようなあまりにタイミングの良い相槌に本気で吃驚した。
思わず素っ頓狂な声をあげてしまい、それに驚いたサクラが目を見開いて俺を見上げる。
「な、何?!私、変なこと言った?」
狼狽している様子に、あれがただの相槌だったわかり胸を撫で下ろす。
「いや、すまん、何でもない。うん、そうだな全然平気だ!」
「それ答えになってないし!・・・イルカ先生、本当に大丈夫ですか?」
心配そうな声に冷静さを取り戻す。この可愛い元教え子にこれ以上失態を晒すわけにはいかない。
それに、
(俺よりもずっと大変だろうに)
この聡い子は自分より他人の心配をする。
実際あの五代目の元、サクラは一度も逃げ出さずよく頑張っていた。この1年、あまりに辛いことがありすぎた。それでもこの子は踏ん張っている。逃げることを知らないのかもしれない。
頼もしくもあるが、それよりもけなげで切なかった。
「ああ、大丈夫だよ。それよりサクラ、おまえは大丈夫か?何か困ったことがあれば言えよ。出来るだけ力になるからな」
笑いかけるとサクラも照れくさそうに笑った。無邪気な笑い顔に心が和む。
結局助けられてるのは俺の方かもしれない。
「えー?じゃあ、早速お言葉に甘えちゃおうかなー」
「お?何かあるのか?」
「ん〜、でも、先生疲れてるんだったらって思ったんだけど、そうでもないみたいですし」
「何だよ、俺が疲れてた方がいいのか?だったら疲れてるぞ?とりあえずここ数年疲れてなかった日はない」
足をブラブラと子供のように揺り動かす様に以前の生徒だった頃の姿を見つけ安堵した。
頼られるというのは実際嬉しい。この可愛い元生徒に俺がしてやれることがあるなら何でもしてやりたいと思う。
「・・・本当に疲れてますか?」
「疲れている」
これは本当なので自信満々に答えた。
サクラにもそれが伝わったのか、嬉しそうにゴソゴソと持っていたズタ袋から五合は入りそうな大きさの瓶を取り出し俺の眼前に差し出した。
「だったら、コレ、試してみません?」
「ぅわ!」
思わず後ろへ退いてしまった。
瓶の中には見たこともない色の液体と・・・口を開けてこちらを睨みつけるハブが居る。
(あ、ヤベ、ハブと目が合っちまった)
「な、何だこれは・・・?」
「栄養ドリンク?疲労回復とか滋養強壮とか、そんな感じの」
「え?どんな感じ?」
いまいち説明がわからず聞き返すとサクラは困ったように笑った。
「師匠って綺麗っていうか美しいっていうか、・・・とにかく美人なんですよね」
「え?ああ、確かにそうだけど」
それがどうした?と聞く前にサクラは苦笑したまま話を続けた。
「でもあの美貌を保つのって結構チャクラが必要みたいなんですよ。師匠、ただでさえ忙しくて寝る暇もないくらいなのに、あの美貌にいつもチャクラ注ぎ込んじゃって。もちろん!綺麗であり続けたいってのはよぉっくわかります。私だってそうだもの!女はもう全員そう!綺麗であるために生まれてくるの!!」
「・・・お、おお、そうか」
「うん。そうなの。でも・・・やっぱり心配なんです。このまま無理し続けちゃいつか倒れちゃうかもしれない。それで、シズネ先輩とコレを作ったんです」
コレ、とサクラがハブの入った瓶を振り回しながら切なげにため息を吐いた。
「あの若さを留める手助けが出来たらって、細胞を活性化させるものを色々と調合して作ってみました。実際は滋養強壮剤とそう変わりはないんですけど」
「へ〜、凄いな。サクラはそんなものが作れるようになったのか!・・・それで・・・?」
何となく嫌な予感がした。
この話の流れからすると、もしや。
「なのに師匠ったら『こんなもん飲めるかぁ!!』って・・・。一生懸命作ったのに」
ああ、確かに『こんなもん』だよなあ、これは・・・。
「見かけは悪いですが、コレすごい効くと思うんです。何たってあのシズネ先輩監修ですから!」
「ちょっと待て、思うってなんだ?確証はないのか?」
「だって誰も飲んでくれないもん・・・」
(そりゃそうだろうな!)
胸中盛大に相槌を打つ。しかし、しかしだ、俺はもう気づいてしまった。
「わかった。俺が飲むよ」
なるべく瓶を見ないように手を差し出した。
この可愛い元教え子の頼みは何か?
要するに、実験台になって、そういうことなのだ。
「イルカ先生、大好き!!効果さえ解かればきっと師匠も飲んでくれるわ!」
はしゃいだ声が胸に染みる。
「ああ、そうだといいな・・・」
(・・・まんまと乗せられたなあ)
サクラはきっといいくの一になる。無邪気な笑い顔を今ほど頼もしく思ったことはなかった。
その後のサクラの行動は早かった。ただの滋養強壮剤というわりにはわざわざ場所を変えて基礎体温やら血圧やら検査され、その上で飲むハメになった。さすがに少し戦いたが実際その場にはシズネさんも居たので、変なことにはならないはずだと自分に言い聞かせた。
「見かけはアレですけど味は保障します!苺味なんですよ」
その心遣いは明らかに失敗だ。
コップに並々と注がれたその液体を飲みながらあまりのマズさに意識が遠くなる。
「イルカ先生・・・どうですか?」
「どうって・・・」
遠くでサクラの声が聞こえる。
マズイよ。
そう言ったような気がするが、実際に言えていたかはわからない。
耳の奥で妙な音を聞いた。
ゴブリと、水の沸き立つような音だった。
その音を最後に意識が途切れた。
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