アンチエイジング(1)




七班を介してうみのイルカと知り合った。
男は背筋を伸ばしたまま、勢いよく俺に頭を下げた。
「あの子達をよろしくお願いします」
伸びた背筋に似つかわしい凛とした声だ。俺はすぐに反応が出来ず、ただ晒された男の頭上で揺れるちょんまげをぼんやり眺めた。
(・・・こんな男、里に居たか?)
イルカの登場は俺にとって衝撃だった。だって俺は知らなかったのだ。里にこんな男が居るだなんて。
こんな、まるで存在するだけで俺を圧倒するような空気を持つ男、見たことがない。
「あんた、何処の人?」
だから思わず尋ねていた。三代目からうみのイルカについて「七班のアカデミー時代の恩師」とは聞いていたのでてっきり木葉の忍なのかと思っていたが、実際に会った男はどうだ?まるで見たことがない顔だ。
ここ数年、里の外に出ていることの方が多かったと言っても、生まれ育ったこの里にどんな忍が居るかぐらい知っている。
全ての忍を知っているということではない。見たことのない奴は実際多いだろう。そういうことではない。
このような特異な、存在の際立つ男ならば、何かしら見知る機会があったはずだ。
だって、男は他よりも明らかに浮き上がっている。これならどんなに遠くに居ても「あれは何だ?」と気になるはずだろう。
俺の問いにイルカは頭を上げる。まっすぐと、まるで射抜くような眼光の強さだ。
「他からの派遣?」
マジマジと顔を見据え、己の疑問を反復する。やはり見たことがない。つい最近他から移り住んだのだろうか。同盟国から遣わされたのかもしれない。
アカデミー教師というぐらいだからまさかとは思うもするが・・・、忍でもないかもしれない。
(不向きだ)
男の存在は影になり得ない。目立ってしょうがないのだ。
けれど、イルカはきっぱりと否定をした。
「いいえ。この里で生まれ育ちました」
ええ?本当かよ。この里で生まれて育って?でも俺あんたのこと知らないし。
「・・・これまで何をしてらっしゃったんですか」
「もう、かれこれ10年、この里で中忍やってます」
「十年?中忍?嘘でしょう?」
言う通りなら、ますます見知る機会はあったはずだ。下忍ならいざ知らず、中忍だと?
「十年も中忍・・・」
呟くと、イルカはさらに眼光を強くする。

「ええ。この十年、この木の葉で、一生懸命中忍やってました」

そしてヤケにキッパリと言い切った。

そのあまりに自信満々な態度に何か大それたことを言ったのかと勘違いしそうになる(実際は「中忍」だと言っただけなのに)。
イルカはおかしな男だと思った。胸が妙にザワつく。

そんな出会いを経て、俺はうみのイルカを意識するようになった。やはりイルカは目立ってしょうがなかった。俺はすぐにイルカを見つけることが出来た。
よくもまあこれまでイルカを知らずに生きてきたもんだ。俺は自分の周囲に対する認識不足を思い知った。情けない。
イルカをぼんやり眺めていると、たまに目が合うこともあった。あの黒い瞳に俺が写る。それはとても気分が良かった。
そんなイルカから教えを受けたという七班の面々もまた面白かった。
子供を相手にするのは始めこそ気が乗らなかったが、接していくうちにそれぞれの特性が掴めて来る。三人三様、てんでバラバラ。しかもこの子達には協調性が伺えない。
一体どんな教育したんだと文句の一つも言いたくなるが、素質もあるし何より根性がある。特にナルト、サスケからは並々ならぬ生への執着を感じる時があった。
非常に良い。
それがあれば生き抜く可能性は強まる。諦めなければ死ぬことはないのだ。生きるために、強くなる。強いから生き残るのではないのだ。
生きたいからこそ強くなる。震える足が忌まわしく、何一つ守れない手が憎らしい。守られてしまう無力な己に恥を知る。そこからの脱却を願い、日々鍛錬を積もうとするその性根こそが重要だ。
それを考えるとこの子達の教育者である前任者にはもう文句を言う必要はない。うみのイルカ、あんたはこの子達に確かな土台を作り上げた。ま、あんだけの功労ではないのは明らかだが。その一端を担ったには間違いない。大したもんだと思うよ。

「お疲れ様です」
報告書を差し出すと、イルカはいつもと変わらず背筋を伸ばし、凛とした声で俺を労った。俺は七班の報告書を極力イルカに出すようにしていた。
イルカはきっと気にしているだろうと思うからだ。
一度、七班のことを褒めた時、イルカはとても喜んだ。恥ずかしげに頬を染める姿など初めてみた。
普段の気迫みなぎる(少なくとも俺にはそう見える)イルカも面白いが、このような姿も中々良いもんだと感心した。
しかし、いつも褒めることがあるわけではない。むしろ、逆の方が多いわけだが、そういうことは報告書を見ればわかる。
わざわざ俺の口から言ってイルカの顔を曇らせるのは好ましくない。
「今日は・・・まあ、普通でした」
なので、素っ気無いことしか言えないが、それでもイルカは俺が七班のことを口にすると満足げに「それは結構です」と眦を緩めるのだ。
だから俺は報告書を出すときは一言添えるように心がけていた。


(・・・あのイルカは何処に行った?)
すれ違い様、会釈したままのイルカを見た。明らかに強張っている。張った空気はまるで恐怖が過ぎるのを息を殺して待つようだ。
それは弱者の持つ気配だった。
おかしい。
初めこそ、そんな弱々しい気配のイルカに具合でも悪いのかと思ったが、どうもそうじゃないらしい。イルカの態度は強張ったまま変わることはなかった。
(・・・何故こうなった?)
イルカがこのようになってしまった理由が思い当たらない。俺はイルカを少なからず好ましく思っていたし、他と存在を隔する者としてとても丁寧に接していたつもりだ。
一度だけ、公の場でイルカを叱り飛ばしたこともあるが、その時は全く堪えた様子は見せなかった。
むしろ、正面きって睨み付けてきた。まるで鬼のように形相を変え、鼻からは熱風だとしか思えない息を吹いた(見事だ)。
これに関しては、俺にも言い分があるが、いささか大人げなかったかもしれないと今は思う。何もあの場で言うことではなかった。
しかし、イルカが「子供達がただもう可愛くてしょうがないんです!!」といわんばかりに俺に食って掛かる様子はとても癪に障ってしまった。

その可愛くてしょうがない子供達は俺の部下なんですよ、ケッ!!!

言いたいことはこれだけだったはずなのに。いや、それよりも、

あんたが大事な子供達は俺がきちんと面倒みてるから大丈夫だ、心配するな。

こう言いたかったはずなのに。

つい口が過ぎてしまった。ガイに諌められ、その場を辞した後でアスマ達にもさんざん嫌味を言われた。
「あれじゃ、ガキ共が捨て駒みてーじゃねーか」
アスマの言葉に胸が妙な具合に軋んだ。
そんなこと思うものか。
あの面白い子供達を捨て駒だと?もったいない。あの子達は強くなることを望んでいる。せめて、それの手助けをしてやりたいと、そう思っただけだ。

そんなひと悶着を経ても、イルカは態度を改めることはなかったし、俺はそのことに少なからず安堵していた。
それなのに、今になってこの態度。まるで俺が上忍だからといわんばかりに肩を強張らせやがる。
(気に入らない)
あのデカイ態度はどうしたよ。自信満々に張った胸は何処に行った。
理不尽なこの状況に腹が立つ。
なんでイルカが俺を前に緊張しなければならない。そんなのイルカには似つかわしくないし、俺も不愉快だ。
(・・・まだ、下げたままだし)
イルカを振り返ったまま、歩だけは進める。すれ違った時の角度そのまま、イルカは顔をあげることはなかった。
(いつまでそうしてるんだ?!)
曲がった後、気配を殺しイルカを覗き見る。イルカはまだ頭を下げたままだ。俺はイルカが去るまでずっと見ていた。結局顔をあげたのは別の誰かが通りかかった後だった。


「何で気配殺してたんだ?」
「え?」
「さっき、受付前の廊下で」
アスマは待機所のソファーに深く腰を沈めたまま、さして興味もなさそうに聞いてきた。
「何でそんなこと聞くの?」
珍しい。面倒くせえが口癖のこの男が他人の事に口を出すなど。
「あんま里内で気配殺したりするなよ。特に今は里中ピリピリしてやがる。あんま疑われるようなことするんじゃねえ」
「えー?」
それを言ってくれてるということは、アスマは俺を疑ってはいないのだろうが、里中の気が荒立っているのは確かだった。
大蛇丸の襲撃によって与えられたダメージを考えるとそれは当然だろう。
頭首の代変りによって、ただでさえ不安定になってしまったこの里を、この隙とばかりに狙う輩も少なくはない。
木の葉崩し成らずといえど、たった一人の抜け忍にこれほどの損害を与えられたことは他国へこの里の脆弱さを見せ付ける結果になった。
火の国の豊富な資源を欲する国は数知れず。木の葉の名をもっての牽制は、大蛇丸の襲撃によりその効力を失ってしまった。
次から次へと間者が送り込まれる。
それを排除することが俺の目下の任務だった。
「おめえさん、最近働きすぎじゃねえの。実際顔を突き合わすのも久しぶりだろ。なのに、あんたところで気配殺してやがって」
ああ、なんだ。面倒くさがりやのこの同僚が心配をしてくれていのか。
確かに最近里に常駐しているとは言えなくなって来た。長期任務をあてがわれているわけではない。木の葉を拠点に動き回ってはいる。
ただその滞在時間は大蛇丸の襲撃前に比べ極端に少なくなった。そんな、最近とんと姿が見えなくなった忍が公に気配を殺しては、不審がられても仕方がないかもしれない。
「大丈夫だよ」
心配してくれたせめてもの礼だ。その憂いを取り除いてあげよう。
「イルカ先生を見てただけだから」
しかし、正直に言ったというのにアスマは苦虫を噛み潰したような顔をした。
何か言おうか口を開きかける。しかし、近づいてきた気配にまた口を閉じた。
「アスマ、五代目が呼んでる」
現れたのはアスマんとこの子だった。
あの渦中の中忍選抜において、唯一その実力を認められた子だ。それを聞かされたときの、アスマの表情をよく覚えている。男は少しだけ視線を落とし、「そうか」と呟いた。実は心配性のこの男が、何を考えているかなど、わかりすぎるほどわかった。
(もう子供だって思っちゃいけないかね)
随分と中忍ベストも板についてきた。子供のあどけなさは身を潜めていた。
けれど。
体躯は幼く、その精神力も弱い。ベストを脱いでしまえばそこに庇護すべき者が居るようにしか思えないだろう。
「どうも」
目が合うとその子は簡単に会釈をした。思わず苦笑し、言葉を返した。
「どーも」
「おら、行くぞ」
アスマはのそりと立ち上がると、その子を外へと促した。アスマの体躯に隠れ、もう俺からはその小さな体は見えなくなった。

ふいに、何かがこみ上げてくる。
それはサスケが里を抜けて以降、度々感じる違和感だった。
(そういえば、サスケの里抜け以降か)
イルカの態度が変わってしまったのは。
気づいた事実に、込み上がる何かは痛みを持ち始めた。

痛みは消えることはなかった。

久しぶりにサクラの姿を見かけた。シズネの後ろを忙しそうに付いて行く。
(とりあえずは元気そーね)
桃色の髪が風にたなびく様を懐かしく思った。
忙しそうなので声をかけることはしなかった。けれど、いつもそうなのもいい加減気づいていた。
サクラが五代目の元へ走って以降、俺はサクラと言葉を交わすことはなくなった。

小さな痛みが重なっていく。けれど、その痛みを抑える方法がわからない。

こみ上げる痛みに思わず声をあげそうになったのは、渡り廊下の向こうからイルカが歩いてくるのを見た時だった。
イルカは俺を見つけると、サっと顔色を変えた。
(何で?)
苦しいと思った。
この苦しさは何だ?イルカなら知っているだろうか。俺に痛み与える根源なら、これが何か教えて欲しい。
しかし教えを請おうとした刹那、イルカは踵を返した。
「・・・は?」
そして、いきなり柱に頭を打ち付けた。
(・・・ワザと?)
何のためにイルカは柱に頭を打ち付けたんだ?勢いよくぶつけるもんだから、ほら、その衝撃にイルカの上半身は大きく傾いていてしまう。
「どうしたんですか?」
問いかけると、イルカは答えることはせず、持っていた書類をぶちまけた。その妙な行動に首を傾げながらも、とりあえずは散っていく書類を集める。
途中、イルカと目があった。
イルカはまるで子供のように泣きそうな顔をしていた。

ドンと、強く心臓が打った。

(・・・そうか・・・)
呆然と悟った。
込み上がる痛みに心臓の音が呼応する。強く、早く、打ち始める。
この胸の痛みの理由をもうイルカに聞く必要はなくなった。
(可愛い)
イルカが可愛くてしょうがない。
こんな可愛いのに・・・、あんなツレナイ態度をとるから。あんな風に顔をひきつらせちゃって、まるで俺のこと嫌いみたいじゃないの。
(俺はあんたが大好きなのに)
笑いたくなる。どうして気づかなかった?
思えば最初からイルカには心奪われていたというのに。
何ヶ月も、気づかずにイルカを見ていただけとは。
見ろ、そのせいでイルカはこの有様だ。
もっと早く気づけば、イルカはこんな態度にならなかったかもしれない。打つ手はあったはずだ。
(どうする?)
眼前で力なく項垂れるイルカの頭上を見る。
可愛い。あの頭上に結われた尻尾がイルカの心情を表すかのように萎んでみえる。
思わず、手を伸ばしていた。
「よしよし」
もう大丈夫だと、頭を撫でる。
何故イルカが俺のことを萎縮しだしたのか、そこはわからないが、自分のこの思慕すら気づかなかった俺のことだ、知らぬ内に何かしでかしたのだろう。
イルカは弾かれたように顔を上げる。
まるで叱られるを覚悟している子供のようだ。その顔もまた可愛い。
「そんな顔をしなくても怒りはしません」
まずその理由がないし。
俺は、あんたを可愛がりたいんだ。
気づいたら言わずには居られなくなった。だが、緊張に口の中は急速に乾きはじめる。ああ、もどかしい。
それでも、縺れる舌を懸命に動かし、この気持ちを伝えようとした。

『俺はイルカ先生のことが大好きなんです』

確かにそう言ったと思ったのに。

「イルカ先生は俺のこと大好きなんですね」

俺は見事に間違えていた。

 

(あれで良かったのかもしれない)
腕の中にイルカを抱きこみながら、あの間違いが齎したこの僥倖につくづく感謝した。
イルカは驚くことにあの間違いを鵜呑みにした。告白どころか宣告になってしまったあの言葉に頷いたのだ。
戸惑ったのは俺の方だ。
とてもじゃないがイルカが俺のことを好きなようには見えなかった。
それでも、・・・このチャンスをみすみす逃す手はない。
己の気持ちに気づくまで数ヶ月、今思い返すとあまりに長い。これ以上時間をかけることはしたくなかった。
まるで言い聞かせるように、イルカには間違ったままの言葉を繰り返した。
「イルカせんせ」
「・・・はい」
背中越しに名を呼ぶと、強張った声が返ってくる。身体を重ねたというのに、イルカの態度が変わることはなかった。むしろ、ますます硬くなってしまっている。
その姿を不憫に思うこともあった。それでも、間違いを正す気には到底ならない。
緊張に早鐘を打つイルカの胸に手をやった。

「あんた、俺のことが大好きなんだねえ」

だから、今日も同じ言葉を繰り返す。
それが本当になれば良いと、祈りつつ
こみ上げる痛みは変わらないまま。







  

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