あんなに守りたかったのに、それはかなわないのか。
俺を見つめて瞳を揺らすカカシさんを前に、けれど、もう己の無力さに憤りを感じることはない。
ただ、愛しいと。
この愛しい人の手をとりたいと、そっと手のひらを開いた。

「カカシさん、あの言葉を教えてください。俺も一緒に言います」

お願い。何もかも一人で背負いこもうとしないでください。
こんな恐ろしいことにたった一人で立ち向かおうなど、そんな悲しいことは言わないで。

口に出ない懇願に、カカシさんは一瞬だけぎゅっと瞳を瞑った。

「・・・イルカせんせ」

そのまま体を預けてくる。肩口が少しだけ湿ったのがわかった。
・・・この強い人が泣いている。
どんな時でも、眉を寄せ歯を食いしばり踏ん張っていた人が、小さく体を震わせ泣いている。

「カカシさん、お願い」

後頭部を引き寄せ抱きしめると、カカシさんは小さく頷いた。耳元に唇が寄せられる。
謝罪の後に呟かれたその言葉に深い静寂が心の底を包む。

恐ろしさなど感じるものか。

きっと出会った瞬間に、あんたは俺の全てになった。そう予感してたんだ。
謝る必要などない。覚悟ならとうに出来ていた。

カカシさんの体が胸元から離れる。顔を挙げ、奴に向き直った顔にはもう涙は見られなった。
俺の開いた手のひらに、そっとカカシさんの手が重ねられる。
ギュっと力を込められ、同じだけ握り返した。

「バルス」




天空の写輪眼カカシ




 

(・・・生きてる・・・?)
頬を打つ風を確かに感じる。体の節の痛みを感じながら瞼を押し上げると、眼前にはそれこそ目の覚めるような鮮やかな空があった。
「カ・・・カシさん、カカシさん・・・!!」
慌てて上体を起こし、すぐ傍に横たわるカカシさんの肩を揺り動かした。
「カカシさん!!起きて!!俺達生きてます・・・!!」
閉じられた瞼が小さく動く。けれど見開かれる前に、強い力で抱き寄せられた。
「グエ!!」
「イルカせんせ」
嬉しげな声で名を呼ばれた。俺も嬉しい。生きてるからこそ、こうやってカカシさんの馬鹿力を痛がることも出来るんだ。
「終わったんですね」
「ええ、ええ!!終わったんです!ラピュタは無事です!あなたも・・・俺も、ちゃんと生きてます」
クソ、なんか今更泣きそうだ。恥ずかしいなあ、おい。でも、まあ嬉しいからいいか。
カカシさんを引き剥がすことが出来ないので、カカシさんの肩口で涙を拭わせてもらった。
「これ・・・どこまで登ってくんだろう」
ふと体の拘束が緩む。顔をあげると、カカシさんがこれまで見たことも無い満面の笑みを浮かべていた。
(ああ・・・この人もこんな顔が出来るんだ・・・!)
いつもシニカルに笑うか寂しげに笑うかしか見たことがなかったので、この満面の笑みには大感動だ。

「こうなったら、俺達ずっと此処に住むしかないよね。ずーっと二人っきりで。ね?」

ん?何言ってんだ、この人。

「だって、もう地上に降りることなんか出来やしないし、ちゃんと上に森は残ってるし?大丈夫、住める住める。二人で住もう」

浮かれたようにカカシ先生がまくし立てる。しかもそのまま腕を掴まれグイグイと根の間を登っていこうとする。
「ちょ・・・、ちょっと待ってください!!あんた何を・・・?!」
いまいちカカシさんの言っている意味がよくわからないが、このまま為すがままにカカシさんに連れられて行かれるのはマズイ気がする。
もしかしてこの人ずーーっと此処に居る気じゃないか?地上に戻ることなんかちっとも考えてやしなくないか?
何とか踏みとどまろうにも、カカシさんの馬鹿力を前に俺はズルズルと引きずられ・・・、

ハッ!!!

その時、視界の端に紅い色がチラリと掠めた。

「カカシさん、待って!!飛行機!!俺達が乗ってきたあの飛行機があそこに・・・!だから、俺達ちゃんと地上に戻れま・・・!!」

みるみる内にカカシさんの顔が険しくなっていく。
あんなに嬉しそうだったのが一遍して、今はまるで般若のようだ。

「チ!」

しかも舌打ちしやがった。
そのままズンズンと飛行機に向かって行く。俺は慌ててその腰に追いすがった。とんでもなく嫌な予感がするんだ。
まるでスローモーションのようにその光景を見た。
カカシさんの足が、まさに飛行機を根間からけり落とそうとしているのを・・・。

「や、やめろぉぉぉぉーーー!!」

俺はこの旅で一番のクソ力を発揮した。
飛行機をけり落とそうとするのより早くカカシさんの背を蹴っ飛ばした。図らずも飛行機に倒れこんだカカシさんが立ち上がる前に、俺も飛行機にしがみ付く。
「ちょっと、イルカ先生、やめ・・・!!」
「おっしゃーー!!地上に戻るぞーーー!!!」
そのままの勢いで根を蹴り、その反動で飛行機が空へと滑り出す。

(・・・良かった、本当に良かった・・・・)
うまく風に乗った飛行機の上で俺は心の底からため息を吐いた。
危ねえ。もう少しで本当に帰れないところだった。
「酷い。あんたって、なんて酷いの・・・?!誰にも邪魔されない場所だったのに、なんで地上なんか・・・嫌だ。帰りたくない」
カカシさんがサメザメと泣いている。あんたさっき自分で『土に根を下ろし風と共に暮らそう』とか超良いこと言ったんじゃないのかよ。
帰りたくないってなんだよ。矛盾しまくりじゃねえか。
「カカシさん・・・」
「俺はあんたと離れたくないのに・・・!!
一層強くカカシさんが泣き喚く。その言葉に俺の頭は疑問符だらけだ。
「離れるって・・・なんでですか?これからもずっと一緒に暮らしましょうよ。俺、頑張って働きますし。カカシさん一人くらいなら養おうと思えば、何とか・・・」
そりゃまだ見習いだし給料も少ないけど。カカシさんと離れる気なんかさらさらない。
カカシさんは吃驚したように右目を見開いている。左目は・・・写輪眼が抉り取られ空洞になっているのだろう。
瞼は硬く閉ざされその穴は俺に見えない。
そっとカカシさんの左瞼に指を乗せた。
「俺が、あんたの左目になります」
天下の写輪眼の代わりになれるとは思っちゃいないが、それでも少しは役に立つだろ。
「イルカせんせ・・・、じゃあ、俺は、俺は・・・」
カカシさんが瞳をゆらゆら揺らす。端正な顔を子供のように歪めて、一生懸命に言葉を紡ごうとする。
「はい、なんですか?」
心臓が騒ぎ出す。この破天荒な人は何を言おうとしているのだろうか。期待に耳を済ませたその時、


「ぅぉおおおお〜〜〜〜!!!デッケーー写輪眼だーーー!!!」


ものすごい声がした。
思わず下を覗き込むと綱出様とその他大勢がてんやわんやで上へと登ってきている。
「木だーー!!木が全部持ってちまう!!!」
「あれは、綱出様・・・!!おぉぉーーーい!!!カカシさん、綱出様たちも生きてましたよ!!良かったですね・・・!!」
「ちょっと、イルカ先生、俺の話を・・・」
「あ、イルカだ!!カカシも居るぞ!!」
「おーい、イルカ生きてたかーー!!」
俺達を見つけた綱出一家の皆が一斉に手を振ってきた。
「ねえ、イルカせんせ・・・」
カカシさんが袖口を引っ張るのがわかったけど、この時の俺は皆が生きていた喜びで胸がいっぱいで、きっとカカシさんもそうに違いないと、引っ張られるのをそのままに手を振り返していた。
だけどそうじゃなかったらしい。
あの馬鹿力で思いっきり抱きしめられてしまった。

「イルカ先生、やっぱりラピュタに戻るよ!!!」

だから、なんでそうなるんだよ。

 



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