『ホームレス中学生』パロ

田村 → カカシ
田村の親父 → サクモ



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随分と暑い日だったような気がする。
がなるような蝉の鳴き声が耳の奥にこびりついている。
見上げると絵に描いたような入道雲が空に張り付き夏を誇示していた。


ホームレス忍者



「父さん!」
どういう経緯だったかは覚えていない。
ただ家に戻ると父が玄関の前で俺を待っていた。
いつもは家の中で寝転がっていることが多い父の珍しい姿が、幼心にとても嬉しく思わず駆け寄った。
「父さん、どうしたの?」
父は何も言わなかった。
ただ硬い表情で家を眺めている。その面差しにいつもと違う空気を感じ、妙な気持ちがした。
「父さん?」
ザワつく心臓が気持ち悪くもう一度父を呼んだ。一体何を見ているのだろうか。
玄関に目をやると、張り紙らしき物が目に付いた。
赤い墨で大きく『差押』と書かれてあったと思う。だが、この時齢6歳の俺には漢字など読めるわけもなく、ぼんやりとそれを眺めていた。
「どうして家に入らないの?」
影のない場所は立っているだけで汗が滲んでくる。地面から立ち昇る熱気に足元が揺らぎそうなのに、父は一歩も動こうとしない。
けれど、俺が父の手を引こうとすると、父はハっとしたように俺を振り向いた。
俺を見ると一瞬だけ笑った気がするが、逆光に目が眩み実際の表情はどうだったかわからない。
そして唐突に喋り始めた。
「誠に残念ながら、我が家は差し押さえられました。楽しい我が家はもうありません。これからは己の力のみ生きていくしかないのです。
 私は君に多くのことを教えてきました。大丈夫。君ならきっと生き抜いていけるでしょう」
「とうさ……」
何を言っているかさっぱりわからなかったが、よくない事だということは聞いたことのないような父の強い口調に思い知らされる。
怖かった。
捲くし立てるような口上に口を挟む鋤はない。父は一通り演説をぶると、最後にこう言った。

「解散」

高らかなその宣言に蝉の声も聞こえなくなった。ただ父の言葉だけが強烈に耳を塞ぐ。
父はそのままもの凄い勢いで俺を残し走り去って行った。
広いはずの背中があっという間に見えなくなる。
それが最後に見た父の姿だった。


覚えている限り、父はいつも穏やかだった。
日当たりの良い場所に横たわり、何をするでもなく庭を眺めていた。朝から晩まで。
俺も大抵はそんな父の側で遊んでいたように思う。
父は俺と遊んでくれるようなことはなかったが、たまに呼ばれ、庭の隅に咲いている花をとってくるように言われたことはよく覚えている。
花とも草ともつかないそれを一輪摘み、父のところへ持っていくと、満足そうに笑う。
そうして部屋の隅にある机に飾った。
家はどこも薄暗く物がない割りには汚かったが、その机だけはいつも綺麗に掃除されていた。
机には写真が一枚飾ってあった気がするものの誰が映っていたのかよく覚えていない。
ただ父と俺にとってその机は特別であり、幼い俺にとっては特別な理由など知らなくても良いことだった。
二人きりの生活ではあったが、時折知らない大人達が尋ねてくることもあった。
そういう時、父と俺は息を殺しその者達が行き過ぎるのを待った。
床下に身を潜めたり。天井に張り付いたり。
彼らは父と俺にとって非常に怖い存在だった。大声を出し、乱暴に戸を叩き、土足で部屋にあがってくる。
それでも父は何を言うでもなく、ただ隠れていた。
俺も、そうすることが当然だと思っていた。
来訪者は乱暴な者達ばかりではなかった気がする。
ごく稀にではあるが、静かな男が尋ねてくることもあった。
それでも父はやっぱり俺と息を殺し、隠れていた。
それらの時間俺にとって窮屈で恐ろしいものではあったが、それさえ過ぎれば父と二人きりの穏やかな日々だった。


父の消えた方角をどれだけの間眺めていただろうか。
今にも父が引き返してくるのではないかと思うとその場から動く気にはなれなかった。
「カカシくんだね」
ふいに後から声をかけられた。振り向くと、黄色い髪をした男が後に立っていた。
その顔は見たことがあった。前に家に訪ねてきたことがあるはずだ。男は決して乱暴な振る舞いを見せなかったが、父は隠れ、ただこの男が去るのを待っていた。
急激に、俺を見下ろす男が憎らしくなった。
この男が父を怖がらせたのだ。
父はこの男から逃げ出したのだ。
俺に構う余裕もなく。ああでもきっと、もうすぐにでも、父は俺を忘れてきたことに気付き戻ってくるはずだ。
「サクモさんから頼まれたんだ。今日から君は僕と一緒に来るんだよ」
「イヤだ。父さんはすぐに戻ってくる」
そうは言ったものの、この男がこの場にいる限り父が俺を連れに戻ってくることはないのではないかと思った。
この男の側に居ては駄目だ。父は怖がって近づくことが出来ない。
「待ちなさい」
後から男の声が聞こえる。俺は父の逃げたのとは逆の方向に全速力で走った。
少しでもあの男から離れなければ。
走り方は父に教わっていた。
どう走ればよいか、その際の呼吸、足の運び、体の重心、また隠れるタイミングや逃げ道の見つけ方。
それらはあらゆるモノから逃げていた父との生活の中で不可欠なものだった。

随分と走った。あの男が追いかけてくることはなかった。
走り、いい加減呼吸も苦しい。
「…父さん……! とうさん……っ!」
苦しくて、叫んだ。
それでも父は現れはしない。
あらゆる場所で父を呼んだ。
押しつぶされそうな恐怖は夕闇と共に差し迫ってくる。
夜が来てしまう。
それなのに、帰る家はない。俺を迎えに来てくれる父は居ない。
俺は一人だった。



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(2008.11.17 ブログ掲載)