閃光



すれ違うだけで砕けそうになるこの足を、一体どうしてくれようか。


(・・・ヤベ!早くしないと)
資料室から出ると、思ったよりも傾いた陽日が廊下を赤く染め始めていた。
普段はあまり用のない資料室は新鮮で面白く、つい色々と引っ張り出してしまった。おかげでもうこんな時間だ。
生徒達には「廊下を走るな!」と普段から注意しているので、これは競歩だと言い訳しながら駆け出した。
けれど、
(そんな・・・・)
視界を切り裂くようなその姿が眼に飛び込んで来た。
いつの間にか足は止まり呆然と立ち尽くしてしまう。
長い廊下の向こうから背を丸め本に顔を埋めた男が器用に人を避けながらこちらへ向かってくる。
受付へと繋がる廊下には任務を終わらせた忍達が幾人も行き交っていた。
もう少し早く気づいていれば、男に気づかれぬようこの場を去ることも出来たかもしれないのに。
気づいた時には男の持つ本のタイトルが見えるくらい近かった。
今更踵を返すのは不自然すぎる。
仕方なしに廊下の端に避け、道を譲ることにした。
男は俺に気づいていないようだった。
本に顔を埋めたまま俺の前を通り過ぎようとする。
何も言わず頭だけ下げると、通り過ぎていく男の膝下だけが見えた。
内臓が競りあがるような圧迫感を感じキツク目を閉じた。力を要れすぎたのかコメカミがズキズキと痛む。
通り過ぎる間は僅かなはずなのに妙に長く感じ、周りの音が掻き消えた。
再び目を開けると軽い酩酊感を感じた。同時に周りの喧騒も蘇ってくる。
握り締めた拳にはジットリと汗を掻いている。
(何を緊張しているのか)
滑稽なまでのビビリっぷりが虚しかった。
そんな自分に苦笑すら出来ず、体勢を元に戻す。
こんなところでグズグズしている場合ではない。これから残業するのにこの資料が必要だったのだ。
早く戻らなければそれだけ帰りが遅くなるだけ・・・

(・・・え?)

顔を上げ、本当に心臓が止まったかと思った。
男が居る。
すぐ側に。
驚きに声は出ず、ただ男の手が俺に伸ばされるを呆然と見送った。
瞬きする間もない。
何が起こったのか、とんでもない力で腕を引っ張られ、気づけば男の腕と壁に囲い込まれていた。
(・・・資料室?)
つい今しがたまで居たはずの資料室は、けれど先ほどとは違い灯りがなくぼんやりと暗い。

「どうすれば、許してもらえる」

まるで威嚇するかの如く低い声音だった。
男は口布をおろし、普段は隠されている肌をおしげもなく晒した。
(少し、頬が削げたか・・・?)
久しぶりに見た男の素顔に言葉を忘れぼんやりと思った。元々肌の色は白いと思っていたが、今はまるで血の気が退き紙のようだった。
なのに目だけはギラギラと燃え俺を見据えている。
(どうしたんだろうか・・・?)
ふいに与えられた驚愕に思考がうまく追いつかない。

「俺は何をすればあんたに許してもらえるんだ・・・」

見えている蒼い瞳が深く絶望の色に変わる。
いけない、と思った。このままじゃまたこの男は泣いてしまうと思った。
いつかのように、俺に会いたかったんだと泣いてしまう。
反射的に手が動いた。
同時に持っていた紙束が指をすり抜け床へと雪崩れた。
「・・・!」
紙の擦れる音にハタと我に返る。慌てて伸ばしかけた手を引っ込めた。
心臓が急速な勢いで早鐘を打ち出した。
この状況が理解できなかった。
どうしてはたけ上忍がこんなに近くに居るのだろうか。そんな顔して、前と全然変わらない強さで俺を見据えて。
まるで、まだ求められているのだと錯覚しそうになる。
「苦しくて溜まらないんだ・・・!」
その言葉は嘘ではないと証明するかのように男はガクリと両膝をついた。
「あんたが怖いくらい愛しくて。拒絶されるくらいなら・・・いっそのこと殺してくれた方がマシだ」
呆然と俺の前に跪く男を見下ろした。
(何・・・?何を・・・?)
矢継ぎ早に告げられた男の言葉がすぐには理解できない。
一体何を言いたいのか。

そんな、まるで懺悔をするかのように。
跪いて、うな垂れて。

「・・・はたけ上忍は、まだ俺のことが好きなんですか・・・・?」

口にした疑問に男の肩がビクリとしなる。

「解薬は・・・?飲んだはずじゃ・・・」

あれ程手酷く罵ったのだ。飲まないはずはなかった。
何よりあれ以来、男は一度も俺に会いに来なかったじゃないか。一日離れただけで傷ついていた男が、そんなの耐えられるはずもなく。
だから、解薬を飲んだに違いないと。俺への恋情を消してしまったはずだと・・・。
(違う)
今更のように気づいた。
前と同じだ。俺が離れた時、泣くほど辛かったくせに男は俺に会いに来なかった。
自分にはそれをする権利はないと絶望していた。
(まさか飲んでないのか?)
まだこの男は俺を恋しがっているのか。薬に狂わされ、己を見失ったままだと言うのか。

「なんで・・・っ」

声が震えてしまう。
悔しいのか腹立たしいのか、憎いとすら思った。
だが男は首を振ってそれを否定した。

「・・・飲みました。本当はね、あんたが置いて去った日に、すぐに飲んだんですよ」

「そんな・・・!それならどうしてあの時・・・!」
飲んでいたというのなら、あの裏切りはどういうことだ。どうしてあの時躊躇いもせずに俺を選んだ!仲間を傷つけ侵入者を逃がした?!
「紅からも直接解薬を貰いました。馬鹿みたいに飲んで、あんたがそれを望むのなら好きなだけ飲んでやろうと思いました。もしかしたら本当にこの気持ちもなくなってくれるかもしれない。嫌われたと知ってもあんたに焦がれる一方だった。どうすればもう一度この手に抱けるかそれだけを考えて。俺だってこんなのは嫌だ。あんたをこれ以上傷つけたくない。あんたには幸せであって欲しい。でも、どれだけ飲んでもこんな感情が消えるはずもなくて・・・!・・・当たり前だ、最初から惚れ薬なんかのせいじゃないんだ。解薬なんか効くわけがない・・・っ!」
「え・・・?」
血を吐くような告白を呆然と聞いた。
聞くしか出来なかった。
「2年前だ。初めてあんたとすれ違った。ただそれだけで、どうしようもなくあんたが気になって。好きだと自覚するまでそう時間はかからなかった。その頃はほとんど里に居なかったけど時間があればあんたの姿を捜した。それでも最初は見てるだけで満足だったんだ!あんたいつも一生懸命で可愛くて。顔姿が可愛い奴なら腐る程居る!一生懸命な奴もだ!それでもあんたしか可愛くなくて。あんただけがいつも周りから浮かんでる。どんなに遠くに居ても、あんたが居る場所にだけ光があるから、俺はあんたしか見えなかった。あんたを特別だと思うことを間違っているとは最初思わなかった。ただ大切で。どんなことをしてでも守ろうと誓った。俺は見つめるだけしか出来ないから、手を伸ばそうにもその方法がわからない。それでも良いと自分を欺いた。なのに七班を介してあんたに俺を知ってもらえて、・・・押さえきれなくなった。どうしてもあんたを俺だけのものにしたくて。でも俺は誰も幸せにしたことなんかないから!あんただけが大切なのに・・・、俺じゃ幸せに出来ない。あんたの幸せだけを祈っている。それには俺の存在は邪魔としか思えないんだ。あんたを幸せに出来ない男があんたの側に居てはいけない。でも焦がれて・・・、日ごと卑しい思いが増す。自覚なしにあんたを犯すことばかり考えるようになった。許せなかった。例え俺自身でも、あんたを傷つける奴を、俺は許さない。」
いつのまにか両腕すら床に突いて、男は告白を続けた。
男の指が怒りを露に固い床を引っかく。
俺は何も言えず、ただそれを見つめていた。そんなに強く爪を立てては剥がれてしまうと怖くて。
「紅がアレの話を持ち出した時、藁にもすがる思いだった。これであんたへの思いが断ち切れると、・・・いや、僅かでもいい、あんたから気が逸れるなら、俺はあんたを傷つけずに済む。バカバカしい薬でも、それに縋るしかなかったんだ!あれには・・・紅は気づかなかったみたいだけど幻術がかかってたから、それがわかって・・・別の奴に惚れることが出来るかもしれないと期待した。なのに!なんであんたが居たんだ・・・っ?!あんただけには会いたくなかったのに!どんな思いで俺があれを飲んだか、あんたは何も知らずに俺を見ていた!理性が消えて、あんたを求めるしか出来なくなった。惨いことをしている自覚はあった。でも・・・それ以上に歓喜した。ようやっと触れることが出来たと・・・!嬉しくて。あんた優しいから。どんなに酷いことをしても、あんた怒らなくて、優しくて。遠くから焦がれた時と同じままで・・・っ」

(俺、か・・・?)
俺が全ての原因だと、そういうことか・・・?

最初の日、男は確かに俺を憎んでいた。何故俺なのかと罵った。
それがずっとしこりになっていた。俺に惚れたくなかったと叫ばれて、その後どんなに好きだと囁かれても信じることが出来なかった。
薬が男を惑わしているのだと、それが辛くて、男に惹かれれば惹かれるほど、認めてはならないと躍起になった。
ただ怖くて。
それでも、あんたの幸せだけを祈った。あんたが苦しまずに居られることだけを願った。
「なんで、言わなかったんですか・・・?」
俺への恋情を手放すために惚れ薬を自ら飲んだのだと言うのなら、一言で良いから言ってくれれば良かったじゃないか。あんな風にただ切ながって、一人で痛がって。
「・・・嫌われるのが怖かった。こんな・・・異常な執着を持っていると知られるのが怖かった。薬のせいにすればあんたは安心するだろう。仕方ないと、俺に側に居てくれるはずだと・・・。触れてしまったら、もう駄目で・・・。一分でも一秒でも長くあんたを居られるように、それだけしか考えられなくなった。何としても繋ぎとめたかった。例え必要とされなくても、疎まれても、俺はあんたしか要らない」
(ああ・・・)
吐き出す息が震える。
何か言わなくては。もういいのだと・・・、この己自身への恫喝を止めさせなくては。
でも何を言えばいい。
こんなに愛しいのに、俺はどうすればいいのかわからない。

「許してくれ、イルカ。苦しめるとわかっていながら、あんたを求める俺を許して」

頭の中で何かが弾けた。夥しい光の矢が脳内を走る。

男が求めているのはこれなのか。

男が何を許されたがっているのか・・・、そうではなかった。何を、などと考えてはいけなかった。
ただ許せと言うのだ。
男の存在を、その激しい感情を、否定するなと叫んでいる。

「・・・ゆるします」

取り落とすように、言葉が零れていた。

「俺は、あなたを許します」

身体の力が抜け腰が床に落ちた。
ようやっと男の顔が見えた。でも、目は合わない。
男はジっと床を睨みつけている。俺も同じように床を見やった。
(爪が・・・)
男の爪が幾本からに亀裂が入っている。そこから滲んだ血が床を僅かに赤く濡らす。男は爪が割れていることに気づいていないのか、まだ指に力を込めたままだ。
あまりに痛そうで・・・恐々とその手に触れた。
ようやっと男が顔をあげる。
酷く緩慢な動作でゆっくりと顔をあげ、俺に視線を合わせた。
「好き・・・なんです、はたけ上忍。俺だってあんたが好きです」
「イルカ・・・?」
「ずっと言いたかった。でも、言っては駄目だと・・・!あんた俺に言ってばかりで、俺に言わせてくれないから。俺の気持ちなんて聞いてもくれない!謝ってばかりで、いつも苦しそうで。俺も苦しくて・・・っ」
傷ついた男の指先を、力の加減も出来ず握り締めていた。
「好きだとどうしても言えなかった・・・!ごめんなさい。俺は、あんたが苦しいのわかってたのに、何も出来なかった・・・!」
許しを乞うのは俺の方だ。
その激情を信じることができなかった。
全てを曝け出して、何もかも投げ捨てて、・・・それなのに疑うことしかせず。
他に信じるものなど何もないのに。
あんたが苦しいと言うそれこそが、何よりの真実だったというのに。

だから、もう間違えない。男の全てを俺は疑わない。

何も言わず、瞬きもせずに男が俺だけを見ている。
好きだと何度も繰り返した。男が俺を抱きしめてくれるまで、何度も何度も。

 


男が難しい顔をして床を睨みつけている。
内心、またか、と呆れながらも男の顔を覗き込んだ。
「そんな顔しないで。早くしないと任務に遅れますよ」
男はますますムっとした顔になってしまった。
「そんなに俺に行って欲しいの?」
恨めしそうに口を尖らせる。恐ろしい程整った顔にその子供じみた仕草は全く似つかわしくなかった。
男と再び情を交わすようになり、すぐに俺は勘違いに気づいた。男のあの嵐のような激しさは惚れ薬のせいなんかではなかった。
惚れ薬は男の激しさを塞き止めていた理性に亀裂を入れたにすぎなかったのだ。
俺が気持ちを捧げても男は何も変わらなかった。以前と同じ激しさで俺を求めてくれる。それはもちろん嬉しい。嬉しいが、実際問題困る。
任務に赴くたびに不服そうな顔をして、よもや「行きたくない」と駄々をこねようとする。
それを毎回宥めすかせて何とか任務に行くよう仕向けるのは労力が要った。体を張ってると言っても良い。
男は何かと理由をつけ俺の体を求めてくる。離れるのが淋しいだの、ようやっと会えて嬉しいだの(たった一日しか会えなかっただけでも)。
求められれば俺は逆らえない。嬉しいというのも気持ちとしてはあるが、それ以上に負い目があるのだ。
男はここ最近七班以外の任務に頻繁に駆り出されていた。
理由は一つ、男が侵入者の件の折、あの暗部達に怪我を負わせたせいだ。しかもあの暗部達、暗部の中でも選りすぐりの精鋭達だったらしい。
幸いにも皆重症というわけではないそうだが、それでも、すぐに任務に就けるほど怪我が軽かったわけではない。
男は人手不足となった暗部の穴埋めにと日々激務をこなしている。
出来ることなら俺も手伝いたい気持ちはあるが悲しいことに実力がなかった。
一度「俺に任務を回してくれればいいのに」と言ったことがある。男が罪を一人で償っているようで申し訳なかったのだ。
男はそれに「あなたを無駄死にさせるような奴は許さない。次は殺します」と怒りを露に言い切った。
この男なら遣りかねないと思った。しかも俺は死ぬの決定かよ。
恐ろしいやら腹立たしいやら、ここまで言い切られると反論の余地はなかった。大人しく留守番に甘んじるしかない。

難しい顔をしたままの男に、さて今日はどうやって宥めようかと考えを巡らせる。
「俺はイルカ先生の側に居たいのに」
この素直な不平に太刀打ちできる言葉を俺は持っているか。
(うーーーん・・・)
「じゃあ、俺も一緒に行きましょうか!お手伝いしますよ!!」
駄目だとわかっても言ってみる。
男は瞬時に眉を吊り上げた。
「駄目だ!!」
冗談なのにこんなに本気で怒鳴らなくても良いよな。
男はそのまま俺を抱きこんだ。束の間の別れに覚悟を決めるように、力いっぱい俺を抱きしめた。
息苦しさに喘ぎながら、俺もまた覚悟を決める。
(・・・次に会えるのは何時だろうか?)
明日か、それとも一週間後か。
長く感じるに違いない。
自覚した恋心は男の激情に煽られ募っていく一方だ。
離れている間の淋しさは日毎増していく。
それでも、男は必ず俺の元へと戻って来てくるれるから。そう約束してくるなら。

俺はこの淋しさを、苛立ちを、恐怖を、あなたが与える何もかもを恋に代えて、次に会える喜びに期待を馳せるましょう。

大丈夫。

次に会う時は更に愛しいはずだと、名残惜しげに俺を抱き締める男の肩に唇を送った。

 


(完)






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            初々花耽管理人・ネリ
 (2007.4.19)