閃光





里から数里離れた場所でようやっと解放された。
拘束を解かれたときは既に侵入者の姿はなく、温い風がまばらに生えた草を揺らすだけだった。
「無事で良かった」
折れた腕を慈しむようにそっと抱きしめられた。
「何故追わないんですか?」
寄せられた胸からは早い鼓動が聞こえる。
どうしてあの侵入者をこの男は追ってくれないのか。
俺の命は確保されたのだからもうあんたを躊躇わせるものはないだろう。
「イルカ先生?」
「俺のことは放っておいてくれ構いませんから・・・、あの男を追ってください」
「そんなのどうだっていいよ」
困ったような声を男の熱い胸越しで聞いた。
「あなたが無事ならそれで良い」
(良いものか・・・!)
仲間を傷つけ敵を見逃し、裏切り者のレッテルを貼られたかもしれないというのに。

苛立ちも憤りも悔しさも情けなさも、全てが入り混じり思考がまともに働かない。

ただ、男に対して申し訳なかった。

(謝罪をしなければ・・・)
ふいに強迫観念じみた思考に支配された。上半身を捩って男から離れる。
「イルカ先生?どうしたの?」
心配という以外に何もない顔をして男が慌てふためいた。繋ぎとめようと手を伸ばし、けれど折れた腕には迂闊に触ることが出来ないと所在なさげに手を宙に浮かす。
これ以上、俺のことしか考えていない男を見てはいられなかった。
一歩二歩と後ずさり男との距離を空けた。まばらに生えた草が俺の脚に踏みつけられ地面に伏す、それを睨みながら謝罪をしようと口を開きかけた。

だが。

今更何を言えばいいのだろうか。

謝ったところで何が変わるというのだろうか。

(・・・・駄目だ)
歯を食いしばって洩れそうになる言葉を押し留めた。
(・・・・謝ってはいけない)
謝ったら、きっとこの男は俺を許すだろう。今よりも慌て、何を謝るのだと怒るかもしれない。
俺の軽率な行動を責めることは絶対にしない。思いつきもしないのではないか。いつものように切なげに俺に触れようとするだけではないか。
男を裏切りへと導いてしまったことは決して許されてはならないのだ。
里でも傷つけられた暗部にでもない。
この男自身に、大切にしていたものを裏切らせた俺を許させてはいけない。
「イルカ先生・・・?傷が痛みますか?」
傷に触れないよう、オドオドと男が俺の頬に手を伸ばした。

この優しい男に謝るというのなら、償いをするというのなら、何よりも男を惑わすその恋情から解放してやらなければ。

「触らないでください」
指が頬に触れる寸前で止まる。その指をあからさまに避け男を睨みつけた。
「なんで解薬を飲んでないのですか?」
「そんな話、今は関係ないでしょう・・・?イルカ先生怪我してるんだし先に手当てを」
本気で関係ないと言い切る男を鼻で笑った。

「関係ないですか?この怪我ははたけ上忍のせいなのに?あなたのオンナ呼ばわりされて俺は殺されかけたってのに、何が関係ないんですか」

小さく息を呑む音が男の喉から洩れた。
責める言葉に男は驚き、辛そうに目を眇めた。
「薬のせいで辛いというから我慢して付き合ってれば何を勘違いしたのか・・・。ようやっと解薬を手に入れたのにそれを飲まないだと?あなたいつまで俺に犠牲になれと言うんです。何のつもり惚れ薬なんか飲んだのか知りませんが、これ以上、上忍様のお遊びに付き合ってやれる程俺は暇じゃないし命だって惜しいんですよ」
捲くし立てる言葉を、はたけ上忍はただ瞳を揺らして聞いている。
仲間を傷つけ敵のために道を作る事には少しの感情も乱さなかった男が、今は俺の言葉に傷ついている。
それは、男の世界には俺しか居ないと言われているようで、そんなの解かっていたのに尚も思い知らされる。

「そんな紛い物の気持ちに付き合って心中でもしろとでも言いたいのか」

「・・・止めてくれ」

低く唸るような声で男が制止の言葉を吐いた。
止めるわけには行かなかった。
より辛辣な言葉を選んで男に叩き付けた。
その度に男は傷つき、血を吐くような声で制止を懇願した。
悲しみを湛える瞳には徐々に怒りの色が混じっていく。何故これ程傷つけられねばならないと、俺に対する怒りが立ち昇る。
それは正当な怒りだ。
男は俺の命を救った。何より大切なものを裏切ってまで俺の命を選んだのに、俺は男を責めることしかしない。
理不尽なこの状況は怒りこそが相応しい。

「これ以上あんたの面倒見るのはうんざりなんだよ」

怒りに燃える目を、決して逸らさぬように睨みつけ言い放った。
瞬間空気がぶれる。
スローモーションのように、男の拳が握り締められ目前に迫るを見た。

殴られる。

そう思って瞼を閉じたが恐れていた衝撃は来ない。
かわりに、熱い手の平で口を塞がれていた。

「もう・・・わかったから」

俯き、震える声でそれだけ告げられた。ようやっと、男は俺との決別を承諾した。
(殴ればいい)
どうして殴ってくれないのかと罵りそうになり、唇を噛み締めた。声を出そうとしたところでこの手の平が邪魔で言葉を発することは出来ないのはわかっている。
それでも強く噛み締めた。
気づけば何者かの気配が風に混じっていた。
見渡す限りの荒地では身を隠すものはなく、それ等の存在は自然と視界に入ってくる。
ただ、その相手をするどころではなかっただけだ。
それ等は走り寄るでもなく躊躇うでもなく、臆することなく俺たちに近づいてくる。
木の葉の忍だということは承知の上だ。暗部装束ではなく通常の戦闘服に身を包んだ彼等の顔には見覚えもある。その内の一人が俺に向かってくる。
はたけ上忍の手が一瞬強張るのがわかった。
けれど、すぐにその手は離れていった。

もう目は合わない。

踵を返した背だけが目に写る。
男はそのままこちらへ向かってくる男達に自ら赴いた。


「うみの、歩けるか?」
俺の傍らに居る男の気遣いがぼんやりと聞こえる。
頷かなければと思い、・・・だがそれをするのに少し時間がかかってしまった。
緊張に強張った体は中々言うことをきかない。
「こりゃ・・・酷ぇな。バッキリやられちまいやがって」
その言葉には少し笑みが洩れた。
骨の一本や二本、何が酷いものか。俺が男に負わせた罪に比べ、この傷は何と浅いのだろうか。
痛みすら感じることはない。

 

日々はぼんやりと過ぎていく。
折られた両腕は幸いにも折られ方が良かったらしく、医療忍の的確な処置で事なきを得た。2・3日病院の世話になっただけですぐに退院することも出来た。
その足で三代目の元へ向かった。
己の仕出かした軽率な行為の咎を受けなければと火影執務室へ赴いたが、あいにく不在だった。
いつ戻るのか尋ねても「それよりちゃんと休め、バカ」と僅かに眉を寄せられただけだ。
素っ気無い態度の中に俺に対する心遣いが見える。
不思議なことに、誰も俺を責めるものは居なかった。
あの件について調書を取られることもない。まるで何もなかったかのように、ただ怪我を心配された。
(何故、誰も責めないのか)
侵入者の質に自らが下った行為を軽率だと、何故誰も言わないのか。
どんな咎でも受ける覚悟だった。
はたけ上忍は・・・俺を責めることをしなかった。
ならば、里に咎を求めるしかないではないか。
気遣わしげな言葉や態度を優しさだと受け入れることはとてもじゃないが出来なかった。

職務の復帰を申し出でも同じだった。見た目には満身創痍な俺にアカデミーの連中は渋い顔をした。
「それで子供相手は無理だろ」
最もな理由で申し出は却下されてしまった。しかも心配そうに顔をされては無理強いは出来ない。
それでも何かをしていなけらば落ち着かないのだ。
家で一人体を休めるなど出来やしない。
布団に横になり、天井の木目を睨みつけながら、考えるのははたけ上忍のことばかりだ。

今何をしているだろうか。
裏切りを責められてはいないだろうか。
罰せられ苦しんではいないだろうか。

解薬を飲み、無事に正気を取り戻しているか。

男について情報は何も入っては来なかった。
仲間を傷つけ敵を見逃したこと、それに関して罪を課せられているか、今どうしているのか、知っているものは周囲には居ないようだ。
噂がある風もない。
また、あれ程俺に付き纏っていた男が居ないことに周囲は戸惑っていたようだが、俺の様子に何らかの理由を察したのだろう。何も聞いてくることはなかった。
安心しているのもあるだろう。
はたけ上忍のあの姿に里の行く末を案じた者も少なくないはずだ。ようやっと我に返ってくれたのかと安堵しているのかもしれない。
「とりあえず今日は休め。すげー顔色してるぞ。そんなんじゃあの子も余計心配しちまう」
同僚の気遣う言葉の一つが引っかかった。
(・・・あの子?)
誰だ?と思いそうになり、ハタと気づいた。
人質になり青ざめていたあの生徒、・・・果たして無事に保護されたのか。
(最悪だ)
今の今まであの生徒のことを思い出しもしなかった。
(こうも・・・自分のことばかりだ)
己を責めることしかせず、周りを気遣うことも出来ない。気遣わせることしかしない。
あの子が怯える姿を俺はこの目で見たというのに。あの後一人取り残されて、あの子がどれほど不安だったか。
そんなことすら気づかずに。
ただ罰せられることを望む。
胸を掻き毟られるような後悔の念に耐え切れず、紛らわすように他に救いを求めて。
(情けねえよ)
それはあまりに自分勝手な行為だと気づく。
「・・・顔洗って出直してくるわ」
「そうしろ。まあ・・・うん、あの子は多分おまえが思うより大丈夫だからさ。一日休んだだけでケロリとした顔で登校してきたぜ」
同僚の言葉を受け頷いた。
求められているものが償いでない以上、己に出来ることは少しでも早く通常生活に戻ることだった。


(・・・こんなもんで大丈夫か?)
自分の影を眺めながら、どこかに弱々しさはないか確認した。
質となった生徒に会いに来たのだが、あれ程周りに「休め」「休め」と言われていたのだ。さぞや弱った風体をしていたに違いない。
俺のことを心配しているという生徒にそんな姿を見せるわけにはいかなかった。
本当はすぐに顔を出してやりたかったが、とりあえず周りの勧め通りじっくり休んだ。
出かけに鏡を見てきたが、顔色はそう悪くはない。
ただ家の鏡は小さく顔しか映らないので、全身を通した場合がよくわからなかった。
俺としては大丈夫なつもりでも、一度折られた両腕から弱々しいチャクラが噴出しているかもしれない。
なのでこうして影を見て確認しているわけだが、・・・そこは影、黒いわ細長いわでいまいちわからない。
(こんな感じでどうだ?)
太陽に背を向け、マッチョポーズを決めてみた。
おお、心なし強そうに見える(影が)。
これなら大丈夫だろうと自分にGOサインと出したところで、
「何をしておる」
いきなり後から声を掛けられた。
「え?」
振り向くと三代目が呆れた眼差しでこちらを窺っていた。
「不憫な・・・。怪我は大したことないと聞いておったが、頭をやられていたとは」
いつも通りの口調だった。
退院した時、まず三代目に会いに行った。
里の全てを見通す目を持つこの人ならば、俺の過ちを見ているはずだ。里の長としての采配で俺への咎を決めるだろう。
それは俺の願望でもあった。
周りの者は皆優しく、・・・それは、俺には分相応で。
ただ罰せられることを望むだけでは駄目だと理解はした。けれど、だからといってその優しさに甘んじるのも無理だ。
なのに。
「・・・冗談は勘弁してください」
待ち望んでいた三代目の声は穏やかで、冗談めいた言葉の何処にも俺に対する怒りはない。
「いや、冗談ではない。一度頭の検査をして貰え」
カカカと笑いながら俺へ歩み寄ってくる。
「三代目!!」
耐え切れず言葉を遮った。
どうして皆こうも優しい。叱責すらないなど、あんまりではないか。
「何じゃ、変な顔をして」
歯を食いしばる俺の顔をみて、三代目はますます笑みを深めた。
持っていた煙管で俺の頭を小突く。
「馬鹿め」
その声は温かで・・・不覚にも足元が揺らぎそうになった。
「あれが例の子か」
三代目俺から視線を逸らし、向こうで遊ぶ子供達に目をやった。その中に、人質となったあの生徒も居る。
他の子と変わらず元気な声を張り上げ駆け回っていた。
「・・・はい」
少し声が震えてしまう。

「イルカ、よく守った」

その子を見つめたまま、三代目がきっぱりと言い切った。

何かが胸をせり上がってくる。
それが苦しくて、苦しくて苦しくて、その場に座り込みそうになった。
「馬鹿め」
滲んだ視界には三代目の呆れた顔が映る。
「あー!イルカ先生だーー!!」
子供達の一人が俺を見つけた。途端に皆はじかれたようにこちらを向く。
あの生徒も例外ではなかった。
誰よりも早く、俺の側に駆け寄ってこようとする。
それに続けと他の子も駆け出した。しかし俺の横に居る三代目に気づくと、「あ!!火影様も居るぞ!!」「ぎゃ!!」などと思い思いに声をあげていた。
「わしは化物か」
ムっとした三代目の声を聞きながら、俺は慌てて顔を拭った。
心配させてはなるまいと気合を入れたばかりだというのに、今の俺はきっと情けない顔をしているに違いない
「イルカ先生!もう大丈夫なのか?!怪我は?!痛くない?!」
弾丸のように飛び込ん来たその生徒は、一人、三代目には気づかぬ様子で俺を心配している。
「この通り、何ともないよ」
安心させるようその子を抱き上げると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「やっぱり!絶対助けるって言ったの、本当だったんだ!!」
「・・・へ?」
「僕、イルカ先生が居なくなった後、一人で凄い怖かったんだ。でも、すぐにいっぱい人が来て、変な仮面つけた人ばっかで!その中に一人だけ、目の玉見える人が居た!!」
興奮に頬を上気させ、その子は捲くし立てるように話し出した。
「銀色の髪で背がデカくて、で、僕に言ったんだ!イルカ先生は絶対に助けるって!大丈夫だからって!!すげえ早さで走ってった!!」
いつの間にか、その子を抱え上げる腕を下ろしていた。
「イルカ先生!あの忍者が来たんだろ!!イルカ先生を助けてくれたんだろ!!」

(・・・はたけ上忍)

「ああ・・・」
もう立ってはいられなかった。両膝を折り、その子に目線を合わせた。
「その人が助けてくれたんだ」
言うと、その子は歓声をあげて喜んだ。

「イルカ先生、良かったな!!あの忍者が助けてくれて良かったな!!」

澱みのない言葉は純粋で、・・・どう受け止めていいかわからなかった。
ただ、締め付けられる苦しさがある。

「・・・イルカ先生?」
言葉を失った俺をその子が不思議そうに見つめた。
「ほら、お前達もう家に戻れ。そろそろ日が暮れる」
「ぎゃあ!火影様!」
三代目が助け舟を出してくれた。その子はそれに他の子と同じような反応を返す。
「わしに気づかぬとは、この未熟どもめが!!」
その反応が気に入らなかったのか、三代目は目をかっぴらいて子供達に渇を入れた。
キャッキャ言いながら子供達が散っていく。
「おまえもそうじゃ。未熟者が」
見上げると、三代目はムっとした顔のまま子供達の去った方を向いていた。
「子供等の方が鋭い。おまえは命があることをもっと喜ばねばならん」
「・・・はたけ上忍は、どうなりますか」
ずっと気にかけていたことを初めて口にした。
誰も男のことを教えてくれなかった。
誰にも聞くことが出来なかった。
あれ程傷つけておいて、今更、男を気遣う権利はないと、そう自分を戒めた。
「カカシがなんじゃ。何を憂いて居るのか知らんが、カカシの行動は間違ってはおらん。よくぞおまえを助けてくれた」
「ですが・・・!」
「くだらん。色ぼけして居るのはカカシの方だと聞いたが、おまえだったか」
「・・・ぇ?」
「あの子が事実だ。それを見誤るな」
そういい残すと、三代目はその場を去った。

三代目は、はたけ上忍を咎めはしないと言う。
男が里から糾弾されるのではないか、それが怖くて申し訳なくて溜まらなかった。
恐れていたことは杞憂で終わった。
なのに、胸の痛みは変わらない。
三代目の言葉は実に的を得ている。
色ボケしているのは俺だ。男に纏わる何もかも怖くて溜まらなかった。男が傷つくことを何よりも恐れた。許せなかった。
それ程恋しくて。
(どうして惚れ薬なんか飲んだ)
痛烈に思った。
あんな情熱は知りたくなかった。間違っていると最初から解かっている気持ちなど捧げられ、そんなの俺は辛いだけだ。以前、男が正気を取り戻した時、俺は泣くかもしれないとぼんやり思った。
その通りだ。
こんなにも胸が痛い。
吐き出す息が震え、視界が滲む。
ただ男が恋しかった。


どうすればこの感情を没することが出来るか。
それだけに集中し、日々をこなした。
一度だけ遠くから男の姿を見かけた。七班の任務中だったのかじゃれ合うナルト達の後ろを猫背でノラクラと歩いていた。サスケとの言い合いに集中していたナルトが電柱にぶつかった。サスケ達は笑い、男も呆れたようにナルトを見つめ、少し笑ったようだった。
それは以前と変わらぬ男の姿だった。俺が何より望んでいたはずの、あるべき姿の男がそこには居た。
俺を求めることはもうしない。
望んでいた事実は辛く、まだ胸は痛い。
(これで良い)
けれど、男はもう苦しんでいない。
正気に戻った後は、俺のことを思い出して後悔しているか。馬鹿だったと恥じているか。
何でも良いと思った。
男が穏やかに笑ってられるなら、それだけで救われるような気がした。








  

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