閃光
(・・・やけに念入りだな)
後ろ手に縄を掛ける侵入者の手つきは妙に丁寧だった。
(そんなにキツくしなくても逃げやしねえよ)
既に両腕は使い物にならない。この男がそうしたのだから、充分に理解しているだろう。
「これで良し、と」
軽快な口ぶりで侵入者は最後の締めにと縄をきつく締め上げた。
ジリジリと鈍い痛みが絶えず這い上がってくる。意識がぶれそうになり、首を振ってなんとか払おうとした。
だが余計に意識が遠のきそうになっただけだった。
思わず前のめりそうになる。それを侵入者が後襟を掴んで引っ張り戻した。
「・・・下らねえことやってんなよ。立て、行くぞ」
侵入者の軽快な口ぶりが不快だった。
質の交換を要求してから後、侵入者の態度は変わった。それまで確かにあった緊張が薄らいでいる。
(・・・勝算があるとでも言うのか?)
まるで鼻歌でも歌いそうな勢いじゃないか。
「あんた、写輪眼のカカシのオンナだろ?」
木々の合間を縫うように走りながら、唐突に侵入者はそんなことを聞いてきた。
非常に不愉快だ。オンナ呼ばわりされたことも、質の交換に承諾したのがそのせいだと案に言われていることも。
(答える義務はねえよ)
なので無視した。
「あんた、自分の立場解かってねえなあ」
すぐさま腹を蹴り上げられる。楽しそうに喉の奥で笑いながら「バカだろ」と付け加えた。
それには盛大にムカつかせて頂いたが、確かに俺はバカだった。
「バカ」という言葉は、ただ反抗的な態度を取ったことに対してだと思っていた。
(・・・はたけ上忍、どうしてるかなあ)
しかも、侵入者がその名を出すから、俺ははたけ上忍のことを思い出してしまった。
あの薬は飲んだか、まだ飲んでないとしたら・・・辛がっているのではないか、俺に会いたがっているのではないか。
終わりを告げたのは俺だと言うのに、一度気になり出したら止まらなかった。
(泣いてないと良いなあ)
痛みに頭が呆けているのかもしれない。無性にはたけ上忍が恋しかった。
里の境界が目に見えた頃、ようやっと追手の気配を背後に感じた。
「そーら、おいでなすった」
安堵を感じるよりも早く、侵入者は楽しげに呟いた。
辺りに緊張感が充満する。肌を震わせるような殺気を受けながらも余裕を滲ませる侵入者の算段がわからな・・・・、
「イルカ!!!!」
突如、空気を切り裂くような鋭さで名を叫ばれた。
「え?」
反射的に振りかえる。だが、確かめるまでもなかった。この声はあの男のものだ。
(・・・はたけ上忍)
「近づいたら殺す!!!」
はたけ上忍の怒号に負けない大声で侵入者は叫んだが、それは今更なような気がした。
追手が来てくれたことも有りがたいが、それがはたけ上忍ならこれ程心強いことはない。
男ならこの侵入者を捕らえることが出来るだろう。
質は違えど先ほどと同じこの状況も、はたけ上忍ならば容易く切り抜けることが出来るだろう。
(・・・2・3・4)
男の他にも4人の追手が俺たちを取り囲む。はたけ上忍以外は暗部装束に身を包んでいる辺り、ますます心強かった。
「聞こえなかったか?それ以上近づいたらコイツ死ぬぜ?」
侵入者は言いながら俺の腕を捻った。
「・・・ッ!!」
声は殺したものの、痛みに息が詰まった。満ちた殺気がそれに呼応するように揺らぐ。
それを半ば信じられない気持ちで見た。
・・・何を動揺しているんだ?
暗部達は変わらない。悠然と侵入者へ殺気を放ったままだ。
なのに、はたけ上忍は・・・見て取れる程、動揺していた。侵入者の言葉など関係ないと侵入者に歩み寄ろうとする暗部を手で制した。
いつもは額宛で覆われている写輪眼を向きだしにして、俺達に向かい合った。そこに殺気はない。
・・・躊躇っているのがわかった。
先ほどの俺と同じように、この男は躊躇っている。俺の命と里への忠誠を秤にかけて・・・、
俺の命を選んだか。
男がまだ解薬を飲んでいないことに気づいた。俺への恋情がそのままだということに、歯噛みしたくなった。
「何をしてるんです!早くこの男を・・・!」
躊躇う必要が何処にある。侵入者を捕らえた上で俺を救うことも、あんたなら出来るはずだ。己の力を侮るな。恋情に惑わされるな。
「はたけ上忍!」
「喚くなよ。あんたよりもあっちの方がよっぽど理解してるぜ。なあ?」
傲慢な侵入者の言葉は、はたけ上忍ではなく暗部達を苛立たせた。俺も同様だった。このような軽口を、何故不利な立場でしかない侵入者に叩かれなければならないんだ。
侵入者の態度は木の葉を軽んじているようにしか思えない。
それにも関わらず、はたけ上忍は動こうとしなかった。何を考えているのか全くわからない、ただ無表情で軽口を叩く侵入者と対峙していた。
(・・・この男はそんなに強いのか?)
俺を拘束する侵入者は、はたけ上忍をこのように躊躇わせるほどの実力を持っているのか。
背後に立たれるとそれなりに威圧感は感じる。背丈だけなら随分と高い。振り返り、僅かに見上げた。そうしなければ男の顔を見ることが出来なかった。
だが、改めて侵入者を見ても、やはりはたけ上忍を躊躇わせる実力を持っているとは思えなかった。
(俺のせいか)
俺が人質であるせいで、はたけ上忍は手出しが出来なくなっているというのか。
この侵入者が強かろうが弱かろうが、最早関係ないのかもしれない。男はきっと俺の安全だけを考えている。
少し、情けなくなった。
木の葉の忍である以上何よりも先決なのはこの侵入者を捕らえることだが、はたけ上忍は俺の命惜しさ故にそれを放棄しようとしている。
俺は・・・はたけカカシにそこまで侮られているのだ。侵入者の言葉などただの脅しでしかない。俺とて中忍なのだ、両手を塞がれていようともそう易々と殺されやしない。
侵入者を取り囲む暗部の内の一人と目が合ったような気がした。
仮面の下から無言で殺気を放つその暗部に、声を出さず目配せをする。
この状況を打破するためには、俺が動くしかない。
暗部もすぐに気づいたようで僅かに腰を落とした。臨戦態勢に入っている。
「そういうことだからよ、見送りは此処まででいいぜ?ご苦労さん」
侵入者は相変わらず余裕のオーラを放ったままで、シッシと猫を払うような仕草をした。
僅かに、俺を掴んでいる侵入者の指の力が緩まった。
(今だ)
背後に立つ侵入者の向う脛を踵で蹴り上げた。
「・・・ク・・・ッ!!」
いともあっさりと侵入者の体が揺らぐ。同時に暗部達が一気に間合いを詰めようとした。
「イルカ、動くな!!!」
だが、はたけ上忍が猶も制止の声を上げる。しかも、
「何でだよ・・・」
味方である暗部達を驚くべき早さで地へと叩きつけた。
その光景を目にし、呆然と呟いた。確かに隙が出来ていたはずだ。暗部達が侵入者を取り押さえるには充分だっただろう。
何故、わざわざそれを止めるんだ。
いともあっさりと暗部を倒して・・・、それほど素早く動けるのであれば、侵入者を捕らえることなどそれこそ一瞬で出来そうじゃないか。
(・・・意味がわからねえ)
それほどまでに侵入者の言葉を鵜呑みにしている男の思考回路が本気で解からなかった。
「カカシ、ふざけるのもいい加減にしろよ」
倒れたはずの暗部が徐に起き上がり、怒りをはたけ上忍にぶつけた。
「・・・クソ、本気で殴りやがって」
痛そうに腹を摩っている。声には明らかに嫌悪の色が混じっていた。
「色呆けしてる場合じゃねえだろうが」
「先に手前がぶっ殺されてえか」
暗部達は次々と起き上がり、はたけ上忍に向かって殺気を放つ。殺気は陽炎のように空気を揺らした。
「うるさい」
だが、はたけ上忍は暗部達を見もしない。それどころか、更にクナイを投げつけ暗部達の足を止めた。
「はたけ上忍・・・!!いい加減にしてください!!!」
限界だった。
これは一体何の茶番だ。
「俺のことを気にしている場合じゃないでしょう!!さっさとこの男を捕まえてください!!」
男は・・・目を見開いて俺を見た。信じられない、とでも言いたげに瞳を揺らしたのだ。
「そんなの、出来るわけない」
ゾっとする程低い声音だった。
「なんでこんな男のためにあんたを殺されなきゃならない」
その言葉に、声に、・・・何より男が本気でそれを恐れているということに、情けなくて目の奥が熱くなる。
(チクショウ、侮りやがって)
噛み締めた奥歯が歯茎をギチと鳴らす。
そんな俺を尻目に侵入者はさも愉快そうに笑った。
「そうだよなあ。あんたのお姫さまが俺なんざの道連れにされちゃたまんねえわな」
「俺が・・・このままあんたの好きにされるとでも?」
振り仰ぎ、侵入者の顔を睨みつけた。道連れだと?俺が大人しく付いて行くとでも思・・・・、
(・・・ん?)
ようやっと、男の言葉の意味に気づいた。
「貴様・・・俺に何をした?!」
「死なば諸共って言ったじゃねえか」
ニヤリと侵入者は笑って、俺を拘束する縄をグイと引いた。
(起爆札・・・?)
道連れという言葉は決してただ脅しではなかった。
縄に起爆札が仕込まれていた。そして縄には絶えず侵入者のチャクラが流されていたことに、意識して初めて気づいた。
何故、侵入者が念入りに縄を掛けていたか・・・。
単に体を縛るためだけではなかったのだ。
脅しは決して詭弁ではなかった。
侵入者とて、己の状況が不利であることは充分理解している。捕まったら最後、殺されるしかないことも。
何としてでも捕まるわけにはいかない、けれど、見つかってしまった以上死刑宣告をされたも同然だ。
己の力ではこれ以上逃げ遂せるはずがない。
そこで、俺という質を捕った。何故、侵入者が子供ではなく俺を質にしたのか・・・俺がはたけカカシの情人だからだ。
「・・・偶然じゃなかったのか?」
森で俺が生徒を見つけたことすら、侵入者の策の内か。業と俺に見つかり、交渉を持ちかけるよう促したとでも言うのか。
「偶然だろ。実際森でウロついているあんたを見た時は、神にでも感謝したくなったぜ。まあ、そっから先はあんたの考えてる通りだろうがな」
ああ、・・・そうだ。
確かに侵入者は「運が良い」と言っていたな。
その言葉の不自然さに気づかなかった。今更悔いても仕方ないと解かっていても、悔やまずにはいられない。
「この起爆札は俺のチャクラに反応するようになっている。俺のチャクラが途絶えた時点であんたの体は、ドカン、って寸法よ」
「ふざけた真似しやがって・・・!」
腸が煮えるようだった。
どうりではたけ上忍が動こうとしないはずだ。
この侵入者を見逃す以外、本当に俺が助かる道はない。
「そう怖い顔するなよ。どうやら、互いに死なずに済みそうじゃねえか」
里に潜没している間に、どこからかはたけカカシの俺への惚れ込みようを聞いたか、恋狂っている様を実際見たか。
どちらにせよ、侵入者は賭けに出た。
俺の命を盾にすれば、はたけカカシは動く。そして、俺の命惜しさに侵入者を見逃すのではないか。
侵入者が逃げ切れるよう、はたけカカシ自ら道を作るのではないか。
他国から脅威とされる、その力で。
「道を開けろ。俺をこの里から出せ」
侵入者が鷹揚に言い放った。もちろん、その言葉は許諾されてはならない。
「はたけ上忍、駄目です!!!」
なのに、はたけ上忍は早く行けと言わんばかりに身を引き ―――
暗部達と対峙した。
この場に居る誰よりもこの男は強い。
「止めてくれ!!」
何故、仲間に刃を向けるんだ。
『仲間を大切にしない奴はクズだって、――カカシ先生が言ったってばよ!』
数ヶ月前、嬉しそうに目を輝かせながらナルトが言った。その言葉を聞きながら、どれほど俺は嬉しかったか。どれほど木の葉を誇らしく思ったか。
・・・それを、違えるというのか?!
その暗部達は敵じゃない。あんたが何よりも大切にする仲間じゃないか。
「はたけ上忍!!!」
駆け寄ろうと地を蹴った足がそのまま宙に浮いた。侵入者にまるで手荷物のように担がれる。
「離せ・・・っ!!!」
体が思うように動かなかった。悲鳴じみた声も・・・実際はなんと弱々しいのだろうか。折れた両腕の齎す痛みが、確実に体力を奪っていく。
(なんてことを・・・!)
これほど己の無力さを憎んだことはない。
暗部達が再び地に伏すのにものの十秒もかからなかった。だが、先ほどのように起き上がるものはいない。確かにあった暗部達の苛立った気配が今は微塵も感じられなかった。
「こっちだ」
はたけ上忍が侵入者に先立って走り始めた。
それは里への裏切りだと言う他なかった。
それをさせたのは他でもない、俺自身だ。男の俺に対する常軌を逸した恋情が、・・・男を裏切りへと促したのだ。
何故、あの時無理やりにでも薬を飲ませなかったのか。
そ知らぬ振りをする男をどうしてそのまま放って置いた?
(俺は馬鹿か・・・!)
俺は・・・あの時、安心したのではないのか?
解薬を飲もうとしない、俺への執着を手放そうとしない男に、その実安堵していたのではないだろうか。
男に全てを託す振りをして、・・・男のせいにするために、男が自分で飲むことはないと解かっていながら、あの解薬を置いて帰ったのではないだろうか。
(違う・・・!飲むと信じていた!)
己への疑惑に心中で反論をする。
あれ程辛がっていたのだ、飲まないはずがない。何より男自身納得して飲まなければ意味がなくて・・・、
ああ、と。絶望が喉を震わせる。
考える何もかもが言い訳でしかなく、今更だった。
戻 進
小説TOP
|