閃光
紅先生に呼び出された。
いつもの特別棟の一室に赴くとすぐに小さな瓶を渡された。
「約束の解薬」と紅先生は言った。
ゆるい風が汗ばんだうなじを通り過ぎる。
梅雨入り前の風は生暖かいはずなのに妙に薄ら寒い。きっと自分が思うよりずっと汗を掻いているのだろう。風が汗を冷やし体温を奪っていく。
(・・・夕飯何にしよう)
珍しく俺は一人でアカデミーを後にし帰路へ着いていた。
今日の七班の任務は午後から夜半過ぎまで、両親不在の子の守をするそうだ。
それなら夕飯も要らないか、民家から洩れる明るい灯りを横目に、ぼんやりと考えた。
ふいに、自分の思考のおかしさに気づいた。
「飯なんか、どうでもいいんだよ」
自嘲の言葉に苦笑が洩れる。
何が夕飯だ。そんなものはどうだっていい。次にはたけ上忍に会ってすることと言えば一つだ。
(・・・いつもと変わらない生活が出来るとでも思ったのか)
いつものように、俺に焦がれる男をしょうがないと取り繕いながら待とうとでもしたのか。一緒に飯を食い、風呂に入り、・・・あの腕に抱かれて寝ようとでも言うのか。
俺は既に男を正気に戻す手立てを持っている。
ポケットに手を突っ込み紅先生に渡された瓶の存在を確かめた。
これさえ飲めば男は正気に戻るのだ。
どういった経緯で紅先生がコレを手に入れたか詳しくは聞かなかった。ただ、例の旅商人を見つけたこと、その男が惚れ薬と対になる解薬の処方を持っていたことだけ聞いた。
そもそも惚れ薬というソレ自体極めて怪しい代物だ。今更、その解薬が本物か否かなど、直接その旅商人に関わっていない俺にはわかりようがない。
『一応試してみたから大丈夫よ。効果はあるわ』
先日より更にやつれた風情の紅先生の言葉を信じるしかなかった。
どうやって話を切り出すか、考えるべきは夕飯のことではなくソレだ。
二人で生活した十数日、惚れ薬のことを話すことはほとんどなかった。始めに、はたけ上忍からの牽制があったせいだろう。
薬のせいでおかしくなったんだと喚く俺に、はたけ上忍は、だから何だ、と突き返した。
怒気とも殺気ともつかぬ気配の乱れに背筋が冷え、それ以上に絶望を湛える瞳を眼前にし己の失言に気づいた。
以後、薬の話は極力避けてきた。
それでも何気ない会話の最中、例えば情事の後の睦言を交わしている時、不注意に薬のことを口にしたこともあった。責める気など毛頭ないのに、冗談の通じない男は辛そうに視線を落とした。
何より後悔しているのは男自身だということに気づかないわけにはいかなかった。
(怖がるな)
瓶を握った手の平にジットリと汗が滲む。
解薬の話をした時、男はどんな反応をするだろう。
己を乱す激情を手放せると安心するだろうか?
それとも、俺への恋情を手放すことに躊躇うだろうか?
話などせずに薬を何かに混入することも考えた。けれど、それをするのは俺が嫌だった。
他からの作用があったといえど俺に対するあれほどの真摯な態度を前に騙し打ちのような真似はしたくない。
今後、はたけ上忍との間に蟠りを残さないためにも、互いに納得する必要がある。
・・・そう、わかっているはずなのに、足が重い。
「情けねえ」
この解薬は、俺が望んだものだ。手に入れた以上、俺のするべきことは決まっている。今更、何を躊躇っているのか。
油断すれば止まりそうになる足に気合を居れ、男の家へと向かった。
「イルカ先生!」
もうすぐはたけ上忍の家だという時に、上から声がした。見上げる間もなく、砂を掠める小さな音をたてはたけ上忍が俺の前へと降り立った。
「迎えに行くところだったんです。良かった、行き違いにならなくて」
口布をずらし、男がはにかむように笑った。あまりにも艶やかなその顔に一瞬で目を奪われる。
「イルカ先生?どうしたの?帰りましょう?」
「・・・へ?あ・・・!」
呆けてしまい答えるのに戸惑った俺の手を、はたけ上忍は特に気に留めた様子もなく握り、早い足取りで家へと向かう。
引っ張られ、追いかけるように男の背に声をかけた。
「あの・・・!はたけ上忍、任務は・・・?」
「事情がありまして、切り上げです」
「は・・・・?」
口早に言うのと比例して男は歩くスピードもあげる。必然的に俺も小走りになってしまう。
焦るような男の行動に疑問を感じた時は、既に男は玄関の扉に手をかけていた。
「はたけ上忍?どうかしましたか?」
焦る手つきで家の中へと引っ張り込まれた。
尋ねると、男は少し照れくさそうに視線を横に流した。目元が淡く染まっている。
「時間が、あまりなくて。またすぐに出なくちゃならないから・・・」
「え?」
「少しでも長くあなたと一緒に居たかったので・・・、乱暴な真似してすいません。手、痛くないですか?」
「いえ、手は全然・・・」
痛くはないが。
手よりも別の場所の痛みをジワジワと思い出した。
(・・・早く言わなければ)
うっかり男のペースに巻き込まれそうになっている。言う頃合を見計らうようなことはするべきでない。
「ごめんね」
手は繋いだまま、けれど少し力を緩め、男は俺の顔を覗き込んできた。このままでは口付けをされかねないと身を引いたが、後ろの扉に阻まれ、あまり距離は変わらなかった。
それでも顔を背け、なんとか距離をとる。
「イルカ先生?」
その態度に、少しカカシ先生の声が翳った。それだけで、途端に気合が萎えそうになる。可哀相なんだか怖いんだか・・・。
俺が拒絶する態度をとる度に、男はいつも傷つき、激情をぶつけてきた。そこから逃れられたことなど一度もなかった。
男が激高する前に、なんとか話を切り出したかった。
解薬が出来たとさえわかれば、あとはどうにでもなるはずだ。
歯をくいしばり、覚悟を決めた。
「あの・・・、話があります!」
顔を戻すと、思ったよりもずっと近くに男の顔がある。この野郎、無断でキスしようとしやがった。
「・・・離れてください」
後へは退けないので、横へ体を傾けた。一緒に男の体も傾く。
「話をしたいんです」
「今じゃないと駄目ですか?」
「駄目です」
「・・・時間がないと言ったでしょう?」
ああ、そうだった。男は時間がないと焦っているのだ。少しでも長く居たいと健気なことを言っていた。
だが、俺にとっては好都合だろう。
時間がないのなら話を長引かせずに済む。そんな狭量な考えも今の俺には恥じる余裕もない。
「時間はいただきません」
目を見据えて言うと、男ははっきりと顔を強張らせた。
(悟ったか・・・?)
何を話そうとしているか、この聡い男なら気付くのも当然だろう。
男は一度ゆっくりと瞬きをした。色違いの双眸は、いつも対照的な深い淵の如き青と烈火の如き赤の色を宿している。
「わかりました。・・・話なら、家の中で聞きます」
男は顔を伏せると俺の手を放した。そのまま俺に背を向け、脚絆を脱ごうと腰をかがめた。
「いいえ、此処で結構です」
その必要はない。話などすぐに終わる。
男の体温が残ったままの手でポケットの中から解薬の瓶を取り出した。
「これを渡しに来ただけですから」
動き止めた背は振り向きもせず、俺の言葉を聞いていた。
「はたけ上忍がお飲みになった惚れ薬の解薬です。紅先生からいただきました」
思ったよりもずっと簡単に言葉が出てきた。
「解薬は、ここにおいて置きます」
備えつけの棚に解薬の入る瓶を置いた。これで、俺の話は終わりだ。後はこの解薬を男が飲みさえすればいい。
男は全くの無反応だった。
何を考えているのか、背を向けられているので全くわからない。ただ、男の気配に乱れを感じることはなかった。
恐れていたのは、解薬の話をした時に男が取り乱すことだった。その恋を手放せという事実に男が傷ついてしまうんじゃないかと、辛がるんじゃないかと、それが怖かった。
(・・・大丈夫そうだな)
案ずるより産むが易し、か。男の反応のなさにを見ると、俺はどうやら気負いすぎていたらしい。
安堵のため息が洩れそうになるのを瞼を閉じて耐えた。瞼裏は熱いが、それはきっと緊張のせいだ。
「では、失礼します」
もう俺に話すことはない。頭を下げこの場を辞そうとした。
「どうして?」
けれど、まるで当たり前のように引き止められた。いつもと変わらない男の声は、違和感以外の何者でもなかった。
「え・・・?」
驚き、顔を上げると、男は先ほどと同じ強張った顔で俺を見据えていた。
(・・・話を聞いてなかったのか?)
訝しむ俺に、男はいつものように手を伸ばす。反射的に跳ね除けた。
「もう俺に触れる必要はないでしょう・・・?」
「どうして?」
間髪入れずに尋ね返される。その声の平淡さが妙に恐ろしかった。
「解薬があるんです。だから・・・」
緊張が・・・・足元から這い上がってくる。それに言葉尻を奪われそうで・・・。
「あなたが何を言ってるのかわかりません。薬とあなたに触れてはいけないことに何の関係があるの?俺があなたを求めずに居られないのは、あなたが一番よくわかってるでしょうが」
わからないのは俺の方だった。
解薬を飲めば俺への恋情はなくなるのだ。それは、もう俺を求めずに済むということじゃないか。
男はそんなことすら理解できてないのか?疑問は浮かぶだけで答えは出ない。
動揺に強張る背がこれ以上退けないと知りながら後へと逃げた。
「はたけ上忍・・・?」
「ああ、それ。前から言ってるじゃない、いい加減、俺のことそうやって呼ぶの止めて貰えませんか」
(何を・・・)
男の言葉を半ば信じられない気持ちで聞いた。そんな睦言めいた会話を何故この場でするのか。
呼び名ほど、どうだっていいことはない。この話持ち出した時点でこれまでのような生活は既に終わっている。
次、この男に会うときは「はたけ上忍」と呼ぶほど似つかわしいことはないはずだ。
「呼び捨てで良いのに」
それでも男は場違いな会話を続ける。
混乱に何を言うべきかわからなくなり、ただ首を振った。
「ま、イルカ先生は律儀な人だから。呼び捨ては無理かもしれないけど、せめて「上忍」呼ばわりは止めてください。あ、「はたけ先生」もなしね」
否定の仕草は、決して呼び捨てを嫌がってのことではない。全くかみ合わない男との会話に耳を塞ぎたくなった。
ふいに、外から甲高い鳥の声がした。小さな、けれどはっきりと耳に届くそれは召集の合図だ。
事実、途端にはたけ上忍は僅かに眉を顰めた。
「もう少し時間があると思ったのにな」
一人ごち、先ほど緩めかけた脚絆の紐を再度締めなおす。全く動揺の見られない手つきに本気で焦った。
「ごめんね、イルカ先生。この話はまた後で」
「話はもう終わってます・・・ッ!!」
焦燥感に声を張り上げても男は動じなかった。一瞬だけ鋭い視線を寄越し、何も言わずに出て行った。
男の気配が完全になくなるのを確かめると、膝から力が抜けそうになった。へたりこみそうになる腰を何とか壁で支える。
(・・・どういうことだ?)
話が全く通じていなかった。
あんな・・・なんでもない振りをされるとは思いもしなかった。いつも恐ろしい程の激情を携えている男が、まるで凪いだ風のようで・・・。
「わからねえ・・・」
目の端に解薬の瓶が映った。それは橙色の灯りを鈍く反射し、黒い影を落としていた。
それを手に取ろうと腕を伸ばしたが、指が触れる寸前に、止めた。
これを置いていったところで、男が自ら服用することはないように思えた。
けれど、持って帰った所でどうしようもないのは確かだった。
これが必要なのは俺ではなく男なのだ。男も時間を置いて冷静にさえなれば、服用する気になるかもしれない。
(・・・動揺していただけなのかもな)
先ほどの男の不自然さを思い返した。あれは、驚きに反応を返せなかっただけなのかもしれない。
解薬は男にとって望むべきものに違いないのだ。。
いつも男は苦しんでいた。身のうちに留めて置けない激情に振り回される様は見ているのも哀れだった。
以前、男が飲んだのは『毒』だと思ったことがあった。胸を掻き毟るような苦しさは『毒』のせいだと。
その『毒』から解放されることを・・・・厭う理由はない。
男も直に気付くだろう。
そいつが「運が良い」と言うのなら、俺は「運が悪い」のかもしれない。
「・・・ッ!!!」
骨の砕ける衝撃が全身を貫く。痛みだけが思考を覆い視界は狭くなる。
(クソッタレ)
飛びそうになる意識を悪態吐いて繋ぎ止めた。
「とりあえずは、これでいいか」
満足げな男の声を受け顔を上げた。見知らぬ男が声と同様満足げに俺を見下している。
見知らぬ男の手は一方で俺の折れた腕を確認し、もう一方で鎖鎌の柄を握っていた。長い鎖は地面を這い、鎌の切っ先はまだ幼い首筋へ突きつけられている。
「・・・その子を離せ」
鎌の先が僅かだが赤い色に濡れている。俺の目の前で幼い命が死への危険に晒されていた。
「あんたさえ大人しくしてりゃ殺しはしねえよ」
言葉通り男は俺に一瞥くれると、鎖鎌で捕らえていた子供を、一時的に、解放した。
ドサ
と、草をなぎ倒す音を立て、幼い身体が地へとくず折れた。解放を理解できずに、ただ青ざめた顔でこちらを見ている。
(・・・腰が抜けたか)
当たり前だ。アカデミーの生徒と言っても、あの子はまだこの春入学したばかりだった。友達と紙の手裏剣で忍者ごっこをするのにようやっと相応しい年齢になったばかりの幼児だと言っても過言ではない。
それが、突然自分の命を見知らぬ男に握られたのだ。恐怖以外あの子は何を感じることが出来ようか。
「・・・るか、せんせ・・・・」
震える声が助けを求める。
出来ることなら、すぐにでもその震える体を抱きしめ、恐怖から庇ってやりたかった。
「大丈夫だから。そこを動くなよ」
けれど、現状はただ声を掛けるしかできない。
「すぐに助けが来るから。お前はそこで待ってるんだ。わかったな」
せめてこの子がこれ以上の恐怖を感じないで良いよう、努めて冷静な声を装った。頭上で見知らぬ男が皮肉ったように鼻を鳴らした。
「じゃあ、急がねえとな」
見知らぬ男は俺の折れた両腕を後に回し縄を掛け始めた。
折れた箇所を容赦なく掴まれ激痛が走る。
(・・・隙はないか・・・)
背後にある男の所作に神経を巡らせても、隙を見つけることは出来ない。
生徒の傍らに突き刺さる鎌は依然として存在感を放ち、妙な動きは許さぬと牽制していた。
「変な気を起しても、あんたの大事な生徒が死ぬだけだ」
内心を見抜くような男の言動が一層腹立たしい。
(応援はまだか)
腹立ちを奥歯で噛み締めながら、周りの気配に耳を澄ませた。
自分達の居場所を誰も気づかないわけがない。応援が来るのも時間の問題だと思った。
だが、周りに在るのは、侵入者と生徒と己だけで、後は風が木々や草をを擦る音だけだ。
雨雲を運ぶ風は独特の匂いと音を齎し五感を鈍らせた。
(ああ、クソッタレ)
何とかこの現状を打破できる手立てはないか、考えても出てくるのは悪態だけだった。
その日、朝から職員室内はいつもと変わらぬ喧騒で、皆忙しなく働いていた。いつものように授業に追われ、僅かな休憩時間も授業の準備に追われ、一息吐けたのは昼休みも半ばを過ぎた頃だった。
今更忙しいと思う程もない、穏やかとも言える日常だった。少なくともその知らせを聞くまでは。
午後の授業が始まり、そろそろ眠気が教室全体に充満し始めた頃、俄か隣の教室が騒ぎ出した。不思議に思っていると、すぐに呼び出され、隣のクラスの生徒が一名居なくなったと聞かされた。
授業のボイコットなどよくある事で、昼休みが終わったのにも気づかず裏山ででも遊んでいるのもよくある話だ。
そんなことで担任以外が呼び出されることはなかったが、この時俺の他に2名がその子の捜索を命じられた。
異様な緊張感が走る。
居なくなった子は、普段から真面目で大人しい性格の男児だった。
それと同時に里への侵入者の存在を聞かされ、質を取られたかもしれないと、その可能性を示唆された。
俺と他2名、すぐさま手分けして捜索に当たった。
その子と侵入者の関連性は全くないと言う、ならば何処かでサボっているだけの可能性ももちろんあった。
けれど、何処にも見当たらないばかりか、誰一人、その子を見かけたものはいなかった。
俺が普段は立ち入ることのない鬱蒼とした森に足を踏み入れたのは、そろそろアカデミーが終了時刻になる頃だった。
徐々に焦りが芽生え呼吸が乱れる。
森は一人で捜索するには広すぎた。闇雲に走り回っても意味はないかと引き換えそうかと逡巡した刹那、助けを求める小さな声を拾うことが出来た。
互いの存在に気づいたのは、俺よりもその侵入者の方が早かった。
俺が気づいた時は既に侵入者はこちらを見据え腕に抱く子供の喉に鋭い切っ先を突きつけていた。
(こんな側に・・・!)
侵入者との距離は僅か数メートル、瞬きすら確認できるほど近い。
「その子をどうする」
「あんた次第だ」
侵入者の浅黒い腕に力が込められ、生徒の身体が締め付けられる。生徒は苦しげに喉を鳴らした。
「逃げられると思ってるのか」
質を取られているとはいえ、現状では侵入者の方が分が悪い。
忍の里に立ち入り、狼藉を働き(何をしたかは知らないが)、あげくに里の最も尊ぶべき幼い命を奪おうとするこの男を、木の葉は決して許しはしない。
既に存在を表立たせた男には、何処までも追手が付くだろう。
けれど、侵入者は口を釣り上げて笑った。
「ガキの一人や二人、取るに足らねえだろうに。何を躊躇う必要がある。ガキの命より俺を捕まえる方が先決じゃねえのか」
真意を図りかねる言葉だった。そう思っているのなら、質など取るはずはない。
背を嫌な汗が流れた。
「出来ねえよなあ、あんたには。まあだからこそ、多少のリスク背負ってもこのガキ連れて来たんだがよ」
この男は、決して己の分が悪いとは思っていない。
ふてぶてしい顔で挑発の言葉を吐いた。
「何が言いたい・・・っ」
「ガキの命が惜しけりゃ、見逃せ。それが出来ねえなら殺す」
切っ先が幼い喉を引っかいた。
「止めろ!!!」
「俺もこう見えてヤケっぱちでなあ。・・・どのみち逃げられねえのなら、このガキに付いてきてもらうのも悪くねえ。死なば諸共だとも言う」
「見逃すことは出来ん!」
「ならばガキには死んでもらうまでだ」
血の赤が筋を作るのを横目に見た。全身を総毛立つような怒りが湧き上がる。
「交渉を!!」
男の動きがピタリと止まる。僅かに目を眇め、「・・・ほう」と深く唸った。
「交渉を申し入れるっ!」
「何だ?」
「俺を連れて行け」
「・・・あんたが変わりに人質になるってのか?」
話のわかる男のようだ。
しばらく何も言わず、嘗め回すように俺の全身を眺めた。
要求を受け入れられる可能性はないに等しい。人質としての価値は、俺よりか弱い生徒の方にある。
苦肉の策だった。
自分一人では手出しが出来ない以上、応援を待つのが得策だろう。そのために時間稼ぎをする必要があった。
「俺は運が良いな。・・・いいだろう、こっちに来な」
だが、侵入者はその要求を呑んだ。
(運が良い・・・?)
「正直、このガキ担いだまま逃げるのはキツい。あんたなら、足手纏いにはならねえだろう」
それが本音とは到底思えなかった。けれど、現に侵入者は生徒から切っ先を離した。
俺から交渉を持ちかけ、それを相手が呑んだ以上、迷うことは出来ない。訝しみながらも、侵入者に近づいた。
侵入者が待ちきれないとばかりに俺の腕を引っ張った。
「俺は運が良い」
ニヤリと笑って、同じ言葉を繰り返す。
「・・・ハッ!!!」
そのまま腕を砕かれた。
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