恋に落ちる



「俺、病気かもしれません」
ひどく真剣な面持ちで目の前の男が言った。
男のいつにない落ちこんだ様子に俺も不安になる。この男、一見軟弱そうに見えるが実は誰よりも強靭な肉体を持っているのだ。
風邪ひとつひいたことがないと、以前得意そうな顔で言っていたのを思い出した。
ああ、でも。
そういえば、普段健康な人ほどに、いきなり大病を患ってポックリ逝くものだ。
風邪などは年に一度くらいはひいとけと医療忍の爺さんが言っていた。
「ど・・・どこが悪いんですか・・・?」
俺が動揺してどうするんだと思いながらも尋ねる声が僅かに震える。
男の様子は普段を変わりはないように見えた。言われなくてはどこか患っているとは思えないが顔色だけは悪い、いつも以上に。
「胸が・・・」
「む、胸?まさか心臓・・・?あ、あんたこんなところで酒飲んでる場合じゃないですよ!!」
男はギュっと胸のあたりを手で抑えた。
「ヒィ!発作が!!は、はやく病院に・・・」
慌てて立ちあがった拍子にカウンターの徳利が倒れたが今はそんなことに構ってられない。
胸を苦しそうに抑える男のほうへ行き、とりあえず背を擦った。
「大丈夫ですか?立ちあがれますか?」
「・・・・俺、やっぱり病気なんだ・・・」
「カカシ先生・・・・、病院で検査してもらったわけじゃないんですよね?」
「はい」とまるで子供のように男は頷いた。
「いつから、そうなんですか?つい最近ですか?」
背を擦りながら、男の顔を覗きこむと、男の息遣いが不規則なのがわかった。
「・・・わか、りません。気づいたら、なんか胸の辺りが変で。こう、モヤモヤするっていうか。キリキリするっていうか。たまに、心臓鷲掴みされたみたいな感じもするし・・・。それに、会えない時はいっつも考えてるし。考えてるときは決まって、こう胸がおかしな感じで。あー、昨日はすっごい可愛い顔して笑ったなぁとか、怒ってるのに、への字に結んだその口元はやっぱり可愛いなぁとか。意外に腰が細いとか。それで、・・・そういうこと思い出してたらどんどん心拍数上がってきて、体がカーっと熱くなるし・・・」
「・・・カ、カカシ先生?」
「とにかく変なんです。だって、一日中そんなこと考えてるんですよ。考えて、胸が痛くなって。だったら考えなきゃいいのに、気づいたらもうそればっかで・・・・。夢にまで出てくるんです。しかも真っ裸なんです。そんなの現実じゃ見たこともないのに。・・・ねぇ、おかしいでしょう?それで朝起きたらもう必ずと言って良いほど勃ってるし。こんなの初めてですよ。思春期の時だってこんなに頻繁じゃなかった」
男は心底憔悴した様子でツラツラと語る。
カウンターの上で手を握り締め、時折苦しそうに眉を顰めた。
いつのまにか俺達の後にはカカシ先生の臆面もない告白に何事かとる酔っ払い達が群がっている。
けれどカカシ先生は喋るのをやめない。
「ねぇイルカ先生、俺、何の病気なのかなぁ・・・?」
「カカシ先生・・・っ、それは」

カカシ先生

それは

あんたが不安がるその気持ちは

「にーちゃん、そりゃ恋患いだなぁ〜〜」

ワハハと笑いながら酔っ払いの一人が口を挟んできた。
その声にカカシ先生は驚いたように顔をあげる。
「恋?」
カカシ先生はキョトンとした顔で声の主を一瞬見やり、俺へと視線を動かす。
何かに怯えているような顔で。
目を不安そうに揺らしながら。

ああ。
この人ほんとにわからなかったのか。

「恋ですよ」

誰かを想い胸を痛め夢にまで見る程焦がれるその気持ちは、紛れもなく。

「恋なんです」

男にとっては初めてなのかもしれない気持ちに、その不安を取り除くように、俺はきっぱりと宣言をしてやった。
「・・・でも・・・」
「でも?なんです?」
「だって男だし・・・・、恋、とか、そういうのって普通は男女の間にしか成立しないものなんじゃ・・・」
・・・・・・。
・・・・・男・・・・・?
そうか・・・・、それでカカシ先生は気づかなかったのか。
この人にとって「恋」という単語を目にする機会はもしかしなくても「イチャイチャパラダイス」のみだろう。
あれは若い男女を主人公に繰り広げられるラブロマンスだった。
きっと男に大してそういう感情が芽生えるという現象が実際にこの世にはあるということを知らないのだろう。
けれど、カカシ先生のショッキングな告白に俺は一瞬どう返していいかわからなかった。
「やっぱり病気なんじゃ・・・」
しまった。
俺の戸惑いを見て、カカシ先生はまた辛そうに顔を歪める。
「あ・・・、やっ、あの・・・」

「にーちゃん、好きになるのに性別は関係ねーぞ〜」

焦る俺の後から、また酔っ払いの野次が飛んだ。
この酔っ払いども、絶妙な間合で会話に切りこんでくるな。

それにまたカカシ先生がピクリと反応する。
「・・・ほんと?」
そして俺を不安そうに伺う。
「ほ、ほんとです!ほんと!性別なんかクソくらえです!!」
周りの野次に押されるように、俺も必死で言い募った。
「男も女も関係ありませんよ!そりゃ大抵の場合、男は女性に対して恋心を抱くものですが、あくまでも一般論です!!王道があれば外道があるというのが人の世というもの!何も恥じることはありません!むしろ喜ばしいことです!!」
「・・・あ、・・・そ、そう、なの?」
「そうです!」
カカシ先生の真正面からキッパリ言いきってやった。
ああ、一気に捲くし立てから息が切れる。
ハァハァと肩で息をする俺をカカシ先生は呆然と眺めていた。が、じょじょにその不安そうな目は嬉しそうな色を浮かべ始めた。
ただまだ戸惑っているのだろう、伏目がちに顔をふせる。
「どうしたんです?病気じゃないんですよ?あなたは正常です」
「イルカ先生は・・・嫌じゃない?俺男なのに・・・」
ちょっと意外だった。
カカシ先生はあまり周りを気にする方ではない。むしろ無頓着に見える。
例えどんなに周りに揶揄されようが、この人は自分の信じた道を突っ走るだろう。
短いながらもカカシ先生と話すようになりその人柄を知るうちに、俺はカカシ先生をそういう人だと考えていた。
しかも、卑下するわけではないが一介の中忍如きの俺の意見を気にするなど、意外と繊細な面もあるのだと驚いた。
(少しは気にしてくれてるのかな)
ただの部下以上には俺のことを考えてくれているのだろうか。
それは、嬉しいと思う。

 

けれど。

 

「そんなの、嫌なわけないじゃないですか。カカシ先生、そんな心配そうな顔をしないでください。大丈夫です」
俺がそういうと、カカシ先生はやっと不安げな表情を取り払った。
「そっか・・・。そう、なんだ。大丈夫、なんですね」
「はい、大丈夫です。大丈夫、大丈夫」
大丈夫、そう繰り返すと、カカシ先生はフンワリと笑った。

花が咲き誇るようだ

そんな表現がぴったりの顔をして、カカシ先生は頬を染めた。

「いやー、めでてーーなーーー!よーーっし、にーちゃんの恋の前途を願って、かんぱーーい!!」
酔っ払い達が各々後ろで勝手に杯を上げた。
「乾杯」「乾杯」とそこかしこから上がる声に、カカシ先生は律儀にお礼をしている。
そんな喧騒の中に身を置きながら、俺はそれを遠くに感じていた。


胸が痛い。


カカシ先生の赤く染まった耳が銀色の髪の間からチラチラと覗くのを眺めながら、胸が痛むのを感じた。

誰かを想って耳を染め、誰かを想って苦しげに息を吐く。

そんな姿を見せつけられ、いつもと違うその姿から視線が逸らせなかった。

 

カカシ先生、

あなたが今誰かを想いその胸を焦がすのと同じに

俺の胸がこんなに軋むのも


きっと、恋なのだろう。


あなたに恋をしているのだろう。

 


 

小説TOP