長い夢





「好きです。付き合ってください」
うっすらと目のふちを染め、ためらいがちに、けれど真摯な面持ちで自分に告白をする男。
まるで純情を絵に描いたような様は、その男に全く似つかわしくなく、俺は背中に悪寒を走らせながら、
「嫌です」
きっぱりとお断りをさせていただいたわけだが。

今思えば、この時この告白を受け入れてさえいれば、俺はこんな目に合わなくて済んだのかもしれない。

「好きだっつてんのよ。俺と付き合いなさいよ」
まるで親の仇の如く俺を睨みつけながら俺の胸倉を掴む男。
これが1ヶ月前、俺の背筋を凍らせた純情野郎だなんて・・・。
あれはあれでキツイものがあったが、今の状態よりも数段ましだ。
あの告白には少なからず俺に対する敬意や優しさが窺えた。俺を大切にしてくれるだろう気合を感じた。
なのに今は・・・、
「イテェ!」
俺の胸倉を掴んでいる男は俺が返事しないのに焦れたのかいきなり頭突きをかましてきた。
「『痛い』じゃないよ。あんたは『嬉しい、イルカもカカシさんが大好き』って言うんでしょ」
しかも淡々と気持ちの悪い台詞を言う。
イルカも、って・・・。
どこの世界に自分のこと名前で呼ぶような二十歳過ぎた男がいるんだよ、気持ち悪ぃ!
いや、それよりもどうしたら頭突きかましときながら『嬉しい』『大好き』と言われるなど考えるのだろう。
この場合発する言葉など
「ふざけんな、変態!」
に決まっている。
「なんだと?」
ギリギリと胸倉を締めつける手に力が込められてきた。俺の身体は重力から開放され、カカシ先生を上から見下ろすハメになった。
下からギラギラとした目で睨みつけられる。
はっきり言って恐ろしい。
さすがは上忍、全身から噴出するチャクラは受付の窓をも震動させる勢いだ。
俺の横に座っている同僚も、さっきから一生懸命目を合わせないようにそっぽを向いて(でも逃げる度胸はないらしい)、
判子の手入れをはじめた(普段はそんなことしないくせに!)。
「・・・く、くるし・・・っ」
締めつけられる首元に息を吸うのも不自由になってきた。俺が必死でカカシ先生の腕をパシパシと叩いているのに、
当の本人といえば相変わらず殺気をこめて俺を凝視している。
その目には俺に対する好意など見当たらない。
1ヶ月前、俺はカカシ先生をふった。
キッパリと。
それに関して俺は悪かったなどとは思わない。
カカシ先生が男というのはもちろん、ある。
けれどそれ以前に、カカシ先生と俺は知り合い以下の関係でしかなかった、という部分が大きい。
2・3度会釈したことがあるぐらいの上司にいきなり「好きだ」と言われ、どうしてそれを受け入れることなど出来ようか。
しかも俺はカカシ先生のような何を考えているかわからないタイプが苦手なのだ。
忍のくせに、と言われはするが、だからこそと思う。
普段、アカデミーの子供の些細な感情の変化を見逃さないように全神経を集中させている俺は、プライベートにもそれを
持ちこみたくはない。というか、無理だ。

それに、カカシ先生はもう俺のことを好きではない。

この目を見ろ。
なんて憎しみの込められた。

後から聞いた話によると、カカシ先生は振られたことがないらしい。どころか、自分から交際を申し込んだことはないそうだ。
カカシ先生は立っているだけで女性は放っておかず、食っちゃ棄てを繰り返していたらしい。
それでもカカシ先生はそれが許されている。
例え彼女をカカシ先生に寝取られようと、それの男は涙の呑んで「仕方ない」と呟かせてしまうような、いい男、なんだそうな。
けれどそんないい男だからこそ持っているプライドも一流で。
俺の如き一介の中忍に惚れてしまった上に振られたりなんかしてしまったものだから、大層そのプライドは傷ついてしまったらしい。

け!みみっちい!

思わず眉をしかめたくなるような狭量さだ。
カカシ先生は、俺に振られた自分を認めたくなくて、あれからもしつこく、しかも横柄に俺に交際を申し込んでくるのだ。

「何考えてんの?」
酸素が不足して白ばむ視界とにんどん意識が遠のくを感じながら、カカシ先生を見た。
キツイ殺気には、やはり慣れない。
けれど、・・・ふと、カカシ先生の殺気が緩んだ。
(・・・・ぁ!)
と思った時は既に、カカシ先生の死体みたいに白い指先に、俺の鼻血が一滴、落ちた。
(さっき、頭突きかまされたときの・・・)
やたら痛いと思ったが、そうか鼻血まで出ていたのか。
酸素が不足した頭では、鼻血が出ていることなど認識できなかったようだ。
腹が立つ気もしたが今更で、それよりも。
カカシ先生の指はあまりに白いので、赤黒い血で、汚してしまった、というような罪悪感にふと苛まれそうになった。
(いかん、いかん!)
なぜ被害者である俺がすまないなどと思わなければならないんだ!
慌てて首を振ろうと思ったが、いかんせん首から上が不自由な状態なので無理だった。
けれど、ふいにその拘束が緩まった。
両手で俺の胸倉を掴み上げていたカカシ先生だが、片手を、俺の鼻血が落ちたほうの手を離したのだ。
必然的にカカシ先生は片手で俺を掴み上げていることになる。(大した馬鹿力だ)
そして、
(ギャ!)
その指を口布の上からではあるが、唇にそっと押し当てた。
(汚ねぇ!)
つい今まで殺気を撒き散らしていたくせに、今はまるで陶酔したような目で、愛しいとでもいわんばかりに指先に
唇を寄せている。
「・・・・・・・・・、ぁ、あの?」
俺はカカシ先生の拘束が緩んだことも忘れ、その光景に見入ってしまった。
この男は、一体何をしているのだろう・・・・?
カカシ先生の行動は、理解できないというよりも。
(恐い)
全身に鳥肌がたつような恐怖を感じた。
受付処の空気も、まるで凍ったようにシンと静まり返っている。
「イルカ先生、鼻血出して嬉しがっちゃって」
「あ、・・・いぇ、嬉しがっているわけじゃ・・・・」
断じてない、のだが。
カカシ先生のあまりに異様な仕草に(鼻血に口付けって!)、本能的な警戒心か強く言い返すことが出来なかった。
呆けた俺を椅子の上に降ろすと、カカシ先生はそのまま、いつものように無表情に受付処から出ていった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
受付に居た全員がそんなカカシ先生を無言で見送り、俺に同情するような眼差しを投げかけてきた。
「・・・・イルカ、ド、ドンマイ」
俺の横で判子の手入れをしていた同僚が引き攣った顔で親指を立てるのに頷くことしかできなかった。
この1ヶ月、万事がこんな調子だ。

 


「イールカせんせーーー!!」
アカデミーの廊下を歩いていると、後から聞き覚えのある威勢のいい声がかかった。
声の主は誰かと考えるまでもなく、俺の大好きな元教え子で、自然と緩む頬をなんとか抑えながら、次にくるだろう衝撃に
両足をふんばった。
ナルトはいつも俺を見つけると一目散にかけてきて、体当たりでもするように全身で俺にしがみついてくるのだ。
それがナルトの何よりの信頼の証のようで、すごく、嬉しい。
「俺、今日の任務も大活躍だったってばよ!」
腰にガシっとしがみつきながら見上げてくるナルトはほんとに可愛い。
たまらず黄色のヒヨコのような髪を撫でると、ナルトは「子供扱いすんなってば!」と言いながらも、ニシシと笑いながら俺の手を跳ね除け様とはしなかった。
(あー今日はいい日だなぁ)
天気もいいし、残業もないし、受付の業務もないし、何よりカカシ先生が今日は1度も俺の前に現れていない。
1ヶ月前までは当り前にあった日常が、今の俺にはとんでもなく幸せだと感じる。
「ナルト、これから一楽行くか?」
「行く!」
気分が良いついでにナルトを誘うと、すぐさま返される肯定の言葉にやはり笑みは抑えられなかった。
二人で並んで歩きながら、ナルトは今日の任務について多少大げさに自分の武勇伝を語った。
はしばしに「カカシ先生」の言葉が出てきて俺をビクつかせたが、ナルト曰くカカシ先生は任務帰りにガイ先生と出くわしたらしい。
(しめしめ)
と、俺は内心ほくそ笑んだのは言うまでもない。
ガイ先生に捕まったのなら、今日いますぐには俺の前にカカシ先生は現れないだろう。
俺はますます気分を良くし、スキップでもしかねない勢いで一楽へと急いだ。

なのに。

鼻歌もそこそこに、俺は思いっきりすっころんでしまった。否、転ばされた。
「あんた、それでも中忍?ほんと間抜けだよねー」
上から降り注ぐ声に、不覚にも涙が出そうになった。
今日は大丈夫と思ったのに・・・っ!
クソゥ、よりにもよってナルトの前で恥じかかせるような真似しやがって!
「ギャハハ!イルカ先生、ドジだなぁ」
「ねー、ほんとこの人ドジだよねぇ〜」
ナルトはとても素直ないい子だ。しかしそれ故に残酷でもある。
ナルト・・・おまえの大好きなイルカ先生が転ばされてるってのに笑うなよ、先生傷つくじゃないか。
しかも、何でカカシ先生と息投合してんだよ。
(気にいらねぇ)
ムカつくが情けない顔を上げられなくて突っ伏したままでいる俺に反してカカシ先生はいたくご機嫌な声色だった。
「こんな鈍臭い忍みたことないね。何もないとこで躓くなんて」
おいおい、あんたが上忍スピードで俺の足をひっかけたんだろ。俺じゃなくても、転ぶ忍はきっと山ほどいるさ。
「こんなんで今まで生きてきたってんだから、奇跡だよ」
奇跡って・・・。
俺だって中忍といえどそこそこではあるんだ。しかしエリート上忍を前にして、現に地面に突っ伏している今の俺には何を言っても説得力はない。
悔しさに歯噛みしていると、さすがにナルトもおかしいと気づいた様子で俺の弁護を始めた。
「カカシ先生、そこまで言うことないだろ!イルカ先生はなぁ、鈍いけど頑丈だからいいんだってば!」
鈍いけど・・・・?
「頑丈、ねぇ。でもね、ナルト。おまえももうガキじゃないんだ。ちょっとの油断でも命を落としかねないことぐらい充分解ってるでしょ。この人の鈍さはね、命とりなの。里の外じゃ通用しないの。はっきり言ってダメダメなの」
「な!イルカ先生はダメなんかじゃないってばよ・・・っ!」
「ダメなんだよ」
えらくドスの効いた声で宣言されてしまった。
もう落ちこむよりもどうでもよかった。
あー早くどっか行ってくれねぇかなぁ、この暇人。
「でもね・・・」
俺の願望とは裏腹にカカシ先生は俺の髪を引っ張り無理矢理顔を上げさせた。
「安心しなさい。俺があんたを囲ってあげるから。どんなにグズでも鈍くても、俺が側で世話焼いてあげるから大丈夫だよ」
ほら、そんな不安気な顔をしないで、と。
相変わらずドスの利いた声でカカシ先生は言う。
「イルカ先生は俺が守るんだってばよ!」
違う方向からナルトの喚く声が聞こえるが、カカシ先生はもう聞いちゃいない。
「あんたはほんと運がいいよね。俺に出会えてほんとよかったね」
「あんたに出会ったことが俺の人生最大の不幸です」
きっぱりと言い返すとカカシ先生は見えている右目をピクリと動かした。
みるみる殺気だつ瞳に、俺は思いっきり変な顔をしてやった。
俺に出来る反撃なんて、それくらいしかなかった。


 

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