長い夢
「・・・・お前、顔色が汚いぞ?大丈夫か?」
「・・・・・・・・・・・・」
同僚の口さがない軽口にもうまく切り返すことができない。
俺はそれぐらい疲れていた。
しかし無視するのは可哀想なのでとりあえず横目で睨んでやる。
あー俺って優しいなぁ。
「・・・わ、悪かったよ。そんな目で見ないでくれ。夢に出そうだ」
同僚はほんとに顔色を青くして俺から目を逸らした。そんなに俺の顔は不気味かよ。
「だから悪かったって・・・。ったく、昨日からはたけ上忍任務でいないんだろ?
何そんなに疲れた顔してんだよ。ここぞとばかりに羽伸ばすんじゃないのか?」
「はたけ上忍」その単語にビクついてしまう。もう条件反射のようなものだ。
はたけカカシ=俺の恐怖
ここ1ヶ月余りですっかりこの数式が成立してしまった。
「おまえこの日をずーっと楽しみにしていただろ?何なら有給とってもいいぞ?
そんな顔して教壇たってたら生徒が怯えちまう」
「・・・・いやだ」
「あぁ?」
「・・・家に帰りたくない」
「・・・はぁ?なんでだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
同僚が問うのも当然だ。
俺はカカシ先生が任務で里外へ出るのを楽しみにしていた。
それはそれは楽しみしていた。
目に付くカレンダーすべてに花丸をつけ指折り数えてこの日を待っていたのだ。
周りの人間は時折急に笑い出す俺に不審な目を投げつけていたが、そんなのはどうでもよかった。
『カカシ先生が居ない』
考えるだけで頬が緩む。
俺はカカシ先生が任務に出る一週間ほど前からずっとニヤニヤしっぱなしだったと思う。
今度こそナルトと一楽行くかな〜。たまにはサスケはサクラと賑やかにってのもいいな〜。
同僚達と仕事帰りに一杯ってのもいいよな〜。
いや、こういう時こそこの1ヶ月余りで溜まった部屋の掃除しないとな〜。
んで、綺麗な部屋で一人月見酒ってのも中々乙だな。そしてそのまま何も考えず・・・・、
そう!
何も考えず!
しこたま眠ろう!!
カカシ先生の恐怖に脅かされずにここぞとばかりに眠ってやろう!!
などと、楽しい予定をたてていたのに・・・・。
「クッソ――――・・・ッ、写輪眼めぇぇぇ〜〜〜〜!!」
机上の書類を握り潰して俺は唸った。
俺の怒りの震動で机がガタガタと揺れている。
「イ、イルカ!どうした!落ちつけ!!」
「これが落ち着いていられるか?!ええっ?!どう落ち着けって言うんだよ!!俺が何をした?!」
同僚の胸襟をひっつかんで揺さぶった。
(あんなに楽しみにしてたのに・・・・!!)
やりきれなさに涙さえ出てくる。同僚は白目になりながら俺の八つ当たりを受けていた。
昨日の夕方のことだった。
その日一日、カカシ先生の不在を俺は全身で喜んでいた。
アカデミーの廊下をスキップで往来し、すれ違う人々に投げキッスを送った。
生徒達はいつにもまして可愛く、授業中に発言した生徒にはミュージカル仕立てで賛美した(それが間違っていようとも)。
まさにこの世の春だった。
自由って素晴らしい。
神様ってきっと居るんだ。
アーメンアーメン、超アーメン。
「何やってんの?」
だのに、片膝ついて天に祈りを捧げている最中、突如悪魔が耳元で囁いた。
「ッヒ!!!・・・・ヒィィィ〜〜〜〜〜!!!!」
それは神に裏切られた瞬間だった。
振り返るとカカシ先生がほくそ笑んでいた。
夕暮れ時の光が教室の窓から差し込み、男の銀色の髪を赤く染め上げる。それは魔の色だった。
逢魔が時
そういうに相応しい空の色をした夕暮れ時だ。
「悪霊退散、悪霊退散」
ブツブツと口の中で呟いても眼前の魔がビクともしなかった。心底バカにした顔で俺を見下ろしているだけだ。
(今日から任務じゃなかったのかよ・・・っ?!)
今日があの赤丸のついた日だということは何度も何度も確認したはずだ。
職員室で何度も時報に電話する俺に同僚は「いい加減にしろ」と花瓶を投げつけた。花瓶から水が零れ花が舞い散る。
そのキラキラとした光景の美しさに酔いもした。
「どうして・・・」
絶望が口から滑り落ちる。
「何が?」
「任務・・・」
「ああ、今から行きますよ」
え?今から?朝からじゃなかったの?
(しまった、早合点しすぎたか)
カカシ先生が里に居るというのにのうのうと過ごしてしまった。今更ながら冷や汗を背中がつたう。
しかし、今からというからには、やはりカカシ先生が里を空けるのも事実なのだ。
まさかもう任務終わって帰ってきたんじゃないかと思っただけに、安堵の気持ちが広がる。
「任務行く前に、愛しいあんたに俺の顔を見せとこうと思って」
「はぁ」
そんな心遣い全然必要ないのに。
よっぽど口走りそうになったが、この時の俺はいつもより心が広かった。
もうすぐ始まる真のパラダイス(カカシ先生が居ない!)を思うと、これから過酷な任務に赴かなければならない男には同情する。
わざわざ不愉快にすることもないだろう。
気持ちよく男を送り出してやろうと思った。
「あんたおっちょこちょいだから、俺が居ない間大変だろうね。可哀相だから忍犬一匹置いてってあげる」
いちいち恩着せがましい言い方をする。
しかも何だって?忍犬?
「四六時中あんた見張っててあげるから、感謝しな」
見張るって、おいおい。
男の言葉にゾクリと背が粟立つが、それよりも今は一刻も早くこの男を任務へ見送ることが先決だ。
「お気遣いいたみいりま・・・」
早く去れと言葉裏に願いを混め、気力で笑顔まで作ったというのに。
はたけカカシは俺の前で巻物を取り出しサクサクと印を切り、ナニかを召還した。
ボワンと大げさな煙幕とともにナニかが実態を表す。
俺はひきつった笑顔を更にひきつらせるハメになった。
(・・・キ、キャァアアアアアーーーーー!!!!)
ナニかを目の当たりにし、あまりの恐怖に頭の中で悲鳴があがった。
「この子、ドロシーちゃん。可愛がってあげてよね」
カカシ先生がそのドロシーちゃんの頭を撫でながら俺に紹介した。
俺はそれを気を失いそうな思いで眺めていた。
(ドロシーちゃんこえぇぇぇーーーーー!!!!)
カカシ先生の召還したドロシーちゃんは、土佐闘犬だった。
四つんばいで優に俺の胸元ぐらいの身の丈がある。立ち上がったら俺よりデカイだろう。
全身から闘気が噴出しているかのような息の荒さで、床に大粒の涎をボタリボタリと落とした。
かつてこれほど恐ろしい動物に出会ったことがあるだろうか。いやない。
「カ、カカカカシ先生・・・・」
「アハハ、震える程喜んじゃって」
「ちがっ!!」
いや、そうじゃないけど、ちょっと待って。ドロシーちゃんから手を離さないで。
あろうことかカカシ先生は腕組みをして漫然と微笑んでいる。
「俺が帰ってくるまで、ドロシーちゃんと仲良くね」
それは無理だ。
ガクガクと首を横に振った。
だって、見ろこのドロシーちゃんを!!
完全に獲物を捕らえる目付きで俺のこと見てるぞ!獰猛な歯をむき出しにして俺を威嚇してるよ!!
「ちょっと噛みぐせのある子だけど、あんた頑丈だから大丈夫だと思う」
思うってなんだよ?!適当なこと言わないでくれ!!
ジリジリと体勢を低くしドロシーちゃんが近づいてくる。その鋭い目つきは逸らしたら最後、きっと飛び掛ってくるに違いない。
俺は文字通り蛇に睨まれた蛙状態で一歩も動けないでいた。
「なるべく早く帰ってくるけどさー」
「いや、カカシ先生、ちょっと待って」
「うん。そういってくれるのは嬉しいけど、任務だし。あんなに喜んでるイルカ先生に水注すのも気がひけるし」
(アワワワワワ…)
やはり、カカシ先生は怒っているのだ。
どうもおかしいと思った。あの暇さえあれば俺を虐めにくるカカシ先生が今日は一度も顔を出さなかった。
なので俺も早朝から任務へ赴いたとばかり思っていたのだ。だからあんなにも嬉しがっていたのだ。
しかし、男は里に居て、俺の様子をちゃっかり見ていた。きっと不愉快だったに違いない。
ドロシーちゃんはそんな俺に対するカカシ先生の意趣返しに違いなかった。
ザーッと血液の下がる音が聞こえる。
マズイ。本当にこのまま任務に行かれたら、この上なくマズイ。
(・・・食い殺される)
この男なら、それぐらいのことはこのドロシーちゃんにさせかねない。
「ごめんなさい。本当に悪かったです。だから行かないでください」
(どうかドロシーちゃんをその巻物の中に帰してください)
俺はドロシーちゃんに睨まれながらひたすら懇願した。
けれど、視界の端でカカシ先生が笑う。
「後ろ髪ひかれるねえ。でも無理。さーて、任務行こう。ドロシーちゃん、この人をよろしくね」
ドロシーちゃんは喉の奥を鳴らしながらそれに答えた。
ボタリとまた涎が落ちる。
「カカシ先生・・・・ッ!!」
必死になってカカシ先生を呼んだ。ドロシーちゃんを止められるのはカカシ先生しかいない。
「ねえ、イルカ先生。俺の無事を祈ってなさいね」
恐怖と混乱の大波に揉まれながら、ふいに、カカシ先生の声だけが、まるで凪のように穏やかに聞こえてきた。
(え?)
その声色に反射的にカカシ先生を振り向いた。今にも俺に襲いかかろうとするドロシーちゃんから目を逸らして。
(・・・しまった!)
後悔した時にはもう遅い、ドロシーちゃんの床を蹴る足が視界の端に写る。
それでも、一瞬だけ、カカシ先生の顔がいつものあの皮肉った顔じゃないのがわかった。
「俺の無事を祈って」
無情にもカカシ先生はそう言い残すとボフンと消えた。
「ギャァァァァーーー・・・・」
断末魔の悲鳴はもちろん俺のものだ。
飛び掛ってくるドロシーちゃんをすれすれで交わし、俺もまたアカデミーの教室から姿を消した。
そして、今朝までずっと俺はドロシーちゃんに追い回された。
さすがはカカシ先生の忍犬、ものすごい嗅覚と持続力と殺気を持ち合わせている。
中忍如きの俺がよくぞ今まで生きていられたもんだと、前にカカシ先生に言われた事を身を持って実感した。
「・・・で?そのドロシーちゃんは?」
同僚はけなげにも白目になったまま俺の話を聞いてくれた。言うだけ言うと俺も少しばかりは気が晴れる。
「知らん」
同僚の襟から手を離し椅子に腰かけ直した。横では同僚はゲホゲホと咽ている。
今朝、ドロシーちゃんはアカデミーまで俺を追いやると、ふいとどこかに消えてしまっていた。
いつどこから現れるかわからないので終始気を張ってはいるが、なんとなく仕事中は大丈夫なような気もする(根拠ないけど)。
「今日こそは寝たい・・・・」
「そういやおまえ昨日はどこで寝たんだ?ずっと逃げ回ってたのか?」
「そうだよ。悪いか」
「・・・おまえ、ある意味すげえな」
「ハハ。この顔を見てそう言うか」
寝ていないのはたった一晩だが、ずっと走りっぱなしで気力体力ともに限界です。
気を抜いたら飛びそうになる意識を無理やり繋ぎとめ、俺は次の授業の準備を始めた。
「イルカせんせー!さようならー!!」
元気よく教室を飛び出す生徒達を見送りながら、俺も職員室に戻るかと窓の戸締りを確認した。
けれど、突如耳をつんざくような悲鳴が廊下からあがった。
「イルカ先生!!イルカ先生っ!!!」
さっき出て行ったばかりの生徒達の声だった。生徒達の俺を呼ぶ声に反射的に廊下へ飛び出した。
廊下の空気は異常に張り詰めている。
俺を呼んだ生徒達の他、廊下には終礼の終わった他クラスの生徒達も多い。普段ならキャッキャと生徒達のはしゃぐ声で溢れるはずなのに、
今は皆青ざめ声も出せない様子でただ震えある一点を見つめていた。
ドロシーちゃんだった。
「・・・イルカせんせ・・・」
俺を呼んだ生徒が震えながら俺の手を握った。
廊下の向こうから、ドロシーちゃんがノシノシとやってくる。
生徒達は無言でドロシーちゃんに道を譲った。
けれど、一人だけ恐怖に腰を抜かしてしまった生徒が居た。必然的に大柄なドロシーちゃんの道を塞いでしまう。
その子の今にも泣き出しそうな弱い空気がドロシーちゃんの威圧的な空気に混じる。
考えるよりも先に体が動いた。
「うぉぉぉ!!」
叫ぶと同時に腰を抜かした生徒を抱え上げた。
(ヒィィィ〜〜〜〜〜!!!)
途端に空気が変わった。
それまでドロシーちゃんはただ歩いていただけだったが(それでも充分恐ろしい)、俺を見るなり目に獰猛な光が宿った。
体勢が低くなる。
まるで昨日の再現映像でも見ているかのようだ。
(チクショウ、チクショウ、チクショウ)
俺は生徒を抱え上げたまま廊下の窓から飛び降りた。
「うわぁぁぁぁああああん!!!」
すぐ後ろからドロシーちゃんも俺を追いかけて飛び降りた。これが泣かずに居られるかってんだ。
「助けてくれーー!!!」
「ギィヤアァァァァ!!!」
俺の助けを求める声と道連れを食った生徒の泣き叫ぶ声がアカデミーの校庭にこだまする。
なのに、誰も俺を助けちゃくれなかった。
「バカ!!こっち来んな!!!」
「逃げろーー!!」
「イルカ、その子だけはこっちに渡せ!!」
「ヒィィ〜〜〜!!!」
生徒だけの身柄は無事確保してくれたが、俺をドロシーちゃんから解放してくれる輩は誰一人存在しない。
絶望的だ。
アカデミーにはそこそこの忍が居るはずなのに。
皆、さっき廊下達で青ざめていた生徒同様(かもしくはそれ以上)、恐れおののいた様子で俺がドロシーちゃんに追いかけられながら
アカデミーの門を潜り抜けるのを見送った。
カカシ先生が任務へ赴いて二日目、やっぱりドロシーちゃんに追い回され眠ることすら出来なかった。
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