エンジェルマン




空が青い。雲が白い。嗚呼、なんていい天気。
(・・・どうしよう)
俺は沈んでいた。この上ないどん底に居た。
昨晩、カカシ先生と今日こそはと決意し挑んだセックスで、俺は土壇場でカカシ先生を蹴飛ばした。
もうすげえよ、俺。
相手はあのカカシ先生だぞ。はたけ上忍だぞ。写輪眼のカカシだぞ。
そんな男に蹴りを食らわせ壁に叩きつけてしまったのだ。よくも出来たもんだと自分でも吃驚だ。
実践ならまず無理だろう。
あの人と手合わせなどしようもんならものの十秒であの世逝きだ。
(カカシ先生・・・)
俺に蹴飛ばされたカカシ先生の呆気にとられた顔が脳裏に焼きついている。
余程不意打ちだったに違いない。
いつもは眠たげに半分下がってるような瞼がこれでもかという程かっぴらいて俺を凝視した。
とんでもないことをしでかしたと焦る心とは裏腹に、カカシ先生意外に目がデカイなぁなどと妙に感心してしまった。
「あ・・・わ、わ、すすすすすいません!!!!」
必死で頭を下げた。立ち上がるカカシ先生の気配と同時に立ち込める張り詰めた空気。
ぶっ殺される。
瞬時にそう判断した。
何度か呼吸を繰り返し、ゆっくりと俺に近づいてきた。
カカシ先生の白い足先が目に入り、このまま蹴り上げられても仕方がないと思ったが、カカシ先生は俺の肩に優しく手を置いた。
「顔、あげてください」
今更どの面下げてカカシ先生と対峙すればいいんだ。
俺は一層頭を布団にこすりつけた。布団の上では失礼だと思い、畳に座りなおしまた頭を下げた。
「イルカ先生、謝らないでください」
「ですが・・・!」
「イルカ先生、顔を上げてください。悪かったと思うなら、ちゃんと顔をあげて」
そう言われれば顔をあげるしかなかった。
恐る恐る伏せた顔を起こせば、カカシ先生の困ったように微笑む顔があった。
てっきり素っ裸のままかと思ったが、いつの間にかバスタオルを腰に巻いていた。助かる。
「俺が怖いですか?」
その問いにどう答えていいかわからなかった。
怖いと正直に言ってみても、それはカカシ先生を傷つけるだけのような気がする。
「・・・いいえ」
「じゃ、嫌い?」
「嫌いじゃないです!」
この問いにはすぐに答えられた。
カカシ先生のことはちゃんと好きだと思う。
「んー」
カカシ先生は眉を下げ苦笑した。
「謝るのはね、多分俺の方。あんたが怖がってるのわかってるんだけど、どうも抑えが効かなくて」
俺もまだまだだねぇ、とカカシ先生は笑う。
その言葉に消え入りそうになった。
カカシ先生は何も悪くない。
いつも土壇場で逃げ出すのは俺だ。どうしてカカシ先生はこうも優しいのだろう。自分の不甲斐なさを罵られた方がよほどマシだと思う。
自分に非があるのに、それを償わせて貰えないのは辛い。
申し訳なさマックスで俺はまた畳に額を擦りつけた。

(しかし、よく許してくれたよなぁ・・・)
あの後、さんざん謝った。
もういいからと何度も言われたが、俺の気が済まなかった。優しく背を撫でられ、涙がこみ上げてきそうになった。

「縛りつけていいですから、最後までやりましょう!」

そう言うと、それまで背を撫でていたカカシ先生の手が止まった。

「そういう事は言うな」

誰の声かと思った。
カカシ先生のこれまで聞いたことがない低い声音。聞いた瞬間、その低さに背筋が冷えた。
けれど、驚いて顔を上げてもそこにあったのは先ほどと同じ眉尻のさがった優しげな苦笑だった。
(あ、れ・・・?)
「カカシ先生?」
「ね、イルカ先生。俺はね、あんたとやりたいけど、それだけじゃないの。それだけじゃ足りないのよ。わかる?」
「はぁ・・・」
曖昧に頷くと、カカシ先生が俺の肩先に頭をのせた。
「あんた全然わかってないよね。ほんとわかってない。縛りつけて嫌がるあんたを無理やり犯して、そんなことしたって俺は虚しいだけじゃない。
 そんな悲しいこと言わないでよ」
確かに、その通りだ。
自分の言葉の浅はかさを知った。
縛り付けて嫌がる相手に突っ込んで楽しいことがあるものか。
そんな下賤な真似をカカシ先生に提案してしまった。
自分のあまりの情けなさに唇をかみ締めた。
「ごめん、お風呂借ります」
カカシ先生はそのまま顔を見せず、風呂場へと消えた。


「イールカー、おーい」
「あ?」
よく知った同僚の声に呼ばれた。
「なんで屋上なんか居るんだよ。捜したじゃねーか」
「ああ、ごめん。給水タンクの点検してた」
嘘ではなかった。ボーっとはしてたが。
日に数度、給水タンクの検査を行う。
一つは毒物を混入されていないか確かめるため。
もう一つは、
「いい加減、買い換えろってんだよ、このボロタンク」
すぐに亀裂が生じるこのタンク及び配水管を修理するためだ。
同僚が軽く殴っただけで軋むほどボロいタンクに木の葉の財政の厳しさが窺える。
「使えるんだからしょうがないだろ」
「使えるっていうのか、これが」
ブツブツと文句を言う男は、昔からの馴染みで今も共にアカデミーで教鞭をとる。
「ああ、来週末の懇親会どうする?原則全員出席だけど、おまえ大丈夫か?」
同僚の顔が気遣わしげに変わる。
「懇親会か」
そういえば、もう三ヶ月になるだろうか、飲み事に参加しなくなったのは。
久しぶりに飲みたいかもな〜。
「行くよ」
その返事に同僚はますます眉を顰めた。
「・・・無理しなくてもいいぞ。おまえ・・・」
三ヶ月前までなら、この同僚からこんな台詞は聞けなかっただろう。
内勤業務には常に飲み事が付き纏う。やれ、正月だ節分だ花見だ盆だ月見だ忘年会だの年中行事の他、歓迎会送迎会冷涼会、各々の部署での懇親会。
他にも、外勤連中が戻ってきたら飲み、外勤に着くことになる連中のために飲み、更には結婚式だの法事だの。
まあとにかく飲む。一年中飲む。
これが嫌で外勤に立候補する者も少なくない。
また、これのため体を壊すものも少なくない(そして肝臓休めのため外勤へと赴く)。
そんな中、俺は内勤になり長い。
一度も体を壊さず、出来る限りの飲みごとには出席する。周りからは鉄の肝臓を持つ男とすら言われている。
そんな俺のことを知ってる奴等は俺が飲み事に欠席するのを許さないのだ。
もちろんそれはキツイ時もある。
が、三ヶ月前まではそれでも「まぁ、いいか」くらいの心持でなんとかなっていた。
なにより俺自身飲むのが好きだと言うのがある。好きだというか負担に感じないのだ、別に。
酔っ払いに絡まれるのもお手の物だった(俺も酔っ払いだし)。
歌えと言われれば歌うし踊れと言われれば踊る。
こういうのが本当に苦手な奴等もいるもので、そういう奴等の代わりにも踊る。
人間持ちつ持たれつなのだ。
元来お調子者の俺は、そんな感じで木の葉の宴会部長になりつつあった。
だが、三ヶ月前、俺を悲劇が襲う。
そしてその悲劇をこの同僚は俺と一緒に目の当たりにしたのだ。
その日、俺はなんとなく体調が優れなかった。微熱があるようで、体のふしぶしがダルイ。食欲も湧かない。
おかしいなと思いつつも仕事を休む程ではなく、仕事をしている内にそう言った体調の悪さも忘れていた。
何の気なしに便所に行き、偶然この同僚に出会った。
二人並んで用を足していたのだが、・・・・俺はそこで自分の出す尿の色に絶句をした。

「け!・・・・血尿!!!」

横で同僚が叫んだ。
俺の小便が見事な鮮血と化していたのだった。真っ白な便器をおびただしい血の色で染まる。
まるでスプラッタ映画でも見ているかのようだ。
尿に血が混じっているのではなく、俺の尿が血だった。
「・・・キャァァァァァ!!!!!」
俺はあまりの恐ろしさに叫んだ。横で同僚も叫んでいる。
便所は一気に地獄へと様変わりだ。
俺達の悲鳴に何事かと駆けつけた奴等も俺の血尿を目の当たりにし悲鳴を上げた。
忍者といえど、やはり日の元でみる鮮血は恐ろしいもので。
しかもそれがチンコから出るとあっては男面々揃って気を失う程の出来事だった。
そして俺は病院へ運びこまれた。
鉄の肝臓を持つ男。
そう言われる俺だったが、腎臓は至って普通だったのだ。
検査の結果、血尿のインパクトの割りには体は健康そのものだった。
ただ腎臓を働かせすぎという診断を貰い、俺は医者から禁酒を言い渡されるはめになった。


「ほんとに大丈夫なのか?」
あの時の惨状を思いだしているのか、同僚はほんとに心配そうだ。
「おう。あれ以来血尿も出てないし。そんな飲まなきゃ大丈夫だろ」
本当に、体は健康そのものなのだ。なぜあの時あんな血尿が出たのか不思議に思う。
「まあ・・・お前がそういうならいいけどさ。一応出席にしとくわ」
同僚はまだ心配そうだったが、そのまま出欠表片手に屋上から離れた。

・・・三ヶ月かぁ〜〜・・・・

あの血尿のおかげで、飲み会を尽く免除された俺は暇になった。
それまで何かと気にかけていたナルトも手を離れてしまったのも同時だった。
急に色んなものが自分から離れていってしまったようで、少し、俺は淋しかった。血尿の恐怖もある。
そんな時、知り合って間もないカカシ先生に夕飯を誘われた。
近所の定食屋で飯を食うだけだったが、一人侘しく飯を食うよりはずっと良かった。
カカシ先生は上忍の割には腰が低く、俺の話にも終始ニコニコと相槌を打ってくれたりする。
なんていい人だろうと感動し、その後カカシ先生に夕飯を誘われる度に喜んでお供した。
そして気が付けば今の状況だ。
(こういうことってあるんだなぁ〜・・・)
青い空を眺めつつぼんやりと思いを馳せた。
今の状況は俺の血尿なしには在り得なかっただろう。
血尿のおかげで俺は暇が出来、カカシ先生の食事にもお供することができた。
正直言うと、カカシ先生が俺の何処を気に入ったのかわからない。
多分、タイミングの問題だったんじゃないだろうか。
俺もカカシ先生も、何かのタイミングがピタリと合ってしまった、ということではないだろうか。
カカシ先生側の事情はわからないが、そうでなければカカシ先生が俺に懸想するなど奇天烈なことが起こるはずがない。
自分を卑下しているわけではない。それだけカカシ先生が凄すぎるだけだ。
タイミングというものは恐ろしい。
俺としては今の状況は嬉しい限りだが、カカシ先生にしてみればどうだろうか?
(良くない・・・のではないか)
己への問いかけに答えはすぐに出る。いつも思っていることだ。
カカシ先生は、俺と付き合っていて何か一つでも「付き合っていて良かった」と思うことがあるだろうか。
付き合って三ヶ月、体すら与えられない。
秀でたものがあるわけでもない。能力も容姿も性格も、人並みなのだ。
胸の奥が重く疼く。
最初から不思議だった。俺にはカカシ先生に与えられるものがなにもない。
好きだと言われた時、俺はそう告げた。捲くし立てるように自分の欠点を上げ連ね、その上でカカシ先生に問うたのだ。
それでもいいのか、と。
その時のカカシ先生の顔は良く覚えている。
キョトンとした顔をしていた。
それでもう一度言ったのだ。

「あんたが好き」

一歩、俺の方へにじり寄り、腕を伸ばした。
後頭部を引き寄せられた。カカシ先生の額宛に俺の額宛が小さくぶつかる音がした。
「好きなんだ」
目を上げると、小さく震える銀色の睫があった。
それを目にし、何かが胸の奥にストンと落ちた気がした。

思い出すたびに胸が小さく軋む。
この時の泣きたくなるような気持ちは一体なんなのだろうか?
恋に落ちるとよく言うが、これがそうだろうか。
けれど。
そうだったら、悲しい。
カカシ先生は非常にデキた男だ。俺と一つしか歳が変わらないにも係わらず、風格すら漂っている。
マメで優しく穏やかだ。声を荒げるところを見たことがない。
飄々としている節があるが、それもまた格好良い。
家事も万能だ。
俺など下手すれば上げ膳据え膳状態だ(それだけは何とか押しとどめてもらってるが)。
とにかく凄い。
凄すぎて悲しい。
何も返せない自分が悲しいのだ。

 

そして、あんなことをしでかしたにも関わらず、カカシ先生は今夜もいつもと同じで穏やかだった。
「外でご飯食べるのもたまにはいいですね」
店先で腹を摩りながら言うと、カカシ先生はやんわりと微笑んだ。
最近では口布しててもその表情はわかるようになったが、最初はよほど大げさに表現してもらわないとわからなかった。
例えば目をかっぴらいたら、「お、驚いてるな」とか。
目を線になるほど細めていたら、「お、笑ってるな」とか。
その程度だった。しかもカカシ先生がそんな表情をすることは滅多にない。
口布を外したカカシ先生と過ごしているからこそ、今の俺は口布をしていてもその表情が読めるようになったのだ。
「イルカ先生のご飯の方が美味しいけどね」
微笑んだままそう言われ、一気に頬に血が昇る。
「めめめめ滅相もございません!!」
(タラシだ!この人天性のタラシだ!!)
言葉のソツのなさも、柔らかな微笑みも、こんなの普通できることじゃあない。
あまりの恥ずかしさに大げさに手を振り回してその言葉を否定した。
「本当なのに?」
振り回す手首を掴まれ、カカシ先生が顔を覗き込んでくる。ゆるりと描いた弧が楽しそうに俺を見つめてくる。
恥ずかしさに居たたまれなくなった。
自慢じゃないか、俺うみのイルカ25歳中忍独身野郎、男に甘やかされたことなどない。
こういう時ってどういう風に切り返せばいいんだろうか。わからん。
覗き込んでくる視線から逃げようと必死で何か言葉を捜した。
「わ・・・わ、あ、あの!カカシ先生、今週末ってそういえば・・・!」
ふと、昼間のことを思い出した。内勤組で懇親会をするのだ。当然カカシ先生の耳にも入っているだろう。
「今週末って・・・懇親会があるみたいだけど・・・」
案の定カカシ先生は若干顔を離して怪訝そうな顔をした。
「イルカ先生は免除でしょう?」
カカシ先生は俺の血尿事件を知っている。それ故に全ての飲みごとを断っていることも。
「そう、なんですが・・・今回のは原則全員参加のようなので、俺も出席しようかと思いまして」
「・・・大丈夫、なんですか?」
カカシ先生の眉間に僅かな皺が寄せられる。きっと心配しているのだろう。
血尿で落ち込んでいる俺を実際に見ていたカカシ先生ならば心配しないわけはない。
「大丈夫です!!皆俺が血尿なのは知ってるはずなので無理に飲ませたりはしないでしょう!それに・・・」
懇親会にはカカシ先生も行くだろうし。そんなに心配しなくても良いはずだ。
けれどカカシ先生は難しい顔をして黙り込んでいる。
「俺、その日任務入ってるんですよね」
「へ?」
「懇親会、俺行けないんですよ」
「そう・・・なんですか?」
「そう。だから、心配。あなた皆に可愛がられてるから、飲まされちゃうんじゃないかすごく心配です」
ありゃりゃ。
てっきりカカシ先生も行くもんだとばかり思ってたからなあ。そうか、来ないのか。残念。
「可愛がられてるっていうより、あれはからかわれてるんですよ。それか乗せられてるか。俺すぐ調子のる性質なんで」
安心させようと笑いながら言ったが逆効果だったようだ。カカシ先生は大きなため息を吐いた。
「そんな余計心配になるようなこと言わないでよ・・・」
まるで世を憂いているかのような表情だ。たかが飲み事に出席する如きで・・・。
「・・・そんな心配しなくても、女子供じゃないんですし。大丈夫です、酒は飲みませんよ」
何か心に引っかかった。俺とて立派な成人男性だ、そんな子供みたいな扱いを受けるのは、何か違う気がする。
それでも、本気でカカシ先生が落ち込んでるっぽかったので、なんとか笑い顔を作ってカカシ先生を慰めた。

その後、特に何事もなくカカシ先生と別れ帰路へと着いた。
珍しくもキスもなかったな。
ぼんやりとカカシ先生のことを考えた。
常々何かおかしいとは思っていた。カカシ先生の俺に対する態度について。
俺のことを好きなのだろう、それは・・・わかる。嘘や出任せが生業の忍び、その中でも特上の男だが、俺に対する好意は嘘でないのはわかる。
だからこそ、わからない。
一体何を見てカカシ先生を俺にそんな好意を持ってしまったのかがわからない。
カカシ先生の好意にはある種の気迫を感じる。無償さとでも言えるのか。
尽くすことが好きな性質なのかもしれないが、それにしてもおかしい。
この間のナルトの言葉を思い出した。

『天使みたいだって・・・・』

(天使?)
ゾクリと背が震えた。
たまにカカシ先生はまるで崇めるかのように俺を見る時がある。触れることに躊躇っているような素振りを見せることがある。
セックスだって・・・、俺が痛がると絶対に止めてくれる。
それを優しさだと思っていた。優しい穏やかな男なのだと。
(・・・違うのか?)
優しい男ではあるだろう。けれど、なぜそんなに優しいのかを考えると、ナルトのあの言葉がピッタリと嵌る気がした。

もしかして。

もしかして、カカシ先生俺のこと本気で天使のようだとでも思ってるんじゃ・・・・。

何を勘違いしたのかしらないが、・・・カカシ先生は俺を本気で天使のようだとでも思っているとしたら。
冷や汗が額から滲み出る。
もしそうならば、カカシ先生の態度も納得できる。
崇めるかのような・・・、ようなじゃない、崇めているんだ。
天使のようだと崇拝し、触れてはならないと自分を戒める。

(・・・落ち着け俺。こんなバカな話があるか)

こんな想像、するだけでカカシ先生に失礼だ。カカシ先生はただ優しいだけなんだ。情の深いだけの男だ。

心内で冷静になるよう自分に言い聞かせる。
カカシ先生が俺を天使のようだと崇めるだなんて。

あまりにもバカげている。笑えない程おかしな話だ。

 


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