夜明け前 前編





「脱走患者がいたぞーー!!」

声の方が先だった。突然の叫び声に、なんだ、と思った時には既にカカシ先生の周りには真っ白い人垣が出来ていた。
(医療部隊?)
背負う「医」の文字に突如現われたこの来訪者達の正体を知る。
でも、何故だ?なんでカカシ先生が医療忍に囲まれているんだ?
しかも医療忍達は皆ピリピリとしている。
「・・・勝手に抜け出して何処に居るのかと思えばこんな所に。捜すのにどれだけ費やしたと思ってるんですか」
その中の一人が丁寧に、しかし怒気を孕んだ声で言った。
俺は机から身を乗り出してそっちを窺ったが、カカシ先生はソファーに寝転がってるのでどうなってるのか見えやしない。
ただ医療忍達の背中が見えるだけだ。
「直ぐに病院に戻っていただきます」
カカシ先生の沈黙に医療忍は先ほどより苛立った声をあげる。それでもカカシ先生は無反応なようだ。
(ど・・・どうなってんだ?!)
突然の事態に驚いたが・・・要するにアレだな?カカシ先生は病院を脱走したんだな?
医療忍達の会話に男が此処に至る経緯を察する。

そうか、脱走・・・・。

ん?脱走?

あの人確か自分で「退院した」って言ってなかったか?
でも、・・・違うんだよな、この状況は。脱走なんだよな?ってことは、つまり、まだ入院してなきゃ駄目な状態ってことだよな?
一週間前の男の姿がフラッシュバックする。
まるで死人のような顔色の悪さでベッドに横たわっていたのだ。絶対安静だと言われていた。
瞬時に血の気が引く。
ああやってソファーに寝そべっているのだって、座っていられないくらい体がキツイんじゃ・・・。
「カ、カカシ先生!!!」
居てもたってもいられずカカシ先生に駆け寄ろうとした。
「ギャ!!」
しかし前には机が在ったのを失念しており、勢い込んで机ごと床に倒れこんでしまった。先ほど集めたばかりの書類が辺りに散布する。
だが気にしている場合じゃない。早くカカシ先生を病院に連れ戻してもらわなければ!
「・・・あんた、何やってんの?」
心底呆れたような声がした。顔を上げると医療忍達を押しのけカカシ先生が俺の方へ歩いてきていた。
「カカシ先生!悠長に俺なんか構ってる場合じゃないですよ!早く病院へ!!」
「えー?」
嫌そうに顔をしかめながらカカシ先生が俺の前で腰を落とし、手を差し伸べて来た。
その指先の白さは不健康そのものに見えますます不安が募ってしまう。
「顎、赤くなってる」
撫でるように白い指先が俺の顎に触れた。
「思いっきり打ったんじゃないの?なんで中忍なににこんなのも避けられないわけ」
確かにこんなデカイ障害物(机)を避けられない俺は間抜けだろう。しかしそんなのは今はどうだっていい。
「カカシ先生!体は、だ・・・大丈夫なんですか?辛いところは?!」
「ん?」
カカシ先生が腰を落とし俺を覗き込んでいるので起き上がるに起き上がれない。床に這いつくばったまま、カカシ先生に言い募った。
その間にも白い指先はずっと俺の顎を撫でている。
少しこそばゆい。
「俺のことそんなに心配?」
「当たり前じゃないですか?!」
カカシ先生の問いに間髪要れずに即答する。心配じゃないとでも思ってんのか?仮にも恋人だろ?なったばかりといえど恋人の体心配するのは当たり前で・・・。
(ぅ、わ・・・)
急に、自分の思考が恥ずかしくなった。俺は何を臆面もなく恋人などと・・・。
目の前に迫る顔から思わず目を逸らした。好きだと自覚したばかりなのだ。そんな相手に顔を覗きこまれ顎を撫でられるなんて、駄目だ、恥ずかしすぎる。
「あんた顔赤いよ。顎だけじゃなくて顔面も打ったわけ。ほんと、ドジだよね」
「や、そ、そうですね!その通り!」
恥ずかしさに苛まれ、カカシ先生のいつもの悪態にも怒るどころじゃない。心臓が凄い勢いで早鐘を打ち始める。
(ヤバイ、ヤバイぞ、これは)
額から汗がにじみ出る。この異常な程の緊張感は何だ?いくら好きだと言ってもこんなに緊張することはないだろう。
「ちょっと、・・・ほんとどうしたわけ?」
カカシ先生が不審げに俺の顎(打った箇所)を掴む。思わずその指を跳ね除けてしまった。
パシ、と乾いた音がする。
呆気にとられたようなカカシ先生の顔に瞬時に自分のとった行動のマズさに気づく。いくら恥ずかしくても跳ね除けるべきではなかった。
「い、痛いです・・・!」
慌てて言い訳じみた言葉を吐いたが、そんなのは嘘だ。今の俺には痛みを感じる余裕はない。
だが・・・眼前の男は俺のそんな心中の葛藤を察してくれるような優しい男ではなかった。
ギロリと音がしそうなほど鋭い眼光で俺を睨みつけ再度指を伸ばしてきた。
思わず目を閉じた。
きっとこの男なら患部を容赦なく抓るぐらいはする。告白しならが俺に頭突きかますくらいは平気でする男なのだ。
怒らせてしまった以上何をされるかわからない。
だが。
覚悟していた痛みはこない。
(・・・・あれ?)
恐る恐る目を開けると、カカシ先生の指が寸前で止まっていた。
何か難しい顔をして俺を見ている。
(カカシ先生・・・・?)
怒っているのか、何なのか・・もしかして、どっか痛いとか・・・。完治していない体はやはりキツイのでは・・・。
「あの、早く病院に戻った方が・・・」
カカシ先生の後ろには医療忍達が苛立たしげにこちらを窺っている。一応、カカシ先生が上忍ということに敬意を払っているのか、力ずくで連れ戻そうとはしない。
けれど、これ以上は待たねーぞという空気は辺りに充満している。
「後ろの方々もお待ちのようですし・・・」
言うと、カカシ先生はスイと俺から目を逸らし後ろを振り返った。
「あんたがそう言うなら、戻るよ」
医療忍達から安堵の息が洩れる。カカシ先生はそのまま立ち上がり、出口へと向かった。医療忍達がその後ろをゾロゾロと付いて行く。
その様子はとてもじゃないが『連行される脱走患者』には見えない。妙にふてぶてしい。
「カカシ先生・・・!」
受付所から出て行く寸前、慌ててカカシ先生を呼び止めた。
病院に戻ってくれることには安堵しているのだが・・・何だ?変な焦りが胸に競りあがってくる。
いつもと違う男の態度が気にかかった。
「何?」
俺の呼びかけに、カカシ先生は一応足を止めてくれたが振り向きはしなかった。
自分で呼び止めておいて何だが、何を言いたかったのかわからなかった。男の声が固い。怒っているのかもしれないと思った。
「お、お気をつけて・・・・」
なので、妙に間の抜けたことを言ってしまった。


病院へと続く夜道を急ぐ。業務が終了すると同時に受付を飛び出したが、それでも民家の灯りはまばらでそろそろ里全体が寝静まろうかという時間帯だ。
(謝らなければ)
その思いに追い立てられるように地を蹴った。
カカシ先生が病院に戻ってしまった後、猛烈な後悔に襲われた。一言、どうして謝らなかったのか。
照れているだけだとどうして言わなかったのか。
指を跳ね除けた時、カカシ先生は確かに怒っていた。なのにいつものように怒りを俺にぶつけて来なかった。
散らかした机や書類を片付けながら、男の怒りがいつもと違うことに気づいた。
カカシ先生は多分驚いたのではないか。
好きだと言いながら、俺はカカシ先生の指を跳ね除けてしまった。
カカシ先生のことを「嫌い」だと叫んでいた頃のように。いや、それ以上に容赦なかったかもしれない。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。
照れて好きな相手を拒絶するなど・・・一体どこのお嬢さんだよ。
(情けねえ・・・)
きっと傷つけた。
俺に触れる寸前で止まったカカシ先生の白い指先に胸が痛む。男が躊躇う姿など見たことがない。
何をしても、何を言ってもへこたれなかった男が、あの時は躊躇した。固い声が男の戸惑いをあらわしているようで・・・。
好きだとようやっと自分の気持ちを自覚して、これまでの暴言を謝ろうと決めたばかりだったのに。
謝る前に更に男を傷つけてしまった。
(カカシ先生・・・!)
目前に迫る病院の建物にカカシ先生の姿を想う。
無事、なんだよな・・・?
退院ではなく脱走したということだったが、それは脱走するぐらいには回復したってことだよな?
元気になったから、さっきはあれだけ受付で騒げたんだよな?
そう言い聞かせても、だが、と反論する。
元気ならばどうして医療忍達がカカシ先生を連れ戻そうとした?まだ回復してないからじゃないのか?
「チクショウ・・・!」
考えてもカカシ先生の姿を見ない限り答えを出すことは出来ない。
「カカシ先生ーーー!!」
勢い込んで病院になだれ込むと、
「うるせえぞ、うみの!!今何時だと思ってやがる!!」
中年の医療忍に怒鳴られた。


『面会時間:8時〜20時迄』

「おまえ、これが読めるか?」
中年の医療忍がカウンターの横に張られてある張り紙を指差す。
「読めますが・・・そんな」
面会時間20時までだなんて。そんなにとっくの過ぎてるじゃないか。あんたこそ今何時だと思ってるんだ。
「そこを何とか」
「駄目だ。明日出直して来い」
「それじゃ遅いんです!」
すぐにでもカカシ先生の無事な姿を確かめたいんだ。そしてさっきは手を跳ね除けて悪かったと謝らせて欲しい。
「お願いします。カカシ先生に面会させてください」
頭を下げても中年の医療忍は考えることすらしてくれなかった。
「駄目だ」
ニベもなく言い放つ。なんて冷たいんだ。
その上、シッシと猫にでもするように手で払われた。
しばらく見つめてしまったが、中年の医療忍は頑として頷こうとはしない。
(・・・困った)
強行突破も考えたが、ここは病院だ。他の患者に迷惑をかけることは憚られる。
「さっさと帰れ。奴ならとっくに寝たよ」
「そう、ですか・・・。あの、カカシ先生の様態は・・・」
「ああ?一週間前にも言っただろうが。チャクラ切れだ」
え?だって一週間寝てたんだろ?しかもさっきあれだけ元気そうだったじゃないか。
疑問を口に出さずとも、中年の医療忍は察してくれたようだ。簡単に説明してくれた。
「やっと体が動かせるようになった途端に脱走しやがったんだよ。便所行くのがようやっとの癖して何考えてたんだかな。無理して動き回って、で、あの様だ。今は死んだように寝てるよ」
(無理を・・・)
胸が痛んだ。
やはり無理をしていたのか。そうまでして俺に会いに来てくれたのか。
(また、怒らせてしまうのか)
俺が見舞いに来ないとあれ程憤っていたのだ。出来ることなら、カカシ先生が目を覚ます時は側に居たい。
これ以上怒らせたくはなかった。
それでも規則は規則。
この中年だって業と会わせまいとしているわけじゃない。
「また明日来りゃいいじゃねえか。何か伝言ありゃ伝えといてやるよ」
現に厳しい顔をしているが、言っている内容は優しい(ような気がする)。
伝言・・・。
すぐにでも会いたかったが、今はそれは叶いそうもないのなら、この中年の医療忍の言葉に甘えるしかないだろう。カウンターの横に備え付けてあるメモ用紙にカカシ先生への伝言を書くことにした。
今伝えたいこと、それは謝罪の言葉しかない。

『本日の非礼を心からお詫び申し上げます  うみの』

書いた内容を確認する。
が、あまりに堅苦しい気がした。駄目だ、却下。これじゃ事務的すぎる。

『ごめんなさい  イルカ』

新しく書き直してみた。
(・・・これしか浮かばねえか)
少し馴れ馴れしいかもしれないと思ったが、さっきのよりはマシだ。
メモ用紙を破り、中年の医療忍に手渡した。
「これを、お願いします」
「はいよ」
中年の医療忍は受け取るとすぐにカウンターの中へと戻っていった。もう俺の相手をする気はないようだ。
それでもしばらくはその場から動く気になれなかった。
(早く明日にならねえかなあ)
出来ることなら、カカシ先生があのメモを見なきゃいいな、と思った。明日の朝まで目が覚めなければいい、と。
あんな伝言ではなくやはり直接言いたかった。
今更だがアレだけでは素っ気ないかもしれないと不安になる。
(せめて、日付と時間を要れれば良かった)
そうすれば、俺が見舞いに何時来たかくらいはカカシ先生に知らせることが出来たのに。
そんなセコイことを考えながら、トボトボと病院を後にした。






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