アンコール



なんとなーく、なんとなくよ、ほんと、ちょっとした気の迷いっていうか、物珍しさっていうか。
普段は澄ました顔して受付に座って、何があっても眉一つ動かしやしない、俺を見てもお愛想笑いの一つもしないあんたが、
酒に酔っ払ってグデングデンになってるもんだから。
いつもピンと伸ばしてる背筋を丸めてさ。
アスマのくだらない話にバカ笑いして、目に涙まで浮かべて。
だから、ちょっと興味を惹かれたのよ。
あーこんな顔もするんだって新鮮に思ってね。他にはどんな顔すんのかなーって。
もっと色んな顔見てーなーって、思っちゃったわけさ。
清廉潔白な顔して、色事には無縁そうで、っつーか馬鹿にしてそうな。
そんなあんたが、男に組み敷かれた時どういう顔すんのかなーって、イタズラ心が起きたのよ。
笑った顔はもう見たから、次は泣く顔見てーなーって。
屈辱に歪む顔でもいい。
怒りに燃える形相でもいい。
助けを求める哀れな顔もいいな。
とにかく、そんなあんたが知りたくて。

「イルカ先生、送りますよ」

覚束ない足取りのあんたの手を取って、俺の家へと招いたわけさ。

 


ひどく気分が良かった。
目を覚ますと一夜を共にした相手が横で穏やかな寝息をたてている。
黒い豊かな髪をかきあげると、少し湿っている。そのまま額に張り付いている何本かを一本一本剥がした。
春といえど男二人狭いベッドで寄り添っているのは暑い。
肩まで被っているシーツを剥ぐと意外なほどキメの細かい肌が現れた。
(あららら・・・)
色も、結構白いのね〜。黄色人種らしい白さ。健康的なのね。
頬杖ついてしばらく隣で眠る男を眺めた。
いつ、目を覚ますだろうか?
なんとも言えない気持ちだった。
昨晩、自分に組み敷かれる体は驚く程具合が良かった。
酔っ払ったイルカを家に連れ込み、すぐさまベッドに押し倒しても特に抵抗はされなかった。
ただいつもの固い張り詰めたような雰囲気が嘘のように、グダーっとしている。
「イルカ先生?いいの、あんた俺に犯されますよ?」
無反応なのも面白くないので軽く頬を叩くと、イルカはぼんやりと顔を上げた。でもそれだけだった。
また眠そうに瞼を下げる。
ムカついたのでとりあえず口付けてみた。酔っ払いのくせに唇引き結んでるもんだから、顎を押さえて無理やり開かせた。
舌をねじ入れ、逃げるように奥へ引っ込むイルカの舌を追いかけ絡めた。
一度唇を離すと唾液が糸を引いて垂れた。
それをイルカがグイと拭う。
目を開き、俺を見る。けれど酔っ払いの目は覇気がなく、やはりボンヤリしていた。
「何を・・・」
眉を少し顰めて掠れた声でしゃべる。
「犯されて?」
首を傾げて問うとイルカも僅かに首を傾げた。
あの硬質な雰囲気が微塵もない。
不思議な程気分が高揚していた。考えることもなく再度イルカに口付けた。
思う存分唇を貪り、またイルカの顔を覗き込む。
イルカの目は不思議な色だった。
真っ黒なのだ。
瞳孔がかっぴらいてるんじゃないかと言うほどイルカの黒目は全部が真っ黒だ。
「・・・いいなあ」
その目を見ながら、ポツリと呟いていた。
(イルカの目、いいなぁ)
羨ましいのではなく、見ていて気分が良いの、いい、だ。
あの目が見ているのが自分だと思うと、胸がザワついた。
おかしいと、この時の自分は思わなかった。
興味半分に連れてきた相手に対して思う感情ではないのだ、今思えば。
(俺も酔っ払ってんのかね)
浮き立つような高揚感をただ酒のせいにしていた。

「・・・ヤメ・・・ッ!」
悲鳴に近い声と共に胸を押し戻された。
「ごめ・・・、無理」
うっすらと涙に滲む目は煽ってるとしか思えなかった。
引き寄せられるように目元に口付けると、イルカの俺を無理やり飲みこまされている下部が緊張に固くなる。
「ちょっ・・・と、もう少し緩めて」
危ねえ。一瞬でももってかれそうになった。
痛みからか無理な体勢のせいかイルカの呼吸の速さが肩先をくすぐり、それすら溜まらない。
(なんなのこの人)
イかされそうになった気恥ずかしさに乱暴に腰を進めると、小さな悲鳴をあげイルカの背がしなった。
本当は、無理やりするつもりはなかった。拒否されたらやめるつもりだったのだ。
普段のイルカの態度はあまりに面白くないので、意趣返しにちょっかいかけてやろう、ぐらいの心持だった。
酔っ払っているとはいえあのイルカだ、きっと抵抗するに違いない。
わざわざ事に及ばずとも同じ布団に寝ることだけで充分にイルカに衝撃を与えることが出来るだろう。
それに、自分もイルカ相手に勃つか半信半疑だった。
男と寝る趣味はなかった。
なのに。
気づけば忙しない手つきでイルカの服をひん剥いていた。
ぼんやりと成すがままのイルカに対して本気で焦っていた。
このまま、意識のない内にやってしまおう。
さすがに急所を握りこんだ時にはイルカの目に光が戻った。やめろと掠れた声で言われ握りこんだ指を剥がそうとする。
その頃には既に俺は後戻りできないところまでキていた。
嫌がるならやめようと思っていた最初の殊勝な考えは微塵もない。縛り付けてでも今この男を自分のものにしてしまいたかった。
(・・・体の相性がいいのかもね)
乱れた息を落ち着け、再度腰を進めた。
その度にイルカが息を呑む。噛み締める唇にうっすらと血が滲んでいた。
「声だしなよ」
イルカの唇は頑なだった。
乱れる吐息の他は、何も言わない。声が聞きたいのにと恨めし気に指で唇をなぞる。
(ま、初めてじゃ無理か)
イルカの体は味わったことのない苦痛に責められているのだろう。
それでもジっと我慢している様はなんとなく面白くない。
(酔っ払ってなきゃ泣き叫んでくれたかねぇ)
酒さえ飲んでなきゃ、もっと鮮明に自分を感じてくれただろう。その痛みも、段違いに感じるはずだ。
次は、意識のある時にしよう。
セックスとは決して痛みだけではない。
快感に喘ぐイルカも見てみたい。
(しばらくは楽しめそうね)
断続的に自分の背を這い上げる快感を、イルカにも感じて欲しい。

これで終わらせるものか。

結ばれた眉根にキスを送りながら、何度も思った。

 

(さて、どうする)
随分と良い体を見つけた。しばらくは相手をしてもらいたい。
けれどあのイルカだ。
最初イルカを見た時、なぜこのような男が内勤でしかも受付に座ってるのか不思議でならなかった。
一体何のつもりか、隙というものが一瞬も見当たらなかったからだ。
ナルトを預かる際に三代目からうみのイルカについて多少ながら聞いていた。
三代目曰く、朴訥で真面目な中忍だと。
そしてナルトのあの面白い成長の一端を担った男だと、まるで可愛い孫の話をするような顔してニヤリと笑った。
ナルトの話でもよくうみのイルカの名は出てきた。
大抵はデカイ声だしもさいしモテねーし!等々、イルカを貶す事ばかり言っていたが、それでも最後は目を輝かせて言うのだ。
「イルカ先生を尊敬してる」と。
なので俺の中のうみのイルカ像とは、真面目でどん臭げな人情家の中忍先生、だった。ちなみにモテないというナルトの言葉を真に受けて垢抜けない風体だと思った。
けれど、受付で初めて会った『イルカ先生』は、そんなものではなかった。
「お預かりします」
任務終了後のワイワイとダラけた雰囲気の中、一人だけ静かな男が居た。手渡した報告書に無言で目を落とす。
初めて見る顔だと思った。
中々美人だとも。
顔立ちが特にいいわけではなかったが、男を取り巻く気配は硬質で、妙に凛々しく見えた。
男は随分と丁寧に報告書に目を通していた。
一通り見終わったのか、男はおもむろに顔を上げたかと思うと立ち上がった。
思わず、後ろに引いてしまった。
気圧されたのだ、俺が。
「何?」
「はたけ上忍ですね」
「だから?」
わざわざ確かめなくてもその報告書に俺の名前書いてんじゃないのよ、なんなのこの人。
内心毒づくものの、後ろに引いてしまった背を元に戻せない。
「失礼致しました。うみのと申します」
男は綺麗に伸びた背筋のまま頭を下げた。必然的に俺との距離が縮まる。また少し背が後ろに逃げる。
「ナルトがいつも世話になっております」
「はぁ・・・・、ハァ?!」
吃驚した。思わず声が裏返ってしまった。けれど目の前の男はその声にも眉一つ動かさない。
(うみのうみの・・・うみの、『イルカ』)
まさか、この男が『イルカ先生』だとは。
改めて目の前の男を見た。
(・・・なんつ〜無愛想な)
ムカつくほど取り澄ました顔をしているのだ。
「あ〜『イルカ先生』ね。はい、よろしくね」
平静を装いつつなんとか気のない返事をした。
『イルカ先生』はもう一度頭を下げた。俺はそのままその場を離れた。

それから、何度か『イルカ先生』を見かけた。
受付でも廊下でもアカデミーの校庭で見たこともある。
いつも男の雰囲気は硬かった。
顔を合わせても男は簡単な挨拶と頭を下げるだけ。
何故か俺の方がよく喋った。
「こんにちは〜」だの「いい天気ですね〜」だの。
内容なんかこれっぱかしもない話題を、いちいち同意を求めるように。
俺だけに無愛想なら腹が立つが、男は根っからそういう性質らしい。
ナルトを前にしてもあの硬い表情を変えない。
パァンっと張られた空気のまま、ナルトの話に相槌を打つだけだ。ナルトはそれでも満足気だった。
そんな男なのに、サクラもあのサスケすらも懐いているようなのだ。
一度サクラに聞いたことがある。「あの人無愛想じゃない?」と。
「あら、とっても素敵じゃない」
サクラはマセた言葉とは裏腹に、キシシとまるでナルトのように笑った。
(素敵?)
誰が。
あの無愛想な鉄面皮がか?
一度、上忍の瞬発力を駆使してイルカの足をひっかけたことがあった。見事に転んだイルカを物陰に隠れて見た(一瞬で逃げたのだ)。
イルカにしたら何もないところで突然ずっこけたものだからさぞや恥ずかしかろう。
そう思ったのに、ムクリと起き上がった顔に照れはなく、いつもの硬い雰囲気のままスタスタと歩き去った。
その後ろ姿を呆然と見送った。
こんな面白くない人間はそうはいない。
素敵とは無縁だ。
(さて、どうする)
そんな男なもんだから、慎重に行かねばなるまい。
上体を起し、どうすればイルカと体の関係を続けられるか考えた。
目を覚ましたイルカの反応は大方予想がつく。
きっと俺を罵るだろう。裸の自分にうろたえ、昨夜の痴態を恥じるだろう。
己の愚鈍さを憎むだろう。
きっとあの目は怒りに燃える。
その姿を想像し、ゾクリと背が粟立った。
見たい、すごく。
落ち着いた静かな声が、どんな風に変わるのか。
あの澄ました男がどんな風に取り乱すか。
昨晩、イルカとの情交は一度では済まなかった。意識を飛ばし人形のようにグッタリとした体に何度も放った。
満足したはずなのに、昨晩のイルカを思い出すだけで急速に血が集まってくる。
それほどイルカの体はよかった。
この体をもっと楽しみたい。
そのためには最初が肝心だ。
イルカの怒りに呑まれてはならない。上忍の権限を振りかざすかと、下卑た考えが頭をもたげる。
喚くイルカを殴りつけてでも自分に屈服させよう。
それしかないように思えた。
あの気高い生き物はきっと俺を赦さないだろう。
なら、上から押さえつけるしかない。
「・・・仕方ないか」
無理やりは趣味じゃないはずだ。
けれど方法がそれしかないというなら仕方がないじゃないか。

「誰・・・?」

考えに耽ってしまい、イルカの起きる気配に気づくのが遅れた。
振り向いた時にはもうイルカの目は開いて俺を凝視していた。
「おはようございます」
笑いかけると、イルカは少し怪訝そうな顔をした。まだよく状況がわかっていないのだろう。
パチパチと何度か瞬きをした。
「・・・はたけ上忍・・・?」
掠れた声で確認する。
「はい」
答えると、イルカはフっと視線を逸らせた。周りを見渡し、自分の体を眺めた。
酒がまだ残っているのか、あまりの状況に頭がついていかないのか、呆然とした様子のイルカに先手をかけた。
「覚えてる?あんた俺に抱かれたんだよ」
イルカの視線が俺に戻る。
「随分といい体してるじゃない。これからも相手してよ」
顔だけは笑ってあげた。けれど、それ以外はイルカをけん制する。
殺気をチラつかせながら、手をイルカの首筋にかけた。
浮き出る頚動脈をさすると、イルカはゆっくりと瞬きをした。
次に目が開かれた時、イルカの目には揺ぎ無い光が戻っていた。
手が俺の顔へと伸ばされる。避けることも出来たがイルカの空気はいつも変わらない硬質なままで、殺気の類は感じなかったのでしたいようにさせた。
「はたけ上忍?」
イルカがグイと俺の頭を引き寄せ、もう一度確認する。
頷く前に、イルカが動いた。
何をするつもりか知らないが逃がすつもりは全くなかった。ベッドから降りようとするイルカの手首を捉え引き寄せた。
あっけないほどあっさりと俺の胸にもたれかかってくる。
(あれだけやっちゃったからねえ)
腰から下に力が入らないはずだ。
「離してください」
何この人。こんな状況でも顔色一つ変えないわけ?
顔を覗き込んでガッカリした。
「駄目に決まってるでしょ。話聞いてなかった?あんたこれから俺の専属ね」
すぐにでも抱いてしまおうか。
そうすれば、少しは表情を変えてくれるかもしれな・・・・

「申し訳ございませんでした」

イルカの言葉とは一瞬わからなかった。
「何?」
イルカが謝っている意味がわからない。
不愉快だ。自然と声が荒くなる。
「何謝ってんの?謝ったところで、あんたが俺の専属ってことは変わらないけど?」
謝ったぐらいで許されると思ってるのかと、お門違いなことを言いそうになってしまった。
なぜ、俺が。
イルカに憤らなければならない。
酔ったイルカを犯したのは俺だ。無理やり体を開いた。その上、今後もその体を明け渡せと理不尽なことを言っているのに。
イルカには感情の乱れがない。
手首を掴む俺の指にイルカの手が覆いかぶさる。
「離してください」
「駄目だったら」
骨の軋む音が聞こえそうな程、指に力を入れた。
「きちんとしたいんです」
「何を」
「こういうことはきちんとしなければいけません。お願いです。離してください」
「だから、何を!」
俺が声を荒げたのと、指先をはじかれたのとは同時だった。
イルカの体が一瞬で俺の腕の中から消えた。

「責任を、とらせてください」

イルカは逃げてはなかったが。
ベッドの下で土下座をしていた。

「・・・・・は?」

床に擦りつけられた頭を呆然と眺めた。
その体勢のまま、イルカは張りのある声で言い募った。
「酔っ払っていたとはいえ、上官であるあなたにこのような無礼な振る舞い、許されることではないとわかっています」
無礼って何が?あんたのいつもの無愛想のこと?
「体を重ねるなど、そんな大変なことをあなたにさせてしまいました」
「はぁ・・・・」
わけがわからず曖昧に相槌を打つとイルカが顔を上げた。
「こうなったからには、責任をとらせてください」
「はぁ?!」
「この先の人生、あなたと共に生きることを誓わせてください」
「ちょっと待て!」
待て待て待て待て!!
床に座り込む男の前にすっとんでいった。
「落ち着きなさいよ。ね?あんた錯乱してるよ。ごめん。無理にあんたを犯したのは俺。あんたが責任とる筋合いはないのよ」
しなやかに張る肩を揺さぶった。
それでもイルカは俺から視線を逸らさない。
(・・・ヤバイ)
イルカの体を繋ぎとめようとしたのは俺だ。
何度も抱きたいと思った。
けれど、
(結婚しようなんか思わない)
というか、無理だ。同性同士の婚姻は里では認められていない。
もとより俺にはそんなつもりはない。
ただ一時の間、この体を楽しみたかっただけだ。飽きるまで。
完全に手を出す人間を間違えた。
冗談の通じる相手ではない。ましてや上官の権限振りかざして言いなりになる相手でもなかった。
今までたって一度もイルカは俺に怯んだことはない。
怯んでいたのはいつも俺の方だった。


イルカの纏う硬質な気配が変わった。生まれたばかりの炎のように、形を変えながら膨張していく。
(・・・本気なのか?)
漆黒の目はその奥に揺ぎ無い決意を秘め揺れていた。

「生涯、体を重ねる相手はただ一人です」

イルカはきっぱりと言い切った。




 

 
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