アンコール
一生涯、あなたと共に過ごすことを誓います
嘘など一片も見当たらない真摯な目でそう訴えられた。
男の本気に恐怖が背中を這い上がる。
(・・・そんなのごめんだ)
いくら体が良くても、たった一人に縛り付けられるなど、想像するだけで鬱陶しい。
「ごめんね。無理」
床に這う男の腕を取り、投げ捨てるように家の外へ放りだした。
(勘弁してよ)
玄関の扉を閉めると、急に足が萎えた。そのままズルズルと座り込む。
早い動悸が耳の奥で唸る。
なぜこんなに胸がザワつくんだ。
飛び出しそうな心臓が気持ち悪くてしばらくそのままうずくまっていた。
「・・・カカシ先生、今何時だと・・・?」
サクラが遠くのを方を見ている。
カアカアとお山に帰るカラスでも見送っているようだ。
「ハハハ。スマンスマン。人生という名の迷路に迷って・・・」
「アハハ。それは大変でしたね」
乾いた笑いが辺りに響く。サクラの後ろではナルトもサスケも同じように薄っすら笑っていた。
「和やかな出迎えご苦労。ところで今日の任務何?」
「アハハハハ!!」
途端にクナイやら手裏剣やら草らや土やら投げつけられた。
わ、しかもわら人形まであんじゃないの。
「これ作ったの、誰?」
ナルトかと思ったが、それにしてはよく出来ている。
「俺だ」
案の定、サスケが名乗り出た。
普段ならこのできばえを褒めてやってもいいが、今日は迷わず拳骨を落とした。
(なんつ〜恐ろしいことを・・・)
わら人形の心臓部分にはこれでもかという程ぶっとい五寸釘が突き刺さっていた。
心臓の痛みには覚えがあるだけにこのわら人形は恐ろしい。
「ちょっと、カカシ先生!!サスケくんになんてことしてくれてんのよ!!」
「ギャハハ!!なっさけね〜ってばよ!!」
「ナルト!!サスケくんを愚弄する言葉は私が許さないわよ!!」
(こいつ、そっちの才能があんのかな)
ギャーギャー騒ぐ教え子達を尻目に、脳天押さえて蹲っているサスケをそら恐ろしい面持ちで眺めた。
「は〜い、お前等うるさいよ」
「ギャ!」
「痛っ!!」
サスケよろしく黙ってもらおうとナルトには拳骨、サクラにはでこぴんをかました。
サクラは痛みに蹲ったがナルトはケロリとしている。そしてまたサスケを見て得意げに笑っている。
「俺ってば、こんなの全然平気なの。サスケはやっぱり、弱いな!!」
ギンとサスケがナルトを睨む。悔しそうに歯噛みしてる様はなんとも禍々しい。
ナルト、あんまりこいつを怒らせるな。怖いから。
「あんたほんと石頭ね〜」
サクラが額を摩りながらナルトに呆れるとも賞賛ともつかぬ言葉を投げた。
「おう!俺ってば、イルカ先生に鍛えられちゃってるからな〜!」
ナルトの言葉に反射的に背が強張った。
『イルカ先生』
クソ、この単語だけでも不整脈になりそうだ。
「あんたしょっちゅう拳骨もらってたもんね」
「イルカ先生てば執念深いからよ!絶対拳骨落とすまでおっかけてくるんだってば!」
「・・・・・え?」
何?今すごく恐い事聞いた気がするんだけど・・・・。
「イルカ先生って、執念深いの?」
心なしか震える声で教え子に尋ねると、ナルトはもちろんサクラも大きく頷いた。
「すごいわよね。私は優等生だったから怒られることはなかったけど。ナルト、あんた一回夏休みの間中追いかけられてなかった?」
「そうそう!夏休み前にさ、それまでの宿題全部終わらせろって毎日毎日教科書もって追っかけてくんの。そんなの終わるわけねーじゃんな。
そのまま夏休みなったんだけど、変わらずおっかけてくんの。俺、初めて宿題したってばよ!」
「でも夏休みの宿題は終わらなくて、二学期になっても追い回されてたのね」
「うん」
「あんたバカよ」
「へへ!でも、それだけじゃねーってばよ。イタズラしたら何故かすぐにバレてんの!すっげー勢いで走ってくんだぜ〜!授業さぼっても絶対見つかるんだぜ〜!」
「ほんとバカよ」
サクラの鋭い突っ込みをナルトはものともしない。
清々しいほど打たれ強い。そういえばナルトは異様に逃げ足が速い。
あの『イルカ先生』が一体どんな形相でナルトを追いかけていたか想像出来ないが、このタフなナルトを追い掛け回すとはすごい。
いや、追いかけまわされたからこうなったのか・・・?
まあどっちでもいい。
とにかく解かった。
『イルカ先生』は執念深いらしい。
そんな男が、一度の手ひどい仕打ちくらいで俺を諦めることはないだろう。
「せんせー、任務どうするの?」
黙り込んだ俺にサクラが問いかける。
「どうしようか?」
本当に、どうしよう、俺。
俺をまっすぐ見つめるあの目は、一体何を思っていたのだろう。
真摯な言葉とは裏腹に、男の感情は解からなかった。
それが恐い。
一分、一秒、イルカの存在が大きくなる。
俺は強大な敵を前にただ途方にくれていた。
「はたけ上忍はいらっしゃいますか?」
「いんや、いねーよ」
アスマがプカ〜と煙を吐きながら答える。
イルカは待機所の扉からピンと背筋を伸ばして立っている。
「そうですか。失礼致しました」
そのまま慇懃無礼に頭を下げ、スタスタと去っていく。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・もう行ったぜ」
「ああ、・・・うん」
床に降り立つとアスマが心底バカにしたような目で俺を見ていた。
「何よ?」
「バレてんじゃねーの」
「いいのよ。避けてるって行為が大事なんだから」
手に付いた天井の埃を払っていると、アスマが「へ〜」と気のない返事をする。
あれから一週間、イルカは毎日毎日俺を探しに来る。ナルトの言う通り、大した執念深さだ。
どこで嗅ぎつけるのか、俺が居るところ居るところに余すとこなく現れる。
運よく会わずに済んだ時は家の前で待ち伏せをされた。
一度、どうにも逃げられずイルカにとっつかまったことがあった。
イルカは俺を前にやはり眉一つ動かさない。
仮にもあんな熱烈な求愛・・・・じゃあないね、宣言をしておいて、人をとことん追いかけまわしておいて、いつもと変わらぬ取り済ましたあんたのその態度。
『はたけ上忍』
あの晩のような声の掠れはもうなかった。凛とした声が暗い軒下に響き渡る。
『一緒に暮らしませんか?』
バカバカしい。
どこを間違えれば、逃げ回っている相手に同棲を持ちかけるよ?
あからさまに嫌がってるでしょうが。
思いつくまま、イルカには酷いことを言った。
イルカの顔を見ていると妙にムカついた。
あれだけイルカには恐怖してるくせに、あの取り澄ました顔を見ると怒りが湧いてくる。
イルカは黙って俺の罵声を聞いていたと思ったのに、
『今の状況じゃあなたと会う時間がない。それなら一緒に住むしかないでしょう』
言葉が通じない。こんなバカな男が居るか?よくそれでアカデミー教師なぞやってられるな。
イルカが俺の方へ一歩詰め寄る。
『あの朝、あなたは俺のことを「専属だ」とおっしゃいました。それは俺と体の関係を持つということでしょう』
確かにそうだ。あの時はいかにイルカを抱き続けられるか、本気で考えた。
『何故逃げるんです』
イルカの気配に押されているのを見透かされているようだった。
俺は近づくイルカに足は後ろへと逃げそうになるのをグっと堪えていた。
何故だと?
理由なんか聞くな。
あんたのソレは重すぎる。
あの日俺はうっかりあんたに手を出しただけで、この先のことなんかこれっぽっちも考えてなかった。
あんたにどう思われようが、関係なかった。
溜まってただけかも。
意外にあんたの体良かったから、この先に相手にしてもらうのもいいかと思っただけで。
あんたの全部を背負い込むつもりはない。
一生だって?なんだ、それ。一生を共に過ごしてどうする。何になる。
今が楽しければいいのよ、俺は。
大体、俺とあんたの間には何もないじゃない。
それなのにどーしてこんな話になるんだ。
あんたもよく考えな。こんなくだらないことであんたは自分の人生棒に振るっつってんだよ。
俺は責任とって欲しいなんか思ってないし、迷惑だ。
わかったらさっさと俺の前から消えて。
『いいえ』
感情的に捲くし立てる俺を、イルカの静かな声が遮る。
これだけ侮辱しておきながら、イルカはまったく怯まない。
『俺は自分の人生を棒に振るなど一瞬でも思いません』
泣きたくなった。
この言葉の何を信じろと言うんだ。
もしも、もしもだ。
あんたが俺のことを本気想っているのなら、どうして俺の言葉に憤らずに居られる。
俺はあんたに振り回されっぱなしだ。
たった一晩肌を重ねただけで、鍛えあげられたはずの精神はすぐに脆く崩れそうになる。
『あんたの言葉は信用出来ない』
後ずさりながらそう言うのがやっとだった。
「なんで懲りてくれないのかねー・・・」
誰に言うでもなく呟いた。
イルカはそれでも毎日俺を探す。
何が男を駆り立てているのだろうか。
「怒ってるんじゃねーの」
「何?」
「お前、無理やりやっちまんだろ。それを怒ってるんじゃねーの」
アスマの言葉も一理あるかもしれない。
あの男、実は非常にしたたかで、無体を強いた俺に嫌がらせをしているのではないか。
(そういえば、まともに謝ってないもんねー)
あの時、上忍の権限振りかざそうなんて思っていた。元より謝るつもりはなかったのだ。
「そうならいいけど」
本当にそうなら、俺が謝罪をすればこの件は終わるはずだ。
イルカの本気もただの紛い物になる。あの無表情にも納得が行く。
「本気でそう思ってるのか?」
珍しくアスマが話に踏み込んでくる。
面倒くさがりの振りをしてるがこの男面倒を背負い込むのが得意だ。情が深いのだろう。
そういえば、イルカの笑顔を見たのもこの男の横だった。
こういう男ならば、イルカの感情を引き出すことも出来るのだ。
(せめて、怒ればいい)
イルカの寝顔を見ながら、この男はどんな表情をするのだろうと胸が期待に高鳴った。
組み敷かれるイルカは、ずっと耐えるように唇を引き結んでいた。
苦しそうに眉をしかめ、時折、あの黒い瞳を揺らして俺を見上げた。
堪らなかった。
突き上げるような衝動のまま、イルカを掻き抱いた。
腕の中の、見かけより華奢な肩が浅い呼吸に上下していた。
(もっと)
確かそう言ったような気がする。腕の中のイルカに「もっと」と強請った。
あの時のイルカなら、もしかして俺はイルカの宣言を受け入れてたのではないか。
受け入れないにしても、こんなに邪険に断ることはなかったかもしれない。
だって、あんな可愛くない。
目覚めたイルカは見事に俺の期待を打ち砕いた。
あんな機械のような無表情な男、側に居るだけで虫唾が走る。
「思ってるよ」
アスマに言葉を返す。本気でそう思ってる。
イルカが怒っていればいいのに。
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