アンコール



手を伸ばしてきたのはイルカの方だった。
骨ばった手が、鉄格子を掴む俺の手へと伸ばされる。
何をするつもりなのか。
ただその手の行方を見ていた。けれど、イルカの手は俺に触れる寸前に止まり、また遠ざかっていった。
「・・・何?」
問うと、イルカは少し首を傾げて俺の顔を覗き込んでいた。俺に伸ばされたはずの手は既に下ろされ拳を作っている。
「泣いてるんですか?」
質問を投げかけているのは俺なのに、イルカはそれには答えず別のことを聞いた。
「泣いてないし」
「・・・怒っているんですか?」
「そうね。すごい腹が立ってる」
イルカがギュっと握った拳に力を入れるのがわかった。
「俺のせい、ですか?」
「それ以外何があるっていうの?」
俺はあんたの前じゃいつも取り乱してばっかりだから、あんたは俺のことそういう奴だと思ってるかもしれないけど。
乱暴で子供じみた八つ当たりしか出来なくて、短気ですぐに声を荒げて、まるで小さい犬みたいにキャンキャン吼える馬鹿。
あんたそう思ってんだろうけど。
それ、させてるの全部あんただから。
「まだわかんないの?」
口布を下ろし額宛もとった。
俺があんたの前じゃどんな顔してるか、イルカに見せ付けてやろうと思った。
イルカは2・3度瞬きをして、ジっと俺を見つめている。
何を考えているかやはりわからない。
けれど、俺もわからないが、きっとイルカも俺がどんな想いでここに居るのか、絶対にわかってやしない。
「あんた、あの上忍に何されたの?」
「はたけ上忍には関係ありません」
予想通りの答えだ。予想通りすぎて笑える。
関係ないだと?
「・・・あんましふざけた事言うなよ」
手を伸ばしてイルカの胸倉を掴み、そのまま鉄格子へ打ち付けるように引き寄せた。
鈍い音が薄暗い部屋の中に響く。
痛みにかイルカは小さく息を呑んだ。
「俺が気まぐれやお酔狂でこんな所に来たとでも思ってんの?悪いけど、そこまで暇じゃないんだよ」
睨みつけると、イルカは俺から視線を外し自嘲気味に呟いた。

「・・・任務、ですか」

何を言われているのか、よくわからなかった。
(任務?)
イルカは俺が任務でここに居ると思ってるのか・・・?
意味を解した途端、怒りで目の前が真っ赤に染まった。
「違う!」
激情のままにイルカを怒鳴りつけた。
俺にこんな情けない面晒させて、それでもあんたにはわからないのか。なぜ俺があんたに会いに来たか、どうしてわからない。
「心配したんだ。二日前から見ないとナルトに聞いて、任務もおちおち出来やしない。受付に行ったら、懲罰房だって言うじゃない。
しかも原因があの男だ。あんたがあの男に触られでもしたんじゃないかと思うだけで頭がおかしくなりそうだった。どれだけ心乱されたと思ってる。これだけ俺を振り回しておいて、あんた何一人で取り澄ました顔してんのよ?そんなの許されると思ってんの?いいか、もう一度言うからちゃんと答えろ。あんたにはその義務がある。・・・あの男に、何をされた?」
少しでも、この胸の痛みを取り除いて欲しかった。
何もないから懲罰房にいれられたのだと、イルカの口から聞きたかった。
(それぐらい、してくれてもいいじゃないか)
イルカは目を開いて俺を凝視していた。
漆黒の澱みないイルカの目。
写しているのは情けなく顔を歪める俺の顔だ。
「尻を貸せと言われました」
イルカの声には戸惑いがなかった。いつか屋根の上で聞いたように、侮辱されてもそれがどーしたと言わんばかりの声だ。
「断ったのですが、力で抑えこまれたので逃げました。逃げる際にその男を蹴り上げたところ運悪く作りの脆い壁へ叩きつけてしまって・・・」
嫌な話だな。予想通りなのに、こんなにムカつく話もない。
聞けば少しは安心するかと思ったが、そんなことはなかった。イルカに少しでも触れたあの男に対して感じる言いようのない苛立ちに舌打ちした。
「俺は・・・」
イルカは淡々と喋る。けれど、ふと視線を逸らせば、イルカの握り締められた拳が小刻みに震えていることに気づいた。
普段は見えない血管が浮き出るほど強く握られている。
(イルカ?)
驚いて顔を上げた。

「俺は、あなた以外は嫌だと思いました」

「イルカ?」

「あなた以外に触れられるのは、嫌なんです」

言いながら、イルカは後ずさった。イルカの襟が俺の手から離れる。
イルカは震える手を諫めるように、強く両の指を絡めた。
「嫌われたのは、知ってます。その理由もわかります。あなたは最初から嫌がっていたのに、しつこく追い掛け回しました」
・・・自覚があったなんて知らなかった。
イルカはまた後ずさった。いつもとは逆だ。いつもは逃げ出すのは俺のはずなのに。
このイルカは変だ。
「俺だって、なんであんな・・・嫌がられるのわかってるのに、追い回して。でも・・・どうしても一目逢いたいんです。
 あなたに逢いたいとそればかりだ。取り澄ましてなど言うが、そんなこと、あなたを前に一度だってなかった。今だって・・・」
イルカの言葉が、凄い。
これまでにない速さで心臓が脈打ち始めた。

今だって?

今だって、どうしたというんだ。

「今だって、死ぬ思いで」
その言葉通り、イルカはギュっと唇を噛み締めた。
辛そうにあの目を揺らして俺を見る。
その表情に、今までイルカに対して感じていた苛立ちも何もかもがなくなっていくのがわかった。
(そうか)
呆然とイルカを眺め、ようやくわかった。

この顔が見たかったのだ。
イルカのこの気持ちが欲しかった。
言葉ではなく、確かに伝わるイルカの乱れた空気。
俺を感じて心乱されるあんたの確かなその気持ちが、何よりも、欲しかった。

競りあがってくる胸の痛みを、もう嫌だとは思わなかった。
イルカが俺を前に取り乱している。
初めて見る姿だと思ったが、イルカの言葉からすると、そうじゃないのだ。
イルカは俺に逢いたくて逢いたくてたまらなかったのだ。俺を前にいつも死にそうな思いをしていたのだ。
「イルカ、ちょっとおいで」
離れているイルカを呼んだ。そんなところで一人で居る必要はもうないはずだ。
イルカは小さく首を振った。
幼い子供のような仕草は、俺を恐怖させていた人物のものだとは思えない。知らずに笑みが洩れる。
「早く」
再度呼ぶと、少し、前へ出てきた。手を伸ばせば届かないことはない。
「手、貸して」
鉄格子の向こうに手を伸ばすと、イルカはソロソロと両手を差し出した。
今だ両の指は強く絡められている。
触れると、イルカの体が僅かに戦いたが、宥めるようにゆっくりと硬く結ばれる指を一本ずつ解した。
イルカは何も言わず、俺の動きを見ていた。
(・・・ああ、なんてことよ)
開いたイルカの手の平は冷たく湿っていた。

この男は手の平に汗かくほど緊張しているのだ。

嬉しいと思った。

だって、イルカは絶対俺のことが好きだ。

「はたけ上忍」
「うん?」
晒された手の平が可愛い。
呼ばれて顔を上げると、いつもの無表情の中に戸惑いの色を見つけた。
(・・・この人こんなに可愛かったっけ?)
驚いた。
まさかこの無愛想な男がこんな可愛い顔をするとは思わなかった。
(そうか)
一人頷いた。きっとイルカはこんなに可愛い顔になるほど、俺のことが好きなわけだ。
「はたけ上忍」
俺を呼ぶ声も可愛い。
恋とは偉大だとつくづく思った。この無愛想な鉄面皮をこんなに可愛くし立てあげる。
ふと、イルカの顔がぶれた。
(・・・何?)
おかしい、なぜだか急に、イルカの顔がよく見えなくなった。瞼が熱い。
戸惑っていると、イルカの冷たい指先が頬に触れた。
「泣かないでください」
その言葉に、自分が泣いてるんだと気づいた。
どうりでイルカの顔がよく見えないはずだ。
頬に伸ばされた手をとると、イルカの体温が心地よかった。
「イルカ、俺と暮らそうか」
この先、この手と一緒に過ごすのも悪くない。
何よりこの手はそれを望んでいる。俺以外の手はとらないと、硬く握り締め小さく震えている。

「だからイルカ、もう一度俺に言ってよ」

あの朝、挑むように俺に叩きつけた、あの言葉をもう一度言わせてあげようと思った。

「お願い」

もう一度あの言葉をくれるなら、もう逃げはしないから。

「生涯・・・」

イルカは小さな声で言葉を紡いだ。

「愛するのは、あなた一人です」

「そうして」

 


その日の内にイルカは釈放された。当たり前だ、イルカに非はないのだ。
あのイルカに手を出そうなどと言う恐ろしく変態的な男が全て悪い。だが俺が言うでもなく、看守はあっさりとイルカを懲罰房から出した。
看守側も辟易していたらしい。
イルカは悪くないのは明らかで言いがかりをつけられているのはわかったが、イルカは何も言わないのでしょうがなく懲罰房に入れていたそうだ。
呆れた話だ。
「あんたね、それでどれだけナルトが心配したと思ってんの?」
薄々感じてはいたが、イルカは鈍感だ。
自分がどれほど周りの者に影響を与えているか気づいていない。
「申し訳ないことをしました」
既に辺りは暗くなっている。街頭に照らされたイルカの頬に、睫の影が落ちた。
少しは反省しているのだろうか、いつものように表情は変わらないが、少しうな垂れている。
(あームカつくほど可愛い)
隣を歩く男を先ほどから何度も盗み見てしまう。
無愛想な顔でも、可愛いのだからしょうがいよねえと、他人事のように思った。
きっと、これから大変だろうな、とも。
今は一端落ち着いているが、俺はイルカの前じゃどうも正気を失ってしまう。
良くも悪くもイルカに振り回されっぱなしになる。
「はたけ上忍、手をつなぎたいです」
いきなりイルカが手を差し出してきた。何、この前触れのない行動。
クソ、なぜだか俺の方が照れてしまう。

きっと、これからずっとこうに違いない。
こういう風にイルカの言動に一喜一憂するのだ。

「あ〜、ま、あんたが繋ぎたいなら、はい」
差し出された手を握ると、やはり少し湿っていた。

(まあいいか)

こういうのも悪くない。

嘘偽りのない目であんたが一言、

 

生涯を、共に

 

うん、そうね。
この先ずっと、一生涯、不甲斐ない俺はあんたに振り回されてみましょうか。

 


(完)

 

 

 

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