アンコール
朝からナルトの様子がおかしい。
集合場所にいつもの如く遅刻していっても何の突込みもなかった。なぜだ?先生淋しいじゃないか。
ナルトはどこか上の空で唇を引き結んでいる。
「どこ見てんだ、ウスラトンカチ」
任務中手元が疎かになるナルトにサスケが嫌味のような注意をしても言い返すことはなかった。
いつもは猿の如くキーキー言うナルトのそんな態度にサスケは眉をしかめる。
(・・・あらら)
サスケはその態度が癪にさわったのか、それ以降ムッツリと押し黙ってしまった。
全く繊細な奴だ。困ったのは二人に挟まれたサクラで、しばらく二人の間に視線をウロチョロさせていたが、その内業を煮やしたように立ち上がった。
「ちょっとナルト!サスケくんの言うことは絶対なのよ!さっさと手を動かしなさいよ!!」
ナルトを叱責し、サスケの方をくるりと振り向く。
「全くナルトったらバカなんだから!ね、サスケくんっ!」
笑顔を作っているが口元が引き攣っていた。
(この子も苦労性だね〜)
厳しい口調を作っていても、サクラは朝からナルトを気にかけていた。いつも以上に大きな声でナルト達に話かけ、一生懸命縄を編んでいた。
ちなみに今日の任務は、綱引き用の縄編み。今度老人会で使うらしい。
そんなサクラの気遣いも知らず、二人は相変わらずムッツリと黙り込んだままだ。
「カカシせんせ〜」
「はいはい」
困り果てた表情でサクラが俺を呼ぶ。どっこらしょと腰を上げると、ふとナルトが顔を上げた。
「カカシせんせー俺トイレ」
見事な棒読みだ。
便所に行きたい切羽詰った感が全く窺えない。
「却下」
「いや、マジ漏れそうなんだってばよ」
ナルトは腰をあげすぐにでも走りださんばかりだ。
(ん〜〜〜〜)
こいつの様子がおかしかったのは、朝から便所に行くの我慢してたってわけか?
そんなわけねーし。
俺とて朝からナルトの体調に気を配ってみたが別に健康そうだ。腹下している様子もない。
「ま、いっか。わかった。行っといで」
承諾を出すと同時にナルトは走りだした。そこをすかさず引き止める。
「何処行こうとしてんのよ。そこの茂みで済ませな」
「げ」
ナルトが心底迷惑そうに俺を見やる。サクラはあからさまに嫌な顔をした。
「うんこなんだってば」
「それが何」
「うんこは人前でするもんじゃねぇってば」
「大丈夫。先生達そっち見ないから」
「信用できねえってば」
「してくれよ」
ナルトがブンブンと手を振り回し後ずさる。
結構しぶといな。っつーか、本気だな?
「俺は、一人でうんこがしたんだってばよ!!」
ナルトが一際大声で叫ぶ。
「馬鹿野郎!!野糞ぐらいできないで何が忍者だ?!」
「・・・うわぁ〜」
俺の負けず劣らずの怒号にサクラは青ざめている。サクラ安心しろ、女の子は別だから。
ま、俺とて本当に行きたいのなら引止めやしない。そこまで鬼じゃないし。
だが今のナルトは明らかにトイレじゃない場所に行こうとしている。任務放棄とか、ありえないでしょ。
「この野糞上司!!」
諦めきれないナルトは無駄に粘り俺に暴言を吐きやがり出した。
「んだと、糞ガキ」
野糞のどこがわりーんだ、ボケ、という殺気を混め睨みつけた。
でもナルト、全然平気。真正面からの俺のメンチにもビビらず、どころか、同じように殺気を出しながら俺にメンチきる。
「野糞せんせー、うんこに行かせてくれよ」
「だからそこでしろっつてんでしょ。糞ガキ」
「お前等うんこうんこ言ってんじゃねーよ!!!」
ドゴォ!!!
サスケが怒鳴ると同時に額に衝撃が走る。なんだ?ナルトにチョーパンでもかまされたか?
グワングアンと耳鳴りがし星が飛ぶ。下りそうになった膝をなんとか押しとどめ顔を上げると、サスケが俺とナルトの間に仁王立ちしていた。
(すげぇ痛い)
サスケの向こうではやはりナルトも痛そうに額を押さえている。が、
「あ!待てこの野郎!!」
脱兎の如く逃げ出した。俺はまで痛みに脳内星が散っちゃってるってのになんて回復力よ。
頭をふら付かせながらナルトの後を追おうとしたが、その前にサスケがナルトをふん捕まえてくれた。
「ナルト、今は任務中だ。いくらお前が馬鹿でもそのくらいは理解できるだろうが」
「・・・・・・・・・・」
「ただでさえ馬鹿なんだから少しは真面目にしろ、カス」
「・・・・・・・・・・」
サスケの前でナルトは下を向いてぶんむくれている。
「任務中に私情を挟むな。それぐらいアカデミー生でも知ってる、グズ」
すごいなサスケ。さっきナルトに無視られて思いっきり不機嫌になった自分のことを棚に上げてそこまで言うとは。
さすがにナルトはサスケの言葉が効いたのか少し肩を落とした。
「だって・・・」
「言い訳は聞かん。さっさと持ち場にもど・・・」
「だって」
早口に捲くし立てるサスケを、ナルトの小さな声が遮った。
「イルカ先生が、居ないんだもんよ」
ヒュっと誰かの喉が鳴った。俺のかもしれないしサスケのかもしれなかった。
「どういうことだ?」
先ほどまでにはない険しさを含めた声でサスケがナルトの次の言葉を促した。
「昨日から、イルカ先生に会わないってばよ」
『イルカ』
その名前に胸が跳ねそうになる。
ドクドクと心臓の音がうるさい。ナルトの声がよく聞こえない。
「おまえ毎朝イルカ先生に会ってんじゃなかったのか」
「そうだよ。んでも、昨日も、今日も、先生来ないんだってばよ」
前に、ナルトから聞いたことがある。
平日、アカデミーのある日、『イルカ先生』はいつも同じ時間に同じルートを通ってアカデミーへ出勤するらしい。だからナルトは『イルカ先生』に出くわす時間に、出くわすルートを通って、いつも集合場所に来るのだと言っていた。集合場所が『イルカ先生』の通る道とは真逆でも、集合時間までどんなに時間が空こうとも、例え任務がなくとも、よほどのことがない限り、ナルトは『イルカ先生』に毎朝、同じ場所で、同じ時間に挨拶をするという。
二人とも待ち合わせるわけではなく、道すがら、挨拶を交わすだけ。
「昨日の朝、先生来なかったから、夜、イルカせんせーん家に行ってみたけど、やっぱ居ないし。今日の朝も、会わなかったし・・・」
サスケが眉間に皺を寄せた。
「何か任務が入ったんじゃないのか」
けれど、至極冷静なことをナルトに言った。
「イルカ先生だって大人だ。それなりに事情があるんだろう」
「そう、だけど・・・」
サスケの言葉がキツイ。ナルトがギュっとズボンを掴む。俺も、ナルトにように手を強く握り締めていた。
手甲越しに爪が食い込むのがわかる。
サスケの言うことはもっともだ。
イルカとていい大人だ。一晩二晩自宅に帰らなくとも、どうして心配する必要がある。
自宅でなくとも、休める場所がイルカにはあるのかもしれない。
里外へ赴く任務が割り当てられることもあるだろう。
「イルカせんせー、今まで一度もそんなことなかったし。それに・・・・なんか最近元気、なかったし」
「そうは見えなかったが」
「俺だって、どこが?って言われたら説明できないってばよ。んでもなんとなく、いつもと違うかなって・・・」
「それで?おまえは何処に行こうとしたんだ?イルカ先生探しに行こうとでもしたのか?」
「・・・アカデミーに居るかもしれないって思ったから。見たら、すぐに戻るつもりだったってば」
「ガキか。後追いにも程がある。イルカ先生も迷惑だ」
「んでも・・・・なんか、胸がザワザワすんだってばよ」
よくわかんねーけど、と小さくナルトが吐き捨てた。
俺が最後にイルカを見たのか二日前、一昨日の夕方だった。商店街で買い物をするイルカを見た。
(・・・・任務じゃない)
任務に赴こうとする者は夕飯の買い物などしない。ましてや野菜などの生ものを買うはずがない。
急な呼び出しでもくらったか。
けれど、俺の耳には何も入ってこない。内勤の中忍を急遽駆り出せねばならぬような事態はおこっていないはずだ。
嫌な予感がした。
ナルトのザワザワが伝染したかのように、やたらと胸が騒いだ。
それでも、任務を放り出すことは出来ない。
「とりあえず、任務を終わらすのが先だ」
なので俺も手伝うことにした。
ナルトは何も言わずにすぐに持ち場に戻った。サスケもサクラも、一生懸命縄を編み始めた。
5分後には任務完了で解散することが出来た。
報告書を持って受付へ行くと、顔だけ見たことのある中忍が受付をしていた。俺の顔を見るなり少し眉を顰め見当違いなことを言ってきた。
「七班の任務内容なら先ほど春野サクラに渡しましたよ」
「ああ、それ終わった。これ報告書」
「・・・確かに。お預かりします」
その中忍が報告書に目を通している間、受付内を見渡してみたがイルカの姿はない。
「うみのイルカは?」
聞くと中忍は一瞬返答につまったかのように間を空けた。
受付には木の葉全体の忍の情報が入ってくる。下忍から上忍まで、その出勤情報も余すことなく入っているはずだ。
受付に座っている以上、この中忍には知らないという答えを出すことは出来ない。
「うみのは欠勤です」
「理由は?」
相手の言葉に被せるように問うと、中忍はまた間を空けた。
早く言えと、目の前の男の鈍さに苛立つ。
指先から苛立ちが漏れ出すようだ。あと一瞬でも答えを渋ったら、その喉を捻りつ潰してでも吐かせてやろうと考えた。
「うみ・・・うみのは、一昨日から懲罰房です」
男は命拾いをした。震える声で、イルカの居場所を吐いた。
「え?」
けれどその答えは、俺が全く予想していないものだった。
(懲罰房・・・?)
なぜ、あのイルカが。
どうしてあの男は俺の予想しないかったことばかり仕出かすんだ。
「その理由は?」
目の前の男は役立たずだった。ただ顔を蒼白にし首は横に振るだけだ。
「カカシ、やめろ。こんな処で殺気立つんじゃねえ」
「うるさい」
殺気なんか知らない。ただイラつくんだよ。
視線を声のした方へ伸ばすとアスマがこっちを睨みつけていた。
「駄々こねてんじゃねえ。お前まで懲罰房行きたいのかよ」
「その方が手っ取り早いかもね」
直接イルカに会わなければ、どうにもこの苛立ちは治まりそうにない。
「部下が見てるだろーが」
アスマが受付の扉の向こうへと視線を投げた。
フっと質量のある空気が霧散した。
ああ、そうか、と。今更のように気づいた。
(居たんだったな)
解散を言い渡してもナルト達は達は帰ろうとしなかった、そういえば。
後ろを着いて来るあの子達をあえて帰そうとは思わなかった。何よりそれをする時間が惜しかった。
不安そうにこちらを窺うナルト達の顔に、僅かに理性が戻ってくる。
「おい、カカシ」
アスマの横を抜け、ナルト達へ近寄った。
順序を間違えた。
ナルトはしぶといだろうが、それでも先に帰しておくべきだった。
「カカシせんせー?」
「ん、大丈夫。イルカ先生はちょっと所用で出かけてるだけだってさ」
安心させるように金色の頭に軽く手を置いた。
「ほら、さっさと解散しな。せっかく早く終わったんだから、各々自主錬に励みなさいよ」
ナルトの後ろに居たサスケとサクラに言った。
二人ともナルトより敏い。
こんな言葉で納得してくれるとは思わないが、自分達の出番じゃないことはわかるだろう。
案の定、サクラがナルトの手を引っ張った。
「あんたが心配することなんてなかったのよ。さっさと行くわよ」
「行くぞ、グズ」
サクラとサスケの誘導にナルトはしぶしぶと引きずられていく。
金色の頭が手から離れると、ナルトは意外にも晴れやかな顔をしていることに気づいた。
「カカシ先生が大丈夫ってんなら、大丈夫なんだよな!」
何を根拠にと思いもしたが、とりあえず頷いておいた。
ナルトが引きずられながら俺に手を振る。
(わからない子だ)
本当に単純なのかもしれない。
子供とは皆そんなものなのだろうか?どんなに不安でも、言葉一つで簡単に信用するのだろうか。その不安を打ち消すことが出来るのだろうか。
「随分と信頼されてるみたいじゃねーか」
ナルト達が視界から消えると、アスマがしたり顔で話しかけてきた。
「うるさい」
「だから殺気立つな。イルカの懲罰房行きの理由なら俺が教えてやるから」
そのまま並んで受付所から出た。
アスマはいつものように煙草を吹かしながらその理由とやらを話し始めた。
上忍相手の暴力沙汰。
一般道での諍いに、幸いにも怪我人は出ていないが、民家の壁に大穴を開けた。
たった、それだけ。
なんて下らない理由なんだ。
あの鉄面皮がどうして上忍相手に大立ち回りなど演じねばならない。
しかもそれぐらいで懲罰房行き。要領が悪いとしか言いようがない。
「相手が悪かった。格下に吹っ飛ばされたのが気にいらなかったらしい。大方適当なことをでっちあげて、イルカを懲罰房送りにしたんだろ」
「その上忍、誰?」
イルカをそんな行動に駆り立てた上忍が気に入らない。
俺がどんなに罵っても顔色一つ変えない男が暴力沙汰?
ふざけんな。
眉一つ動かさない男が手を振り上げるなど、その上忍よっぽどのことをイルカにしたに違いない。
アスマがその上忍の名を口にした。
聞いた途端、血が煮えるのがわかった。
『イルカちゃん』
前に、イルカをそう呼んだ奴が居た。
(あいつか)
イルカを愚弄する下卑た声を屋根の上で聞いた。あの時の言いようのない気持ち悪さがフラッシュバックする。
「イルカは何をされた?」
「そこまでは知らん。・・・って、おい!!カカシ!!!」
アスマの言葉を最後まで聞く前に窓から飛び降りた。
行き先は考えるまでもない。足が勝手にイルカの居るはずの場所へと駆け出す。
(何があった?)
競りあがるような焦りが心臓を不規則に打つ。
なんて嫌な感触だろうか。
「・・・クソ」
悪態が口を吐く。
(早く、イルカの下へ)
なかなかたどり着かない足の遅さが腹立たしくてならない。
イルカは薄暗い懲罰房の中で、いつものように背筋を伸ばし教科書のお手本のように綺麗に正座をして書を読んでいた。
「・・・はたけ上忍」
俺の気配に顔だけをこちらに向ける。
「あんた、何してんの」
イルカのいつもの無愛想な顔に、胸が引きちぎられるような気がした。
「なんであんたこんな所に居るの」
鉄格子の向こうのイルカはあの黒い瞳で俺をじっと見据えている。
「なんで」
言いたいことがあり過ぎる。
この胸の憤りを全てイルカにぶちまけてやりたいと思った。
「はたけ上忍?」
イルカが立ち上がって鉄格子に近づいてくる。
「どうしました?」
手を伸ばせば届くところまで。
「・・・あんた馬鹿じゃないの」
頬に殴られた痕がある。
何を言っていいのかわからなくなった。
ただイルカが真っ直ぐ俺に近づいてくるので、なんとなく泣きたくなった。
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