アンチエイジング(3)
「おまえ、イルカの何だい?」
前置きなく五代目が切り込んでくる。
どう答えるべきかいきなり考えあぐねてしまった。
本当は、恋人と言ってしまいたかった。
だが、イルカにとってはどうだ?
イルカには何度も俺のことを好きなんだと繰り返した。その度にイルカは頷いている。
肌を何度も重ねている。それにイルカが抗ったことなどない。
一目で俺を魅了したイルカ。意志の灯った瞳の強さ、それを持つ男が好きでもない奴に抱かれるはずがない。何もない奴にその体を明け渡すとは思えない。
それを考えればイルカを恋人だと呼んでも問題はないかもしれない。
けれど、俺の側に居るイルカの態度を思うとそれを口にすることは出来なかった。
だから、自分の気持ちを言葉にする。
「好きな人です」
「あん?イルカがおまえを?」
五代目が訝しげな視線を俺に向けた。五代目の言う通りだったらどんなに良いだろうか。
「いいえ。俺がうみのイルカを好きなんです」
この場でこれを隠すことほど愚かなことはない。
俺はイルカのあの状況の理由が知りたかった。その情報はなんとしても得なければならない。
仮にも里長からその情報を得るのに下手な小細工は通用しないだろう。ましてや駆け引きをしている余裕など今の俺にはない。
「へえ。そいつは驚いたね。とりあえずは目出度いんじゃないかい?」
「どうも。それでは、俺の好きな相手が今どういう状況なのかお聞かせ願えますか」
五代目の目が爛々と開かれた。嫌な目だ、思わず舌を打ちそうになる。
パックンがまだ幼かった時分、よくあの目で遊ぶ対象物を見据えていた。
「片思い風情の奴なんざに教えられないねえ」
・・・そう来るのか。
イルカに関することで、俺は遊ぶつもりなど毛頭ないというのに。
「ま、あんたの気持ちに免じて、これだけは教えてやるよ。心配するようなことはない。イルカは大丈夫だ」
瞬時に苛立ちが殺気に変わる。
やはりこの場にサクラが居なくて正解だっただろう。
洩れ出る殺気は自らの意志で抑えられる類ではない。
「何を以って大丈夫だと・・・?」
あんな姿を目にし、ただ大丈夫だと、その言葉だけでどう安心しろと言うんだ。
イルカに何があった?何故あんな姿にされた?里長であるあんたに庇護すらされている。イルカは一介の中忍にも関わらず。
そこに、俺が心配する理由がないなど認めない。
「鬱陶しいねえ」
まるで虫でも払うように五代目が手で宙をきる。
「ちょっとは落ち着いたらどうなんだい。そんなんだから片思いなんだよ」
「ふざけないでください」
第一先ほどから片思い片思いと、俺はそんなことは一言も言っていない。何故決め付けるんだ。
「粘着質な男は嫌われるよ」
「五代目!」
「ああうるさい。ちょっとからかっただけだろ。悪かったから、その殺気を引っ込めな。余計な奴らが来ちまったじゃないか」
チラリと壁に目を遣る。先ほどまでなかった気配が複数、姿は見えないがこちらを伺っているのがわかる。
「何でもない!大丈夫だ!」
五代目が声を大きくする。程なくして壁の向こうの気配は去った。
「さて、簡単に説明してやるとするか」
そう前置きをおいた五代目の説明は、
「若返りの薬を飲んでもらっただけさ。異常はない。時が経てば元の姿に戻る。そうだろ、シズネ!」
「はい、その通りです」
本当に簡単だった。
(あれで何を納得しろと言うんだ・・・!)
あの後再三詰め寄るも、いいようにあしらわれただけだ。
その上、早々に食事を済ませたイルカ達が帰ってきた。イルカは食事中寝てしまったらしくサクラの胸の中でスヤスヤと寝息を立てている。
「これ以上騒ぐとイルカが起きちまうだろ」
それを言われれば黙るしかない。
こんな安らかな寝顔、いやイルカの寝顔自体、俺は見たことがなかった。
気づけば食い入るようにイルカを凝視していた。
「カカシ先生、ちょっと怖い・・・」
サクラが震える声で言う。
「シー!イルカが起きるよ!」
そんなに近くで声を出しちゃ駄目じゃないの。俺は口元に指を当て声を落としてからサクラを注意した。
ああ、それにしてもなんて可愛いんだろうか。
さっきはこの小さな子の何処にもイルカの面影を見つけられなかったが、よく見ればイルカそのものだと思う。
例え頭上でちょんまげが揺れてなくても、鼻の傷はなくても、この顔の造形はまさにイルカ。目鼻の配置や耳の付きどころ・・・、ここからイルカを喚起させるのはとても容易い。
(あんなに可愛いなんて・・・)
瞼を閉じ、先ほどの小さなイルカを思い描いた。
どれだけ連れて帰りたかったか・・・。
力づくでイルカをもぎ取ってしまいたかった。だが、サクラの後ろには木の葉随一の怪力綱出姫。力だけではこの人には適わないだろう。
それに・・・、あのイルカは俺を全身で拒絶していた。全力で、と言ってもいい。
泣き喚いて、ひきつけまで起こしそうなって。
あのイルカを思い出すと胸が痛む。俺は泣く泣く執務室を後にするしかなかった。
大人のイルカはそれこそ大人しく俺の胸に抱かれてくれるというのに・・・。
(・・・ん?)
そこまで考えて、ハタと気づいた。
大人のイルカは俺を拒絶していない。本当にそうか?
触れるといつも体をビクつかせる。辛そうに視線を落とす。唇を引き結ぶ。
さっき五代目の問いに『恋人』だと俺は言えなかった。そうだ、自分でも理解している。俺はイルカに受け入れられているわけではない。
(もし、子供返りをしたのが体だけだとしたら・・・?)
嫌な考えに行き着いた。
もし、記憶がそのままだとしたら、あの拒絶は・・・イルカの本心か・・・・?
イルカに好かれていると思ったことなどない。
けれど、嫌われているとも思ってなかった。
息が止まりそうになる。同時にグラリと視界が揺れた。
その酩酊間が気持ち悪く、額を押さえキツク目を閉じた。
(憶測だ。考えるな)
心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。
イルカに嫌われてるかもしれない。想像するだけで目の奥がズキズキと熱く痛んだ。
小さなイルカの仕草は全て幼子のものだ。記憶があるなど考えられない。
「イルカ」
今、溜まらなく会いたい。
会って、イルカの口から俺が好きだとその言葉を聞きたい。
いや、それより抱いてしまいたい。
快楽に流されている時だけ、イルカは俺を求めてくれる。震える指で背に縋ってくれる。
こんなに会いたいのに、何処に行っても恋しい人は居ない。
居るのは、俺を拒絶する小さなイルカ。
今更この状況の惨さを思い知る。
時が経てば戻る、そう五代目は言った。だが、それがどれほどの時間かはわからない。
不安に胸が押しつぶされそうだった。
俺はミスを犯した。
小さなイルカを連れて帰らなかった。
どんなに泣かれようと、俺はそれをすべきだったのではないか。そうすれば、こんな不安は感じずに済んだかもしれない。
あの小さなイルカも宥めすかせば俺を好きだと頷くかもしれないというのに。
だがイルカを連れ帰りそびれた俺は、もはや何も出来ずに、ただ会いたい気持ちだけを募らせるしかなかった。
もしかしたら、と期待した。イルカは元に戻ってやしないかと。
だから、サクラに手を引かれる小さな子を見た時は落胆を感じずには居られなかった。
(あれはあれで可愛いけど)
可愛いだけでは物足りないのだ。胸の内にある不安は取り除かれることはない。
それに、
「おまえはイルカに寄るんじゃないよ。イルカの視界に入るの禁止だからね」
五代目にしっかりと釘を刺されてしまった。
わざわざ早朝の任務を受けに来る忍でごった返す受付で、
「わかったね」
俺以外の奴らに言い聞かせるように周りをグルリと見やりながら。
途端に多くの視線がこちらに飛んでくるのがわかる。里長の言いつけは絶対だ。それがどんなに理不尽なものであろうとも、関係ない。
もちろん俺は頷くことはしなかったが、周りの奴らは好き好きに返事を返していた。野太い声の勇ましいこと。
イルカに会うのにこれらの目を掻い潜らなければならないのか、そう思うと面倒な気もするが、イルカに会いに行かない理由にはならない。
今日こそはイルカを連れて帰る。
幸いにもこの日の任務は入っていない。それにここに居る面々を見ろ。皆精魂逞しく、有り余った気力を持て余しているような奴らばかりじゃないか。
イルカが元に戻るまで俺はしばらく休む、そもそもそれを言いに態々受付まで出向いたのだ。
「しばらく休みをいただきます」
向き直って言うと、五代目が眉を顰めたまま深く息を吐いた。
「イルカに会いに行ったら即刻里外任務を言い渡すよ」
「その時はイルカを連れていきます」
脅しのつもりはない。本気だった。イルカを背におぶい、大門から大手を振って出てやろう。
だが、五代目は笑った。
「そんなこと出来やしないくせに」
(何?)
不適な言い草が癇に障る。
「だから、おまえは片想いなんだよ」
しかも、昨日と同じ台詞を言ってのけてくれた。
(・・・気分が悪いな)
先ほどの五代目の言葉が胸焼けのようにムカムカと喉元に残っている。
力を侮られている、俺ではあの目をかいかくぐってイルカを奪還する力はない、そう言われた故の腹立ちかと思った。
だが、違うのはすぐに解った。
片想いという言葉がキツイ。俺ばかりイルカが好きなのだと改めて突きつけられるような気がする。
「イルカ先生」
小さなイルカの後姿を眺めながら、ぼんやりと『イルカ先生』の面影を重ねる。
あの人は20年前あんなだったのか。
イルカの声が聞こえないかと耳を澄ませた。
不本意ながら、今のところイルカには近づけそうにないので、幾分離れた木の上から小さなイルカ達を眺めている。野原では和やかに遊ぶ小さなイルカと、サクラ、その後ろにシズネ。このシズネがネックだった。
曲がりなりにも現職火影の片腕を担うくのいちを正面から相手にするのは得策ではないだろう。それに俺はどうもシズネに良く思われていないらしい。
昨日の態度がそれを物語っていた。
シズネとはこれまで嫌われる程接触した覚えはない。まあ、あのくのいちが何を考えているのかなんてどうでも良いから、とにかく俺の邪魔をするのはやめて欲しい。
「サーアちゃん、コレ、なあに?」
風が葉の擦れる音とともに小さなイルカの声を運ぶ。まだうまくサクラと発音が出来ないらしい、そんな拙い言葉使いが心地よかった。
サクラが身体を屈めてイルカの手元を覗きこんで優しく答えた。
「これはねー、ペンペン草」
「食べられるわよ。晩御飯に使いましょう」
「サーアちゃん、これは?」
「えーとねー、オニタビラコ!」
「それも食べられるわね。摘んで帰りましょう」
・・・先ほどから同じようなやり取りが繰り返されていた。小さなイルカの質問にサクラが答える。二人だけだととても和やかなのに、シズネがそれをぶち壊していた。
それでも、ふと、希望の光を見た気がした。
昨日小さなイルカはあんなシズネによく懐いていた・・・、シズネはとてもじゃないが子守が得意そうには見えないのに。
あれくらいなら俺でも出来そうだと思った。小さなイルカを手懐けるのはそう無理なことではないだろう。
後はシズネが離れる隙を突くだけだ。
だが、そんな隙などタイミングよくあるものではない。
早々にイルカ達を傍観することに見切りをつけることにした。
印をきり、五代目の使う式を作り上げる。それを飛ばせばシズネ達の目がそちらに注がれた。
式を見上げる二人に気付かれぬよう忍び寄る。まさに俺の本業、他愛もないことのはずだった。
だけど、小さなイルカだけは何故か式を見上げることなく、俺に気付いた。
真っ直ぐと黒い眼を俺に向ける。
子供故の本能だろうか。
(勘が良いな)
内心では感心しつつも、浚う妨げにはならない。幼い体はか弱く無力だ。抱き上げるといとも簡単に腕の中に納まる・・・はずだった。
イルカには声をあげる暇などなかった。
けれど、サクラの服の裾をしっかりと掴んでいた。
「サクラ!!」
後背にかすかにシズネの悲鳴じみた声を聞いた。
俺の腕の中には小さなイルカと、サクラ。幼い腕は無理をすれば容易く折れそうで、俺はサクラごとイルカを浚うしかなかった。
「・・・なんで私まで・・・」
サクラが項垂れながら文句を言っている。
「仕方ないでしょ。イルカが離さないんだから」
「しかも、何処よここ・・・」
「イルカ先生の家」
「なんで?!」
「うん、とりあえずお茶どーぞ。ねえ、小さいイルカもお茶飲むかな。ここ哺乳瓶ないんだよね」
サクラに茶を出し勝手知ったるイルカ宅の台所に戻る。
「普通の湯のみで大丈夫ですよ。温めのお湯で薄めてもらえれば・・・」
サクラのアドバイス通りにお茶を作る。後ではサクラがまたため息を吐いている。
「悠長にお茶なんか飲んでる場合じゃないのに・・・。ああ、駄目よイルカ先生!よその家でおイタしちゃ!」
「どうしたの?」
振り向けば、小さなイルカが穴の開いた障子に指を突っ込んで遊んでいた。
「ああ、それ元々穴が空いてたから構いやしないよ」
この穴にはそれなりに思い出がある。
イルカの家に通い始めて一週間もたたない頃、いつもの如く俺を前に緊張するイルカが今の俺のように茶を淹れ、台所から戻ってくる際に親指を引っ掛けて空けた。
些細なドジだと思うし俺自身に何をされたわけでもないが、イルカは顔面を蒼白にし何故か俺に謝っていた。
・・・嫌な思い出だ。
「はい、イルカもお茶どーぞ」
呼びかければ障子の穴に没頭していたイルカが振り向く。それから小さな体で転がるようにサクラの背に隠れた。
湯のみをちゃぶ台の上に置く手が止まる。
(・・・傷つくじゃないか)
悲しくなっていると、サクラが慌ててイルカに取り繕った。
「大丈夫よ、イルカ先生!このおじさん、こんな怪しげだけどイルカ先生には怖いことなんてしない・・・、と思うんだけど・・・。いや、するかしら?どうなの・・・?どうなんですか、カカシ先生!」
サクラ、どうせなら最後まで大丈夫と言い切って欲しかった。疑われるなんて心外だ。
「しやしなーいよ」
「・・・本当・・・?」
「うん、可愛がりたいだけ」
「帰ります!!」
「待って!」
イルカを抱えて立ち上がるサクラに慌てた。
「せめてイルカは置いて帰ってよ」
「それだけは出来ません!」
「何で?!」
サクラにしろ五代目にしろ、何故そんなに俺からイルカを取り上げようとするんだ。ちょっと酷い。
あんなにイルカに会いたかったのに。
昨晩もずっと眠れずにイルカのことばかり・・・、
「理由なんて、イルカ先生の態度が十分物語ってるじゃないですか?!」
サクラがイルカを庇いながら叫ぶ。
ふいに、昨晩の焦燥が蘇った。
イルカは幼い体躯になったとしても、その記憶は残っているのではないかと。
拒否の仕草には、偽りないイルカの本心ではないのか。
「大体小さい子っておじさんが嫌いなのよね。優しくないっていうか!」
喚くサクラの声もうまく耳に入ってこない。
「サクラ、・・・イルカが子供返りしたのって体だけ?」
「なんかカカシ先生必死すぎて怖いし・・・って、え?何?」
疑問に、サクラの気勢が削がれる。
「カカシ先生?」
不思議そうな顔とそのサクラの胸元にしがみつく小さなイルカの背。
それから目を逸らせば、込み上がるような胸の痛みを感じた。
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