アンチエイジング(4)





「・・・それは有り得ないです。まず脳味噌の容量が違いますし」
サクラは小さなイルカをそっと床に下ろし、少し躊躇いがちに、けれどきっぱりと俺の疑問を否定した。
それから考えるように視線を落とす。視線の先にはイルカが居る。
「私のこともわからなかったもの。シズネ先輩のことも師匠のことも、誰もイルカ先生はわからなかった」
まるで言い聞かせえるように「だからしばらく泣き続けてたの」とサクラが呟いた。
「・・・そう」
「凄かったんですよ。昨日、カカシ先生に抱っこされた時みたいな感じで。いや・・・あれよりはマシかもしれないけど。とにかくあんな感じで延々と!・・・最後は泣きつかれて寝ちゃった」
少しだけ胸を塞ぐ滾りが軽くなる。
五代目が俺に近づくなと牽制したのもあながち嫌がらせだけではないのかもしれない。
小さな体を震わせて泣く様の惨さを嫌というほど見せつけられていたのだ。そりゃあこれ以上泣かせたくないと思うだろう。

(・・・俺だって)

イルカが泣くのは嫌だ。可哀想だと、ちゃんと、思う。
だけど求めずには居られないんだ。
不安が募れば募るほど、片時も側から離したくなくて。
「イルカ、おいで、怖くないよ」
猫の子にするみたいに舌を鳴らして指先で呼んでみる。小さなイルカはサクラの影に隠れながらも、真っ黒な目で俺をジっと伺う。
警戒心を露にはしているが、昨日の様を思い出せば随分とマシになったといえる。
「少しはさー打ちとけてくれてると思わない?」
イルカから目を逸らさずにサクラに同意を求めた。
「・・・そうですね。昨日の大泣きに比べれば・・・。・・・ああ、もう!!」
サクラは疲れたように同意してくれたが、急に声を荒げた。
「カカシ先生、それじゃ全然駄目よ!飴玉とか持ってないんですか!何か甘いのを・・・、いや、いいです。私が持ってました!」
独り言なのか喚きながらゴソゴソと腰のポーチに手を突っ込み、棒つきのチョコレート・・・?を取り出した。
「すみません、コレをイルカ先生に」
イルカには見えないように、サクラがそれを投げて寄越す。ウサギの形をしたチョコレートだ。
「こんなので?」
イルカを釣れとでも言うのか・・・?
たかだかチョコレート一つでイルカの態度が変わるとは思えなかった。
けれど、イルカの目がチョコレートへと向く。声こそ聞こえなかったが、口が「あ」の字に開いていた。
イルカは明らかに反応していた。
「・・・コレ、いる?」
半信半疑で問えば、ギュっとサクラの服の裾を小さな手が掴む。
「チョコレート、いる?」
イルカがチラっと俺を伺う。それから・・・小さく頷いた。
可愛い。
心底思った。なんて可愛さだ。胸が締め付けられてしまう。
「おいで。あげるよ」
ようやっとイルカがサクラの影から出てくる。恐々とではあるが、ヨチヨチと俺の方に近づいてきた。
それだけで胸がドキドキしてきた。イルカの目はもはやチョコレートしか見えていないのはわかっているが・・・。
「なんて可愛いの・・・!」
近づいてくるイルカを思わず抱きしめそうになってしまった。
けれど、それをしてまた大泣きされては元も子も無い。
イルカの小さな小さな指先が俺の指先に触れた。ほんの一瞬だったが感動すら覚えた。
イルカは小さな手でチョコレートの包装紙を剥がそうと四苦八苦している。でもあんな短い指じゃ剥がすなんてそんな器用なこと出来るわけないじゃないか。
しばらく引っかいたり畳にパシパシとぶつけたりしていたが、そのうち焦れたのか、包装紙ごと噛み付いた。
「イルカ先生!駄目よ!ペーしないと!ぺー!」
サクラが慌ててしゃがみこんだ。
イルカの前でべぇーと舌を出して見せるが、イルカはキョトンとした顔をしているだけだ。
「ほら、イルカ先生!ね?べぇーって・・・。カカシ先生も何ボケーっと見てるんですか?!」
必死の形相でサクラが手本を見せている。ついでのように俺にも叱責が飛んでくるが、しょうがないじゃないか、イルカを見ていたい。
数度の手本ののち、イルカがサクラの真似をして舌を出した。
俺も少しは手伝おうと、その隙にチョコレートを引っこ抜けば、途端にイルカの顔がクシャっとなった。
「ふぇ・・・」
「はい、どーぞ」
急いで包装紙を剥きイルカに手渡す。泣きかけたのは一瞬で、イルカはすぐにキョトンとした顔に戻った。
「小さい子ってあんまり瞬きしないんだねー」
もうチョコレートを取られたくないのか、イルカは部屋の隅に逃げてチョコレートを食べている。
真顔でモグモグと口を動かす様はこの上なく愛らしい。
思いついたことを口にすれば、サクラは「そうですね」とどうでも良いといわんばかりの相槌を打った。
「ねえ、もっとないの?もう食べ終わっちゃったよ」
「・・・あ、はい。あと一つ・・・。っていうか、あの、私達もう帰っていいですか?カカシ先生も気が済んだでしょうし・・・。師匠達きっとカンカンだわ」
「うん。帰っていいよ、サクラ」
イルカに近づこうとするサクラの腕を取る。そのまま玄関口へと導いた。ついでに、サクラの持っていたもう一つのチョコレート受け取る。
「イルカ先生と一緒じゃないと、私、戻るに戻れないんですが」
「ん」
「・・・・・・上忍のおじさんに掻っ攫われたって報告しなくちゃ」
憮然とした口調のサクラに、おや?と思った。
俺がイルカを返す気がないのはわかっているはずだ。
もっと粘るかと思ったが、やけにあっさりと身を引くじゃないか。
「おじさんじゃなくて素敵な銀髪の上忍師がいいなあ」
サクラはサンダルを履き玄関の戸へと手をかけた。俺の注文に脱力したように肩を落とす。
「そう報告します。『里で唯一の銀髪隻眼で猫背の上忍師にイルカ先生は攫われました』」
「ごーかく」
笑って言えば、サクラの背が少しだけ笑ったのがわかった。
「カカシ先生が子守なんてはっきり言って無理だと思います。私はなんて酷いことしてるんだろう」
「ほんとにはっきり言うなあ」
「でも、私はこの場所を報告して、すぐに戻ってくるの。それまでのちょっとの間イルカ先生には我慢してもらうしかないんだわ」
自分に言い聞かせるようなサクラの言葉にハテと首を捻る。
「んー・・・?」
どう相槌打っていいかわからずぼんやりと呟けば、サクラが少しだけ振り向いた。
「だって、私はこれ以上カカシ先生に酷いこと出来ないもの」
「・・・サクラ?」
(・・・これ以上って何だ?)
サクラの急な変化がわからなかった。振り向いたその顔がどうして泣きそうになっているのか・・・。
「別にサクラに酷いことなんてされたことないよ?」
本気でそう思うのに、サクラは首を振る。初めて会った時よりも短くなった桃色の髪はパサパサと乾いた音をたてる。
「私は・・・、サスケ君を取り戻す力が欲しい。もうナルトの足手まといになるのはたくさんなの」
「そうだろうね」
知ってる。
そのためには、俺の元では駄目なことも。サクラの求める力は俺の元では培えないことも。
ようやっとサクラの言わんとするところがわかった。
(困ったな・・・)
サクラが五代目の元に走ったのは至極当然な結果だと言える。その行為に、サクラ自身が傷つく必要はない。無意味だ。
俺の相槌にサクラはギュっと唇を引き結んだ。
少しホっとした。
(それで良い。それ以上は何も言わなくて良い)
本気で安堵している自分がおかしかった。
サクラの感傷を叱責することが出来ない。
あの子には随分と甘いもんだと、他人事のように思い小さな背中を見送った。
胸の奥が痺れるような気がする。
それが痛いのか気持ち悪いのか、わからなかった。
(・・・叱責を・・・)
俺は、したかったのだろうか?
違う、叱責じゃなくても、他にかける言葉があったのではないか?
でも何を?
胸の痺れは思考すら麻痺させる。

 

さて、どうしよう。

サクラが居なくなったことに気付かれる前に、残っていたもう一つのチョコレートをイルカに与えた。
「サーアちゃん?」
だけど、チョコレートなんかすぐに食べ終わってしまう。イルカはすぐにサクラの姿を探し始めた。
「サーアちゃんはー・・・?サーアちゃーん」
声にだんだんと不安の色が混じり始めた。
拙い足取りで部屋の中をサクラの姿を捜し回る。このままじゃ泣き出すのは時間の問題だろう。
「イルカ」
呼びかけると、イルカが動きを止めた。それでも、振り向かずにまたサクラを探す。
イルカは少しの間部屋をチョコチョコと走り廻っていた。
が、ふいにヒッっと喉を鳴らせた。
(マズイ)
なんとかイルカの気を逸らそうとパックンを口寄せする。
「イルカ、イルカ!ほら・・・犬・・・!」
「あーワンワーン!」
途端にイルカの顔が変わった。ようやっと俺の声に反応してくれた。
良かったと胸を撫で下ろすも、内心面白くない。何だ、この敗北感は。
「逃げるなよ」
悔しさ半分脅し半分で逃げ腰になっているパックンの後に立つ。パックンは恨めしそうに俺を見上げ、その後のイルカの突進を甘んじて受けてくれた。
そのまま、さっきのサクラと同じようにパックンごとイルカを捕まえとりあえずこの部屋を出ることにした。
すぐにサクラも戻ってくると言っていた。グズグズしている暇はない。
「どうするんだ?この子、飼うのか?」
俺の腕の中でパックンがイルカに頬ずりされながら聞いてくる。なんて羨ましいんだ。俺もイルカに頬ずりされたい。
パックンだって迷惑そうな顔をしながらも満更でもないじゃないか。尻尾をピコピコ振っている。
「カカシの子か?」
「んー?うちの子になってくれるかな?」
なってくれればいいのに。
その期待を込めて聞けば、パックンはフムと難しい顔をする。
「主じゃなくてワシの子にならなるかもしれんな。好かれとるし!」
「えっ?!」
そりゃそうみたいだけど。
そんなのあんまりだ。
「・・・・・・お義父さん、息子さんを僕にください」
「貴様のような奴に息子はやれん!!」
「ワンワン、おしゃえり、じょーずねえ」
パックンが喋るたびにキャッキャとイルカが笑う。
(この調子じゃしばらくは大丈夫そーね)
グズる様子のないイルカに安堵しながら、道を急いだ。


しん、とした空気が部屋に満ちる。
向かいではイルカが子供用の椅子に座り、ムッツリした顔で小さなスプーンを握っている。
泣きに泣いた後の頬はいつもより赤く乾燥していた。
「それ、嫌い・・・?」
尋ねてもイルカは答えない。
(食べ辛いのかな・・・?)
まだ一人で食べることが出来ないのかもしれない。ただ、それだけじゃないのも解りすぎるほどわかっている。

・・・順調なのは、イルカをこの隠れ家へと運ぶまでだった。

隠れ家には必要最低限の家具と水しかない。ひとまず買出しに行くことにするも、大っぴらに街中を歩くことは出来なかった。
一応、五代目の意向に背いてるわけだし。俺はイルカを手放したくはないし。
影分身を作り、とりあえず菓子や育児書その他必要そうなものを思いつく限り買いに行かせた。
(大体2歳くらいか)
イルカはまだパックン達と遊んでいた。
それをたまに横目で見やり、買って来させたばかりの育児雑誌に目を通した。
言葉が出ているところを見ると、赤ん坊というよりは幼児らしい。
結構なんでも食べるようなので安堵する。
だが、突然イルカが泣き出したのだ。
やはりサクラが居ないと駄目なのか、知らない場所に居ることに気付いて怯えてしまったのか、可哀想に体全体を震わせて泣く。
慰めようと近づく俺を見ると更に泣いた。
困った。
パックン達もどうしていいかわからない様子でオロオロとしているだけだ。
しばらくは呆然とイルカの泣く様子を眺めていた。
イルカの気を逸らさないと・・・、考えるとそういえばまだちゃんと飯を食ってないことに気付いた。
そうして、四苦八苦の末に何とかイルカの気を飯にと逸らすことには成功したわけだが。
イルカが飯を食べようとしない。
二人向かい合って押し黙るこの空気。
悲しい程身に覚えがあった。
いつものイルカとの食事風景と一緒だ。いつもイルカは俺の視線を避けるようにそっぽを向き、黙々と飯を食っていた。
(腹が減ってないわけじゃないと思うんだけど・・・)
小さなイルカは明らかに飯に反応していた。
もしや、と思いイルカの向かいの席を立った。そのまま後に回る。そうして、イルカはようやっとスプーンを皿に突っ込んだのだ。
ショックで眩暈がしそうだった。
そんなに俺の顔を見ながら飯を食うのが嫌なんて・・・。
悲しくて笑ってしまいそうだ。もういちいち打ちひしがれるのにも疲れてくる。
イルカは皿にスプーンを突っ込んだまではいいが、うまく口に運べないようだった。
「貸して」
背後からそのスプーンをもぎ取る。少々手荒いかと思ったが、俺もヤケクソだ。
どうせ小さなイルカには嫌われているのだ。いい加減認めるよ。
今はそれで良い。
今最も優先すべきことはイルカの腹を満たすことに決まってる。
レトルトの幼児用スープをすくい、イルカの小さな口にスプーンを突きつける。・・・念のために後から。
「はい、あーん」
反射的に、イルカは口を開いた。
サクラ達にこうやって食べさせてもらっていたのかもしれない。
スープを口に運ぶと、イルカは鳥の雛のようにパカっと開く。
(楽しい)
しみじみ思った。
背後からイルカを囲い、飯を食わせる。そうしなければならない理由(俺の顔を見るとイルカは飯を食わない)なんて、どうでもよくなってしまう。
俺はイルカが腹がいっぱいだとグズりだすまで、何度も何度小さな口にスープを運んだ。






  

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