閃光






数日は何事もなく過ぎた。
体の痛みやダルさもほとんどなくなり、たまに尻のありえない部分が引き攣るように痛むだけになった。
傷がついているのかもしれないが日常生活に支障をきたすほどではない。
体の癒えは精神衛生上にも非常によろしい。
どんなにあの時のことを考えまいとしても、痛みを感じる度に思い出してしまう。それは不本意であり、精神的に負担がかかる。
(よしよし、もう大丈夫だな)
アカデミーから自宅へと続く道の途中にある階段を下りながら、昨日までは僅かにあった腰の痛みを感じないことに安堵した。
痛みがなくなれば、自然とあの酷な情景を思い出すこともなくなるだろう。
はたけ上忍はあれ以来一度も俺の前に姿を現してはいない。
まだ任務から戻ってきていないだけかもしれないが、顔を合わさずに済んで助かる。
はたけ上忍もそうに違いない。
子供だましにも満たない薬のせいで男相手に盛大にさかってみせたのだ。
薬に完全に犯される前、まだ理性が残っていたのだろう男は俺に「なんで?」と詰め寄った。
「なんであんたなのか?」と。
その時は何を言っているのかわからなかったが、今はよくわかる。
(まさか男に惚れたくて薬飲んだわけじゃあるまい)
男の考えは知らないが、とにかく俺の出現は男にとって予定外でしかなかったはずだ。
今更ながらはたけ上忍が不憫に思えた。
ここ数日は自分のことだけで精一杯だったが、改めて考えるとはたけ上忍の方が明らかにかわいそうだ。
せめて美人のくの一とかならまだ救われたかもしれないのに。
はたけ上忍はモテる。この春知り合ったばかりで大して話をしたこともないが、そんな俺でさえもそのモテっぷりは知っている。
格式高い遊郭の花魁が手薬煉引いて待ってるだの、どこぞの富豪の娘に惚れられ島を貢がれただの、目が合っただけで生娘が失神するだの。
とにかく噂がすごい。
そのモテっぷりは羨ましいを通りすぎて凄まじい。
まあ、これは噂なので誇張されている部分は多少なりともあるだろうが、普段見ていてもよく女性が遠巻きに群がっているのでやはりモテるには違いない。
数ヶ月前まで、ほとんど伝説のように語られていた男だ。
そんな男が生身で姿を現したのだ。里の女達が浮き足だつのもわかる。
なので、ますますはたけ上忍にとって昨日の出来事はショックがでかかっただろう。
全然モテない俺でさえ、もし薬のせい(自分で飲んだとしても)でもさい野郎に盛ったとなると、軽く一ヶ月は失踪したくなるかもしれない。
きっと今頃腸の煮えくりかえる思いをしているんじゃ・・・。
と、そこまで考えてゾっとした。
(俺、もしかしてヤバくないか?)
はたけ上忍の怒りが俺に向けられる可能性がある。
八つ当たり以外の何者でもないが、俺は最悪なタイミングで出くわしてしまったのだ。
とりあえず一発二発は覚悟しといた方がいいかもしれない。
・・・でもなあ。
実際あの男に一発でも殴られたらヤバいよな。
結構根に持ちそうな顔してるしな・・・。
数日前、紅先生が「カカシから逃げろ」と言っていた。
あの時は、ケツを狙われているから気をつけろと言う意味かと思ったが、そうか、狙われているのはケツじゃなくて首か。
ブチ切れたはたけ上忍に殺されないよう逃げ回れと言うことか・・・。


「イルカ先生」

 

「・・・へ?」


考え事に没頭していたのか、側に誰か近づいていることに全く気づかなかった。
反射的に振り向くと、思ったより近くに人がいる。
俺は間近にあった顔を見て、瞬間に固まってしまった。


(・・・ギ、ギャアアアアアァァァァァ!!!!)


は・・・はたけ上忍!!
はたけ上忍がすぐ側に居る。
今まさに物騒なことを考えただけに、死ぬほどビビッた。
クソ、ビビりすぎて叫び声も出やしねえ。
「イルカ、先生」
はたけ上忍がやけに無機質な声で俺を呼んだ。
先日のように白い指先を俺に伸ばしてくる。反射的にその指を避け後ずさった。
こんなところでいきなり殺されるとは思えないが・・・、男の唯一見えている右目が激しい感情を押し殺すように揺れ俺を凝視している。
(怒ってるのか?)
その視線に、まるで体が射すくめられたように動かなかった。
男は一度ゆっくりと瞬きをすると、再度俺に手を伸ばした。
逃げたかったが、先ほどよりも早い手の動きにあっという間もなく腕を掴まれる。
(ボ・・・ボコられる・・・・っ!!)
思わず目を瞑り次に来るだろう衝撃に体を堅くした。
けれど、予想に反して何もない。
おそるおそる目を開けると、はたけ上忍は瞳を揺らしたまま俺を見ているだけだ。
あれ?どうしたんだ?殴らないのか?
不思議に思いながらもしばらく二人で見詰め合ってしまった。
下手に口を開くのが怖い。


「逢いたかった」


男は俺の目を見つめたまま小さく呟いた。
「・・・・へ?」
何を言われているのかよくわからなかった。
「逢いたくて、気がおかしくなりそうで・・・」
(何だ・・・?)
「はたけ上忍?」
一体、この男は何を言いたいんだ?
逢いたかった?お礼参りにってことじゃあないよな?そんな風には聞こえないが・・・。
「抱きしめても、いいですか?」
懇願するような声音だった。
(抱きしめる・・・?)
・・・何を?
疑問を口にせずに済んだのは、男が俺を見ていたからだ。俺だけを見つめ、瞳を揺らしているから。
「だ・・・駄目です!!」
男が何を言っているのか理解した途端、全身の毛穴が開きそうな怖気が走った。
「何を言ってるんですか?!」
否定の言葉に、腕を掴む男の指の力が緩む。この隙を逃すものかと男の指を跳ね除けた。
男は虚をつかれたように目を見開き、辛そうに視線を落とした。
「・・・怒ってますか?あの時、無理やりあなたを抱いたから・・・、嫌がってたのに、無理強いをして」
「なっ?!」
「酷いことをしたと、わかってます。わかってたけど、止められなかった。泣いて逃げようとするあなたを無理やり犯しました」
「ちょっ、ちょっと!」
いきなり何を言い出すんだこの男は。今は人気がないといえ、誰もが通る公の道で何てことを・・・!
(犯したとか言ってんじゃねえ!)
「止めてください!」
慌てて言葉を遮るが、男は喋るのをやめない。
「いいえ!怒っているいうのなら、俺に謝罪をさせてください。自制の効かなかった俺を好きなだけ罵ってくださって結構です。殴ろうが蹴ろうが、あなたが気の済むようにしてください。だから・・・・!!」
必死で言い募っている。
まさか、この男から謝罪の言葉を聞けるとは思わなかった。一時は八つ当たりまがいに殺されるかもしれないとまで思いつめていたのだ。
だが、危惧していたように上忍の権力を盾にするような男ではなかった。それどころか、
「だから・・・!」
男はいつものように口布をし、額宛で左目を覆っているためその表情はわからないはずなのに、・・・酷く辛がっているのではと思った。

「嫌いにならないでください」

右目だけで縋るように見つめてくる。

「あなたに嫌われたら・・・俺は生きていけない」

目の前の男を愕然と見返した。
(紅先生、嘘吐いたな・・・)
何が『子供騙し』だ『2・3日で効果は切れる』だ。めちゃくちゃ効いてるじゃないか。
「正気に戻ってください」
語尾が震えてしまう。
上忍なんだろう、あんな薬にも満たないもの如きに何を振りまわれているんだ。
はたけ上忍は俺の言葉を受け、緩く目を細めた。
「無理ですよ」
穏やかとも言える声音で男は言い放った。
「正気なんて、とっくに失ってます」
恐ろしいと心底思った。
目の前の男は何なのか、とてもじゃないが見ていられず、ただ首を振った。
「あなたのことしか考えれない。あなたが俺を狂わせるんです」
「違う!」
反射的に言い返した。
違う、男は大事なことを見逃している。薬の作用だと、自分でもわかっているはずだろう!
どうしてこうなるんだ?!
「違わない」
当然のように男は言い返した。
話が通じない。わかってはいるが、ここでひくわけにはいかない。
「はたけ上忍!それは薬の作用で・・・!」
「・・・それが?」
ブワリと足元の空気が舞い上がった気がした。揺らぐ感覚に背中が粟立つ。
(何だ・・・?)
目の前の男の気配が乱れていた。
殺気ともつかないそれを纏い、男は俺を見据えている。
「薬のせいだから、何だって言うんですか?」
「何って・・・」
(怒ってるのか・・・?)
「ねえイルカ先生。苦しいんです。寝ても醒めてもあなたのことばかりだ。逢いたいとそればかりだ。嫌われたらと考えるだけで気が触れそうになる」
男の気配がただ強い。俺は微動だに出来なかった。
伸ばされた手も、見えているだけで跳ね除けることができない。
「逃げられるのは辛い」
そのままやんわりと抱きしめられた。腕の力は弱々しく、逃げようと思えばすぐに逃げられるだろう。
なのにそれが出来ない。
男の手が震えているのだ。背中触れる指が小さく震えている。
「俺だって、どうしていいかわからないんです・・・!何もかも抑えが効かない。ただ苦しいだけだ。あなたと離れているだけで絶望しそうになる。薬のせいだとわかっていても、辛いのには変わりない。あなたのことばかり考えて苦しくて・・・!」
切々と男が訴えてくる。
それをどう受け止めていいかわからない。
ふいに、血の匂いが鼻をついた。
任務に赴いていた男は里に戻るとその足で俺に会いに来たのかもしれない。
男の言う通りなら、ただ俺に会いたくて、埃と血にまみれ俺を捜していたのかもしれない。
「・・・怪我は、ないですか?」
男は「いいえ」と小さく首を振った。銀色の髪が頬をパサパサと滑る。その髪にもまた細かく血が付着していた。
「苦しいですか?」
それには小さく頷く。
「どうしてですか?」

男はしきりと苦しんでいる。俺のせいだと言わんばかりに。

(・・・毒を)

男の纏う血の匂いに、いささか頭が冷やされた。

(男が飲んだのが、毒だとしたら)

「あなたに嫌われるのが恐い」
男は目を伏せたまま小さく呟いた。


この男は毒を飲み、自分の前で喉を焼かれる痛みに苦しんでいるのだとしたら。
俺はそれを側で見ていて、それでも「毒を飲んだから苦しいのだ」と言ってられるだろうか。
原因だけを追究し、苦しみもがいている男を見殺しにするのか。
俺は、男の苦しみを和らげる手立てを持っているというのに。

 

「嫌いじゃありません」
男の頭に手を回し、あやす様に撫でた。
「少し・・・吃驚しただけですよ。逃げやしません」
ビクっと男の肩が強張る。しばらく撫で続けると、オズオズと俺に回していた手に力をこめて来た。
「本当ですか?」
「ええ。男に二言はありません」
俺に抱きついている男には見えないだろうが、俺は微笑んだ。男を安心させられるように精一杯優しく言った。
(しょうがないじゃないか)
まさにヤケッパチな心境だった。
俺がこうでも言わない限り、この男本当に苦しんだままじゃないか。
必死で助けを求めているというのに見過ごすことなどとでもじゃないが出来やしない。
日の暮れかけた空に一番星が瞬きはじめた。
俺はとても目が良いはずなのに、一番星がやけに霞んでみえる。
(チクショウ、泣くものか)
俺は、根性で、この年上で上忍で上背のある男の頭を撫で続けた。

 




 

  

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