閃光
「明日から任務だそうです」
俺の背中に上半身を預け、男が詰まらなさそうに呟いた。
「少なくても三日」
「え?!そんなに?」
思わず振り返ってしまいその反動で男の体が床に倒れた。
「わ!すいません・・・・でも、三日って」
(大丈夫なのか・・・?)
床に倒れたまま難しい顔をしている男を見ると俺も不安になってしまう。
ここのところ暇さえあればずっと一緒に居た。一緒に居る間は常に体のどこかが触れ合っている。
今のように俺が持ち帰りの仕事をしている時俺に寄りかかってイチャパラを読んだり(はたけ上忍は邪魔はしていないと言う)、食事の時も手は繋いだままだったりするし(はたけ上忍は左手でも食事するに不便はないようだ)・・・。
まあとにかくずっと俺に引っ付いている。
俺は男を泣かした負い目があるので好きにさせていた。男の体温は既に俺の日常の一部になりつつあった。
「・・・どうしましょう?」
途方に暮れた声で男が尋ねてくる。
そりゃそうだろう、男はたった一日離れていただけで死にそうな顔していたのだ・・・、いや、待て、それ以前にも一度任務途中に何度も帰ろうとしたとか聞いたこともある。
(まずくないか?)
心臓がいやな具合にドキドキしてきた。
(三日も俺と離れた場所で、この人ちゃんと任務をこなせるのか?)
仮にも上忍を捕まえて何を失礼なことを思わなくもないが、前科があるだけに不安が募る。
「断りたかったんですけどね」
「それは駄目です!」
慌てて言葉を遮った。任務放棄など在り得ない、ただでさえこの状況に男の評判はガタ落ちだろう。これ以上男の名に傷つけることをさせては駄目だ。
「ん。そうだよね。多分、イルカ先生が怒るだろうなと思って、引き受けてみました」
俺のために、と言われているのか。何か腹が立つな。俺が怒るのはあんたのためだ。俺のためじゃないだろ。
「でもやっぱり無理そうなんですが。あなたの顔を見たら行きたくなくてしょうがありません」
行きたくないとグズる男にハっと我に返る。
いかんいかん、何を俺まで弱気になっているんだ。ここはどーんと男の背中を押さなければ。一緒に不安がってる場合じゃねえぞ。
「行ってください」
「・・・わかってます」
男はぷいと寝返りを打って俺に背を向けた。
「わかってるなら良いです。俺も安心してここであなたの帰りを待てます」
向けられた背がビクリと強張る。
「・・・待っててくれるの?この家で?」
「家主不在の家に居座るのは迷惑ですか?」
「とんでもない!」
ガバっと男が起き上がった。
男の頬が薄っすらと上気している。嬉しそうに目を輝かせて俺の手をとった。
(そんなに嬉しいのか・・・)
喜ぶだろうとわかって言ったのだが、こうも素直な反応を返されると照れてしまう。
「あなたがちゃんと任務に行くならの話しです!わ・・・わかってると思いますが怪我なんかしたら承知しませんから・・・!」
ヒィィィ〜〜!言いながらどんどん顔に血が昇ってきた。
何だ?とてつもなく恥ずかしいぞ。
「行きます!ちゃんと任務をこなします!怪我もしません!」
指先を引き寄せられ口付けられる。忠誠を誓うような気障めいた仕草も、なまじっか整った顔の男がすると様になりすぎる。
「どうしよう・・嬉しくて頭おかしなりそう。イルカ先生大好きです」
(か・・・勘弁してくれ・・・!)
上目遣いに見つめられると落ち着かない。俺の動揺などまるで知らないと言わんばかりに男はうっとりと微笑んだ。
「俺が淋しくて帰りたくならないように、三日分しないと。ね?」
何を、と聞く程今更なことはない。
(・・・仕事・・・)
視界の端に放置されたプリントが写る。
早めに終わらせたい仕事だったが・・・
「・・・あ・・明日から任務なんですから、あまり無茶しないでくださいね」
乱暴な言い草でも、肯定の言葉に男の気配が喜色ばむ。
(明日から時間もあるしな)
男が居ない間はきっと仕事がはかどるだろう。だったらいいかと、覚悟を決めて押し倒されることにした。
(きっちり三日分していきやがった・・・)
腰がとんでもなくダルい。歩くだけで腰が抜けそうになる。今俺を歩かせてるのは仕事を休んでなるものかという意地だけだ。
やりすぎて立てませんなどそんな恥ずかしい理由で休んでたまるか。俺は負けねえ。
「大丈夫ー?」
受付所へと続く廊下を必死こいて歩いてるとよく知った女性の声に呼び止められた。
「・・・大丈夫です」
「聞くだけ野暮だったわね。悪かったわ」
振り返ると紅先生が難しい顔で俺を眺めていた。
「何の御用でしょうか?」
「別に。様子を見にきただけよ」
(・・・はたけ上忍のことじゃないのか)
ひっそりとため息を吐いてしまった。
てっきり・・・はたけ上忍を正気に戻す方法が見つかったのかと思った。
「特に変わったことはありません」
向き直ると、紅先生の顔色が随分と良くないことに気づいた。目の下に黒々としたクマがあり、頬も心なし削げている。
「紅先生こそ、大丈夫なんですか?顔色が優れないようですが・・・」
「当たり前よ。これでも責任感じて色々と手を尽くしてるの」
「・・・それは・・・、申し訳ないような」
全然申し訳なくないような。
手を尽くしてくれるのは有り難いが、事の発端を担っているのだから当然のような気もする。
一瞬頭を下げまいかと迷ったが、仮にも上司であるくの一への礼儀は欠くべきではない。
「・・・中々素直な性格してんじゃないの」
頭を下げる前に紅先生に言葉を遮られた。
「へ?」
不機嫌を隠しもせずに憮然と腕を組んでいる。
「まあ、そりゃ私がなんとかするのが筋なんだけど、・・・なんなのかしら?私、もしかして余計な事してる?」
「何がですか?」
「カカシ、あのままでも問題ないじゃない」
ズバリと言われ、一瞬背筋が強張った。
「な・・・っ?!」
(何を言ってるんだ・・・?!)
「二人うまくやってるみたいだし、なんだか人の恋路を邪魔するみたいで気がひけるのよね」
「いい加減なこと言わないでください!めちゃくちゃ問題あるじゃないですか!はたけ上忍があんなおかしくなって・・・、これ以上あの人を貶めるわけにはいきません!」
「別に、カカシが変なのは生まれつきでしょ。そりゃあなた達のイチャつきぶりには正直うんざりするけど、まあそれはそれで良いんじゃないの?大体、なんでカカシの方ばっかり心配してるわけ?この場合明らかにイルカに迷惑かかってんじゃないの」
「紅先生!」
慌てて好き勝手言う紅先生の言葉を遮った。
「何よー。その通りじゃないのー」
ブーブーと子供のように文句を言う紅先生にドっと疲れが押し寄せる。
「・・・面倒になったんですね・・・」
多分、この麗しいくの一は面倒になったのだろう。どれ程手を尽くしてくれているかはこの顔色の悪さを見ればわかる。いつまでたっても見つからない突破口に嫌気が差してきたのかもしれないが・・・、
「なんとか、お願いします。俺に出来ることがあったら何でも手伝いますから」
姿勢を正して頭を下げた。
冗談も程ほどにしてもらわなくてはと気を引き締める。
「早く、はたけ上忍を元に戻してください」
「・・・いいのね?そんなこと言うなら、私作るわよ、緩和剤。出来ちゃうわよ?」
先ほどの不機嫌な声より些か強張った声で紅先生が言った。
何の念押しなんだか、とわからない振りをして笑った。
「お願いします」
そう言う以外俺に何を言えるだろうか。
「わかった」
紅先生の承諾の言葉が頭上で聞いた。顔を上げる事は出来なかった。
出来上がった書類の角を机で整え、ようやっと一息つけた。
(予想以上にはかどったな)
もう少し時間がかかるかと思ったが、はたけ上忍が任務に行ってまだ二日目だというのに持ち帰りの仕事が無くなってしまった。
男が居たらこうはかどらないだろう。邪魔はしないといいつつも、やはり纏わり付かれてはこちらも構ってしまう。
こんなにはかどるならもう少しアカデミーに居残っても良かった。
時計を見ればまだ10時前だ。寝るにはいささか早い。
「何するかなー」
ぼんやりと呟いた言葉に、あーあと自嘲のため息が洩れる。
することがないのだ。いや、風呂に入ったり明日の準備をしたり、考えればすることはあるはずなのに、どれも気が乗らない。
いつもはどんなに時間があっても足りないと思う。
食事するのも風呂に入るのも一人の時より数倍時間がかかり、気が付けば寝る時間を逆算しては泣けてくるような時間帯まで男の我侭に付き合っていたりする。
(上忍ってすげえよなー・・・)
任務に赴く前も散々だった。勘弁してくれと何度頼んだだろうか。けれど、俺が頼んでも、男は聞かないどころか同じように懇願するのだ。
「もう少し」だの「あと一回」だの。ふざけんなと罵っても決して怯む事はない。全力でかき口説いてくる。
結局最後は男の思うようにされてしまった。
男同士の情事は受身側である俺の方が負担が大きいとは言っても、一晩中俺の上で腰を振る男だって疲れるのではないかと思うのだが・・・。
翌朝、男はまるで「そんなことはしておりません」とでも言うように涼しい顔をして家を出た。
『化物だ・・・』颯爽とした後姿をそら恐ろしい気持ちで、上半身だけなんとか起き上がらせ見送った。
・・・そこまで思い出して、急に顔に血が昇った。
「・・・変態か、俺は」
一月前まで、自分が男に抱かれる日が来るとは想像もしなかった。ましてやそれがはたけカカシなどどうして思いつこうか。
そんな晴天の霹靂の如き現実を前にして、・・・これが一番信じられないことだが、俺は受け入れてしまっている。
男に抱かれることに嫌悪感を感じていない。あろうことか今のように男との情事を思い出しては顔を赤らめる始末だ。
それは何故か。
抱かれる行為は男として屈辱的なものだと思っていたのに、それを感じない理由は?
はたけ上忍の救済という代議名文があるからか。確かに始めはそうだっただろう。だが今は違う気がして・・・、
(・・・マズイよな)
熱くなった頬を冷やすため窓を開けた。湿り気を帯びた風が吹き込みカーテンを揺らす。
ふいに白いものが視界をよぎった。
「・・・式?」
白い人型の紙がやんわりと風を孕んで俺の眼前に落ちてくる。手を伸ばすとそれはなんなく手の内に納まり、文字を浮かび上がらせた。
―― もうすぐ戻ります
目を通すとすぐに文字は風に攫われて消えた。
「良かった・・・」
安堵にため息が洩れた。
式を飛ばしたのははたけ上忍に違いない。癖のない文字は、何度か報告書を通して目にしたことがあった。
何より、あんなたった一言のために俺に式を飛ばすのははたけ上忍しかいない。
男が任務に赴いて二日(予定では三日のはずだが)、そんな短期間でも男が無事か常に気にかかっていた。
里心がついてやしないか、バカなことを考えてはいないか、そのせいで・・・怪我でもしていないか。
まるでアカデミーの生徒を心配するかのように、男の身を案じていた。
上忍に対して無礼な事だとわかっていても、俺はそういう性分なのだ、過保護なのだ、と言い聞かせて、男が無事に戻ってくるよう祈った。
手の中でただの紙と成り果てた人型に苦笑が洩れる。
(三日だって言ったのに)
式を飛ばす元気があるくらいだから無事なのだとは思うが、やはり無理はしたんじゃないか。
「こうしちゃいらんねえ」
きっと疲れ果てて帰ってくるだろう。すぐに休めるよう準備をしなくては。とりあえず風呂を沸かして、いや、飯の準備がいいだろうか?
窓は開けたままにしておいて居間を出る。
妙に足が軽い。浮き足立つ気分は自覚している。
はたけ上忍が帰ってくる。
それだけで、つい先刻まで「することはない」などと嘆いていたのが嘘のようになくなっていた。
昨日、紅先生の軽口を笑い飛ばすことは出来なかった。面倒くさがるくの一に頭を下げて懇願した。
理由は一つだ。
紅先生は「カカシのことばかり」と言ったが、そんなことはない。俺は自分のために頭を下げた。
一日でも・・・一分でも一秒でもいい、早く男を元に戻して欲しい。
(じゃないとマズすぎる)
今ですら、俺ははたけ上忍のことばかり考えている。惚れ薬に狂わされているだけどとわかっていながら、こうまでも、身体も思考も、男に支配されている。
一瞬、空気が膨張したかのような気配を背中に受けた。
「イルカ先生!」
はじかれたように振り返ると、開け放したままの窓からはたけ上忍が飛び込んできた。
慌てて駆け寄った。肩で息をする男は俺が行く間も惜しいと手を伸ばしてきた。
「・・・嬉しい。本当に、居た」
抱きついて、俺の肩に顔を埋めたまま、男は息も整えずにそんなことを言うから。
(早く正気に戻ってくれ)
胸が痛かった。
「イルカ先生、イルカ先生」
何度も俺の名を呼び、嬉しそうに身体を預けてくる。銀色の髪にはところどころ土や埃がついていた。
(葉っぱまで付けてら)
まだ若い緑色の葉っぱを手で払いながら、この胸を塞がれる想いはなんなのかと、頭の片隅で問いかける。
「はたけ上忍」
呼びかけると、男は息を整えながら顔をあげた。目を合わせ、男の無事を確認した。
「おかえりなさい」
ご無事で何よりです、続くはずだった言葉は男の唇によって奪われる。
男の熱を直に感じ、また、胸が痛くなった。
(早く、早く正気に)
これ以上の胸の痛みはご免だった。
一緒に居る時間が長ければ長い程胸の痛みは増すばかりだ。その痛みに、泣き出してしまいそうになる。
「イルカせんせ・・・」
息継ぎの間にも名を囁かれる。誰かにこれほど求められたことはなかった。
喜びに胸が震える。
それが・・・恐ろしくて、申し訳なくて。
気づけば手を男の背に回しそうになっていた。見掛けよりもずっと逞しいその背に縋りつきそうになった手を、なんとか押しとどめる。
もう、抱きしめるのは男をあやすためだけではなくなった。
何の意思を持って俺は男を抱きしめるのか。
なのに、逡巡に下ろした腕を男は自ら自分の背に回した。
「抱きしめて」
・・・そんなことをすれば、俺はもう離せなくなってしまうのに。
一分の隙間も惜しい程抱きしめられ、苦しさに視界が歪んだ。
薬の効果が切れ男が正気に戻ったとき、胸の痛みに耐え切れず、俺は泣いてしまうかもしれない。
ぼんやりと、そんなことを思った。
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