恋の名のもとに(2)
「カカシ先生!今日は冷蔵庫の日ですね!」
受付で報告書を差し出すとイルカが目をキラキラさせながらそう言った。
「仕事が終わったら俺も見に行っていいですか?!」
アカデミーの仕事が終わってからの受付業務では、イルカも大変ではないかと心配になる。
さすがに答えに窮していると、イルカは目に見えてしょんぼりした。
確か、イルカは電気屋で一番冷蔵庫に力を入れていた。
初めはそうでもなさそうで「一人暮らしだからそんな大きいのは入りませんよ」などと言っていたのに、、店員がカタログを持ち出し最新の冷蔵庫の説明を始めると面白いように聞き入っていた。
「製氷5分!って本当ですかね?!」
疑いなど微塵もしてない顔をしてそんなことを言うイルカは驚くほど可愛かった。
イルカが気に入ったのならと冷蔵庫をそれに決めると、イルカは一瞬喜んだ顔をしたがすぐさま顔色を変えた。
「カカシ先生!いけません!これ凄く高いですよ!」
値段など!何を気にする必要がある。
笑ってしまいそうになった。
イルカが喜ぶなら、いくら注ぎ込んでも高いことはない。
電気屋からの帰り道、イルカは終始心配していたようだが、俺は酷く気分が良かった。
その冷蔵庫の納入日が今日だった。
あれ程イルカは冷蔵庫のことを気にしていたのだ、きっとここで来るなと言うほうが申し訳ないだろう。
「・・・どうぞ」
しょんぼりとした顔に焦りを覚えつつ承諾の意を伝えると、イルカはパっと顔を綻ばせた。
心臓が大きく跳ねるのがわかった。
さすがにこれは大きかったかもしれない。
台所に何とか収まった冷蔵庫を前に小さくため息が洩れた。
さすが製氷5分だけありものすごく性能は良さそうな上に重厚だ。とにかく大きい。
マグロ一本入りますと納入業者も苦笑いだった。
「ま、いいか」
それでもイルカが喜ぶなら、何も問題はないだろう。
そう思ったのだが。
仕事を終え俺の家に駆けて来たイルカは、あがった息も整えず冷蔵庫を見るやいなやいきなり俺に土下座した。
「・・・も、申し訳ございません!俺はなんてものを薦めてしまったのか・・・!こんな、業務用の冷蔵庫だったなんて!あの時はよくわからなくて・・・!!本当に申し訳ございませんでした!!」
喜ぶどころか顔面蒼白になっている。
「別に、気にしなくて良いです」
イルカが謝る必要が何処にある。
買うのを決めたのは俺だ。冷蔵庫の寸法とて実際に目にしている。確かに大きいとは思ったが、大きいからと言って困るわけでもない。
なのにイルカが他人行儀に謝っている。
嫌な気分がした。
これ以上俺に謝るイルカを見ては居れず、俺はお茶を淹れるからとイルカを居間へ押しやった。
ヤカンに水を入れながら、己の失敗に舌打をしたくなった。
あんな顔を見たかったわけじゃない。ただイルカに喜んで欲しかっただけだ。
(・・・謝るな)
謝罪の言葉を簡単に口にしないで欲しい。
罪悪感に苛まれそうになる。
謝らなければならないのは俺の方だ。
自分勝手にあんたを拘束する俺の方なんだ。
茶を淹れ居間に戻ると、イルカは固い表情のままだった。
俺の顔を見るやまた頭を下げようとする。
「謝る必要はありません」
言い放つと、イルカは中途半端に頭を下げたまま動きを止めた。
「・・・あの冷蔵庫はどう考えてもこの家には不適切です。俺が、あの時店員と一緒にカカシ先生を煽ってしまったんじゃないかと・・・」
「イルカ先生、ちゃんと止めてくれたじゃない」
「ですが・・・!」
「俺は」
あの冷蔵庫が必要だと思ったから買ったんです。あんたを喜ばせることが出来ると、俺があんたが喜ぶ顔が見たかったから、アレが必要だったんです。
そう言いたかったのに、口がうまく回らない。
元来人付き合いは得意な方ではない。苦手と思ったことはないが、イルカを前にすると自分の言いたいことの十分の一も言えていない現状を考えると、やはり苦手なのだろう。
考えてみればずっとそうだった気がする。
任務以外で誰かと喋ることはあまりなかった。
今更気づいた己の性格に呆れる。
口下手だからと、これまで気に病むことがなかった。俺には会話は必要じゃなかった。
イルカと過ごすようになり、己の無知さに何度驚かされたか。羞恥を覚えることもあった。
小さな子供でさえ知っていることも、俺は知らなかったりする。そういう時イルカは少し吃驚した顔をするが、絶対に笑わなかった。
教師らしく丁寧に教えてくれる。
それに救われる。
己の馬鹿さに悲観せずにすんだ。イルカが教えてくれるなら、馬鹿なことすら有り難いとさえ思った。
けれど、そのイルカを悲しませてしまうなら、会話も満足に出来ない自分が憎らしくて溜まらない。
「・・・アレが必要なんです」
何とか要点だけを伝えると、イルカは驚いたように顔をあげた。
「アレが・・・?」
顔には「なんで?」と書いてある。イルカは凄い。喋らなくても何を言いたいか伝えてくる。
「必要なんです」
本当は、イルカが喜ばないのなら必要ではないのだが、ここで「要らない」と言うのが不味いことぐらいさすがに、解かる。
イルカは訝しげに冷蔵庫と俺を見比べていたが、その内自分の中で答えを落ち着かせたようだ。
「まあ、製氷5分ですしね」
肩を落として笑った。少しだけ部屋の空気が軽くなる気がしたが、先ほど味わった嫌な疼きはそのままだった。
「お茶どうぞ」
「あ、いただきます」
しばらく互いに無言で茶を啜っていた。
「此処もだいぶ家らしく落ち着きましたね」
急にイルカが感慨深げに呟いた。その言葉にギクリと背が強張る。
「・・・何か、困ったことはありませんか?不便に感じることは・・・」
そういう聞き方は嫌だ。「大丈夫」と、言わなくてはいけなくなる。
不便に感じることなど何もない。
まるで子供じみた仕草で首を振っていた。
「ない、ですか?」
その仕草をイルカは別の意味で解釈をした。
(違う!)
叫びそうになった。
そういう意味じゃない。
困ったことが「ない」のではない。
とにかく「嫌」なんだ。
あんたと会う理由がなくなるのが嫌なんだ。
それを伝えなくてはと思うのに、思考は乱れるばかりで何から言うべきかわからなくなる。
競りあがる焦りにますます喋る言葉を失いそうになる。
「あ、カカシ先生、この冷蔵庫の使い方わかります?製氷ってどうするんでしょう?」
その時、イルカはフっと表情を変えた。立ち上がり冷蔵庫のある台所へと向かう。
「わかりません」
その言葉は一縷の救いとしか言いようがない。なりふり構わずその言葉に縋りついた。
「あれ?どっから水入れるんだ?ここか?」
イルカは適当に冷蔵庫の扉を開け中を検分している。
「っかしいな、カカシ先生、説明書どこですか?」
振り返ったイルカはいつもと何ら変わらなかった。安堵に腹の底からため息が洩れる。
良かった、これでまたイルカと一緒に居ることが出来る。
けれど、胸の疼きは変わらなかった。
「晩飯を一緒にどうですか?」
少し、違うか。もっとイルカへの気遣いが見えた方がいい。
「もし、暇なら晩飯でも一緒に食いませんか?」
これの方がまだマシかもしれないが・・・暇じゃなかったら断られるのか。それは嫌だな。
「カカシ、おい、カカシ」
「イルカ先生と一緒に晩飯が食いたいです」
「カカシ!!」
ウッキー君相手にイルカを誘う練習をしているというのに、後ろからパックンがうるさい。
「何?今忙しいんだけど」
「・・・お主、頭がどうかしたか?」
「別に、どうもしやしなーいよ」
振り返るとパックンが不安げに俺を見上げていた。いつにないパックンの表情は可愛くもあるが今は構っている暇はない。
「それ、草だぞ?イルカじゃないぞ?」
「わかってるよ。それにウッキー君は草じゃない。ほら、特に用事ないなら邪魔しないで、あっち行ってな」
「カカシ!」
再びウッキー君に向き直ると、パックンにすかさず足を噛み付かれた。
「どうしたの?お腹空いた?」
飯なら先ほど済ませたはずだ。あの時の飢餓状態に満腹中枢でもやられてしまったのだろうか。前はそんなに食い意地は張ってなかったのに。
「でも駄目だよ。あんま食べ過ぎると太っちゃうからね。朝まで我慢しな」
「カカシ、最近変だぞ」
「人が努力する姿を変呼ばわりするもんじゃないよ。そういうひねた考え方は良くない」
「変としか言いようがないだろ!」
・・・どうしたんだ?今日はやけに絡んでくるな。
しょうがない。いったんウッキー君を置いてパックンに向き直った。俺が最近イルカのことばかり考えているのでろくに構ってあげていなかったので淋しがってるのかもしれない。
「おいで、パックン。よしよししてあげる」
「要らん!!」
途端に吠え付かれてしまった。しかもそのままそっぽ向いて尻でプリプリ怒りながらあっち行ってしまった。
いったい何が言いたかったんだ、パックンは。
しきりに変だと言っていたが、まさかそれが言いたかっただけか?
「変なパックン」
呟くと向こうの方で「お主がじゃ!!」と吼えられた。
こうまで連呼されるとさすがに気にする。
俺は変なのか?
ただイルカと一緒に居たいだけなのに、そのために予行練習していただけだ。
今のままじゃイルカと疎遠になるのは目に見えていた。
俺の生活に不便がなくなったと、そうイルカが判断した時点で、きっと今のように毎日イルカと一緒に居ることが出来なくなる。
ナルト達の教官としてしか認識されなくなる。
それは恐怖としか言いようがなかった。
今でさえ、イルカと毎日のように顔を合わせているこの現状でさえ、物足りない。
もっと一緒に居たい、もっとイルカを見ていたい、日毎その思いは強くなる一方だ。
それが更に少なくなるとすれば、
「・・・気持ち悪い」
考えるだけで胸を何かが重く塞ぐ。何かを吐き出すように言葉を吐いた。
そうならないためにも、努力を。
イルカが俺のことを気にしなくなっても、声をかけてもらえる理由がなくなっても、俺から声をかければ繋がりは消えない。
至極簡単なことなのだ。
一言でいい、俺から話しかけることが出来れば。
ただ、その簡単だと思えることが、イルカを前にすると酷く困難なことになってしまう。
その理由がよくわからない。
イルカを誘う予行練習を積むも、相変わらずイルカの方から俺を誘ってくれるので、今のところ練習の効果は発揮できていない。
毎日は変わらないようだったが、俺は夢を見るようになった。
イルカの夢を毎晩見る。
夢の中のイルカは現実世界のイルカとは異なっていた。
人懐っこい笑顔はそのままに、イルカは俺に纏わりついてくる。
『カカシ先生』と聞いたこともない声音で俺の名を呼ぶ。見上げてくる黒い瞳は扇情的で、俺だけを映す。
可愛くて、この可愛いイルカを俺は独占しているのだと、酷く優越感を感じた。
感情のままにイルカの鮮やかに走る鼻頭の傷を舐め上げると、イルカはくすぐったそうに笑った。
昼間、イルカに感じる戸惑いや焦りが消えうせ、深い安堵が広がる。抱きしめると同じだけ抱きしめてくれるイルカ。
目が覚めるとまだその温もりが残っているようで。
どうしてこれが夢なのかと、胸が痛かった。
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