恋に落ちる
はたけカカシの報酬未払いについては心当たりがあった。
アカデミーの授業の合間に役所の経理課へと足を運んだ。
「調べて欲しいことがある。はたけ上忍の報酬はちゃんと支払われているのか?」
「そういうことは教えることが出来ん。とっとと帰れ」
「そういえばミヨちゃんて子可愛いよな」
「1分待て」
持つべきものは友だな。
旧知である同僚の弱みを握っていてよかったと、俺はいつか偶然目にした同僚の浮気現場に感謝した。
「・・・ちゃんと支払われてるみたいだが、それがどうした?」
「いや、支払われてるならいいんだ。なぁ、報酬が振込になったのって何年前だっけ?」
「完全に振込になったのは・・・4年前だな」
「そっか。済まなかったな仕事の邪魔して。じゃぁ」
「イルカ!ミヨのことは・・・」
「わかってるよ、もう口にしない」
同じネタで何度も揺するのは俺の理に反するのだ。青ざめた同僚の肩を優しく叩き俺は経理課を後にした。
「カカシ先生、いらっしゃいますか?」
受付の任務が終わり、俺は慌てて上忍待機所を訪れた。夕方、カカシ先生は予想以上に早く受付へ現れたのだ。俺がまだ受付の任務が終わっていないとわかるとカカシ先生は一瞬立ち尽くした。
そして、どうしよう?と俺に何を言うでもなく首を傾げるので、失礼かとも思ったが俺が終わるのを待って貰う事にした。
「よぉ、イルカ。待ってたぞ」
げ。
「・・・アスマ先生、お疲れ様です」
上忍待機所を覗くと、まず目についたのが(カカシ先生をパシリにする)アスマ先生だった。
この数日でカカシ先生に大して並でない同情心を持ってしまった俺はアスマ先生が悪者のように思えてしまう。
「イルカ、今お前、げっつったろ」
「言ってませんよ」
「まぁ、いい。カカシがお待ちかねだ。おい、カカシ、イルカせんせーが来たぞ」
「聞こえてる」
何処に居たんだが、気づいたらカカシ先生がアスマ先生の横にゆらりと立っていた。
気配がなかったのは上忍だからか、
(・・・存在感がないのか・・・)
「申し訳ございません、お待たせしました」
「いいよいいよ、気にするなよ」
「アスマ先生じゃありません!カカシ先生、お待たせして・・・」
「うん。早く、行きましょう」
横でアスマ先生が茶々を入れてくるのにもめげずカカシ先生に向き直ると、カカシ先生はいつになく早い動きで上忍待機所から出た。
いつも通りに猫背でのらくらと歩いているように見えるのに、あっという間にカカシ先生の背中は遠くなった。
「失礼します!」
慌てて俺もカカシ先生を追って待機所を後にした。その一瞬の後、なぜか待機所から爆笑が聞こえた。
「カカシ先生!」
「あ・・・、はい」
よかった。やっと止まってくれた。
カカシ先生がすでに薄暗くなってしまった渡り廊下で振り向く。
「すいません、お待たせしてしまって・・・」
「いえ、俺こそ、その・・・すいません」
西から昇り始めた月を背にカカシ先生が申し訳なさそうに頭を下げた。
上忍なのに簡単に頭を下げる人だ、俺はカカシ先生が何に謝っているのかわからず困惑してしまった。
「イルカ先生の呼ぶ声、聞こえてたんですけど・・・。早くあそこから離れたくて」
ああ、そういうことか。
確かにあそこにはアスマ先生がいた。カカシ先生にとってはあまり居心地のいい場所ではないのだろう。
「いいんですよ。俺がお待たせしてしまったのが悪いんですから」
カカシ先生の横に並び、俺達は歩き出した。猫背なカカシ先生は、それでも俺より少し背が高い。
背筋を伸ばしたら、もっと背が高いはずだ。
(色々もったいない人だよなぁ)
忍としての腕は申し分ない。体格は逞しいとは言えないが、スッキリとしていて無駄がないように見える。
口布越しに浮き出る顔の造りも悪いものではないと思う。
一見、カカシ先生には何処にもパシリにさせられる要素はないはずだ。(むしろ敬われてもいいくらいだ)
けれど、その私生活を伺えばわかるその駄目っぷり・・・。
「あ、カカシ先生、ここです。・・・こんなところで申し訳ないんですが、夕食付き合っていただけますか?」
繁華街に入ってすぐの居酒屋の前で俺達は足を止めた。
普段俺が行く居酒屋よりは幾分敷居も高いが所詮居酒屋、安っぽさは否めない。
けれどまぁカカシ先生は気にしないだろう!そう高を括っていた通り、カカシ先生は全く気にしない様子で暖簾をくぐった。
個室に上がりこみ適当に酒とつまみを頼んでからカカシ先生に報酬未払いの件について話した。
昼間同僚から確証をとった通り、カカシ先生に報酬が支払われていないことなどなかった。
あまりに簡単で間抜けな問題だったのだ、これは。
数年前まで任務報酬は全て現金での支払いだった。
しかし、現金払いというのは非常に効率が悪いため数年前から振込制が導入されたのだ。
カカシ先生は現金支払いの時代はちきんと受けとっていたようなので、要は振込になったことを知らなかっただけなのだろう。
「ですので、口座にはちゃんと振りこまれているはずですよ。明日にでもご確認なさってください」
「・・・はぁ・・・」
「あの時は、やはり色々と混乱があったようで・・・。受付にもよく苦情が入ってきてました」
大変だったなぁ、そういや。
振込になったもんだから、報酬を全て奥さんに握られるという者も少なくなかった。
なんてことしてくれたんだと気の荒い野郎に小突かれるなどしょちゅうだったが、逆にその妻達には感謝された。
「なんだか、難しいことになってたんですね」
「そう、ですね。けれど、慣れれば便利ですから!あ、わからないことがあれば何でも聞いてください!」
カカシ先生はまるで借りてきた猫のように大人しく俺の話しを聞いていた。
あまりに従順なその様子に俺はついアカデミーで生徒を相手にするような錯覚に陥りそうになる。
いかんいかん、この人は上忍だ。
そう自分に言い聞かせるが、その時、
「・・・はい」
カカシ先生が、ニコリと笑った。
笑った?
・・・カカシ先生の表情が変わったのを見たのは初めてだ!
口布をしているので口元は定かではないが、いつもはウロンなその眼が、緩く半月を描いて俺を見ている。
「ほ、ほんの些細なことでもいいですから!」
「はい」
「もちろん、他言は一切致しません!ほんとに・・・その、カカシ先生のお役に立てればと」
「はい」
なんか、・・・ちょっと変だ、俺。
やたらと胸がザワつく。声が上ずりそうになる。
カカシ先生って、すごい忍なんだもんなぁ。
写輪眼、コピー忍者、千の技を操り、里一番の技師――カカシ先生を賞賛する言葉は沢山あるのだ。
そんな人をこうして話しが出来て、あまつさえ笑ってくれた。
まるで誇らしいような気持ちで、俺はカカシ先生に向いあった。
それからカカシ先生とはよく飯を食いに行った。
と言っても、カカシ先生に里での生活に必要な物などを揃えていくついでにだが(カカシ先生の家は電気もガスも水道すら通じてなかった)。
カカシ先生は相変わらず感情がわかりにくかったが(口布がなくても)、それでも俺を疎ましいというような素振りを見せることはなかった。
無表情は相変わらずだったが、時折、ニコリと笑う時があった。
それは子供のような純粋な好意に見え、俺はまたカカシ先生に構いたくなってしまうのだ。
その日はアカデミーの校庭で体術の演習をしてた。
ふと、視線を感じた。
(ん?)
辺りを見まわしても子供達が持久走をしているだけで、俺を見ているような者はいない。
おかしいなと思いながらも視線は感じる。
「・・・あ」
誰かに呼ばれた気がした。
振り向くと、アカデミーの屋上で誰かがこっちを伺っている。
「カカシ先生?」
呟いただけなのに、屋上の人物はこっちに向って手を振った。
小さく顔の前で。あまりの主張のなさに俺に手を振っているのかよくわからない。
なので思わず自分を指差して「俺?」と問うと、聞こえていないはずの屋上の人物は頷いた。
そしてまた手をヒラヒラとふる。時折銀の髪がキラキラと太陽に反射し、屋上で光った。
(カカシ先生だ!)
俺はなんだか嬉しくなり、大きく手を振り返した。
「カカシせんせーーーー!!!」
ついでにデッカイ声で呼んでみる。
子供達が何事かとワラワラ近寄ってきて、俺と屋上とを交互に見比べた。
「イルカ先生?どうしたの?」
「ん〜?俺もよくわからん」
よくわからんが妙に嬉しい、楽しい。
「変なイルカせんせー」
「変なのーー」
子供達は口々にそう言うが俺が変わらず手を振りつづけているので、段々と子供達も真似を始めて手を振り始めた。
皆キャッキャと笑いながら小さな手を一生懸命振っている。全く可愛い奴らだ。
俺もまけじと両手で手を大きく振った。
そんな俺達に吃驚したのかカカシ先生は手を下ろしたが、それでも振りつづける俺達に当惑したように一礼をして
「あ、消えた!」
屋上からドロンと姿を消した。
すごいすごいと子供達が純粋な賛辞を送る。
俺は高揚した気分でその後カカシ先生の凄さを生徒達に語った。
その日の夜、俺は中々寝つけなかった。
昼間の高揚感を引きずりながら何度も寝返りを打った。
「・・・カカシ、先生・・・」
呟いた途端にハタと我にかえり頬が熱くなる。
・・・な、何考えてんだよ俺!
自覚のないままに出てきた言葉に驚いた。
なぜ、カカシ先生などと俺は呟いているのだ?!おかしい、おかしいぞ、これは!!
これまでも妙にカカシ先生と居ると嬉しいような楽しいような浮き足だつ気分になる時はあったが・・・、
だからと言って今夜のように寝つけずに考えるようなことは一度もなかった。
俺はカカシ先生をちょっと放って置けない一上司として接してきたつもりだった。
けれど、これはおかしい。
いくらカカシ先生が凄い忍だからと言っても今の俺の状況は、凄い上忍に憧れる中忍、というのとは違う気がする。
だって、胸が苦しい。
カカシ先生のことを考えて昼間の出来事を思い返してとても嬉しいのに、胸が詰まるような気がする。
「・・・好きなのかなぁ」
カーテンの隙間から見える月を眺めながら、思い当たることを口にする。
「好きなんだろうなぁ」
それ以外は考えられなかった。
どうすんだよ、俺。
自覚したばかりの気持ちに途方に暮れてしまう。
忍としてその実力は自分など足元にも及ばない、男、・・・ああそうだ男なのだ。俺と同じ性を持っているのだ。
「・・・どうすんだか」
とても明るい未来を予想できるような代物ではない俺の気持ちだが、男なのに、という後暗さはなかった。
最初から無理だと決め付けていたというのもある。
はたけカカシは自分の手に届くような男ではないのだ。
ただ見ているだけだろう。それすらもは本来ならば贅沢なのだ。
「ま、いっか・・・」
何も望まなければいい。望まなければ手には入らない失望感はない。
今のままで充分なのだ。自覚してしまった恋心に胸は騒ぐが俺とて中忍、己の感情など隠せないはずもない。
そんなことを考えながら、俺は油断していたら不規則に鳴る胸を抑えてずっと寝返りを打っていた。
戻 進
小説TOP
|