恋に落ちる
好きな人が居ると聞かされて三日目、受付でカカシ先生に会った。
「お疲れ様です」
報告書を受け取りながら、いつも通りに笑った。
(・・・案外、平気なもんだな)
今こうしてカカシ先生が居ても特にいつもと変わらない。
カカシ先生の存在を前に感じ、体をいくばくか緊張するが、3日前のような胸の痛みはない。
ただ以前と変わらずに、カカシ先生に会えて嬉しいと胸が高鳴るだけだ。
「特に問題はないですね。結構ですよ」
判を押し見上げると、カカシ先生はいつもと同じ無表情で立っていた。
「カカシ先生?お疲れ様でした」
何か用事でもあるのかと思ったが、別にカカシ先生が何も言わないのもいつものことだ。
受付では「あー」とか「はい」とかその程度にしか喋らない。
俺が受理した旨を伝えると、猫背の体を反転し、のらくらと背を揺らしながら帰っていくのが常だった。
「カカシ先生、どうかされましたか?」
ただ、今日はどうしたわけかカカシ先生が中々帰らない。
唯一見えている右目が、ぼんやりと俺を眺めていた。
(・・・・な、なんだ、緊張するじゃないか)
何赤くなってんだと自分で突っ込みつつも、照れる。仕方ない、俺はカカシ先生が大好きなのだ。
いくら望みがないとわかっているも、好きなものは好きなのだ。
好きな人に見つめられるのは嬉しいし恥ずかしい。
しかしここは夕暮れ時の受付、照れている場合じゃなかった、カカシ先生の後には任務を終えた忍達が列を為している。
「カカシ先生、後もつかえてますので・・・・」
「・・・あ、・・・・はい」
やっとカカシ先生が反応した。
それまでボンヤリと俺を見ていたが、急に視線を逸らせた。
「・・・あの、報告書は受理致しました。お疲れ様です」
再度、同じ言葉を告げた。
「・・・・・イルカ、先生、この後、飯でも・・・・」
「へ?」
吃驚した。
カカシ先生がこのように自発的に受付で俺に話しかけたことはない。
いつも俺が「夕飯食べにいきましょう!」と無理矢理誘っていたのだ。カカシ先生の生活は最初より少しは文明的になったが、
それでも気がつくと原始的な生活に戻っていた。
あまり口を挟むのは自分でもどうかと思うが、炊飯器の使い方一つわからずに1日2日平気で何も食べないのはいただけない。
上忍は里の宝、カカシ先生が好きだ嫌だという俺の気持ちは置いといて、もっと体を労わるべきだと思う。
それにいつかカカシ先生と契約している忍犬に「カカシの奴、この前草と話していたぞ。イルカ、暇な時には話し相手になってやってくれ」
と言われた。カカシ先生は見たところ人間の友達はいないが、まさか草に話しかけるほど会話に飢えていたとは。淋し過ぎる。
なので、まぁちょこちょこ誘わせていただいたわけだ。
「・・・駄目ですか?」
カカシ先生が下を向いたままボソボソと喋る。
「いえいえいえいえいえ!!全然!駄目じゃな・・・っ!!」
勢いよく首を振りながら、ハタと気づいた。
駄目だ。
俺、今日に限って、夜勤・・・・っ!!
しかもついさっき、同僚に頼まれて引き受けた、本来ならば俺のシフトではないやつっ!
「・・・すみません、今日は仕事が・・・・」
「・・・・・・・・」
「ほんと、すみません・・・・・」
「・・・いえ」
申し訳なさと後悔に苛まれながら、必死で謝った。
チクショウ、さっきの俺はなんて馬鹿なんだ。せっかくカカシ先生が誘ってくれたというのに。
「明日、は?」
「へ?あ、明日、ですか?ええっと・・・・」
素早く自分のシフトを頭で思い出しながら、カカシ先生のいつもと違う様子が気になった。
「話しをしたいんですが」
「話し?」
何の?
一瞬疑問に思ったが、カカシ先生の目元が俺の問いかけにうっすらと赤くなる。
そうか、話しというのはきっとあのことだ。
平気だと油断していたのに胸が少し痛んだ。
「すみません、ちょっとシフトが今わからなくて・・・」
明日は、どっちにしろ夜勤が入っていた。けれどわからない振りをした。約束をしたくなかった。
明日が駄目なら明後日と、会話をそういう風に続けたくなかった。
「そ。わかりました。じゃあね」
カカシ先生はまたいつも通りの無表情に戻り、いつも通りに猫背で俺の前から去った。
はたけカカシは男に懸想しているらしい。
僅か数日で、噂は里中にひろがった。
それほど、カカシ先生は皆の注目を集めているのだ。
当り前だと、わかっていたつもりだったが、忘れていた。
里一番と称される実力を持つ忍、しかもこれまでほとんど里に居なかった。
まるで崇められるように噂されていた男が実際に生きて生身で現れたのだ。興味がわかないわけがない。
「なんでも相当いれこんでるらしいぜ?」
「あーそう」
味噌汁をすすりながら適当に相槌を打った。
同僚はそれに不満そうな顔をしながらも、話しをやめようとはしない。
「おまえ、はたけ上忍と仲良かったよな。実際どうなの?」
「何が?」
「噂の真相」
「知らねー」
確かにカカシ先生は好きな人が出来たといった。それが男だとも。
けれど、それ以上は知らない。
あれから一週間、カカシ先生とはあの時一度受付で会っただけだった。
「なんだよ、イルカ。冷てーぞ」
「あいにく噂話ししてる暇ないんで」
「・・・・おまえ最近仕事ちょっと詰め過ぎじゃないか?」
「別に。猫の手も借りたいって言ってたのどこのどいつだよ。文句言わずに仕事してんだ。それの何が悪い」
「そーだけどさー、なんかここ一週間ほとんど家に帰ってないだろ?確かに忙しいけどさ、それは今に始まったことじゃないし・・・」
「労働の素晴らしさに目覚めたんだよ。気にするな」
適当なことを言って会話を切り上げた。
カカシ先生の話しを聞きたくないのもあるし、これ以上、自分のことをつっこまれるのも嫌だった。
カカシ先生を避けているわけではない。
仕事はいつも山積みだし、最近怪我をしてしまった同僚の穴埋めに夜勤に駆り出されることも頻繁だった。
受付の人手はいつも不足している。一人抜けられるだけで、廻ってくる任務の量は増える。
アカデミーの仕事を兼用している俺はあまり夜勤に入ることはなかったが、そんなことを言ってられないのが現状だった。
夜勤に入るので、夕方の受付に入ることはなくなった。
アカデミーが終わったら、宿直室で仮眠を取らなくてはならないのだ。
カカシ先生が報告書を提出するのはいつも一番混み合う夕暮れ時だった。
なのでカカシ先生と会うことがなくても不自然ではない。
「せんせー、さようなら〜!」
「おー、気をつけて帰れよー」
受付へと通じる渡り廊下で生徒達を見送りながらぼんやりとこれからすることを考えた。
仮眠をとらなければと思うが、そんなに眠くない。アカデミーで少し仕事を片付けてからそのまま受付に入るか。
ああ、そうだ、もうすぐ期末試験も始まる。
そろそろ答案用紙の構成を考えなければ。
「イルカ先生」
「へ?」
ふいに呼ばれ反射的に振り向くと、カカシ先生が真後ろに立っていた。
「わ!・・・あ、こ、こんにちは」
しまった、こんばんは、のほうが時間帯的によかったかもしれない。
カカシ先生の姿を見て、まず思ったのがそんなことだった。
(・・・全然気づかなかった・・・・)
気配が全く感じなかった。さすがは上忍というべきか、単に俺がボケっとしていただけか。
いきなりすぎる出現に心臓がバクバクと跳ねた。
「こんにちは」
カカシ先生は律儀に頭を軽く下げた。
「お久しぶりですね!今日の任務はもう終わられたんですか?」
「はい」
「お疲れ様です」
「はい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
えーー・・・っと。
何か、話しを・・・・・。不自然じゃないように、いつものように。
そう思うのに、久しぶりに見たカカシ先生の姿に頭が真っ白になっていく。
驚きに跳ねた心臓の音がいつまでたっても止まない。
夕暮れ時の太陽がカカシ先生の銀色の髪を赤く染め上げる。
(綺麗だな)
言葉を紡ぐことも忘れ、カカシ先生に見惚れた。
「・・・最近、忙しいの?」
互いに見詰め合うような形で、先に口火をきったのはカカシ先生の方だった。
「ええ。同僚が、怪我をしてしまいまして。・・・その、穴埋めにてんてこ舞です」
「てんてこ舞?」
ふ、と。
カカシ先生が笑った。唯一晒されている右目を細めて。
「はい。てんてこ舞」
自分で言っといて、あんまりこういう表現って最近聞かないなと思った。
「大変なんですね。今日も、これから仕事ですか?」
「はい」
「そう」
カカシ先生の右目がずっと弧を描いたままだ。
こんなに、感情の豊かな人だっただろうか。
もっとずっとそっけなくて、他人のことなど我関せずで、感情などないのではと思わせるほどいつも無機質な表情をしていたのではなかったか。
(いつから変わったんだろう)
カカシ先生の美しい微笑みを眺めながら呆然とそんなことを考えた。
少しずつだが、確かにカカシ先生は俺に表情を見せてくれるようになっていた。
けれどそれは瞬間的で。
例えば、ナルトの口真似をして見せたり、三代目の顔真似をして見せたり、アカデミーでおこった出来事をおもしろおかしく話してみたり。
俺がカカシ先生を笑わせ様と懸命になって、やっと、一瞬だけ笑ってもらえるのだ。
カカシ先生の感情に「恋」という名を与えたあの日。
既に恋に溺れていた男は、俺の前で様々は表情をしてみせた。
わかっているつもりでわかっていなかったのかもしれない。
俺に向けられた、例え一瞬の笑みでも、それすらも、既に恋に変えられていた男の笑みだったのだとしたら。
「あのね、あなたが忙しいのは、わかってるんだけど・・・」
少し、伏目がちにカカシ先生がなおも言葉を紡ぎだした。
これ以上、自分の知らないカカシ先生を見ているのは嫌だった。
「・・・すいません、まだ仕事が残ってますので」
目を逸らし、踵を返した。
失礼なのは充分承知している。上司に対する態度ではない。
「待って」
けれど、背を向ける前に右腕を掴まれた。
掴まれた腕が燃えるように熱を孕んでいく。
離して欲しい。
恋しい男に触れられて、自分では決して振りほどくことなど出来ないのだから。
泣きたくなるくらいに腹立たしいと思った。
「もう少しだけ」
これ以上、何を話すというのだ。
惚気話しを聞けとでも言うのか。
(ヤバイ、ほんと泣きそうだ)
チクショウ、夕陽が目に染みる。
「よぅ!!おまえら青春してるなーーーーー!!!!」
滲んだ涙も一瞬で引っ込んでしまうような大声が、突然あたりにこだました。
「ッ!!ガ、ガイ先生・・・っ!!」
声のした方を振り向くと、木の葉の青き猛獣マイト・ガイが面白いポーズできめていた。
(なんてタイミングの良い・・・っ!)
「おぅ!イルカ!久しぶりだな!」
スタスタと全く臆面もなくガイ先生がこっちへ向ってくる。
助かった。
心底ホっとした。
「おまえらこんなところで何してるんだ?」
「いえ、別に何も・・・・」
つっこまれても困る。
何をしていたわけでもない。ただ客観的に見れば立ち話をしていただけだ。
「なんだぁ、イルカ!元気がないぞ!ちゃんと飯食ってるか?」
ガイ先生はキランと白い歯を光らせて俺の肩をバンバン叩いた。
そうだそうだ。しょげている場合ではない。
ガイ先生のこのテンションの高さに便乗するのだ。
「はい!ガイ先生は任務終えられたんですか?!」
「おぅ!今日もグレイトにこなしたぞ!」
「さすがです、ガイ先生!!!」
よーしいいぞ、このままノリでこの場を乗りきろう。
「今日も一日、お疲れ様でした!!じゃ!俺はこれで失礼しま・・・・っ」
グイ、と。
またも右腕を引っ張られた。というよりさっきからずっと掴まれたままだった。
しまったと慌ててカカシ先生を見やり、言葉を失った。
カカシを取り巻く空気がビリビリと震動しているようだ。
掴まれている腕を伝ってとんでもない殺気が流れこんでくる。
体が重くなり、肺の動きすら鈍くなる。
カカシ先生が怒っていた。
これまで見たこともないほど剣呑な光をその目にたたえ、ガイ先生を睨みつけていた。
(・・・な、なんで・・・っ?!なんでこの人こんなに怒ってんのっ?!)
酸欠とカカシ先生の形相に俺はただ口をパクパクさせてパニくっていた。
ハ!!
そういえば!!!
カカシ先生とガイ先生は永遠のライヴァルなのだ!!
二人は毎度死闘を繰り広げていると耳にしたことがある。
現にガイ先生はカカシ先生の恐ろしい殺気にビビることもなく、嬉しそうに高笑いをしていた。
「嬉しいぞ、カカシィィ!!貴様の本気、受けてたーーーっつ!!!」
(すげぇ、ガイ先生)
なんでこんな殺気を浴びながら動けるんだ?
笑いながら突撃してくるガイ先生を眺めながら、上忍って怖い、と俺は本気で思った。
それからは地獄のようだった。
ガイ先生の繰り出す目にも止まらぬ早さの攻撃をカカシ先生は片手でいなしていた。
もう片方の手は俺を掴んだままなので俺は逃げることすらできない。
カカシ先生は激しく動きまわるようなことはしないが全く動かないわけではない。
上忍の強い力で振りまわされ肩が脱臼するかと思った。
被害を被ったのは俺だけではない。
カカシ先生の殺気とガイ先生の熱気に何事かと駈け付けた暗部も尽く殴られたり蹴られたりしていた。
まるで木の葉のように吹っ飛ぶ先鋭部隊に、事態はますますとドロ沼化していった。
もう駄目だ。
気を失いそうになったとき、救世主が現れた。
「おまえらいい加減にしろ!!!」
木の葉のジャイアン、アスマ先生だ。
アスマ先生はカカシ先生をパシらせるほどの権威の持ち主だ。
普段は嫌な奴でもいざという時にはすこぶる頼れる男、俺は藁をも掴む気持ちでアスマ先生の出方を待った。
「イルカがびびってるだろ!!!」
その一言でカカシ先生の動きが一瞬止まった。
驚いたように俺を振りかえる。
多分、カカシ先生はガイ先生の出現に俺の存在を忘れていたのだと思う。
「あ」
目を見開くカカシ先生の後にガイ先生が見えた。
「ガイ!!よせ!!」
アスマ先生が叫ぶより早く、ガイ先生の左足がカカシ先生の延髄に決まった。
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