恋に落ちる



「あー、なんだ、おまえも災難だったな」
あの後、ガイ先生アスマ先生俺は火影室で三代目に延々と説教をくらった。
俺もそうだが、アスマ先生は完全なとばっちりだ。
なのに、別に怒りもせずに俺のことを気遣うような言葉をかけてきた。
(なんだ、いい人じゃないか)
これまでの、アスマ先生=悪、というイメージがいっぺんに払拭された。
「いえ、アスマ先生こそ」
「・・・ほんとな。ったく、世話かけやがって」
アスマ先生が苦々しく言い捨てながら、一人スヤスヤと眠るカカシ先生を見やった。
俺達が説教をくらっている間、カカシ先生は医務室で一人意識を失ったままだった。
まだ、起きる気配はない。
「おい、何寝てんだよ。起きんか、ボケ」
口では罵りながらもアスマ先生は本気で起そうとはしていないようだ。
カカシ先生の横たわるベッドを軽く蹴っ飛ばしただけで、後は知らん顔して煙草をふかしていた。
この後特に用事もなさそうなのに帰るそぶりがない。
「何笑ってんだよ」
「いえ、見かけに寄らないなと思いまして」
「は?」
「俺、実はアスマ先生ってカカシ先生をパシリにしてるのかと思ってました」
「おう。こいつは俺のパシリだ」
「でも、起きるまで付き沿うおつもりでしょう」
「・・・何が言いてえんだよ」
「仲間思いなんですね」
言った瞬間、アスマ先生は眉をこれでもかというほど顰めた。
何か言おうとしたのか口をひらきかけたが、考えるように目を泳がせまた口を閉じた。
窓から入る夜露を含んだ風が真っ白いカーテンを小さく揺らしている。
アスマ先生は煙草をふかし、俺はベッドから少し離れたところにある椅子に腰かけているだけで、しばらく互いに何も話さなかった。
(もうすぐ交代の時間だな)
壁にかかっている時計に目をやると夜勤に入る時間が迫っていた。
もう行かなければとぼんやりと思うが、体は動こうとしなかった。
少し疲れているのかもしれない。
我ながら、よく働いていると思う。
最近は、朝も晩もなかった。
働いて働いて、疲れて気を失いそうになってからようやっと眠る。その繰り返しだった。
体を酷使している自覚はあったが、そうしなければ心が悲鳴をあげそうだった。
考えては駄目だと、自分を戒めていた。
カカシ先生を避けているのではないと自分に言い聞かせながら、躍起になって仕事を詰めこんだ。

逃げているのだと、本当はわかっている。

カカシ先生に好きな人がいると考えなければ、胸が痛むこともない。
カカシ先生に会わなければ、胸が高鳴ることもない。
カカシ先生を想わなければ、これ以上想いが募ることもない。

そのうち胸の痛みも消えるだろう。

そうすれば、また、カカシ先生と以前のようにたまに飲みにいったり立ち話をしたり、そんな付き合いが出きるようになるのだ。
恋心を自覚した時は、それだけで充分だと思った。
カカシ先生が恋をしているとわかったときも、このままで充分だと思った。

己の恋情など、隠し通してみせる。


だから。

 

どうか、

どうか、

このままあなたの側に居させて欲しい。

 

そう、思った。


けれど違った。
誰かを想うカカシ先生を見るだけで、胸がえぐられるような気がした。
どんな形でも側に居られればそれでいいなど、ただの思い込みだ。
恋しい男が誰かを想う姿など、どうして側で見ていられようか。

なにより。

俺には側に居る資格などない。
カカシ先生の恋を、俺は決して応援など出来ない。嫌だとすら思ってしまった。
それでどうして、カカシ先生の側にいられようか。

「・・・こいつ、最近変なんだよ」
ふいに、アスマ先生が口を開いた。
「昔っから、無表情だし素っ気ねえし喋らねえしいっつもエロ本読んでるし、変な奴だってのは知ってたんだが最近特におかしい。この前なんか俺に喧嘩ふっかけてきやがった」
「カカシ先生が、ですか?」
「おう。こいつが怒ってんの初めてみた。っつーか、こいつにも感情在ったのかと妙に感心しちまった。さっきもよ、ガイに対して殺気だってやがるし。んで無様に伸びてるし。イルカ、よく見とけ。こいつのこんな姿は 滅多に見られたもんじゃない。後でこれをネタにゆすってやれ」
カカシ先生とガイ先生はいつもあんな調子なのだと思っていただけに、少し驚いた。
「恋ってやつはほんと偉大だよな」
「へ?」
「この木偶の棒を人間にしやがった」
アスマ先生が口の端をつりあげて笑っていた。
意地悪そうな顔だったが、優しい顔だと思った。
アスマ先生も、カカシ先生の変化に気づいていているのだ。当り前だ。俺よりもずっとカカシ先生との付き合いは長い。
「先週ぐらいか?こいつと飲みに行ったんだけどよ」
そんなことこれまでなかったんだけどな、とアスマ先生は付け足しながら話しを続けた。
俺はというと、アスマ先生の話しに相槌すら打たず、ただボ―っと聞いていた。
「こいつ、惚気てやがんの。すげえ美人で可愛くて気立てがよくて優しくてとか、まあ聞いてるだけで歯が浮きそうな台詞がわんさと出てくる出てくる。かと思ったらいきなり落ちこみやがる。丁度、紅もその場に居たんだが、カカシの様子に頭打ったんだわ」っつって大騒ぎよ。紅もあの「カカシが野郎にいれ込んでる」っつー噂を一応聞いてたみたいだが、どうも本気にしてなかったみてーでさ」
ククっとアスマ先生は笑う。
話しの内容は耳を塞ぎたいようなものだったが、それよりも、目の前で喋る男に思い知らされた。

「イルカ、こいつも・・・ま、付き合いづらいかもしれねえけど、これまで通りに接してやってくれよ」

アスマ先生、それは、無理だ。

「でき、ません・・・」

「イルカ?」

俺は、アスマ先生のようにカカシ先生に接することなど出来ない。
純粋に仲間を想う気持ちを俺はカカシ先生に持つことは出来ない。

こういう男なのだと、アスマ先生を見て解った。
カカシ先生の側に居ることができるのは、邪な想いを持っていない、こういう真っ直ぐな男でなければ。

軽い舌打ちが聞こえた。
顔上げるとアスマ先生が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
怒っているのだろうか。
大事な仲間を邪険にしていると思われたのかもしれない。
この会話の流れじゃそう取られても仕方がない。
しかし、アスマ先生は渋面のまま煙草の箱を握り潰して椅子をたった。
「煙草切れちまった。戻ってくるまで、側で見張っててくれ」
「・・・はい」
カカシ先生は、目を覚まし次第三代目の元へ行くよう言われている。
「悪いな」
「いえ」
アスマ先生はそのまま病室を出ていった。
怒ってる風はない。
大柄な背中が扉の向こうに消えると、急に周りの音が甦った。
虫の声が窓から入ってくる。
(・・・もう、そんな時期か)
ついこの間まで、まだまだ寒いと身を縮ませていた気がするのに。
夜の風が木々の擦れる音と共に白いカーテンを揺らした。
湿った空気は既に初夏の匂いが混じり始めていた。
ベッド脇にある丸椅子に腰を下ろし、外を眺めた。曇った夜空は月だけを朧げに張りつかせている。
ふと、腕が鈍く痛んだ。
あの時掴まれていた腕には痣が出来ているだろう。
誰かの手を、温かいと思うことはあっても熱いと思ったことはなかった。
手甲越しなのに。
服越しなのに。
焼かれるような熱さをカカシ先生の手の平から感じた。
体温は低そうだと勝手に思っていた。
そこで初めて、カカシ先生にほんの僅かでも触れたことがなかったことに気づいた。
あんなにも熱い手を持つ男だったのか。
あの手に愛される人はどんな人物なのだろう。
(すごい美人で気立てが良くて可愛くて優しくて、だっけ)
アスマ先生の話じゃとにかくべた褒めだったらしい。
カカシ先生の相手がどんな人か気にならないわけがない。けれど気にしては駄目だと思っていた。
これ以上、打ちのめされるのはご免だ。
美人で可愛くて、などと。
まるで自分と正反対ではないか。



  

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