長い夢







ドロシーちゃんを返り討ちにしようとして、逆に返り討ちに合った。


ヒューヒューと自分の喉元から漏れる音が何処か遠く鳴る隙間風のように聞こえた。
重い右手を肩にやるとヌルリとした感触がした。
痛い。多分。
(多分じゃない、痛いんだ)
痛みを言い聞かせるように、強く肩を掴んだ。
「・・ッツ!!」
良かった、やっぱり痛い。
血に湿った手を肩から離し、ゴソゴソとポーチをさぐった。少ないが血止めがあったはずだ。
指先に当たった小瓶にホっと安堵の息が漏れる。それを掴み歯で蓋をあけて流し込んだ。
直に血は止まる。
(・・・此処もヤバイな)
俺は雑木林にある水浴び小屋の屋根裏に身を潜めていた。
夕方、ドロシーちゃんがアカデミーの門を潜ろうとするのを見つけ、俺は全力で彼女に向かって走った。
アカデミーにはまだ生徒が居たし、何より先手必勝に越したことはなかった。
飛び掛る俺にドロシーちゃんは一瞬体の反応が遅れた。狙いは顎だったが、僅かに外され俺の蹴りはドロシーちゃんの前足付け根に入った。
けれどドロシーちゃんのバランスが崩すことが出来、俺から注意が逸れる。
その隙に口に仕込んでいた麻酔針で更に追い討ちをかける。針は真っ直ぐにドロシーちゃんの首元に刺さった。
即効性のある薬を使った。しかも大動物用の代物だ。
ドロシーちゃんの体がグラリと揺れる。瞬間俺は自分の勝利を確信した。
だが、
「・・・・え?あれ?」
ドロシーちゃんは少し足元をふら付かせただけだった。すぐに体勢を立て直し俺に向かって爆発的な殺気を放ち始めた。
口の端からボタボタを涎が落ちる。
ドロシーちゃんがそう簡単に俺にやられるはずはなかった。
(・・・ヤバイ・・・・)
勝利の確信は一瞬だけだった。一転して地獄に突き落とされた。
ドロシーちゃんの目つきが変わった。もう許しはしないとその目で威嚇してくる。本当に殺されると思った。
反撃したことで逆に煽ってしまったのだ。
ドロシーちゃんは本能むき出しで飛び掛ってきた。
「ぎゃぁああぁぁぁぁぁ!!!!」
俺は渾身の力を振り絞って逃げた。
なるべく人様の迷惑にかからぬよう、電線伝いに逃げた。追いかけてくるドロシーちゃんがもしかして感電してくれやしまいかという願望もある。
だがドロシーちゃんにとって高圧電流も静電気も変わらないようだった。構わず電気を纏わせながら俺に向かって突進してきた。
ちなみに俺はサンダルの底がゴムだから平気だ。
どんどんとドロシーちゃんと俺に距離が縮まる。
絶望的だった。
電線から飛び降りると、ドロシーちゃんも俺に続く。しかし飛び降りたのは不味かった。
俺よりドロシーちゃんの方が重い。当然落ちるのもドロシーちゃんの方が早かった。あっという間に射程範囲内に囚われる。
「ヒィィィィィ・・・・」
情けない声がアカデミーの裏山に木霊した。俺達はいつの間にか電線を伝ってこんなところまで来ていたのだ。
前足で背中を押される。土に打ち付けられ息が止まりそうになった。
(息なんかしてる場合じゃねえ!!)
出来る限り抵抗するも上から圧し掛かる巨体はビクともしなかった。

『噛み癖のある子だから・・・』

カカシ先生の言葉がフラッシュバックした。と同時に肩に鋭い痛みを感じた。
なんとか急所は外すことは出来たが、肉に食い込む牙の感触がありありと肩から伝わってくる。

この状況でどうやって逃げることが出来たのかよく覚えていない。死ぬ物狂いで抵抗したのだろう、気が付けば水浴び小屋で荒い息を吐いていた。
傷自体は大したことはなかった。
けれど、二日間寝ずに走り通し衰弱した体で流す血に根こそぎ体力が奪われていく。
(なぜこんな目に・・・)
泣きたいを通り越して笑いたくなった。
一ヶ月前、カカシ先生に告白された。あの時のカカシ先生は近年稀に見る純情野郎のようだった。
この時カカシ先生の告白を受け入れなかったことを後悔したこともあった。
受け入れてさえいれば、酷い目に合わなかったかもしれないと後悔した。
(なんで断ったんだっけ?)
血が流れ重くなっていく頭でぼんやりと考えた。
あの時、考える間もなくカカシ先生の申し入れを退けた。差し出されたあの手をとることは考えられなかった。
俺なりの理由はあったはずだ。
一言で言えば好みじゃなかった。
うん、そうだ。これに尽きる。
性別も容姿も性格も俺の好みから大きく外れていた。どれか一つくらいなら外れてもまだ善処の余地があるがカカシ先生は見事に全部が外れていた。
それにさすがに今の状況ではあの時の告白を受け入れていればなどという後悔はない。
受け入れなくて正解だった。
こんな自分勝手に俺を死へと追いやろうとする男、付き合っても何をされたかわかったもんじゃない。
最初の純情野郎は、頭おかしいんじゃないのか?と思われる男の本質を隠す仮面だったのだろう。
しかし、どうも釈然としない。
何かが胸の内に引っかかる。
そもそも何故カカシ先生は俺が好きなのだろう。今ではなく過去の話でいい。一瞬でもカカシ先生が俺に好意を持ってしまった理由は?
まあそんなの俺が考えてもわかることじゃないけれど。
胸に出来た小さな引っ掛かりがどんどんと深くなっていく気がした。
(・・・傷ついただろうか)
あの時、申し出をニベもなく断る俺に、カカシ先生はもしかして傷ついたのだろうか。
三代目も落ち込んでいたと言っていた。
聞いた時はまさかと思った。
けれど、普通に考えれば、好いた相手に振られ、落ち込まない者など居ないのだ。
あの日、薄い桃色に染まったカカシ先生の頬からスっと色が抜けるのを、俺は確かに見ていた。

(いかんいかん)

思考に陥りそうになり、慌てて首を振った。
悠長にこんなことを考えている場合ではない。例えどんな理由があろうとも、この状況へと自分を追いやった男に対して感じるのは怒りだけだ。
カカシ先生が帰ってきたら絶対殴る。
動かせる右の拳をギュっと握った。
(・・・生きていたらだけど)
水浴び小屋の外から感じる殺気に、俺はまた泣きそうになった。
萎えそうになる足を無理やり立たせ脱路を探る。天井に潜んでは居るが血の匂いまでは隠し切れない。
ドロシーちゃんが怪物だということはいい加減わかったので、いきなり天井を突き破ってくるぐらいはするだろう。
考えている暇はなかった。ドロシーちゃんがやってくる前に俺が屋根を突き破ることにした。

「あんた、何してんの?」

思いもかけない声がした。
水浴び小屋の外に居たのはドロシーちゃんではなかった。

「カ、カカシ先生っ?」
思わず確認したのには理由があった。カカシ先生がいつもの忍服じゃなかったからだ。黒いフードを頭からすっぽりと被っている。
フードの隙間から見れる僅かな銀髪と、その声で、なんとかカカシ先生であることはわかったが・・・・。
「うん、そう」
答えた男の声に安堵した。

カカシ先生が帰ってきた。

けれど、

じゃあ今しがた感じた殺気はドロシーちゃんではなくカカシ先生だったのか?
あれ?
気配を感じ取ろうとしても、カカシ先生からは殺気の類は感じられない。
なんだ?
おかしいなと首を捻った途端、後ろからとんでもない殺気をぶつけられた。
何時の間に俺の後ろへ潜んでいたのか、見なくてもわかる、ドロシーちゃんが後ろから俺の首根に牙を立てていた。
「あわわわわわ・・・・!」
「俺の居ない間に随分仲良くなったんだねえ」
悠長に下に居る男はそんなことを言う。
「仲良くありません!仲良くありません!!」
「ハハハ。うん、解かってる。ドロシーちゃんの相手大変だったでしょ」
ヒィィィ!この野郎やっぱり確信犯か?!本気で俺を殺そうと・・・・?!
そういう間にもドロシーちゃんの牙が今にも皮膚を食い破ろうとしている。
とにかく助けて!今のこの状況を何とかして!
必死で目でそう訴えると、カカシ先生はニッコリと笑った。
「あんた、死にそうだね」
「カカシ先生!ドロシーちゃんをなんとかしてください!!」
「無理。ドロシーちゃん元々俺の忍犬じゃないし。ついこの前まで野良だったから、俺の言うことあんま聞いてくれないのよ」
(何と???!!!!)
カカシ先生の言葉にショックで目の前が真っ暗になった。
「ねえ、俺が待ち遠しかった?俺の帰りを待って夜も眠れなかった?俺がちゃんと無事か心配した?」
全部その通りだった。
カカシ先生の帰りを待ち構えていたし、ドロシーちゃんに追い回され夜も眠れやしなかった。
頼むから死なないでくれと思ったこともあった。
けれど、それはカカシ先生がドロシーちゃんを俺から解放してくれる唯一の人だったからで・・・・。
まさかカカシ先生もドロシーちゃんを止められないだなんて思いもしなかった。
「ねえったら。俺の帰り待ってたんでしょ?」
頷けって言うのか、この状況で。信じられない。一体どういう神経してるんだ。
「まあいっか。それよりさー、イルカ先生そろそろ降りてこないと本当にヤバイよ」
カカシ先生は目を細めたまま俺を見上げてくる。
「助けてあげようか?」
「・・・無理っていったじゃないですか」
「ん〜、俺も任務帰りだから、キツイことはキツイんだけど。愛しいあんたのために一肌脱いでやらないこともない」
・・・どういうことだ?
カカシ先生が嬉しそうに俺を見ている。
嫌な予感が背中を走る。
「イルカ先生が俺の恋人になるって言うなら助けてあげる。恋人を助けるのは当然だものね」

嫌な予感即効で大当たり!

「誰がなるか!!」

反射的に叫び返した。
脳で考える前に口が反応した。途端に首根に押し当てられた牙が皮膚に食い込んでくる。
(・・・ヒィィィィイイイイ!!)
内心大絶叫だ。
チクショウ、なんだよコレ!やっぱりドロシーちゃんを操ってんのはカカシ先生じゃないのか?
「カカシ先生!」
「何?俺の恋人になる?」
何を期待しているのか、カカシ先生の顔が一層嬉しそうに綻ぶ。
その顔を見たらこの男の世話にだけはなりたくないと思った。
だが、真後ろにはドロシーちゃんが居る。

・・・ものすごい窮地に追い込まれてるぞ、俺。
カカシ先生の恋人になるか、ドロシーちゃんの餌になるか。
生きるか死ぬか。
二者択一だ。
しかしどちらを選んでも俺に明るい未来はない。

「ほら、おりてきなさいよ」
カカシ先生の両腕がフードの裾を割って俺へと伸ばされた。

(あ!)

フードの下から現われた体に目が釘付けになる。
あまり見ない暗部装束。白いプロテクターのわき腹部分には血がベットリと付着していた。

「早く。俺もうあんましもたないよ」

その言葉通り、よく見れば男の顔色は良くない。笑っている唇も、色が抜けたように青白かった。

「俺の恋人になりなさいよ。ね?」

なんでこの男は笑っているのだろうか?

うかつにも自分の状況を忘れ首を横に振っていた。
それでもカカシ先生の唇から笑みが消えることはない。何かを耐えるように。

頭が混乱でグチャグチャになる。
カカシ先生の恋人になるなんて絶対嫌だ。でもこんな所で死ぬのも嫌だ。でも助けてくれるのはカカシ先生だけで。
ああ、でもカカシ先生の恋人になるくらいなら死んだ方がマシ・・・いや、やっぱ死ぬのはご免だ。

(落ち着け、落ち着け俺)

目を瞑り、必死で自分に言い聞かせた。
カカシ先生の言葉に惑わされるな。己の思考に陥るな。
五感を澄ますのだ。逃げ道などいくらでもあるはず。

「イルカ先生」

下から自分を呼ぶ声がする。

目を開けると、カカシ先生がさっきと変わらず俺に手を伸ばしている。それだけが目に飛び込んできた。


目の前の事実は唯一だった。


血にまみれた両腕が縋るように俺へと伸ばされている。


死ぬかもれしないと思った。
今、ここで自分が降りなければこの男は死ぬかもしれない。
そう思った瞬間頭が真っ白になった。
それ以上何も考えることは出来ず、夢中で屋根の上から飛び降りた。
カカシ先生の腕の中に飛び降りる気はなかった。あんなご大層な怪我を抱えてそうな人にこれ以上衝撃を与えることは出来ない。
なのに、カカシ先生は飛び降りる俺の体をすかさず捕まえた。
恐ろしい程の力で抱き寄せられる。そのまま二人して倒れ込んでしまった。
「カカシ先生!あんた大丈夫なんですか?!怪我は?!」
ギューギューと両腕で締め付けられる。怪我人の力じゃないと思ったが、自分のものではない血の匂いが鼻に付いた。
「カカシ先生!!」
「・・・嬉しー・・・」
「え?」
「どうしよう。すっごい嬉しい。あんた俺の恋人になってくれるんだ」
・・・そこまでは深く考えていない。
「・・・死ぬかと思ったので」
咄嗟に飛び降りてしまっただけだ。
「ごめん」
とけない両腕の拘束にもがきながら、初めて男の謝罪を聞いた。
胸が引っかかれた気がした。少し、痛い。
「カカシ先生、放してください」
「いやだ」
「怪我してるんでしょう!早く診療所に行きますよ!」
「・・・イルカ先生も一緒に行ってくれる?」
あまりに子供っぽい言い草だった。
胸に感じる痛みはそのままに思わず噴出してしまった。
「行きますから。とりあえず放してください」
いつまでも怪我人の上にのっかかっている訳にも行かない。僅かにカカシ先生の力が緩んだので、体を起そうと上体を捻った。
なんとか顔だけは上げることが出来たが、回された両腕はそのままだった。
「カカシ先生、いい加減に・・・・、ちょっと!カカシ先生?!」
カカシ先生は気を失っていた。
「カカシ先生?!カカシ先生!!!」
どんなに叫んでもカカシ先生は起きてはくれなかった。
この状況でどうしろと言うんだ。
俺が先に気を失いたかった。俺とてここ数日の攻防で心身ともにボロボロだ。
(えーっと・・・)
「・・・しかたがない」
なるべくカカシ先生に負担がかからないようジリジリと体を下へずらせた。このまま行けばこの腕から抜け出すことが出来るはずだ。
しかし、頭が抜けると思った瞬間に物凄い力で絞められた。
「グエ!」
もう少しで目玉が飛び出るところだった。
(この人本当に気を失ってんだろうな)
何度か腕を叩いてみたが、反応はなかった。
仕方がないので、首に両腕が巻きついた状態でカカシ先生を抱き起こした。少し不自然ではあるが俗に言うお姫様抱っこだ。
そのまま診療所まで走った。

そういえばドロシーちゃんは?
雑木林を抜ける最中ハタと気づいた。ドロシーちゃんの存在を忘れていた。
慌てて振り返っても何も気配は感じない。
どういうことだろうかと首を捻ったが、そういえば恋人になるなら助けてあげるとカカシ先生は言っていたので、その通りなんとかしてくれたのだろう。






 

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