執行猶予3日(2)



猶予は三日。
俺がその間にすべきことは、カカシ先生曰く、

『覚悟を決めろ』

決まらなければ、犯されるのみ。

こんな一方的な宣告も、カカシ先生に言わせれば、

『譲歩だ』

俺が覚悟を決めるも決めないも、三日後に執行される事態は決まっているらしい。

選択肢なんてありゃしない。
さあ、どうする俺。
抱かれるか、犯されるか。

(どっちも同じじゃないか?)
月夜の綺麗な晩だ。月明かりと民家の明かりに照らされた住宅街の路地を裸足で全力疾走している。
カカシ先生の家からはもう随分と離れた。それでも足を止める気にはらない。
恐怖がすぐ後ろに迫ってきている、そんな錯覚に陥りそうだった。
なるべく明るさを求めて道を選んだ。暗いことは恐ろしい。見えない場所には何があるかわからない。
(・・・何だったんだ・・・?)
圧迫されるような恐怖から解放されても、心臓は早鐘を打つのを止めない。
突然あんな暴挙に至った男が心底わからなかった。腕を捕まれ家の中へ引きずりこまれながら、男の肩越しに暗闇を見た。
普通に考えればあそこは廊下でその先には寝室でもあったのだろう。だが、暗くて俺の目からは何も見えない。俺は何も知らない。
そんな場所をカカシ先生は見ていた。
何故ああも戦いてしまったのか。
あれほど闇雲に抵抗したことに今は少しだけ胸が痛む。俺もカカシ先生もとてもじゃないが落ち着いて話を出来るような状態じゃなかったが、それでも、罪悪感を感じてしまいそうになる。
(俺は悪くない)
言い聞かせるように胸の中で反芻した。
俺が何を思うかなど知らないとばかりに勝手に事を進めようとした。それに抵抗して何が悪いのだ。カカシ先生は俺の上司ではない。恋人だと、一度は心に決めた。
それなのに、・・・男は俺を抑えつけようとした。
ひどくショックだった。
「・・・チクショウ」
走り続けているせいで息が乱れる。それでも口にせずには居られなかったが、途端に息苦しさを自覚し足が止まる。
三日後に絶対抱く、だと?
まるで身体だけだと言わんばかりじゃないか。俺が嫌がろうが怖がろうがそんなのお構いなしかよ。俺の気持ちなんかどうでもいいのか。
結界まで張りやがって。その用意周到さが腹立たしい。
カカシ先生は最初から俺が逃げると解っていたのだ。嫌がるとわかった上で、あんな結界を・・・。
(何だよ・・・!)
握り締めた手のひらに爪が食い込む。
男の予想通り俺は逃げ出そうとした。悔しい。俺だって、カカシ先生が好きだと口にしたことがある。
あんた、それに嬉しそうにしてくれたじゃないか。笑ってくれたじゃないか。
てっきり気持ちは伝わったとばかりかと思っていた。
だが、実際はカカシ先生から逃げ回っていた時とこの現状は変わっちゃいない。カカシ先生はまだ俺が逃げるのだと思っている(まあ、実際に逃げようとしたわけだが)。
この悔しさは何だ?
己の行動を見透かされていることへの歯がゆさか。
それとも・・・、

(駄目だ、わからん)

さっきから思考が散り散りだ。

逃がしたくない、そう言った男の苦しげな表情が浮かぶ。こみ上げるような胸の痛みを感じた。
(あんな顔するぐらいなら、もっとまともに口説いたらどうなんだ!)
そうすれば俺だってあんな抵抗の仕方はしなかった、・・・かもしれない。
先ほど何度も舐められた口に拳を当てた。好きな相手なのに、俺は恐怖していた。食われそうだと思った。
ふと、握り締めた指の間に銀色の糸のような見えた。
「・・・カカシ先生」
カカシ先生の髪だった。そういえば、男の髪を引っつかんで抵抗した気がするが、そうか毟り取ってしまったか。
掌をひらくと銀色の糸がゆらりと指の間から落ちる。地面に落ちる前に、それは風に浚われていった。銀色の光を残しながら。
空を仰ぐと風に運ばれた黒い雲が月を覆いはじめていた。
辺りがまた暗くなる。
(・・・帰ろう)
今日はもう疲れた。とりあえず考える時間はある。
一度眠ればこの混乱した思考も少しは収まっているかもしれない。
深く息を吐いた。
しかし、脱力したまま足を進めようとし、ハタと気づく。
「何処だ、ここ・・・?」
闇雲に走るうちにどうも知らない場所に来てしまったようだ。民家の明かりはあれど道の全様が見えるわけではない。俺は迷子になっていた。

 

「痛っ・・・!」
足の裏に赤チンを塗っていると、医務室の戸が開きアカデミーの職員室で机を並べる同僚が顔を出した。
「何やってんだ、イルカ」
「見ればわかるだろ、手当てだ」
昨夜裸足で走りまわったもんだから俺の足の裏は小さな傷がいくつも出来ていた。それに気づいたのは今朝。顔を洗いながら妙に足が痛いなと思ったらこの有様だった。
アカデミーの出勤時刻が迫っていたので傷をそのままに来てしまったが、授業の最中もジワジワと痛んだ。
ばい菌でも入ってたら後々面倒なので、授業の合間を見てこうして医務室に赴いて手当てをしてるわけだ。
「どうやったらそんな傷が出来るんだよ」
同僚が不審げな視線を俺の足の裏に注ぐ。
「まあ、色々」
「あー、まあ、ほんと色々有りそうだなオマエの場合」
素っ気無い俺の答えにも、妙に納得したような同僚が頷いた。
「どういう意味だよ」
そのまま俺に背を向け、医薬品棚を漁りだした同僚に尋ねた。オマエの場合って、俺は一介の中忍教師であり、そんな風に言われるような覚えはない。
「あのはたけ上忍と付き合ってりゃ色々あるだろ、って意味だよ」
(あの、か)
『あの』はたけ上忍。里から畏怖と尊敬の念を一身に集めるあの男。忍としての力量もさることながら、性格の激しさ強引さは個性的派揃いの上忍の中でも郡を抜いている。
端的に言えば我侭だ。
そしてその我侭が許される男。それだけの力を持つ男。
そんなはたけ上忍様と俺が付き合ってるのは回りから見れば不釣合い極まりないだろう。この同僚は、そんな大それた男と付き合ってしまった俺の気苦労を言っているのか。
「あれだけ熱烈に好かれちゃ夜も寝かせてもらえないんじゃないか?」
だが、クルリと振り向いた同僚の顔に下世話な色が浮かんでいた。
「はあぁぁ?!」
「長かったよなー。オマエ、中々はたけ上忍に落ちなかったじゃん?もう俺を含め同僚連中気が気じゃなかったぜ。中忍なんかのイルカにこっぴどく振られてる姿がなんとも哀れで・・・」
「おい、もっと中忍ってことに誇りもとうぜ」
自分らで中忍を『なんか』呼ばわりしてどうする。いや、俺を『なんか』呼ばわりするな。
「おまえが受付ではたけ上忍に好きだと叫んだ時は本当嬉しかったよ。あの日、実は皆で祝杯あげに行ったんだぜ?」
「えぇ?!何で?」
「はたけ上忍の恋愛成就祝賀会」
「何それ?!」
「久しぶりにいい酒だった。いやーでも本当に嬉しいぜ、イルカ、一生懸命はたけ上忍に尽くすんだぞ。おまえ、ちょっと口が悪いからな。少しは自重しろ?」
「やなこったい!」
「・・・言ってる側からソレだよ。いくらはたけ上忍がオマエには甘いっつってもそんなんじゃすぐ愛想つかされるぞ」
同僚の言いざまに目を見張った。
(あ、甘い・・・?)
誰が?あのカカシ先生が?むしろ俺にだけ異様に厳しい気がするのに。
さっきからこいつは何を言ってるんだ。
昨日だって、あんな・・・。
(あ、クソ、思い出したらまたムカついてきた)
「何凶暴な顔してんだよ」
パコンと後ろ頭を叩かれる。
「・・・おまえ、最初からカカシ先生の味方だったのか?」
そういえば、こいつを始め同僚連中は俺がカカシ先生に因縁つけられている時もドロシーちゃんに追い回されている時も全然助けちゃくれなかった。
結局、長いものには巻かれろか?そんなに上が怖いか。
「階級なんかに屈っしやがって」
下忍の時分からの付き合いである同僚への恨み言も、「アホ」とまたも後頭部をはたかれ一蹴される。
「そうじゃねえだろ、イルカ。そんなのはたけ上忍が聞いたら傷つくぞ?」
「そんなわけない」
出た声の低さに自分でも内心驚いた。
傷つくと言うのなら、何故昨日はあんな風に押さえつけた?階級差・・・、力の差を、見せ付けるようなことをした?
「あるわけない」
「イルカ?・・・おまえ、ちゃんとはたけ上忍が好きなんだよな?」
「好きだよ」
だから、昨日の男の行動が辛い。

『あの』はたけ上忍と中忍『なんか』の俺、それを見せつけた男が、見せ付けられたことが、辛い。
ただ、胸に感じる痛みにはまた別の原因があるような気はする。

「はたけ上忍とうまくいってないのか?」
「わからん」
「おまえ、何そんなに怒ってんだよ?その怪我のせいか?だったら今度からちゃんと茣蓙引いてもらえ?な?」
「は?」
同僚が慌てたように言い募るが、何を言いたいのかよくわからない。茣蓙?なんでいきなりそんなのが出てくるんだ?
「それ、青姦で出来たんだろ?」
少しだけ声のトーンを落として告げられた言葉に、瞬時に顔に血が昇った。
「バーカ!!」
「おまっ・・・!恥じらい方が可愛くねえぞ!」
「恥らってねえ!!」
したり顔の同僚に赤チンの容器を投げつけた。そのままサンダルを履きなおし、医務室から出る。
せっかく手当てをしたのにガスガス歩くものだからその度に足の裏が鈍く傷んだ。

・・・それにしても恐ろしい。
同僚との会話に明るみになった事実は俺にとって非常にショッキングなものだった。
三代目をはじめカカシ先生の知人方は仕方ないにしても、俺と同じ立場(中忍)の同僚達までもよもやカカシ先生の味方だったとは。
どうりでやたら周りが優しいと思った。
カカシ先生の見舞いに行くため定時であがる俺を誰も咎めはしなかった。普段なら「残業しないで帰るつもりか、ボケ」の空気が満ちていたはずだ。
夕刻の受付業務を代わってくれた奴もいた。
それが悪いわけじゃない。実際はカカシ先生のためだったといえど、俺は確かにあの時感謝していた。それは本当だ。
けれど。
(腑に落ちねえ)
そう思ってしまうのも確かだった。
しかも、俺は周囲から既にカカシ先生と体の関係があると思われてるじゃないか。
まだ付き合って二週間だぞ?!普通は三ヶ月・・・いや、半年は清い交際をするもんじゃないか?!
それなのに!
既に青姦・・・?!
どういう思考回路だ。
もう眩暈がする。
キスだって早すぎたくらいなのに・・・。
これは木の葉における性のあり方をいっぺん見直すべきだろう。俺の同僚達は既に手遅れのようなので、せめて次期木の葉を担うアカデミー生達への性教育を徹底させなくては。
保健体育の授業を増やすよう掛け合ってみるか。いや、それより道徳の方がいいかもしれない。
思わずその足で教頭先生の下へ行こうとしたが、しかし、と足を止める。
そんな悠長なことをしている場合ではなかった。それに今の俺が何を言っても説得力はない。
期日は三日、いやもう二日、着々と迫っている。
(俺は何をすればいい?)
カカシ先生が何を考えているかわからない。何を見ているのかわからない。周りも同じだ。好き勝手にありもしない事実を作り上げている。
俺を抱くと宣言した男、俺は既に抱かれていると曲解している周りの奴ら。
俺だけが何も考えてなかった。まるで一人取り残されているようだ。
どうすればいいかわからないまま焦りだけが募る。抱かれることに嫌悪しているわけではい。ただその一歩を踏み込むのにどうしてもしり込みしてしまう。
さっき同僚にカカシ先生が好きかと聞かれた。
好きだ。即座に言った言葉は間違いだとは思えない。
こんなにも思考はカカシ先生に占領されている。男の一挙一動が気になってしかたない。
この感情の先に体を重ねる行為があるのは頭では理解している。
しかし、体を重ねた先には何がある?

それが想像すら出来なくて怖い。


受付の業務が入っていなかったのは幸いだったのか。
今日も七班の任務は入っていた。受付に座っていたらカカシ先生には必然的に会ってしまっていただろう。
そうならなかったことに少しだけ安堵をしたのも事実だが、毎日顔を合わせていた人に会えないのは何だか落ち着かなかった。
一人分の飯(味噌汁と白飯)を用意しながら、ふと手が止まる。
そういえば最近一人で飯を食うこともなかった。夕方になるとカカシ先生の見舞いに行き、ついでに病室で飯も済ませていた。
自分で弁当を買っていったり、カカシ先生への見舞い品(豪勢な籠盛フルーツ)のおすそ分けをもらったり。
たまに、カカシ先生の夕飯をもらうこともあった。入院患者の飯を横取りするのは気が引けたが、カカシ先生が「あんたが食べないならもう膳を下げていいよ」など言うのでありがたくご馳走になった。
俺が飯を(カカシ先生の)ガツガツ食ってる間、カカシ先生はベッドに寝そべって大抵は本を読んでいる。
それで、たまに顔をあげて、ちょっと笑う。
「あんたはよく食べるねえ」と。
だからなんだと聞いても、どうもしないとまた本に目を戻す。
そんな何気ないやり取りを二人だけの病室で交わしたこともあった。
カカシ先生は別にいつも憤っているわけではない。俺も、その憤りに引きずらるように喚いてしまうわけでもない。
穏やかな時間を持つことが不可能なわけではないのだ。
カカシ先生の笑った顔が好きだ。口の端を少しだけあげる。
整いすぎたカカシ先生の顔は一見すると冷たい印象を持ってしまう。まるで感情のない精巧な機械人形のようだ。
(それなのに、笑ったりするから・・・)
思い浮かべると胸が騒ぐ。
普段ムッツリしてるだけに、その笑顔にはとても価値があるように見えてしまう。顔がいいってのは得だとシミジミ思う。
「カカシ先生」
此処には居ない男の名を呟いた。
考えれば考える程、どうしていいかわからなくなる。
わからないまま、それでも会いたいと思ってしまう。
男が今どうしているのかも気になる。自ら突きつけた選択肢に何を思っているのか。
(・・・顔を見れば何かわかるかもしれない)
思い始めると、更に落ち着かなくなった。すぐにでもカカシ先生に会いに行きたい。
味噌汁を啜りながら、気がつくと尻が宙に浮きそうになっている。
(いかん、いかん)
浮いた尻を再び落とす。この状況でどの面下げて会いに行くっていうんだ。覚悟が決まったのかと問われても、とてもじゃないが頷くことはできない。
こんな気持ちで男に会ってもまた取り乱すだけだろう。
ならば。
こっそり覗きに行くしかない。
そう決めると浮き足だった気持ちも幾分は落ち着いた。


翌朝、出来れば出勤前にカカシ先生を見たいと思ったが、遅刻を当然とする男が朝早くから外をウロウロしているはずがない。
案の定会えなかった。
カカシ先生の家へ覗きに行くことも考えたが、万が一見つかった場合それこそ言い訳が出来ないだろう、
偶然を装い遠目にそっと見る、それぐらいがちょうど良いんだ。
そうなると狙い目は任務中だった。

(ここなら大丈夫だよな・・・?)
幸いにも、七班の任務地はアカデミーから近かった。昼休みになりアカデミーを抜け出してきたが、この分なら昼休みが終わるまでに戻ることができるだろう。
岩陰に見を潜め、そっと覗き見る。
(サクラにサスケ・・・ナルトは?)
二人が木陰で休んでいるが、ナルトの姿はない。あれ?と視線を巡らせれば向こうから勢いよく駆けてくる黄色い頭が目に入った。
「弁当もらってきたってばよ!食おうぜーー!!」
ナルトが持っていた風呂敷を二人に向かって掲げる。
(可愛いな、あいつ)
屈託の無いナルトの行動に顔が綻んだ。始めこそ七班のことは心配でたまらなかったが、予想よりずっと仲良くやっているらしい。
ナルトがサスケに向かって「おまえには弁当やらねーよーだ!」などと言っているのが実に微笑ましかった。
さて、あの子達を纏めている上司はと、視線を更に巡らせる。だが捜すまでもなく、その姿は目に飛び込んできた。
ナルトよりずっと後ろから七班の方へと歩いて行く。
両手をポケットに突っ込みノラクラと歩く男の髪が時折チラチラ光った。
顔の造作を確認できる距離ではない。それでも木の葉で二人と見ないその髪の持ち主はカカシ先生しか居ない。
覗き見という後ろめたさのせいもあるのか、心臓が早鐘を打ち始める。

(え・・・?)

ふいに、一際大きく心臓が跳ねた。

(目が、合ってる・・・・?)

遠くに居るはずの男がこちらを向いている。ついさっきまで、ナルト達に向かって歩いていた、その男が。
今は立ち止まり、顔を俺の隠れる岩陰へと向けていた。
仮にも俺は中忍だ、まさかこの距離で気配を気取られるとは思っても見なかった。
それでも、俺だとまでは気づかれていないだろう。
心臓の音が必死で消している気配を散らそうと騒ぐ、
「カカシせんせー?早くー」
立ち止まった男にサクラが声をかける。男は一端顔を七班の方へと戻した。同時に俺も顔を引っ込めた。
「先に食べてていーよ」
緩い声がようやっと俺の耳に届く。
(どっちだ・・・?)
俺であるとバレているのか、いないのか。
後者であれと期待する。だが、そうじゃないのは、もはや疑う余地はなかった。
ほんの僅か、男から視線を逸らしただけなのに。
何故か背後から男の気配をありありと感じた。



「こんなところで何やってるの?」
すぐ側でカカシ先生の声が聞こえた。完全に見つかっている。
「たまたま通りががって・・・・」
「へえ」
苦しい言い訳に男は平淡な声で相槌を打った。
恐々と振り向けば、カカシ先生が思ったよりも距離を置いて俺を見ていた。
「何の用?」
咄嗟の言い訳がこの男に通じるとは俺だって思っちゃいないが、こうも単刀直入だと身構える余裕もない。
「・・・用事があるわけじゃないです。ちょっとカカシ先生の様子が気になっただけで」
覗き現場を押さえられては嘘を吐くのも無理があった。その相手はカカシ先生である以上はなお更だ。
「何が気になるの?」
見つかってしまえばある程度の叱責は予想していた。だが、それに反してカカシ先生の声音は静かだ。
(何がって・・・)
普通、気になると思う。あんなことを言う男がどうしているか。もしかしたら少しは後悔をしてはいないか。
俺と同じ、そればかりに思考を占領されてはいないか。
「理由なんかありませんよ。顔が見たかっただけです」
この二日、考えるのはカカシ先生のことばかりだ。
いや、この二日だけのことではない。
いつからだろうか、この男のことばかり考えるようになったのは。少なくとも好きだと自覚する以前から、この男は俺の心を常にかき乱している。
憤りに思考は散り、その内に痛みを伴うようになった。
なのに。
「それだけ?」
諸悪の根源はまったく平然としていた。
馬鹿にでもしているかのような言いざまに頭に血が昇る。
「それだけです!」
なんか文句があるか?
言外にそれを込め睨みつけても、カカシ先生は無反応だった。右目しか晒されていなくてはその表情も読み取れはしない。
(結局、何もわかりゃしねえ)
カカシ先生を見ればこの苛立ちも少しは収まるかもしれないと期待していた。
だが、実際はどうだ。
男の憮然とした態度に苛立ちが募っただけだ。
これじゃ一昨日の夜と変わらない。あの時ようやっと時間をもぎ取ったというのに、俺はこの二日の間何をしていた?
考えても考えても一向に答えは出ないこの堂々巡りの最中に、ただカカシ先生に会いたくなった。
たったそれだけだ。
「お邪魔してすみませんでした。失礼します」
もう用はない。
男から視線を逸らし、その場を辞そうとする。だがカカシ先生は俺の前から動こうとはしない。
俺から避けるのは癪だったのでそのまま突き進んだ。
「痛ぇ!!」
当然、カカシ先生の肩とぶつかった。これみよがしに文句を言っても、カカシ先生はやっぱり無反応なままだ。
(あー面白くねえ!)
これなら怒ってる方がまだマシだよ。俺ばっかり馬鹿みたいじゃないか。一昨日はカカシ先生の方が馬鹿みたいだったのに、クソ。
腹立ちに地を踏む足にも力が入る。
「待って」
2・3歩、離れたぐらいでようやっとカカシ先生の声がした。俺も足は止めたが振り向きはしなかった。
「何か用ですか?」
さっきのカカシ先生と同じように返してやる。質問攻めの辛さを思い知れ。
「俺だって、痛い」
ああん?だったら避ければ良かったろ。
「あんたばっかりズルイ」
後ろから僅かに苛立ちの混じった声がする。
「あんたばっかり、好き放題言って。俺がこの二日どんな思いで居たと思ってるんだ」
「それは俺の台詞ですよ」
いつもいつも、カカシ先生の方が好き勝手言ってるじゃないか。大体俺は『顔が見たかった』と言っただけだ。
何が好き放題だ?人をお喋り扱いしやがって。
「大体どんなだって言うんです?」
噛み締める歯の根をようやっと解き言葉を吐いた。
「後悔をした」
すぐさま言葉を返される。
「へ?」
「あんたが帰った後、すぐに後悔した。あんなこと言うべきじゃなかった」
一瞬耳を疑った。
だが、確かに重ねて言っていた。
(後悔を・・・?)
「じゃ、じゃあ・・・!」
あの話は無効に・・・!!
期待に胸が騒ぐ。勢いで振り向いた。
何時にない弱気な言葉。男はもしかしたらそれに相応しい弱気な表情をしているのではないか・・・!
「いくらなんでも三日は長すぎた」
「え?」
だが、振り返った先に居るのは、立ち昇るような悋気を纏った男だった。
「三日なら待ってやろうと思った。それまでだってずっと片想いだったわけだし。今更三日ぐらい」
言葉を吐き捨てた男の口の端が上がる。
「それなのに、なんだこの辛さは!なんであの時あんたを帰したのか、自分の馬鹿さ加減に呆れるね」
笑っているように見える口元、けれど嘲る対象は俺ではなくカカシ先生自身だ。
背筋かスっと冷えた。
何か、自分がとんでもない間違いをしているような、そんな錯覚に陥りそうになる。
「こんなに辛いとわかってたらあんたを帰したりしなかった」
「カカシせんせ・・・」
「顔を見に来ただけ?何を勝手に・・・!俺がどれだけあんたに会いたい衝動を耐えたと思ってるんだ・・・!」
この男は、何をそんなに辛がっているのだろう。
自分から言い出したことじゃないか。怒っていいのは、俺の方だ。自分勝手なのは俺じゃない、カカシ先生だ。
何かが競りあがってくる。
「何を・・・?!」
競りあがるる何かに突き動かされるように、カカシ先生の言葉を遮った。これ以上自分勝手な言い分を聞いてはいられない。
そのまま足がカカシ先生へと向かう。殴りたいのかもしれない、この馬鹿な男を。
「近寄るな」
だが、詰め寄る前に鋭い言葉に足を止められた。
「あんたに触れたら約束を守れなくなる。これ以上近づかれたら、また俺は何を仕出かすかわかったもんじゃない」
「は・・・?」
「俺はねイルカ先生、あんたのことが好きなんだよ」
「そんなの」
知ってる。何度も聞かされた。傲慢な態度に恥じらいはなく、なんて偉そうな求愛だと俺は驚くやら呆れるやらで・・・。
男の口元の笑みが更に深くなった。
「あんたは全然わかってないよ。ノコノコ顔を見にくるくらいだ。俺は、それすら出来ないのに。あんたの顔を見たら、自分が抑えられなくなる。
 怖がらせるとわかってるのに抑えられなくなるんだよ!・・・三日は待たなきゃならない、くだらない約束だ。でも、これを破ったらあんたはそれこそ俺を軽蔑するでしょ」
それは・・・そうかもしれない。三日の猶予をもらった。口約束だが、カカシ先生がそれを破るとは考えていなかった。
だからこそ、もし三日たつ前にカカシ先生が無理やり事に及ぼうとすれば、俺はカカシ先生を許せなくなるかもしれない。
(本当にそうか・・・?)
だが、自問が思考を占めはじめる。俺は本当にこの男を許さないか?何故?この男は俺に何をした?
宣戦布告のような求愛は・・・何より男の懸命さの表れではないか。
それを責める理由が何処にあるという。
「軽蔑なんてしません。なんで・・・勝手に決め付けるんですか?言ってくれれば俺だって・・・」
「何を・・・これ以上何を言えばいい?いつも散々喚いてる。あんたははぐらかせてばかりじゃないか」
スっとカカシ先生の口元から自嘲の笑みが消える。そのまま告げられた言葉を信じられない気持ちで聞いた。
「教えてよイルカ先生。俺はどうすればこの気持ちをあんたにわかってもらえる?あんたは逃げずに居てくれる?」
鋭い刃物で胸を突き刺されたかと思った。
痛みに言葉がすぐに出てこない。
どうしてカカシ先生がこうも懸命なのか・・・そこを考えたことがなかった。
そうならざるを得なかったのだとすれば。その原因を俺が作っているのは俺だ。
俺は逃げてばかりだとカカシ先生は言う。そんなつもりはもちろんなかった。俺なりにカカシ先生には好意を寄せていたつもりだ。
前にカカシ先生が言っていた言葉を思い出す。
『好きだと言え』と傲慢に詰め寄ってきた。あれは紛れも無い男の本音だのではないか。俺は照れてる場合ではなかったのだ。恥ずかしさに怒ってる場合ではなかった。
強請る言葉の裏側には男の不安が隠されていたというのに。
思えば好きだとは一度しか言っていない。それで十分だと思っていたなんて、それこそなんという傲慢だろうか。
謝らなければ、そして好きだとちゃんと伝えなければ、だが焦れば焦るほど舌は麻痺したように動かない。

「・・・イルカ先生、チャイム、鳴ってるよ」
ふとカカシ先生の視線が逸らされた。言う通り、遠くからアカデミーのチャイムが聞こえる。
「昼休み終わったみたいだよ。もう戻りなよ」
「まだ話は終わってません!」
ようやく言葉が出てくれた。けれど、カカシ先生の視線が俺に戻ってはこない。そのまま俺に背を向けた。
「約束の期日まであと一日だよ。・・・ねえ、あんた、こんなところでクダ巻いてる場合じゃないでしょ。さっさと覚悟決めないと俺に犯されるだけだよ。
 それが本気なことぐらいは、わかってくれてもいいでしょうに」
「決め付けないでください!!俺は犯されたりなんかしません!!」
とんでもなく胸が痛い。
今更ながら俺はなんてことをこの男に言わせているのだろうと、恐ろしいほどの後悔の念に襲われる。
「そう。好きにしなよ。どっちにしろ、俺はあと一日しか待たない」
捨て台詞と、カカシ先生の姿は風に攫われたように消えたのは同時だった。
言いようの無い憤りだけが残る。
何一つ、カカシ先生の誤解を解けないままだ。
「俺は犯されたりなんかしない・・・!」
既に居ない相手に向かって同じ言葉を吐いた。
犯すなど、そんなことがあるわけない。
次にカカシ先生に会う時、体を重ねるのなら、その時俺は自ら脚を開くだろう。
それを強姦呼ばわりなど、決してさせやしない。




 

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