執行猶予3日(3)



消えたと思った男はまんまと七班が弁当を広げる場所まで戻っていた。
まさか子供達の前で出来る話なわけがなく、歯噛みする思いで俺もアカデミーに戻った。
早く仕事が終われと、午後はそればかり考えて過ごした気がする。
カカシ先生はあと一日しか待たないと言ったが、俺の方があと一日も持ちそうにない。
すぐにでもカカシ先生に会いに行きたかった。会って、好きだと伝えたかった。
伝えなければ駄目だと思った。
まるで強迫観念のようにそればかりに囚われる。
ここ数日の苛立ちが、ようやっとはっきりする。
俺は・・・逃げるばかりの自分が嫌だった。俺が逃げ出すとカカシ先生が認識していることが嫌だった。逃げるようなことばかりをするカカシ先生が憎たらしかった。

本当は逃げたくなんかないのに。

苛立ちは己に対する不甲斐なさに対してだ。

辛い、そうカカシ先生が言っていた。
さっきだけじゃない、二日前、無理やり引き倒されたときもさっきと同じような表情をしていなかったか。
俺は・・・何がそんなに辛いかよくわからない。
カカシ先生が凄腕の上忍だ、幼い頃から戦地に赴いていたと噂で聞いたことがある。きっと、俺では想像も出来ない世界を見てきたのではないか。
多くの苦しみを味わってきただろう、そして、それを乗り越えてきたんだろう。
そんな男が・・・何をそんなに辛がっているのか、やっぱり俺では理解出来ないのかもしれない。
それでも、カカシ先生があんな風に言う必要なはないはずだ。
俺が逃げる理由など元から取るに足らないものだった。
ただ、ビビッてしまっただけ。
大きな音に驚く小動物よろしく、いきなり引き倒されたもんだから混乱してしまった。力任せの行為の真意がわからずただ怯えてしまった。
まあ日ごろの鬱憤もあるけれどそれこそ些細なことだろう。(その鬱憤すら、己に対する苛立ちが含まれてのことだ)


ようやっとキンコンカン、と終礼のチャイムが鳴る。
その音に子供たちよりも早く反応し、教室を出た。
これから、職員室に戻って、明日の準備をして・・・ああ、チクショウ、まだまだやることが残っている。
早くカカシ先生に会いに行きたいのに。
一分でも一秒でも早く、カカシ先生に会って、

覚悟は決まった

それを伝えたいのに。
焦りとは裏腹に不思議と苛立ちはなくなっていく。
今はただ、カカシ先生に会いたい。

 

(結局こんな時間か)
梅雨前の日没は遅い。外へ出る時はまだ日が残っているかと思ったが、既に日は落ちきっていた。
アカデミーを飛び出しそのままカカシ先生の家へと向かった。
二日前はカカシ先生の背中だけを頼りに通り、帰りはまんまと迷ってしまったカカシ先生宅への道を走る。
今走っている道が確かなのかどうかはもはや関係なかった。
はやる気持ちがただ足を動かす。
どんなに迷おうが、カカシ先生に会えさえすればいい。それだけだった。
(多分、・・・こっちだ)
比較的大きな三叉路に一瞬だけ足が止まる。
こんな道を二日前は通った記憶はない。カカシ先生に着いていった時はまだ日もあったが、俺は着いて行くのに精一杯で全然周りを見ていなかった。
それでも俺は中忍かと罵りたくもなってくる。
よくカカシ先生は俺のことを馬鹿だの鈍いだの言うが、今は甘んじてその言葉を受け止めよう。
俺は馬鹿だ。
カカシ先生の言葉は実に的を得ている。いつも腹が立っていたのは図星だからだろう。まあ、普通は思っても言わないだろうし、それが思いやりだとも思うが、影で言われるよりは面と向かっての方が良い、そう思うことにする。
(カカシ先生・・・!)
汗ばんだきたうなじを生暖かい風が撫でる。
それを払うように首を振った時、ふと、曲がり角の向こうに目が留まった。
「あった・・・」
知らない道で唯一目に留まった何の変哲もない民家に言葉が洩れる。走りずめであがった息を整えることなく、そこへ向かって再度足を走らせた。
表札のかかっていない玄関にカカシ先生の家だと確信した。
はやる気持ちをそのままに目を走らせる。家の中からは僅かに灯りが洩れていた。
(・・・居る、よな・・・?)
「あ!チャイムがねえ!」
二日前は気づかなかったが玄関のくせに呼び鈴もなかった。どうしようと思うも、考えるより先に身体が動く。
「カカシ先生!ごめんください!!」
大声で男の名を呼びながら戸を叩いた。
「カカシ先生!イルカです!!いらっしゃいますか?!」
どうか居てくれと、願う。
どうかこの戸を開けてくれ。
明日までなんてツレナイ事を言わないで欲しい。
「カカシ先生!お願いです、話をさせてください・・・!」

「あんた、うるさいよ」

ふいに目の前が開かれた。戸を叩いていた手が行き場を失い身体ごと前のめりになる。その体勢をなんとか立て直し顔をあげた。
(カカシ先生・・・!)
いつもの支給服だがベストは身に付けて居ない。
今度こそ話を聞いてもらいたい、その一心で手を伸ばした。そうしないとまた逃げられてしまうと思った。
「カカシ先生!」
手は虚しく宙を掴む。僅かに身を引かれ、ああクソと、心中で苛立ちを吐き捨てた。
「何なの?また喧嘩売りに来たの?」
ソツのない身のこなしに平淡な声、男は昼間と変わらない。
(この人ばっかりは・・・!)
昼間だって喧嘩を売りにいったわけじゃない。カカシ先生が勝手に勘違いして俺を怒らせただけだ。
負けずにまた手を伸ばした。
今度は逃げられないように、逃げられても、せめて気持ちだけは伝わるように。

「好きです・・・!」

精一杯叫んだ。

「・・・ぇ?」
カカシ先生の動きが一瞬止まる。
(よぉっし!)
そのまま胸倉を掴もうとした(いつもカカシ先生がするみたいに)。
かっぴらいたカカシ先生の目の中に凄まじい形相をした俺が写っている。
「俺、あんた言うようにちょっと鈍くて、なんで怒るのかわからなくて・・・!でもちゃんと好きですから・・・!」
これが告白する奴の顔かよと内心ツッコミつつ、ようやっと言えた安堵と共にカカシ先生を引き寄せようとした。
けれど、
「ちょっとなものか・・・っ!」
伸ばしたはずの手はカカシ先生に捕られ、逆に俺の方が引っ張られていた。
俺にも勢いがあったものだから、必然的にカカシ先生の肩に思いっきり額を打ち付けることになる。
これではまるで昼間俺がカカシ先生に言いがかりを付けた時のようじゃないか。
今度はそんなつもりなかったのに。
「すみませ・・・!」
昼間のように喧嘩をするわけにはいかない。慌てて謝り離れようとしたが、既にカカシ先生の両腕は俺の背に回っている。
「ちょっと、って何?すごく鈍いの間違いでしょうが。あんた自分のこと過大評価しすぎだよ」
「え?」
ひでえ。謙遜して言ったのに、わざわざ言い直すことないじゃないか。
「俺は怒ってるんじゃない。ただあんたが好きなだけだよ。なんでそんなことすらわかんないの」
「・・・ごめんなさい」
それでも、文句を言う気にはならなかった。
だって、背に回されたカカシ先生の腕が震えている。それを隠すように、腕に力を込め俺を締め付ける。

「本当に犯さなきゃいけないのかと思ったんだ・・・!」

案に、犯したくはない、そう叫ばれているみたいだ。

唐突な叫びに男の後悔を知る。
昼間はその後悔を俺は望んでいたはずなのに、いざそれを目の当たりにして初めて自分の浅はかさがわかった。
惚れた男が傷ついていればいい、そんなことを俺は望んでいたのか。
けれど、俺ばかりが悪いわけでもない。カカシ先生にも非はあるだろう。
(・・・そんなに辛いならあんなこと言わなきゃいいのに)
男の意思一つでどうにでもなることのように思えた。けれど、男はさっきから俺が悪いと言い募る。そして俺も、それを認めないわけにはいかなかった。
「三日後・・・俺が抱かれる覚悟決めてるとは思わなかったんですか?」
言うと、背に回る男の腕の力がますます強くなる。締め付けられ、アバラの軋む音が聞こえそうだと思った。
言葉はなかったが男がそれを悲観していたことがわかる。

胸が痛い。
男を突き動かしているのは、男の意思ではなく、俺なのだ。
何もかもを捧げられているような感覚に、ただ胸が痛かった。

「あんな風に言われたら、まるで体だけみたいじゃないですか。酷いですよ。カカシ先生、俺が中忍だってわかってますか?
 あんたに押さえつけられちゃ、俺は逃げられないんです」
少しだけ甘えたような言い草になってしまった。俺が悪いと言い募る男は、それでも俺を抱きしめてくれるから。
どうして、この男を俺は怖がってしまったのだろう。
今更ながらの後悔にまた襲われる。
「・・・何よ、中忍って。逃げられないって、何?あんた逃げること出来るじゃない。俺に捕まってくれないじゃない。
 怒ってるなんて勝手に決め付けて怖がって・・・、そんなのあんまりだ」
非難の言葉は、まるで知らない男のもののようだ。いつもは叩きつけるような言葉を吐く男だとは思えない。
「俺は必死なだけだよ、イルカ先生。・・・必死にならなきゃ、あんた振り向いてすらくれないじゃない」

俺はこの男に何を捧げられるだろう。俺のせいで理性すらかなぐり捨てようとする男に、俺は何をしてあげられるだろう。

「ごめんなさい。ちゃんと・・・カカシ先生のことが好きです」
こんな言葉だけで伝えきれるとは思えない。けれど、何を言えばいいのか・・・。
「・・・それじゃ足りない」
押し殺したようなカカシ先生の声音にハっとした。
(・・・そうだ)
俺はまだ大事なことを言っていない。
「少し・・・力を緩めてください」
ちゃんと顔を見て言いたかった。
一向に腕の力は弱まらなかったが、何とか身を捩りカカシ先生の顔が見えるくらいには距離をとった。

普段は隠されて見えない口元や右目が惜しみなく晒される。
また胸の痛みが強くなった。

なんでそんなに辛そうなんだよ。

やっぱり俺の気持ちは伝わっていないのだ。伝わっていたらこんな顔はしない。

「カカシ先生」

これを言ったら、カカシ先生は笑ってくれるだろうか。少しでもその寄せられた眉根を解いてくれるだろうか。

「覚悟は決まりました。抱いてください」

 

いつも思っている。
カカシ先生が何を考えているかさっぱりわからない。何を見ているのかが皆目検討がつかない。
あの日、俺を引きずるカカシ先生が見ていた先には何があるのか。
圧倒的な力は何のために奮われようとしているのか。

「イルカ先生」

名を呼ばれ、目を上げれば男の切なげに揺れる瞳とかち合った。
(・・・なんだ)
男の目には俺が写っていた。俺だけを見ている。それから、とんでもない力で抱きしめてくる。

散々逃げて、喚いて、傷つけて、その理由の拙さに覚悟の念を深くする。
これ以上の醜態を晒さないために、せめて、男らしく潔く、俺はこの人に抱かれよう。


幾度も角度を替え唇を合わせた。歯列をなぞられ、そのむず痒さに噛み締める歯の根を解けば、すぐに舌がもぐりこんでくる。
舌の根にも届く感覚に全身が痺れていく。
(・・・喰われてるみたいなんだよな)
口付けなどという生易しいものではない。口腔を余すことなく探る舌の荒々しさに、ぼんやりとそんなことを思った。
息継ぎの暇もない深さに軽く身を捩れば、非難するように上唇を軽く咬まれた。
驚き目を開くと、陶酔したように伏せられた銀色の睫が見える。
急に、全身の熱がカっとあがった。
(て、照れる・・・・っ!!)
どうしようもない恥ずかしさを自覚し、カカシ先生の髪を引っ張った。少しだけ離してくれと言いたかった。
「なに・・・?」
掠れた声に、唇は解放されたとわかる。答えるより先に溜まった二酸化炭素を吐き出していると、その間にもぬるぬるとした感触は顎を伝い耳裏に移動した。
「・・・っ!」
背の粟立つような疼きに腰が落ちそうになる。それをすかさず支えられ、ようやっとまだ自分達が立ったままだということに気づいた。
しかもまだ玄関だ。
二日前はここで引き倒されたが、まさか今日もここで?
それは嫌かもしれない、とカカシ先生の髪をもう一度引っ張った。
「あの・・・、こ、ここでするんですか・・・っ?」
乱れる息を整えながら言うと、ようやっとカカシ先生の唇が離れた。
「ああごめん、気づかなかった」
僅かだが距離を開けられ、真正面から見据えられる。
「イルカ先生、あがってくれる?」
真摯な視線に一も二もなく頷いた。いつにない丁寧な言い草がまた照れる。さっきから体温が上がりっぱなしだ。
少しでも気を散らすように、慌てて玄関口に腰をかけた。
サンダルを脱ごうと指をかけ、だが、うまく指が動かない。どうも俺は思ったよりもずっと緊張しているらしい。
まあ、それも当たり前か。
男とのセックスは全くの未知の領域だ。痛みも付き纏うらしいし。これに関する身構えは二日前と変わらないかもしれない。
(・・・少しは落ち着けよ)
サンダルの止め具を外すだけなのに、指がかじかんだように言うことを利かなかった。
「ぇ・・・?」
苦笑をもらしていると、ふいに、その指にカカシ先生の白い指を重ねられた。

驚きに一瞬反応を忘れた。

カカシ先生は俺の前に跪き、なんなく俺の片方のサンダルの止め具を外す。
「足、あげて」
「え・・・?」
カカシ先生が何をしているのか・・・どうしていつもは見上げること多いあの銀色の髪を俺は見下ろしているのか・・・。
うまく思考が働かない。何も反応を返せずに居ると、カカシ先生は何も言わず俺の膝下を持ち上げた。そのままサンダルを抜く。
「っ!!!やめっ・・・、カカシ先生、何を・・・!!」
ようやっと男が何をしているのか解った。
慌てて足を引くも、今度は反対の足を捕まれた。そのまま僅かに持ち上げられ、跪いたカカシ先生の股に乗せられそうになる。
「なにっ、なにしてんですかっ?!こんなことは止めてください!!」
絶対に乗せまいと、捕まれる足に力を入れた。
どうしてカカシ先生が俺に跪いているんだ?驚きと焦りにひたすらうろたえてしまう。
まるで見てはいけないものを見ているようだ。
「上忍のくせに、俺なんかにそんなことしないでください・・・!!」
悲鳴じみた声で叫んだ。
こんな・・・まるで僕とでも言わんばかりのカカシ先生の行動に背筋が強張る。そんなことをこの男にさせるわけにはいかない。
けれど、カカシ先生はそれがどうしたとでも言わんばかりだ。俺とは対照的に落ち着いた声で言った。
「覚悟は決まったんでしょう」
「そ・・・そうですけど・・・!!」
こういうのは違うだろ?!
むしろ、立場上からすれば俺がそうするべきでは・・・、だってカカシ先生は上忍だ。俺の上司でもあるし・・・。
「上忍のくせにって、何?」
「へ・・・?」
「さっきから上忍だの中忍だのってあんたは言うけど」
責めるような口ぶりに怒ってるのかと思った。だが見上げてくる瞳にはいつもの怒気はない。嵐の前のような静けさで、ただ俺を見据える。
「俺が下忍だったら問題ないの?」
「ちが・・・!」
慌てて否定した。確かに上司にこんなことをさせられないというのはある。常識的に。だが決してそれだけじゃない。この気高い男を貶めるような行為は俺が耐えられない。
「カカシ先生にされたくないんです!」
泣きそうになってしまった。こんなことは冗談でもして欲しくない。
「もし、本当にあんたが俺のことを上忍だって扱うっていうなら、それはそれで良いよ。でも、実際は違うよね。あんたは立場の違いを隠れ蓑にしてるだけだ」
その言葉は実に的を得ていた。『隠れ蓑』その通りすぎて、グウの音も出ない。
なのに、カカシ先生は笑うのだ。今まで見たこともないような晴れやかな顔をして。
「ん。わかってるなら、もう良いよ。その上であんたは覚悟を決めてくれたんだ。今、逃げないでくれて嬉しい」
何と返していいかわからなかった。
「でも・・・、こんなのは違うと・・・」
片足は捕られたままだ。どころか完全にカカシ先生の腿の上に乗せられている。
「恋しい人の心を請う行為を、俺は間違っているとは思わない」
はっきりとした声音と、爛々とした光を帯びる色違いの瞳。言葉通り、男の言動には迷いがなかった。
ハタと自分の思い違いに気づいた。

(嵐の前なんかじゃねえ・・・)

男の静かさを嵐の前のようだとさっき思ったばかりのことを否定する。
俺は嵐の前に居たわけじゃなかった。
渦中のど真ん中に居たのだ。中心にある晴れの穏やかさに本来の姿を忘れていた。
(・・・大丈夫か、俺)
昔、何より警戒すべきことは、吹き戻しの風だと聞いたことがあった。
「イルカ先生、キスをちょうだい」
傲慢な口ぶりに本来の男の姿を見る。
進路を定めた嵐が再び動き始める。
それに気づいたところで、何が出来るわけでもない。
自ら嵐に身を投げ出した俺に出来ることといえば、その激しさに翻弄されるだけだろう。




 

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